(籠中の鳥の想い)
夜。
百花の即位百日を祝う宴が開かれた。
衰退している漢王朝のどこにそんな余力があるのかと思われるほど豪華な宴になっていた。
中央には百花と天の御遣いとして一刀の席が用意され彼女達の視界の左右には宦官が並んで座っていた。
「今宵は陛下の即位百日を祝しての宴である。またこの漢に天がその御遣いを遣わされたことも王朝にとって喜ばしいことだ。今後とも皇帝陛下と漢王朝の繁栄を願って杯を捧げようぞ」
張譲の言葉に従う宦官達は一斉に杯を持ってそれを百花の方へ向かって捧げた。
捧げられた百花は沈黙を守っていた。
「陛下、皆も陛下の御言葉を待っておりまする。一言でよろしいので皆に応えなされ」
「……」
勝手に祝っていることにどうして応えなければならないのかと百花は思い、一段下に座っている一刀の方を見た。
その視線に気づいた一刀もどうするべきか困っていたが小さく頷いてみせた。
「わかりました」
百花はゆっくりと立ち上がり宦官達にこう言った。
「皆の祝いを心より感謝致します。今後とも私と共に漢王朝を支えて頂きたい」
それだけを言って杯を持ち酒を一気に呑み干して宦官達に応えた。
「皇帝陛下万歳。漢王朝万歳」
その姿を見て宦官達は歓喜の声を上げそれぞれに杯を傾けていった。
張譲も満足したのか自分の席に戻って酒を呑んでいく。
「はぁ」
一つ息をついて席に座った百花はもう一度一刀の方を見た。
だが一刀は目の前で始まった演奏を見ていたため百花の視線に気づかなかった。
宦官達がいる前で声をかけてもよかったのだが、それを見られてしまうと思うと嫌な気持ちになり彼女の心を締め付けていた。
豪華絢爛な舞と演奏。
宦官達の笑い声。
このような無益なことでなぜ喜べるのか百花にはわからなかった。
「百花?」
「えっ?」
考え事をしていた百花が自分の真名を呼ぶ声に気づいた。
声のした方を見ると一刀が彼女を見上げていた。
「どうかしたのか?」
「いえ、何でもありません」
「でも顔色がすぐれないぞ?」
一刀は彼女を労わるように優しく言う。
「もし体調がすぐれないなら張譲さんに言って部屋で休んだ方がいいぞ」
「大丈夫です。一刀がいてくれるから平気です」
これまで孤独だった百花にとって一刀の存在は大きな安心感を与えていた。
一人であれば体調がすぐれないと言ってこの場から逃げ出していたが、一刀を一人で残しておくわけにもいかず、またこうしてささやかながら会話ができる喜びがあった。
「でも無理したらダメだぞ」
「はい」
自分とそれほど年が離れているわけでもないのに落ち着いていて自分のことを気遣ってくれる。
そんな優しさに百花は表情が柔らかくなっていく。
だがその様子を見ていた張譲は何時になく鋭い視線を彼女と一刀の二人に向けていたことなど彼女達は気づきもしなかった。
盛大なだけの宴が終わると、百花は一刀と二人で廊下を歩いていた。
一刀と話をしていると安心したのか酒を少し呑みすぎた百花。
そんな彼女を支えながらもう一つの私室へ連れて行く最中だった。
「俺の世界だったら未成年で酒なんて呑めないんだけどな」
「私もお酒は余り好きではないです、でも、今日は一刀がいてくれましたから」
宦官達に見送られて二人っきりになるまで酔っている素振りなどまったく見せなかった百花だが、一刀だけになると足がもつれてしまい彼に支えてもらうことになった。
その時にそっと一刀の手を握って見せると、一刀は何も言わずに自分の手よりも小さい彼女の手を優しく握り返した。
「一刀」
「うん?もしかして吐きそうなのか?」
「いえ、少し庭に行きませんか」
「いいけど?」
百花は酔い覚ましに庭に出たがっているのだと思い一刀はそれに従った。
庭に出ると二人は池の前に座った。
「大丈夫?」
「はい」
笑顔で答える百花を見て一刀も一安心した。
そして何気なく見上げた夜空を見て驚いた。
「星が綺麗だ」
電気などないこの世界は夜空の星々がその輝きを十分に披露していた。
「どこにいても星は変わらないんだな」
「一刀のいた世界も同じなのですか?」
「まあね」
短く答える一刀は目の前に広がる星の大海に心を奪われていく。
そしてそれは百花も同じ気持ちだった。
何者にも囚われることなく自由に夜空に浮かんでいる星々。
百花にとって羨望の的だった。
「一刀」
「どうした?」
「私は皇帝になったことを後悔はしていません。しかし、何一つ成すべきことが出来ない自分の無力さが辛いです」
一刀も宦官という存在には余りいい印象は持っていなかった。
国が滅びる時には宦官の影があり、彼らによって滅ぼされた国は数多あることか。
百花が漢王朝最後の皇帝だと思うと何とも言えない気持ちになっていた。
「一刀」
「うん?」
「一刀の世界での私は今の私と同じ利用されるだけの傀儡の皇帝なのですか?」
何度か権力者に対して反旗を翻そうとしたが結局すべて失敗に終わり、何の権力も持たない傀儡と化していたことを一刀は知っていたため、即答は出来なかった。
「そうですか」
即答しなかった一刀を別に恨んでいるわけではなかった。
恨むどころか彼がいてくれるからこうして弱音を吐くことが出来た。
「私はダメな皇帝ですね」
「なんでそう思うんだ?」
「それは……私が臆病なのかもしれないからです」
心ある者達をまとめあげて張譲達と争うこともしなかった。
何度か宦官を排除しようと過激なことを提案してきた時も百花は決断が出来なかった。
もし失敗してしまったらと思うと勇気がもてなかった。
そうして躊躇している間に心ある者達は一人、また一人と朝廷から遠ざけられるか何らかの罪状を突きつけられ刑場の露となってしまい今では味方が誰もいなくなってしまった。
逃げ場もない王宮の中で孤独だけが彼女を包み込んでいた。
「だから一刀も私から離れてもいいですから」
「それは嫌だな」
夜空を見上げていた一刀は視線を百花の方に移した。
その表情はよく見えなかったが微笑んでいるように百花は思えた。
「俺はまだ何も恩返しをしていないし、ここを出て行っても行く所がない。それに」
「それに?」
「百花のような可愛い女の子を一人で残していくなんてできないさ」
一瞬、百花は一刀が言った言葉に反応が遅れた。
自分を皇帝としてではなく一人の少女として見てくれている。
出会ってからまだ一日と経っていないのにこんなにも自分のことを心配してくれていることが嬉しかった。
自然と涙が零れ落ちていく。
「ひ、百花?」
「え、あ、す、すいません……」
慌てて涙を拭ったが次から次と流れ落ちていく。
止めなければと思っても言うことを聞いてくれなかった。
「お、俺、何か気に障ること言ったなら謝るよ」
「いえ……大丈夫です……」
「でも……」
「大丈夫ですから……」
涙を必死になって止めようとする百花だがまったく無意味だった。
一刀の方も言ってはならないことを言ったのかと思って慌てた。
そしてこのままでは誰かに見つかって怒られると思い、彼女を自分の方へ引き寄せて抱きしめた。
「ごめん、百花。俺が変なこと言ったから」
彼女を安心させるように背中を優しく何度も手を当てていく。
抱かれた百花は今度は涙ではなく胸の鼓動が今までにない早さと大きさに襲われていた。
(一刀に抱かれている……)
自分が泣いてしまったせいで彼に迷惑をかけていることはわかっていた。
それなのに優しく抱きしめてくれている。
長いこと忘れていた温もりが伝わってくる。
(温かい……)
いつしか涙が止まり、瞼を閉じて一刀の胸に頬を当てた。
「大丈夫か?」
「はい……。でも、もう少しだけこうしていてもいいですか?」
「いいよ」
念のために一刀は周りを見渡したが誰もいなかったためホッと一息ついた。
こんな少女が漢の皇帝だと実は未だに信じられなかった。
「百花」
「はい」
「俺が出来ることはなんでもするよ。だから君は何も遠慮をしないでくれ」
少しでも彼女の力になれるのであればそれに勝る喜びはない。
一刀はいずれ始まるであろう乱世から彼女を守りたいと思った。
「俺は君を絶対に一人にさせないから」
「信じてもいいのですか?」
「ああ。約束を破った時は百花の奴隷でも何でもなってやるから」
「それは嫌です」
「じゃあ何がいい?」
「ずっと……私の傍にいて……です……。ただそれ……だ……」
「百花?」
よく見ると百花は眠っていた。
安心しきったような表情に一刀は苦笑いを浮かべた。
眠ってしまった百花を背負って廊下に戻ると、そこには張譲が立っていた。
だがその表情は決して好意を含ませてはいなかった。
「困りますな、天の御遣い殿。陛下をあのようなところに連れて行かれては」
「少し話をしただけですよ」
祖父と孫ほどの年齢が離れている二人は声を荒げたりはしなかった。
お互いの表情をじっと見て視線を逸らさなかった。
「それよりも俺のせいで使い物にならなくなった部屋以外に部屋はあるんでしょう?」
いつまでもにらみ合いをしていても無益だと思った一刀は張譲に百花の新しい部屋は何処にあるのか聞いた。
「付いてこられよ」
踵を返して歩き出す張譲に一刀は百花が落ちないように背負いなおしてその後についていく。
その間、会話などなかったが一刀は不気味なほど静けさを漂わす王宮が気になっていた。
警備に当たっているはずの衛兵の姿もなく、すれ違う者もいない。
もし張譲が武器を持っていて襲い掛かっても誰かが駆けつけてきても間に合わないだろう。
無用かと思ったが警戒度を一刀は気づかれないように上げた。
そうしているうちに張譲が足を止めた。
「この部屋に入られよ」
扉を開けて中に勧める張譲を気にしながら一刀は部屋に入っていく。
そこは一刀が天井に穴を開けた部屋とほとんど変わらない内装が施されていた。
(皇帝って凄いな)
国の頂点、それも皇帝ともなればいくらでも贅沢ができるのだと思った。
それでもどこか違和感があった。
一刀は天蓋付きの寝台に行き、そこにゆっくりと丁寧に百花を降ろして寝かせていく。
「おやすみ。いい夢を見てくれよ」
小声でそう言うと寝台から離れて部屋を出ようとした。
「お待ちくだされ」
「何?」
部屋を出ることを止められた一刀は張譲の方を見た。
愛想の欠片もないその表情は薄っすらと笑みを浮かべていた。
「急なご来訪のために天の御遣い殿のお部屋をご用意しておりませぬ。今宵はここでお休みくだされ」
「でも彼女と同じ部屋で寝たら余計な噂が立たないですか?」
「それについてはご安心を。このことを知る者は我々だけ故」
青二才と呼ばれてもおかしくない青年に対して節度を持って接してくる張譲。
それがかえって一刀の警戒心を高めることになったが、それすらを見抜いているように笑みを絶やさない。
「それに皇帝陛下と同衾なさるのであればお止め致しませぬ」
「ど、同衾!?」
「さよう。皇帝陛下と天の御遣い殿が結ばれるのであればこれほど王朝にとって良い話はございませぬからな」
「そして産まれた子を同じように操るってことか」
自分の身を危険に晒すような言葉を吐いた一刀だが、ここでは何もされないという気持ちがあった。
事実、張譲はほんの一瞬だけ笑みが消えたがすぐに戻ってきた。
「何をおっしゃっているのかわかりませんな」
「酒がまだ抜けていないみたいですよ」
「そのようで。とりあえず今宵はここでお休みくだされ」
そう言って礼をとり張譲は部屋を出て扉を閉めた。
それと同時に何かを閉める音が聞こえてきたため、本当にこの部屋で寝ろということなのかと一刀は思い諦めて部屋の片隅に横たわって眠ることにした。
夜が更けていき、深夜と思われる時間になって百花は目を覚ました。
蝋燭はその役目を終えており部屋の中は暗闇に支配されていた。
(初めて夢を見なかった……)
静寂の中で百花はいつもの悪夢とも思える夢を初めて見ることなく眠っていたことに驚いた。
これも一刀がいてくれるからなのかと思うと、急に意識がはっきりした。
(そういえば一刀は?)
部屋など余っているが一刀を一人にさせてしまえば張譲達が何をしでかすかわからなかった。
寝台から起き上がって部屋を出て行こうとしたが、部屋の片隅に何かがいることに気づいた。
(誰?)
ゆっくりと足音を立てずに近寄っていくと眠っていた。
仮にも皇帝の私室なのだから宦官達がこんなところで眠ることなどありえなかった。
賊ですらこんなところで堂々と眠ることなどありえないため、残っている人物といえば一刀しかいなかった。
「一刀」
膝をついて一刀の身体を揺らすが起きない。
このままでは風邪を引いてしまうと何度も繰り返して起こす。
「一刀、起きてください」
「んっ……もう朝……なのか?」
「いいえ、まだ夜です。でも、そこに寝ていては風邪を引きますから」
大きな欠伸をしながら起き上がる一刀は頭をガリガリと掻いた。
「でも他に寝るところなんてないだろう?部屋を出ようにも外から鍵を閉められたみたいだし」
「張譲らしいです。一刀を利用して私に漢王朝の子を産ませようとしているのですね」
本人の意志関係なく子を宿し産まれた時が自分の命が消える時。
それを一刀に言えば心配をかけてしまうと思い黙っていた。
「ひどい話だな」
「でもここには私だけですよ?」
「あのね、一応言っておくけど俺も男だしそういったことに興味がないわけじゃない。それに無理やりも嫌だし、傷つけたくないんだ」
一刀は百花の頭を撫でる。
相手が皇帝なのだからそのようなことをすれば不敬罪に問われるが、一刀には関係なかった。
出会ってたった一日なのに自分のことを守ってくれた彼女に恩返しも出来ていない。
だからせめて彼女が安心できるようにすることが最優先だった。
「それにお互いが好きだって思わないとできないよ」
「お互いにですか?」
「そう」
一刀にそう言われて百花は思った。
(私は一刀のことが好きなの?)
それはまだわからなかった。
ただ対等な友達であって欲しいのは事実だった。
「一刀は元の世界で好きな人はいましたか?」
「元の世界で?う~ん、いなかったかな」
いたら今すぐにでも戻りたいと思っているはずだった。
それがいないがために一刀はここにのんびりと眠ってもいられるのかと百花は嬉しく思えた。
そしてすぐにそう思った自分に驚いた。
「それよりも起こして悪かったな。俺のことは気にしなくていいから寝てくれ」
「寝台の方で寝てください」
「だからそれは」
「大丈夫です。私一人でも大きすぎるのですから二人が離れて寝ても余裕はありますから」
渋る一刀に根気強く説得する百花。
最終的に折れたのは一刀の方だった。
「わかったよ。端のほうでいいなら」
「はい」
百花は嬉しそうに答える。
「あっ」
「うん?」
「一刀、そ、その……」
「どうした?何か不都合なことでも思い出した?」
「い、いえ、その、このままでは眠れないので……着替えなければ……」
「あ~……」
いくら灯りがなくともうら若き男女。
恥じらいというものがある。
「それは悪かった。後ろ向いているから」
「ごめんなさい」
背を向ける一刀に謝りながら少し離れて服を脱いでいく。
そして夜着代わりに服一枚となった百花は先に寝台に上がって一刀に「どうぞ」と声をかけた。
一刀も制服を脱いで、「お邪魔します」と遠慮がちに言いながら寝台の端に身体を横にしていく。
「なんだか一日があっという間に過ぎていったよな」
「そうですね」
「明日からどうしようかな」
「といいますと?」
一刀はこれから起こる出来事を考えていると決して楽観できる状況ではなかった。
少なくとも彼女の先々代の皇帝であり父親である霊帝の時に黄巾の乱が起こっていたが、この時代はどうなのだろうか。
もしこれからそれが起こるのであれば朝廷は混乱し、各地では実力を持つ群雄が覇を競い合う原因を作り上げてしまう。
だがそれを彼女に話すことではなかった。
「いや、さすがにタダで居候させてもらうわけにもいかないし、何か手伝えることがあるかなあって思っただけだよ」
「それでしたら、私の傍にいてください」
「会った時もそう言っていたけどいいのかな?」
変な噂が広がって彼女の評判が落ちるのではないかと心配する一刀。
色事に溺れて政を疎かにする。
たとえ嘘だとしても周りからはそう見られるかもしれない。
「傍にいてくれるだけで私は安心できるのです。いえ、こうしてお話ができることも嬉しいですから」
「でも張譲さん達が許すかな?」
「私の命令というふうにしておけば大丈夫だと思います」
それが張譲の思惑に乗ってしまうことなど百花は気づかなかった。
それ以上に一刀がいてくれることの方が嬉しかった。
「百花は凄いな」
「なぜです?」
「自分のことをお飾りや傀儡だって言うけど、そうやって自分の意志を持っているじゃないか。もしそれを政治に向ければきっといい国になると思うよ」
「そうでしょうか?」
「うん。まぁこの世界にきたばかりだから説得力はないけど、俺は少なくともそう思っているよ」
彼女が自分の意志で政を行えば一刀の知っている末路を辿るようなことはないと思った。
そう思ったからこそ彼女の傍にいて少しでも助けることが出来ればいいと改めて自分に言い聞かせた。
「不思議です」
「なにが?」
「他の人に言われても嬉しく感じないのに一刀に言われると凄く嬉しいです」
「そんな大袈裟なことは言ってないぞ?」
「それでもです」
彼女にとって先祖から受け継がれてきたこの国を守るという使命は確かに存在はしていたが。
それはこの国に住む全ての者が安寧に暮らせることに繋がることだと信じているからだった。
何の実権も持たない今、彼女は言われるままのことを毎日繰り返しているだけだったが、それが終わりを迎えるときがやってきたのだと、彼女自身が感じていた。
「一刀」
「うん?」
「私は頑張ります」
「ああ。でも、一人で何でも背負い込んだらダメだからね。ダメなときはいつでも俺を頼ってくれていいから」
そのために傍にいると決めた。
一刀はそれを続けて言わなかったが、百花にはわかっていた。
「そうと決まれば今日はもう寝ようか。このまま話していてもいいんだけど、寝不足の皇帝陛下なんて言われたら嫌だろう?」
「そうですね。そうなればまた張譲達の嫌味を聞くことになりますね」
「お、言うね」
「私だって不満はありますから。でも、今は……」
そこで言葉を打ち切った百花。
代わりに身体が動く音をさせた。
そして短い時間でそれは消えてなくなり、一刀は自分の背中に温もりを感じた。
「これからもよろしくお願いいたします」
皇帝としてではなく一人の少女として百花はその言葉を声に出した。
「こちらこそよろしく。でも、さすがにそんなに近づかれたら」
「近づかれたら?」
「……何でもない。ほら早く寝るぞ」
そう言って無理やり会話を終わらせて一刀は意識を手放していく。
「もう少しだけでいいです。もう少しだけこのままいさせてください」
一人では十分すぎるほどの豪華で大きな寝台。
今朝までそこには温もりもなかった。
今は違った。
確かに彼女が求めていた温もりがそこにあった。
孤独だった彼女に温もりが戻ってきた。
「今日は良き夢が見られそうです」
「……」
「もう寝てしまったのですか?」
「……」
「一刀は寝るのが早すぎですね」
笑いを噛みしめた。
そして返答を待ったが本当に一刀は眠っていたため、それ以上の質問はしなかった。
ただ温もりを感じる。
誰にも邪魔をされない、ささやかな幸せを感じていた。
「私のところにきてくださってありがとうございます。そしてこれからもよろしくお願いいたします」
答えがなくても百花は何も不愉快に思わなかった。
「おやすみなさい、一刀」
彼との出会った一日はこうして終わった。
普通であれば信じられないほどの早さで彼女は一刀を受け入れ、一刀もまた百花と打ち解けることが出来たことは彼女達にとって幸福なことだった。
翌朝。
一刀が目を覚ますとなぜか百花を抱いて眠っている自分がいることに気づいた。
早速自分が何か過ちを侵したのではないかと思ったが、二人とも着ている物に乱れはなかったためホッと一息ついた。
「んっ……」
そうしていると百花も目を覚ましたのか声を漏らしていく。
まだ十五の少女の眠っている姿。
一刀としては理性を抑えるのに必死だった。
「んっ……かずと?」
「お、おひゃおうございます」
思わず声が裏返り彼女からはなれようとしたが自分が寝台の端で眠っていたことをすっかり忘れていたため豪快に床に落ちた。
「か、一刀!?」
それで一気に眠気が吹き飛んでしまった百花は慌てて寝台の端から落ちた一刀を心配そうに見た。
「お、おはよう、百花」
「だ、大丈夫ですか?」
「だいじょうぶ、だいじょうぶ」
頭を摩りながら起き上がる一刀に百花はホッと安堵の息を漏らした。
「次からは真ん中で寝てくださいね」
「そうするよ……うん?百花、今何て言った?」
「次からは真ん中で寝てくださいねと言ったのです」
「それって俺が君とここでこれから寝るっこと?」
「そうなりますね。あっ……」
そこにきてようやく自分が大胆なことを言っていることに気がついて顔を赤くしていく。
「ご、ごめんなさい。一刀には迷惑ですよね」
「い、いや、そんなことはないけど」
二人は恥ずかしさと気まずさを間に漂わせていく。
「端でいいなら」
「あ、は、はい」
妙な会話だが言った方も答えた方も自分の言葉に恥ずかしさ以上に笑いを感じていた。
笑いを抑えることが出来なくなり朝から穏やかな時間が流れる。
「でもこれだと一歩間違えたら張譲さんが言ったことが本当になりそうだな」
「そうですね」
張譲の名前を出した途端、百花は笑いがどこかに消え去ってしまったかのように表情が暗くなっていく。
「ごめん、変なこと言ったな」
「いえ、構いません。私も一刀なら……」
「えっ?」
「何でもありません。それよりもそろそろ朝餉にしましょう」
照れ隠しなのかそう言って百花は寝台から降りて部屋の入り口へ向うと、まるで待っていたかのように扉が開いた。
そこには張譲が女官を連れて恭しく膝をついて礼をとっていた。
「おはようございます、皇帝陛下」
「いつからそこにいたのです?」
「先ほどから控えておりました。只今、朝餉を準備させております故、その間、朝湯をどうぞ」
「わかりました。では天の御遣い様にも同じように朝湯を。それから明日からこのように控えていなくて構いませんから」
今まで言われたことにただ頷いていただけの百花からの初めての反論の言葉に張譲は驚くことはなかった。
「しかし、臣は陛下のことを思えばこそ」
「そう思っているのであれば私の意見を聞くことも忠義だと思いますが?」
強固な意志を備えているように見える百花は張譲を見下ろし、張譲もまたそれを無条件で受け入れていた。
「わかりました」
「それと天の御遣い様は私の私室にいて頂きます。御遣い様には色々とご教授していただくことがあります故、私の賓客とします」
「陛下の御心のままに。それでは御遣い殿、朝湯を用意いたします故、しばしお待ちいただけますかな?」
いきなり声をかけられた一刀だが動じることなく頷いて答えた。
「それではまた朝餉の時に」
そう言って百花は女官達と歩いていった。
残された一刀に対して張譲は立ち上がり一応の礼節をもって話しかけた。
「御遣い殿、陛下と同衾をされたようですな」
「そう見えるなら張譲さんの目はどうかしていると思うよ」
「これは手厳しい。されど漢王朝の繁栄と思えば喜ばしいことだとは思いませぬか?」
「きたばかりの奴にそんなことを言ってもよくわからないよ。それよりも、彼女をあまり悪いように利用しないほうがいいよ。そのうち罰があたるよ」
「ご忠告ありがとうございます。さあ話はこの辺にしてご準備を」
そう言って張譲は礼をとって部屋を出て行った。
一刀はその後姿を見たが決して好感を抱くことはなかった。
彼らはこれから滅びの道に進むのだと大声で言うつもりもなかった。
だがそれに百花は巻き込まれるのだけは避けたかった。
「なるようにしかならないか」
今の自分は天の御遣いである。
そして皇帝の賓客。
それが彼を守っていた。
ただし無制限にそれを感受することはできないことは一刀でも容易に想像は出来た。
制服を持って入り口まで行くと後ろを振り向いた。
「寝るだけならいいよな」
もし彼女が一刀の通っている聖フランチェスカ学園の生徒だったら男子にモテモテだろうと思った。
そんな彼女の恋人に自分が選ばれたなら嬉しくて及川に自慢しているだろう。
(まぁそれよりも今は……)
皇帝である彼女を支えることが一番重要なことだった。
張譲の態度などから見れば表向きは危害を加えないであろうと思っているが、それでも何をしでかすかわからない。
そういったものから百花を守ることが自分をも守ることに繋がる。
「あとは出たどこ勝負かな」
歴史どおりとは言わないが、これから彼女を取り巻く環境は大きく変わっていくであろう。
そしてそれは自分にも大きく関わってくることになる。
「友達か」
百花が望んだもの。
友達ならば力になるのが当たり前だ。
いろいろ考えていくうちに一刀は苦笑いを浮かべ頭をガリガリと掻いた。
「これからどうなるんだろうな」
想像ばかりしていても今は目の前のことに対処することで精一杯だろう。
「よし朝風呂に行くか」
せっかくの百花の好意を無駄にするわけにもいかず、悩んでも仕方ないことは今は考えないことにした。
「では、そのように手筈を整えておけ」
百花と一刀がそれぞれ朝湯に浸かっている間、張譲は宦官数人を集めて何かを指示していた。
「陛下と天の御遣い。上手い組み合わせだ。しかもこの策が成功すればさらにこの国は我らの思うがままになるぞ」
不気味な笑みを浮かべる張譲とそれと同質の笑みを浮かべる宦官達。
百花と一刀にとって最初の大きな試練がそこまで彼女達に気づかれることなく近寄っていた。
(あとがき)
というわけで無事に木曜日の深夜(正確には金曜日)に投稿しました!
とにかく書いている最中、意味もなく痒くなりました。
前回の続きということで時間の流れは一日と翌朝までです。
そして最後に書きましたが次回よりいよいよ動きが始まる・・・・・・・かもしれません!
正直に言えば、『彼女達』は私はどうも書きにくいのです。
なんて言うかパワーがありすぎですよ!と思わず言いたくなるぐらいですし。
まぁなんとか楽しんでいただけるように頑張っていこうと思っています。
次回の更新は水曜日ぐらいに出来ればいいなあと思っています。
それではまた。
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第二回です。
今回は前回の続きになります。
自分でも読み返してみると痒くなりました。(ぇ)
というわけで最後まで読んでいただければ幸いです。(逃げてませんよ?)
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