「無関心の災厄」 -- 第一章 シラネアオイ
第8話 無力な道化師のリゾリューション
悪魔の証明《probatio diabolica》、なんて言葉がオレの脳裏を過ぎる。
この時点を持って、一連の事件は完全にオレの理解の範疇を超えた。
どう見ても有機生命体《タンソ》に見える白根と、どう見ても珪素生命体《シリカ》に見える少年。
なぜ二人が闘っている?
ネコ少年が先ほど言った、『異属』は白根の事なのか?
だとすると、白根は人間ではないのか?
いったい――
キン、と甲高い金属音がして、ネコ少年の尾が傷ついた。
白根が持つのは、珪素生命体が持つのと同じ、『水晶の爪』。
血の滴らぬ傷口に、一年前の記憶が蘇る。
ヤマザクラ、キツネ、髪、『異属』、笑顔。
笑顔――
また、オレには何も出来ないのか……?
「……めろ」
ふつふつと沸き上がる何か。
それは、沸騰石なしの実験のように、次の瞬間突沸した。
「やめろ! ソレは『異属』なんかじゃねえ!」
オレの大声で、びくりとするネコ。
サファイアのような蒼がオレをみた。硝子玉のように感情ない、美しい瞳。
「やめろ」
オレの言葉で、ネコは一歩一歩と後ずさりし、そして、何も言わずに夜の闇へと身をひるがえして去っていった。
ああ、やっちまった。
アイツは明日、ヤマザクラの元に来てくれるだろうか?
先輩と夙夜に会わせてやる事はできるだろうか?
もう少しだけ、アイツとの縁を繋ぎ止める事は可能だろうか……?
「困りました」
白根の声が背後から響いた。
真実《ホンモノ》の人間は、なぜか水晶の爪を持ち、この場に現れ、真実《ホンモノ》の珪素生命体《シリカ》を混乱させた。
でもコイツは、『異属』じゃない。
なぜあのネコ少年は白根を『異属』だとみなしたんだ?
「あなたに協力を要請する際、私の行動を妨げない事を了承していただくのを忘れていました」
ゆっくりと振り向いたオレの目に、街灯の下、制服のまま佇む白根の姿が目に入る。
オレと同じ制服、見慣れた桜崎高校の女子ブレザーが、全く別世界の召し物に見えた。
しかしながら、白根の指に装着されている武器はオレにも見覚えがある。
あれは、珪素生命体《シリカ》だけが持つ筈の『水晶の爪』。
LEDの街灯に照らされて、プリズムのようにきらきらと輝いていた。
どくん、と心臓の鼓動一つ。
喉を裂かれた萩原の顔が想起する。
「どうやら、あなたは違うようです。それが今、分かりました。あなたは私の探すモノではなく、強い極性をもつ適合者《コンフィ》」
静まり返った夜の坂道に響く、透明な声の主は白根だ。
何だ? 白根はいったい何を言っている?
「待て、白根。それより、オマエのその『爪』は」
「これは、私に与えられた武器です。珪素生命体との戦闘を考慮し、与えられたものです」
珪素生命体《シリカ》と同じ武器を与えられた――オレは、その瞬間観念した。
オレの感覚を信じると、残念ながら、白根の言葉はすべて本気だったらしい。おそらく、その後ろには何かしらの組織が控えている。
新規生命体関係、おそらく違法ぎりぎり、戦闘も辞さない物騒な集団。
この白根の洗脳っぷりから見ると、頭の方も相当キレるらしい。
恐怖が膨れ上がる。
水晶の爪を納めた白根は、オレに向かって頭を下げた。
「ここまで巻き込んでしまったのは私の責任です。それ相応の償いはさせていただきます」
淡々と、静々と、粛々と。
足りない。
足りない。
情報が足りない。
オレは下っ腹に力を込め、震え出しそうになる全身を押さえた。
「じゃあ白根、その償いっての、『情報』という形でオレに渡してくれないか?」
声が震える。
「情報ですか……いいでしょう」
「逃げんなよ」
挑発的な言葉は、きっと白根にとって何の意味もない。
それでも、聞きたかった。
オレの中に芽生えた、経験則に基づく予感を確かめるため。
「オマエがオレを探し人と見誤った理由を教えてくれ」
「それは」
「探し人に関しては秘則だ、ってんだろ? それなら、余計な事は言わなくていい。オマエがなぜオレと間違えたのかを簡潔に説明しろ。それなら、オレに対する過失の説明であって、オマエの言う『捜索対象』の事を話すわけじゃなくなる。被害者に対して過失の弁明と説明をするのは、加害者の義務だぜ?」
「そうですが」
「オマエの秘則事項は、『捜索対象』の事だ。オレについての事じゃないし、オマエの失敗談を口止めされるわけでもない……まあ、間違えた事を恥と感じて口を噤むなら止めないが、さっきオマエは『償う』って言ったわけだからな。それなりの説明はしてもらうぜ?」
「……」
白根は、少しの間迷ったようだった。
もちろんそれは、沈黙から判断しただけであって、断じて白根の表情が変化したというわけではない。
「わかりました。ただ、誰にも話さないと約束してください」
よし、オチた。
思った通り、頭の固い機械《ロボット》は小手先の誤魔化しに弱いらしい。
口先上等、今のオレには情報が必要だ。
「私は一年前、この街に迷い込んだ珪素生命体《シリカ》を追っていました」
一年前。
梨鈴。『異属』。衝動。破壊。そしてマイクロヴァース――
思い出したくない記憶が刺激される。
「しかし、その珪素生命体《シリカ》は、何者かによって破壊されてしまいました」
一年前にこの街へと迷い込んできたネコの珪素生命体《シリカ》の事を、オレはよく知っている。
なにしろ、オレはその現場にいたからな。
「もともとこの街には、人の中で暮らす『リリン』という個体識別称を持つキツネの珪素生命体《シリカ》がいたことは分かっておりましたが、保護されず、経過を観察されていました。ですから、最初はネコとキツネという『異属』による相打ちと判断されました。しかし、その見解には疑問が多く残ります。詳しい説明は省略させていただきますが、柊護さん、それはあなたが一番よくご存知でしょう」
「……」
「聞き込みの結果、一年前までここにいた珪素生命体《シリカ》は、あなたに一番懐いていたという情報を得ました」
まるで箇条書きのような報告だ。
オレが口を挟む隙もねえ。
そして聞き込みでオレに対象を絞るなんざ、ストーカーもいいところだぜ、全く。
「ですから、私はあなたがそうではないかと思ったのです。申し訳ありませんでした。知っている人間に似ていたというのは、虚言です」
しかも、分かってしまった。
オレには白根の探しているモノがわかってしまった。
ああ、まったくもう、ふざけんなよ、マジで。
オレの嫌な予感ってのは当たるんだ。
「第一命題と共に私に与えられた情報は、ただ、『珪素生命体《シリカ》を破壊できるモノ』だという事だけです」
残念ながら、白根の探している相手は、オレじゃなかったらしい。そりゃあそうだ、オレなんて探して監視したって、何の得にもなりはしない。
もしでかい組織が探して監視するとすれば、その相手はオレじゃなく、オレの同級生。
「人の身でありながらうちにケモノを宿す規格外のイキモノ。それが、私の第一命題の対象です」
その瞬間、オレは思った。
きっと、世界は夙夜を放っておかない。
オレなんかにはどうする事も出来なくなる時がいつかやってくる――いや、すでにオレには手を出す隙も口を挟む隙もないのかもしれない。
そうだ、だってオレには何も出来やしない。萩原が死んだ時だって、梨鈴が消えた時だって。
ちくしょう、そんなこと、分かってる。最初からオレが凡人だってことなんて、分かってる。
何故わざわざオレの傷を抉るような事をするんだ。
燃え尽きにも似た脱力感、虚無感、無力感。
諦めと切望の狭間でもがく、滑稽な道化師。
オレは『口先道化師』――モノガタリの、蚊帳の外。
もう一度現実を突き付けられ、オレは肩を震わせた。
どうにもリアクションが取れなくなった時、人間ってのは笑うように出来てる。
「はは……そうか、そうか」
それでも、いくつかの出来事の謎は解けた。
現れたネコの珪素生命体、『異属』と認識させる爪を持つ白根、水晶の爪で裂かれた萩原。
足りない情報は、あと一つ。
真実に傾くシーソーに乗せる、最後の一つ。
その一つさえ、見つければ。
「あばよ、白根。オレはもう二度とオマエの顔なんざ見たくねえ」
オレは決意を握りしめ、転校生に背を向けた。
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オレにはちょっと変わった同級生がいる。
ソイツは、ちょっとぼーっとしている、一見無邪気な17歳男。
――きっとソイツはオレを非日常と災厄に導く張本人。
次→http://www.tinami.com/view/127493
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