【拠点 荀彧】
「………………げ」
「ん? よう、桂花」
書簡を両手いっぱいに抱えて華琳の執務室へ向かっていた桂花は、よろよろと廊下を歩いている途中、ばったり旭日に出くわしてしまった。
「相変わらず忙しそうだな。書簡が山みたくなってるぞ」
「ちょっと、馴れ馴れしく話しかけないで。妊娠しちゃうじゃない」
「……してたまるか。お前は俺をなんだと思ってるんだ?」
「変態」
「………………」
取り付く島もない桂花の一言に旭日は「訊いた俺が間抜けだった……」とへこむが、嫌いな男がへこもうがどうしようが知ったことではない。ざまあみろとばかりに鼻を鳴らし、旭日を放置して止めていた足を動かし出す。
「(全く、馬鹿な変態のせいで時間を浪費してしまったわ)」
「……人を変態扱いしてさっさか行くなよ」
「(本当に男は損しか生まないわね。一匹残らず死滅すればいいのに――)」
「聞こえてねえのか? そこの猫耳フードのツンのみ嬢ちゃん?」
「――なんでついてくるのよ!?」
「お、やっと気付いた」
当然のように後を追ってきていた旭日に声を張り上げて突っ込む桂花。
反応を返させたことがよほど嬉しかったのか、彼の勝ち誇った笑顔がなんとも腹立たしい。
「どうせお前、華琳のとこに向かってるんだろ? 俺も華琳に呼ばれてるし、目的地が一緒なら通る道が同じになるのも仕方ねえって」
「はぁ!? どうしてあんたが!」
「それは本人に訊いてくれ。俺だってどうして呼ばれたのかさっぱりだ……ほら、貸せよ」
「あっ、ちょっと!」
言うが早いか、ひょいと旭日は抱えていた書簡の山を奪って先を歩いていく。
「何すんのよ!」
「よたよた危なっかしくて見てられねえんだよ」
「あんたみたいな変態精液男の手伝いなんかいらないわ! 返しなさいよ!」
「……俺は結局なんなんだ? ったく、お前は楽できて、嫌いな男に重い荷物も持たせられる。一石二鳥じゃねえか」
「むぅ……」
確かに一理ある。
一理あるが――しかし、納得できないことでもある。
「……あんた、勘違いしてない?」
「あ?」
「私は男が心の底から嫌いなの。機嫌取りはご苦労なことだけどね、そんなことされたって、あんたに対する私の態度は絶対に変わらないわよ」
男なんていう下賤で、汚らわしくて。低俗で、低脳で、煩悩の塊の存在を誰が好きになれるものか。
特にこの男は――気に入らない。
他の者は少し罵倒すれば寄りつかなくなったのに、この男ときたらどんなに罵詈雑言を並べ立ててもけして怒らず、どころかまるで意に介そうとしない。懲りることなく自分に話しかけ、あまつさえは華琳にも無礼な口の利き方をする。
気に入らないのだ、全てが。
好きになれるものか。
好きになって、たまるものか。
「これでわかった? あんたのやってることは無駄な努力以外の何物でもないわ」
「……ちっともわからん」
「そう、わかったら二度と私に近付かないで――って、はぁ!?」
「ああいや、桂花が男嫌いだってことは理解してるぞ? ただそれと、俺がお節介を焼くことに、一体どんな関係があるんだ?」
心底わからないという風に首を傾げる旭日。
「俺には八方美人やる気なんざねえ。万人に好かれたいと思ってなければ、万人に好かれる努力もしねえし、万人に好かれなくて当然だとも思ってる」
「だったら……」
「けどな、嫌われてるから嫌いになる気もねえよ。そりゃまあ、嫌われるよりかは好かれたいが……それはそれ、これはこれだ。ご機嫌取りだとか、仲良くしたいだとか、そんなつもりでやってるわけじゃねえ。俺がやりたくてやってるだけさ」
困ってる嬢ちゃんは放っておけない性分でな、と苦笑する。
苦さがあるのに、何故か温かさの滲む――不思議な笑顔。
「(ああ……まただ…………)」
あの時もこうだった。
初めて彼と会い、初めて彼の笑顔を見た時も――こういう気持ちになった。
ひどく不安になるのに。
とても安心してしまう。
胸の奥がじわりと焼けていくような、焦りにも似た衝動。
桂花が最も嫌っている者の中には旭日ともう一人、ことあるごとにぶつかる春蘭がいる。
旭日を嫌っているのは、彼が男であることが主な理由だ。
ならば女性である春蘭を嫌っているのはどうしてか?
馬鹿だから?
勿論、それもある。
恋敵だから?
でも、それだけじゃない。
春蘭に対し敵意を返すその最たる理由は――彼女が自分の唯一を否定するからだ。
兵と共に死地へ赴く武将に比べ、軍師は安全な自陣で指揮を執るだけ。策が失敗すれば被害が拡大するという重みは軍師にあるものの、その犠牲に遭うのは兵と武将。責任を問われ軍師に厳罰が下ることだってあるだろうが、しかしそんなものがなんの慰めになるというのか。自分が罰を受けたところで死んだ者は生き返らないし、大切な者を失った悲しみも消えてはくれない。
軍師にできるのは最善の策を献上して、被害が最小限になるよう知略を巡らすことに尽きる。
それを春蘭は容易く否定するのだ。
力で捩じ伏せればいいと。
知略など大将が先頭に立てば盾にすらならないと。
軍師の抱える苦悩を理解しようとも――しないくせに。
王のような頂点の重責はなく。
武将のように死地へ赴くこともなく。
己の身を安全圏に置き、桂花は全ての兵の命を背負わなければならない。
小さい双肩に重く圧し掛かる苦悩に耐えるぐちゃぐちゃの心をけして表に出さず。
小さい背中に重く圧し掛かる苦悩に負けそうになる弱い自分をけして表に出さず。
どんなに辛くてもどんなに苦しくても、澄ました顔を浮かべ必死で歯をくいしばらなければいけない。
誰にも明かさない意地。
誰にも悟らせない矜持。
軍師の苦悩を表に出さないことが、桂花の精一杯の強がり――なのに。
「(なのに……この男は)」
日天、とはよく言ったものだ。
この男は正しく全てへ無償に笑顔を降り注がせ、見返りを求めようともしない。
胸の奥がじわりと焼けていくような、焦りにも似た衝動。
揺らいで、しまう。
強がることをやめて歯をくいしばることも全部やめて――何もかも吐き出してしまいたくなる。表に出さないと誓ったぐちゃぐちゃの心を、自分の弱さを残さずぶちまけて、子どものように泣き喚いてしまいそうになる。
吐き出して、ぶちまけて、泣き喚いて、それを嫌がることなく笑ってくれるのではないか――そういう気持ちにさせるのだ。
「………………」
そしてきっと、この男は笑ってくれるのだろう。
しょがねえなと、頑張ったんだなと、笑って受け止めるのだろう。
「……九曜。私はあんたのことが大嫌いよ」
「急に黙りこくったかと思えば……わかってるって、そんなこと」
「わかってないわよ」
何もわかってなんかない。
それがどんなに甘く残酷なものなのか――少しも理解していない。
そんなことをされてしまったら、ぐちゃぐちゃの心を、自分の弱さを認めることになる。認めてしまえば最後、桂花はもう命を背負うことができなくなってしまう。弱さに甘え、強がることすらできなくなってしまう。
だから、気に入らないのだ。
自分の唯一を肯定するくせに、自分の唯一を揺るがせる――この男が。
「私はあんたが嫌い。大嫌い」
「……もうわかったって。嫌いでも大嫌いでもいいから、さっさと行こうぜ。華琳に怒られちまう」
好きになれるものか。
好きになってたまるものか。
これからもずっと嫌いで、大嫌いだ。
「嫌いよ……大嫌い…………」
先を歩く旭日の背中に向けて、桂花は小さく呟いた。
まるで――自分自身に言い聞かせるように。
了
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真・恋姫無双の魏ルートです。 ちなみに我らが一刀君は登場しますが、主人公ではありません。オリキャラが主人公になっています。
今回は拠点。
……桂花は難しいです。