(黄巾騒乱 其の二)
黄巾党による一斉蜂起はすぐに漢の都である洛陽に齎された。
その報告を聞くまで上機嫌だった宦官達は歓喜など一瞬にして消え失せ、宦官の長である張譲も表情が険しくなっていた。
「あの小娘どもめ……」
宦官達は自分達が失敗した時の叱責よりもさらに悪意がこめられた張譲の声に驚き、彼の方を見た。
いつになく感情を表に出しているように誰もが見えた。
「せっかく拾ってやって何一つ不自由なく生かしてやったというのに、それをこのような形で裏切ってくれるとわ」
天和達を拾った張本人はこの張譲だった。
張譲は大陸中で自分の野心のために利用できる人材を探していた。
当初は彼女達に決めていたわけではないが、必死になって生きようとしている姿に利用価値を見出した。
そして手の者を使って彼女達にいろいろな支援もした。
特に太平要術の書を極秘にある場所から盗み出してそれを渡したことで彼女達の歌や言葉に催眠効果を齎し、多くの者を扇動させるように仕向けていた。
だが、予定より早く反乱を起こしたことが張譲を怒らすのに十分だった。
「いかがなさいますか?」
張譲の機嫌をこれ以上損なわないように宦官の一人が問うと、張譲は殺気に満ちた視線をその宦官に向けた。
心臓を鷲掴みにされたようにその宦官は身体を震わせた。
「どうすればいいかお前の意見を言ってみよ」
張譲の返答に宦官は限られた時間の中で考えた挙句、無難な手段を提示した。
「すぐにでも討伐をして何もなかったことにするというのはどうでしょうか?」
自分達にとって不利益しか齎さない物はすぐに処分をするほうがいいとその宦官は思った。
問題は彼の思考ではなく張譲の長年に渡って練られた計画が大きな修正どころか、一つ間違えば取り返しのつかない致命傷を負うことになることだった。
「討伐か……」
予定されていたよりも早く反乱を起こした天和達を討伐して全てをなかったことにすれば何も問題はなかった。
天和達に代わる新しく利用できる駒を見つけ出せばそれでよいはずだったが、それでは時間がかかりすぎ、その間に百花と一刀が余計なことをしてしまう可能性があったため、張譲には今回の反乱が最も大きな好機だった。
「仕方ない。すぐに諸侯に軍を率いて洛陽に来るように命令するのだ」
「我らが命令するのですか?」
「陛下に命令書を作らせるのだ。それ我らが実行すればよい」
「しかし、それでは陛下にも反乱が起こったことを知られてしまいますが」
「かまわぬ。それに知ったところで何もできはしない」
何の実権もない百花など恐れる必要はまったくなかった。
それよりも早急に今回の一件を片付けなければならなかった。
「それで婚儀の方はどういたしますか?」
今のままで強行しても誰からも支持されないことは明白だった。
いくら宮廷内だからといっても、皇帝の結婚は知らせなければ自分達が蔑ろにしていると批判されてしまう。
「諸侯が集まった時に執り行う。そうすれば討伐軍の士気も上がるであろう」
討伐前に結婚式を行うことなど普通では考えられないことだが、張譲からすればそれをする価値が少しはあった。
「諸侯に送る命令書と同時に陛下と天の御遣いの婚儀を執り行うことも知らせておけ」
「ははっ」
宦官達は張譲の指示によって慌しく動き始めた。
宦官から黄巾党の大規模な反乱を知らされた百花は驚きを隠せなかった。
自分の代になってまだ数ヶ月でこのような事態が起こるなど思いもしなかっただけに百花は一刀にどうすればよいか相談をした。
「すぐにでも鎮圧しないとダメだな」
一刀からすれば漢王朝に致命傷を与えるこの反乱を早期に鎮圧する必要があると思った。
長引けばそれだけ衰退を加速させていくだけであり、百花にとって何もいいことなどなかった。
「しかし私に鎮圧などできるのでしょうか?」
「しないとダメだ」
宦官以上に危険な存在をこの都に招きいれようともまずはこの反乱をどうにかしなければならない。
「しないと本当にこの国は終わってしまうよ」
「でも私の命令を聞いてくれる者がいるのでしょうか?」
「その辺りは大丈夫だと思う」
「どうしてそう言えるのですか?」
自分の今の状態ではどうすることもできないことは百花自身が一番わかっていた。
だから一刀の言っていることがわからなかった。
「まぁこう見えても天の御遣いだからね」
笑ってみせる一刀。
天の御遣いだからこそ自分にはわからないことまでわかっているのだろうかと百花は思った。
「それにお願いをしてくれただろう?俺のやろうとしていることを認めてくれるって」
「はい」
そして彼を信じている。
百花は自分の言ったことを思い出した。
「たぶん、張譲さんから君に命令書を書けってくるだろうしね」
宦官を使って知らせてきたということはそうなるだろうと一刀は確信していた。
同時に百花を張譲達から解放する好機が訪れようとしていた。
「一刀」
「うん?」
「無茶だけはしないでください」
「もちろんだよ。多少は苦労するかもしれないけど、無茶だけはしないようにするよ」
一刀の言葉を信じていることが正しいと自分の中で決めている百花は、彼が無事でいてくれるのであればそれでよかった。
「それにしても一刀は強いですね」
「何が?」
「だって私ではできないことをしようとしているように思えるのです」
「それは違うさ。百花だってやろうと思えばできるよ。ただ、最初の一歩を踏み出せないでいるだけだよ」
その最初さえ踏み出せば後は進むだけ。
逆にその最初がなかなか踏み出せないものでもあった。
「一人でダメなら俺がいるから。手を握って一緒に踏み出そう」
もう百花は一人ではないことを一刀自身が証明してくれている。
「わかりました。一刀と踏み出してみます」
「その意気だ」
嬉しそうに答える一刀に百花は頬を赤く染めていく。
「今の状況を上手く利用すればきっといい結果になると思うよ」
「そうですね」
二人は危機的状況の中でも前向きに考えていった。
そこへ張譲がタイミングよくやって来た。
表面的には冷静さを保っている彼だがその内では怒りと僅かな焦りが入り混じっていた。
「陛下」
「何ですか張譲?」
私室にやってくるということは張譲もそれほど余裕があるわけではないのかなと一刀は思った。
「恐れ多くも陛下が治めるこの国で大規模な反乱が起こってしまいました」
「それは聞きました。それで私はどうすればよいのですか?」
一刀が傍にいてくれるだけに落ち着いて受け答えをする百花。
「すぐにでも鎮圧のための討伐軍を組織するべきかと思います」
「ではすぐにそうしてくさい」
「もちろんでございます。ただ、一つお願いがあります」
「お願い?」
張譲の願いに百花は一刀の方を見た。
「この都に集まる諸侯を交えて陛下と御遣い殿の婚儀を改めて執り行おうと思っています」
今日ではなくその日に変えることに何の意味があるのだろうかと二人は思った。
婚儀を強行すれば反乱が起こっている中でそのようなことをした百花の評判は落ちて張譲達にとっては喜ばしいことのはずだが、それを延期する理由がわからなかった。
「討伐軍の士気もあがります。さすれば反乱もすぐに鎮圧できるかと思います」
「しかし、これから討伐にいく者達の前でそのようなことをしても本当に士気などは上がるのですか?」
「もちろんでございます。陛下と御遣い殿のめでたい婚儀なのですから誰もが必死になって婚儀の品として勝利を齎すことでしょう」
延期はしても二人の婚儀を諦めないでいる張譲。
百花としては断るべきだと思いそれを声に出そうする前に一刀が先に反論をした。
「悪いけどそれはできない相談だね」
「なぜですかな?」
一刀からの反論に張譲は表情を僅かに険しくさせた。
「これから生死をかけて戦いにいく人達の前で自分達だけがそんなことをして本当に士気が上がるとは思えないね。それに」
「それに?」
「どうせ一緒になるのならば皆が幸せに暮らせる世の中になった後でいいさ。焦る必要もないしね」
言葉は柔らかいが毅然と婚儀を執り行うことを拒否する一刀。
一刀と張譲はお互いを睨みつけていた。
「今は無理でも将来は彼女と一緒になるつもりだから安心して」
「……」
そう言って一刀は視線を百花の方に向けた。
百花も一刀が将来、自分を娶ってくれると言ってくれたことに驚き、それが収まっていくと喜びが生まれてきた。
「本当ですか、一刀?」
「嫌じゃなければね。でも、今はそんなことを言っているときじゃないはずさ」
今、自分達が成すべきことをしなければならないことを百花も再認識して甘い気持ちを押し込めた。
「張譲」
「はい」
「すぐに諸侯へ軍を引き連れて参内するように呼びかけなさい。そしてここにおられます天の御遣い様を大将軍とし全軍の指揮を任せます」
「しかし御遣い殿をいきなりそのような大任には……」
「これは勅命です。貴方が私を皇帝としてみているのであればその命令に従う義務があるはずです」
「……」
毅然とした態度で勅命を下した百花に張譲は睨みつけるが、彼女は必死になってそれに対抗するように見返した。
「もし勅命を無視するのであれば貴方の望む婚儀など絶対にしません」
一刀のやろうとしていることに百花は全力で応えようとしていた。
軍の全権を一刀に持たせれば張譲達の思惑に振り回されることはないと判断した百花は、姿勢を正して一刀の方を見た。
「天の御遣い様、お任せしてもよろしいですか?」
張譲に向けた視線とは異なる温かみのある視線に一刀は頷いて応える。
「わかった。君がそれを望むのであれば謹んで受けるよ」
「お願いします」
衰退しているとはいえ漢の皇帝が頭を下げた。
皇帝とは神聖不可侵な存在だと信じている者達からすれば信じられない光景だった。
「そういうことなので張譲、これからの軍権はすべて御遣い様に一任します。異議はありませんね?」
「……ははっ」
決して納得したなど張譲にはなかった。
婚儀を強行しようとして逃げ出した百花ならば天の御遣いがいようとも自分達の言いなりになると思っただけに、一刀の存在が危険極まりないものになってきていることを感じずに入られなかった。
「命令書は私と御遣い様で作ります。伝令をすぐに出せるように準備をしておきなさい」
「畏まりました」
そう言って張譲は礼をとって部屋を出て行った。
それを確認した百花は大きく息を漏らしていく。
どこかホッとした百花の表情は安堵に満ちていた。
「頑張りました」
「そうだな」
「一刀のおかげですね」
「そうかな?」
「そうですよ」
最初の一歩を踏み込んだ百花は自分でも驚くほど毅然としていただけに、その反動が今になってやってきた。
「頑張った百花にご褒美でもあげようか?」
「ご褒美ですか?」
今までそのようなものを貰ったこともない百花。
将来一緒になってくれるという約束され、自分の言葉で一刀を大将軍に任じただけなのに何を望んでいいのかわからなかった。
「あ~でも、俺のできる範囲で頼むよ」
一文なしの上に居候の一刀とすれば情けないことだが、できるだけ金銭のかからないものを望んだ。
「そ、それではさっきのように……」
「さっき?」
最後の方が小声になって聞こえなかった。
「あ、い、いえ……一刀が嫌なら構いません」
「嫌って言われても、何かしたっけ?」
「そ、その……」
顔を赤くする百花。
それでもわからないでいる一刀。
「そ、そ、その……ぎゅって……してください」
言った後、百花はさらに赤くし、言われた一刀の顔も赤くなりぎこちなく彼女を抱きしめた。
百花と一刀は共同で命令書を作り上げ、それを大陸中に存在している諸侯に送らせた。
初めは何処の勢力も自分の領土を空にしてまで洛陽に行くことなどできないと思っていたため、すぐに動く者はいなかった。
そのためか、百花と一刀はどうしたらよいものか考えたが妙案が思いつくこともなかった。
そして黄巾党による騒乱が始まって一月。
洛陽に向かっている一軍があると報告が二人に齎された。
「西涼の董卓が三万の兵を率いて来ている」
その報告を聞いた一刀は表情を曇らせた。
彼の知っている董卓であれば張譲以上に危険な存在となり、百花にも魔の手が伸びないとも限らなかった。
「一刀、どうかしたのですか?」
対照的に百花は自分達の呼びかけに応えてくれたことが嬉しいのか、一刀のように表情を曇らすようなことはなかった。
「い、いや、なんでもないよ。それにしても呼びかけに応えたのが董卓さんだけか」
「そうですね。東に比べて西はそれほど反乱があるわけではないですから」
「そうだよな。東から誰か来てくれたら嬉しいんだけど、仕方ないかな」
一刀も大将軍に任じられたといっても天の御遣いというだけで何の実績もないため、誰も従おうとしないのは当たり前だった。
そしてこの一月、張譲達は何も邪魔をしているようには見えなかった。
失敗を期待しているんだろうと一刀は思ったが、今はそんなことを気にする暇はなかった。
「それにしても黄巾党の勢力は凄いな」
机の上に大陸の地図が置かれそこに碁石を並べていた。
黒が黄巾党の現在展開している場所で白が一応、官軍に組する勢力。
数からみれば黒石の方が多かった。
「知らせでは行く先々で首謀者の張角、張宝、張梁なる者が歌で信者を増やしているそうですね」
「歌ねぇ」
この時代にも歌というものは人に何か影響を与えさせるものなんだと一刀は思った。
当初の黄巾党の数は五十万となっていたが、未だに増えていると知らせもきていた。
「でもそれだけ不満があるんだろうな」
「そうですね……」
張譲達に任せてしまった代償がこのような形になって現れたことに百花は自分を責めた。
「ほらそんな顔をしない」
一刀は落ち込んでいる百花を励ました。
確かに彼女は皇帝でありこの国に住む全ての者のために政を行う義務があるが、このような状況を作ったのは張譲達だから責めは彼らにあると一刀は思っていた。
「この反乱が鎮圧したらもう二度とそんなことが起こらないように頑張ればいいさ」
「できるでしょうか?」
「俺も協力するよ」
そのための準備を少しずつだが整えようとしている一刀は、董卓が自分の知っている人物と違ってくれることを祈るしかなかった。
「そういえば」
「どうかしたのですか?」
「いや、将軍達はすんなり俺の指示に従ってくれたなあって」
初めて大将軍として百花が同席の中で軍議を開いた時、多少の不満を表情に表していたものの都の警備とその都を守る関の守備を頼むと文句も言わずに従ったことが一刀を驚かせた。
「まぁ少なくとも宦官より俺の方がマシだって思ってくれたのかな?」
その中から信頼できる将軍がいればいいなあと一刀は地図を見ながら考えた。
「都を守るのはこれでいいんだけど、やっぱり乱そのものを早く鎮圧しないとな」
兵士の数と質は一刀が思っていたよりもマシだったが、正直に言えば守りにも不安がないわけではなかった。
そこへ董卓軍三万が来てくれることは嬉しさ半分、危なさ半分だった。
前者は張譲達を牽制できる力となり、後者は張譲を実力で排して彼らに代わって百花を利用しようとする可能性があること。
(こんなことなら知らなかった方がよかったかな)
三国志のことを知っているだけに不安が拭いきれずにいた。
だが動き出した以上、彼女を守りながら今の状況を好転させることを最優先としなければならなかったた。
「参ったな」
「一刀?」
「あ、いや、ただの独り言だよ。いきなり大任を背負うことになったからね、何かと考えることが多くて」
「迷惑……でしたか?」
張譲の前で一刀を大将軍に任じたことは百花も気にしていた。
信じていると自分でも何度も確認していたが、一刀に余計な重荷を背負わせてしまったのではないかと思っていた。
「迷惑なんて思ってないさ。まぁ他の人からすれば天の御遣いってだけで大将軍なんて位についたから不満はあるだろうけどね」
それでも反抗をするような動きは見えなかっただけマシだった。
「一刀、いざとなったら私も戦います」
「それはダメだ。君に人殺しなんてさせたくない」
そんなことは自分がすればいい。
彼女には自分の手を血で汚させたくないという一刀の我侭があった。
「君は君のできることをすればいい」
「一刀……」
自分を守ってくれる一刀に百花は逆らえなかった。
それでも百花は一刀が傷つく姿を見たくないだけに、自分の出来ることで彼を守りたかった。
「大丈夫。こういう時は勢いのままいくと案外上手くいくもんだよ」
「そうですか」
「あ、今、本当か?って思わなかった?」
「そ、そんなことはありません。私は一刀を信じていますから」
からかったつもりが本気で返されてしまった一刀は、頬を赤くしている百花が必死になって否定している姿が可愛く見えた。
「ありがとうな」
一刀が笑顔でお礼を言うと百花はさらに赤くなっていく。
「と、とにかくだ。董卓軍を招き入れたら他のところからもやってきてくれるかもしれないし、受け入れる体制だけは整えておこうか」
「そ、そうですね」
わざとらしく二人は真面目な話をしたが、表情まで真面目になれなかった。
「しかし、数が変に多いから初めは苦戦をするかもしれないな」
「そうですね。一刀ならどう対処しますか?」
「可能であれば反乱の大本、つまり歌を歌って扇動している奴を抑えるかな。そうしたら余計な犠牲もでなくてすむしね」
反乱を起こしたとはいえ同じ人である以上、一刀はできるだけ被害を出したくはなかった。
それに数が多くなればなるほど食料などの問題を考えれば、略奪などを繰り返していく可能性もあり、そうなれば反乱とは無関係な人達を傷つけてしまう。
どちらにしても一刀は早期に解決しなければ出さなくてよい犠牲を出すため呑気に構えているわけにはいかなかった。
数日して西方から三万を率いて洛陽に到着した。
そして供廻りの者を従えて董卓は玉座の間に通された。
「董卓仲穎、お召しにより参上いたしました」
「遠路ご苦労様です」
百花と董卓と名乗る少女の挨拶を百花の傍で見ていた一刀は自分の目を一瞬、疑った。
それもそのはず、彼の知っている董卓は悪名高い人物であり権力を握ってからはやりたい放題だった。
だが、目の前にいるのはそのような感じを一切感じさせないどころか、可憐な少女にしか見えなかった。
「早速ですがここにおられる天の御遣い様は大将軍として全軍を指揮しています。この方の指示に従っていただけますか?」
董卓は百花から一刀の方を見た。
その表情はまだ幼さが残っており、凶悪な性格をしているようにはまったく見えなかった。
「お初にお目にかかります、天の御遣い様。董卓仲穎と申します」
礼儀正しく一刀に挨拶をする董卓。
「あ、えっと北郷一刀です。よろしく、董卓さん」
一刀はかっこ悪いなあと思いながら挨拶を返す。
董卓の可愛らしさに思わず表情を柔らかくする一刀を見て、百花は自分でもわからない何かモヤモヤを感じた。
「董卓、遠路疲れているでしょう。今日はゆっくりと兵士を休めてください」
「わかりました」
恭しく礼をとり董卓は退出しようとした。
「あ、董卓さん」
そこへ一刀が彼女を呼び止めた。
「来て早々なんだけどちょっと話があるから俺の執務室に来てもらっていいかな?」
一刀の言葉に董卓はほんの少し考えた後、了承した。
「陛下にも来てもらっていいかな?できれば聞いてもらいたいことがあるから」
「わかりました。それでは御遣い様の執務室ではなく私の執務室に来てもらえますか?」
「……わかりました」
「ではしばしの休息をしたあと、使いの者を送ります」
董卓はそれも了承して今度こそ退出していった。
「他に参内する者があればすぐに私に知らせてください」
「ははっ」
百花の言葉に頭を下げる将軍達と宦官達。
「あと、俺から一つ言いたいことがあるんだけど、張角達が今、どこにいるかを正確に知りたいから情報収集を頼むよ」
早期終結を目指す一刀にとって情報は不可欠だった。
それは将軍達も納得できることであり、一刀の提案を素直に受け入れた。
対して張譲達は不満を隠すことなく一刀のやることを見守っていた。
「それから降伏する者に対して暴行、略奪、そういったものは絶対にしないで欲しい。そんなことをしたら降伏をする者がいなくなって余計な犠牲を出してしまうからね」
民があってこそ国は栄える。
一刀の言葉からそう推測したのは百花だった。
反乱を起こした者はその一族ことごとく処刑しなければいつ同じようなことが起きるとは限らない世の中なのに、一刀はそれをするなと言っていることに将軍達は甘いと思ったが反対もするつもりもなかった。
「俺からは以上だよ」
一刀は百花のほうを見て自分の意見が終了したことを伝えた。
「みなも聞いたとおり、降伏する者に対しては寛大な処遇でこれを受け入れてください。民あっての漢王朝であると私も思っていますから」
天の御遣いと同じ意見を皇帝が勅命をもってもう一度話した。
一同は皇帝に礼をとり、勅命を謹んで受け入れた。
「それでは朝議はこれまでとします。先に退出してください」
「ははっ」
もう一度、百花に礼をとって将軍、宦官、全ての者が玉座の間から退出していった。
それを見送って一刀だけになったことを確認すると玉座から立ち上がり、彼と並んで歩き出した。
「一刀、どうでしたか?」
「何が?」
「いえ、董卓を見てです。何か驚いているように見えたもので」
「あ~あれね。俺の知っている董卓は暴虐の限りを尽くした悪人だったんだけど、彼女を見ていると本当なのかって思ってね」
実際に会って一刀としては歴史書などに書かれている董卓のイメージが本当なのかと疑ってしまうぐらい驚いていた。
「私からみれば彼女は一刀が言うようなことをしているとは思えません。それよりも私は……」
「私は?」
「あ、いえ、何でもありません」
百花は正直、董卓がどのような人物であろうとも関係なかった。
それよりも彼女に一刀が自分と同じように優しさを向けてしまうのではないかと、嫉妬していたのだが、それだと気づけずにいた。
そのためか、歩いている一刀の制服の裾を手で軽く掴んでいた。
「董卓が女の子なら他の人も女の子なのかな?」
そして百花の気持ちに気づかない一刀は不用意にそんなことを口にした。
「一刀は女の子なら誰でもいいみたいですね」
「うん?」
「いつかは一刀は私から離れて素敵な人を見つけて離れてしまうのですか?」
そんなことは絶対に認めたくなかった。
彼を手放したくない。
その想いがモヤモヤをさらに増大させていく。
「百花って」
「?」
「もしかして……いやなんでもない」
「はぁ……」
一刀はそれ以上何も言わずに歩いていく。
百花も黙ってしまいそのまま歩いていく。
彼女は皇帝であり色事にうつつを抜かすようなことはあってはならなかったが、一刀のことになるとどうしても感情が理性を押しのけてしまう。
友達なのにそれ以外の関係を求めているように思えて百花は慌てて気持ちを切り替えようとした。
(今は黄巾党のことを考えないとダメ)
自分に言い聞かせる百花。
一刀を信じて自分を信じてこの難局を乗り越えなければならない。
それが今、すべきことだった。
(全ては終わってから……。だから私も目の前のことだけを考えないと)
空いている手を握り締める百花は一度だけ一刀の方を見て、納得するように頷きしっかりと前を向いて歩いていく。
休息を終えた後、百花の執務室に董卓ともう一人、眼鏡をかけた少女がやってきた。
董卓とは違って鋭い視線を遠慮なく百花と一刀に向けていた。
「せっかく休んでいたのにごめんな」
「いえ」
緊張しているのか先ほどよりも表情が硬い董卓。
「それでボク達を呼んだ理由はなに?」
董卓の代わりに質問をしてきた眼鏡の少女。
「実はお願いがあってね」
「お願い?何よそれ?」
「う~ん、たぶんというよりもほとんどこちらにしか利益が出ないんだけどね」
「はっきり言いなさい。ボク達はそんなに暇があるわけじゃあないんだから」
眼鏡の少女は一刀を睨みつけて言い返していく。
「じゃあ単刀直入に言うよ。彼女に力を貸して欲しいんだ」
「はあ?」
一瞬、何を言っているのか眼鏡の少女だけではなく董卓もわからなかった。
「どういう意味よ?ボク達は皇帝陛下の勅命でここにきたのよ。つまりは今回の反乱鎮圧に力を貸せって事でしょう?」
「いや、それとは違うんだ」
「違う?」
さらに表情が険しくなっていく眼鏡の少女。
一刀としてはこの辺りで百花から話してもらいたいと思い、彼女の方を見た。
それに気づいた百花は頷いて董卓達に話し始めた。
「私達、といっても今は私と天の御遣い様だけですが漢王朝を立て直したいと思っているのです。でも、そのためには張譲……宦官達をどうしても辞めさせなければならないのです」
「それなら勅命をもって罷免してはどうですか?」
董卓の質問はごく当たり前のことだった。
百花は皇帝でありそれは可能のはずなのにそれをしようとしない方が不思議で仕方なかった。
「笑っていただいても構いません。今の私は何も実権を持たないただのお飾りなのです」
「そして俺も大将軍だけど、実のところ、実績も何もないからそういうことには従ってくれる人がいないんだ」
董卓達はそれを聞いて二、三度、瞬きをした。
「つまり排除しようにもできないと?」
「困ったことにね」
一刀は苦笑できても百花は悲痛な表情を浮かべた。
「それで私達は劉協様にどう協力すればよろしいのですか?」
董卓としては協力するにしてもどのようにすればよいのかそれを知る権利はあった。
それ次第では協力を拒否するつもりでいた。
「私のためではなく民のために、力を貸していただきたいのです」
そう言って百花は立ち上がり董卓の前に行った。
そして礼儀正しく膝をついている董卓の手を握った。
「私が皇帝として取るに足らなければ実力で排しても構いません。もし力を貸していただけるのであれば臣下ではなく友として一緒に国を立て直して欲しいのです」
百花が頭を下げるとそれに驚いたのは董卓以上に眼鏡の少女の方が大きな衝撃を受けた。
皇帝が一地方の太守に過ぎない董卓にここまで下手に出ている姿など想像していなかった。
「俺も彼女と同じ気持ちだよ。確かに公では俺の指揮下に居てもらうけど、こうしている時は友達としていてもらえると嬉しいかな」
一刀も董卓という少女を信じるかどうか迷っていた。
迷っていたがここで信じなければ百花を取り巻く環境を変えることが出来ない。
「一つだけ聞いてもいいかしら?」
「答えられる範囲なら」
「ボク達が仮に宦官を排するのに協力して、その後、同じように皇帝陛下を傀儡にするかもしれないって思わないの?」
漢王朝の実権を手に入れれば豹変するかもしれない。
そして今以上に息苦しい環境になるかもしれないという恐れを考えていないのかと眼鏡の少女は思っていた。
「その点は俺も彼女も考えたさ。でも、君達を全面的に信用しなければ上手くいかないし、仮に言うようなことになったらそれはそれで俺達の見る目がないだけだったで終わるよ」
「ボク達を信用するってこと?」
「正直、全面的に自信はないけど。でも、信じなければできないことだから」
ガリガリと頭を掻く一刀。
百花もやって後悔するほうがまだマシだと思っていただけに覚悟はできていた。
「どうする、月?」
「詠ちゃんはどう思う?」
二人は真名で呼び合っていると一刀は思ったが、余計なこと言わなかった。
「正直言えば、ボクは呆れている。だってそうでしょう?いきなり来て国を立て直すのに協力しろ、全面的に信じるって言われてもこっちははいそうですかって言えないわ」
「詠ちゃん……」
「それにそっちに利益があるっていってもそれはボク達次第ってことでしょう?」
的確に百花と一刀の考えていることを指摘していく。
「そこまで信用しようとしている理由は何?」
眼鏡の少女は一刀を睨みつけた。
ここで答えを間違えれば、間違いなく拒否されることは目に見えていた。
「何だろう?」
「は?」
「いや、そこまで深く考えていなかったから」
「……」
予想外すぎる一刀の答えに意表を突かれた眼鏡の少女。
「あ、あんたね、何も考えないで信用しようとしているわけ?」
「仕方ないだろう。これでも散々、考えたんだけど何も思いつかなかった」
「あんたね……」
顔を手で押さえる眼鏡の少女は呆れたようにため息を漏らす。
それに対して董卓は百花の手を空いている手でそっと重ねていく。
「わかりました。私が出来る限りのことで劉協様と天の御遣い様に協力させていただきます」
「ゆ、月!?」
「詠ちゃん、私達を信じてくれている人を裏切ったり知らないふりをするなんてできないよ」
董卓の言葉に眼鏡の少女は何か言いたそうにしていたが、結局それを呑みこんだ。
「いいの、董卓さん?」
「はい。劉協様が民のために考えているのであれば喜んで協力させていただきます」
「月がそう言うのならボクは何も言うことはないわ」
百花と一刀はお互いの顔を見てホッと胸を撫で下ろした。
特に一刀からすれば董卓の人柄が思っていたよりも温厚であったことが嬉しかった。
「協力する証として劉協様に真名を授けさせて頂きます」
「いいのですか?」
「はい。改めまして董卓仲穎、真名を月と申します」
「はぁ、月がそうするならボクも皇帝陛下に真名を授けさせてもらいます。賈詡文和、真名は詠です」
「俺は?」
「あんたも特別に許してあげるわ」
詠は百花に対しては礼儀正しくし一刀には敬語などもったいないと言わんばかりにタメ口ではなしていく。
一刀も変に敬語で話されるよりマシだと思い、特に気にすることもなかった。
二人の真名を授かった百花と一刀。
「私は劉協伯和、真名は百花です」
「俺は北郷一刀。北郷が姓で一刀が名だけど、真名はないからとりあえず北郷でも一刀でも好きに呼んでくれたらいいよ」
「百花様と一刀様ですね」
「よろしくお願いします、月」
百花と月はお互いの顔を見て微笑みあう。
「でもあんた、これからどうするのよ」
「何が?」
「何がって……黄巾党のことや宦官のことよ」
「ああ、とりあえずは黄巾党のことを優先的にしようかな。でも、いきなりだけど頼みごとをしてもいいかな?」
「何よ?」
詠はまだ何かあるのかといった感じで一刀を見返す。
「誰か腕に覚えがある人を彼女の護衛にしたいんだけどいないかな?」
「あんたがすれば?」
「そうしたいけど、これからのことを考えれば離れるときもあると思うんだ。だから」
大将軍としての責務もあり反乱が鎮圧されるまでは離れてしまう時もあるかもしれなかった。
その時に百花を一人にさせてしまい命の危険度が増してしまう。
これまでは信用できる相手がいなかったためできなかったが、月達が自分達を信用してくれるのであればこちらも絶対的な信用ができる。
そう考えた一刀の提案に詠は考え込んだ。
「まぁ一人、適任といえば適任……かどうかはわからないけど、十分に護衛を勤めることができる子はいるわ」
「本当?」
「ただし、いろんな意味で問題児だから覚悟しておきなさいね」
不適な笑みを浮かべながら話す詠。
月は彼女が誰のことを言っているのか理解しており、こちらも少々苦笑気味だった。
「よかったな、百花」
「はい」
百花と一刀の様子を見ていた詠はふとあることを思いついた。
「よくよく思えば、あんた。仮にも皇帝陛下よ。ちょっと馴れ馴れしくない?」
「それは私が一刀に対等な友達だから平気です」
一刀を弁護する百花。
「ふ~ん。百花様、この男に何か弱みでも握られました?」
「そんなことはないです。いえ、あったとしても一刀なら別に……」
照れくさそうに答える百花に詠は月に小声で囁いた。
「(この二人ってもしかして友達じゃなくてそれ以上の関係なのかしら?)」
「(詠ちゃん、それは少し失礼だよ?)」
「(そんなことないわよ。月、この男と二人っきりには絶対になったらダメだからね)」
「(心配しすぎだよ)」
本人達は内緒話のつもりが百花と一刀からすれば十分に聞こえていた。
「なぁ俺ってそんなに男として信用ないのかな?」
「そ、そんなことはありません。一刀はとても優しい人ですから」
「ありがとうな」
笑顔を見せる一刀に百花はやはり顔を赤くして俯く。
「(ほら、やっぱりそうよ)」
「(百花様と一刀様が……へぅ~)」
何を想像したのか月は両手を頬に当てて顔を赤くし、詠はこれからこの二人と付き合っていくと思うとため息を漏らさずにはいられなかった。
(あとがき)
黄巾の乱も二回目です。
まだ官軍と黄巾党の激突を書くのは先になりそうです。(まだ出さなければならない人がいますし)
とりあえず一番初めにやってきたのは月達です。
彼女達が来たことで張譲達がどうするか、また百花と一刀がどうなるのかはゆっくりと進めて行こうと思います。
個人的にはいつ雪蓮が出てきてくれるかなと思っていますが、まだ先になるかも・・・・・・orz
次回も黄巾騒乱其の三をお送りいたします。(黄巾騒乱はちょっと長くなりますが、納得がいくように頑張ります)
次回の更新は来週の火曜日にできればいいなあと思っています。
それではまた次回もよろしくお願いいたします。
Tweet |
|
|
183
|
18
|
追加するフォルダを選択
黄巾の乱第二回目です。
今回は反乱直後の百花と一刀、そして討伐軍の参集です。
この回から恋姫達を順次出していきます。
黄巾の乱が長引きそうで自分でもやり遂げれるか不安なところがありますが、生温かく見守ってください!
続きを表示