「無関心の災厄」 -- 第一章 シラネアオイ
第3話 花屋と無関心のティータイム
そして、たっぷり3分ほど、オレは夙夜の間抜け面を眺めていたんじゃなかろうか。
「マモルさん、今日はずいぶんとのんびり生きてるねえ」
「うるさい」
もちろん、言葉の意味が分からなかったわけじゃない、飲みこむまでに時間がかかっただけだ。
「……夙夜、それは、それも警察の話か?」
「ううん、違うよ。オレが見たんだ」
ああ、そうか。
こっちが焦るほどの天然マイペース男は、尋常ならざる能力の持ち主だ。
オレが理性を失っている間、コイツはその並はずれた能力で以て現場の状況を記憶してしまったに違いない。ひょっとすると萩原の髪一本一本、飛び散った血の一滴一滴まで……
またフラッシュバックしそうになって、慌てて頭を振る。
新しくコーヒーを運んできてくれた先輩も、隣のテーブルから椅子を引っ張って、オレたちと同席した。
「あの切り口を作ったのは、たぶん珪素生命体《シリカ》の爪だよ。あの半端な鋭利さと半端な裂け具合は、磨かれた刃物じゃないと思う」
オレは、熱いコーヒーをもう一口。
舌の先がピリピリする。
「珪素生命体《シリカ》の爪は水晶だから、有機生命体《タンソ》とは強度が違う。軽く振っただけでも、人間なんて簡単に傷つけられると思うよ」
「ふふ、シュクヤくんは相変わらずよく見ていますですね。優秀な探偵さんになれるのですよっ」
水晶――硬度7、無色透明、酸化珪素の純結晶体。
タンパク質――ペプチド結合により極めて軟弱、かつ脆弱。炭素ベースの重合体。
切断面、血、切断面。
珪素生命体の爪。
引き裂いて。傷つけて。裂き、削り、千切り、嬲り、壊し。
死。
「……頼む、やめてくれ」
奈落へ落ちそうになった意識を繋ぎとめ、喘ぐ。
無邪気は残酷、無知は罪、無関心は絶望。
オレは何か間違っているだろうか。心が弱いのだろうか。
「オマエに他意がないのは分かってる。でも、夙夜。オレは……そんな話、まだ聞きたくない」
クラスメイトの死を目の当たりにしたのはつい先ほどの事で、なまっちょろい言葉じゃとうてい表現できないようなモノに胸を抉られた。
確かに事実とはいえ、そんな話はまだ、聞きたくない。
「……わかったよ、マモルさん」
少し人間からズレた所にいるコイツに何が分かったのか、オレには分からない。
オレの内の『当たり前』の感情を『当たり前でない』夙夜に伝えるのは、口先道化師を以てしても酷く難解だ。
この混沌。この焦燥。この苛立ちと、怒りにも似た無力感。
言葉にするには雑然とし過ぎている。整理するには、脳が麻痺し過ぎている。
ああ、やっぱり今日は調子が悪い。
「マモルちゃん、今日はもう帰るのです。一晩よく寝て、明日もがんばるのです」
そう言ってにこりと笑った先輩は、クラスメイトの死に動じない夙夜の事をどう思っているのだろう?
オレには、何も分からなくなってきた。
夙夜は首を傾げ、苦いと言ったコーヒーを目を瞑ったまま飲み干して、ふぅ、と息をついた。
「マモルさん、もう萩原さんに会えないのは、とっても悲しいね」
何故だろう。
淡々と語り、血も死も恐れぬコイツの口から出た『悲しい』という単語が、悲痛なほどに感情を表わしていると思ってしまうのは。
でも、だからきっとオレは、そんなコイツを見限る事が出来ないんだろう。
「明日お葬式だよ、一緒に行こう。そんで、サヨナラして来よう」
「……ああ」
その時の夙夜はいつもと違って、悲しそうに笑っていた。それでも、笑っていた。
帰ろうかと立ち上がったオレに、先輩は一本の花を差し出す。
白く小さな花びらが集まって、ああそうだ、アレに似ている。小学校の時に花壇で育てたマリーゴールド。鮮やかな橙色をしたアレの花弁から色をぬけば、ちょうどこんな感じになる。
先輩は満面の笑みでそれをオレに押しつけた。
「イベリスという花なのです。かわいいでしょう? 遊びに来てくれたお礼に、あげるのです」
「ありがとうございます」
受け取ったオレを見上げ、先輩は挑発するように笑う。
「マモルちゃんはイベリスの花言葉、知ってますです?」
「知りません。何ですか?」
尋ねると、先輩は微笑した。
「――『無関心』、ですよ」
店を出た夙夜とオレは、桜崎通りをまっすぐ東、駅に向かって歩いていた。オレは自宅が駅の傍だから。夙夜はここから2駅の所にあるマンションに住んでいるから。
まだ一日は半分しか過ぎていない、真上に太陽を感じながら、駅前の小洒落た店が並ぶ坂の道を、駅に向かって下って行った。
すぐ横を無音で車が駆け抜けていく。10年ほど前にガソリン自動車から電気自動車に転換する政策を実施した事で交通事故は増える一方だというが、それも頷ける。オレが子供のころは、まだ自動車が凄まじい騒音をたてて走っていた気がする。
前に視線を戻せば、タイルで舗装された歩道にまっすぐに並ぶ黄色のラインが駅に向かって果てしなく続いていた。
「夙夜、オマエ、この視覚障害者用の点字ブロックに躓いて足ひねってたよな」
「そうだっけ? それ、本当に俺だった?」
「こんなモンに躓くバカが他にいるか」
くだらない会話、でも、それがいい。
このマイペースな奴には血だとか死だとか、珪素生命体との確執だとかは似合わない。頼むからオマエは、そのまま内に飼っているケモノを眠らせておいてくれ――たとえ世界の方がオマエを放っておかなくなる日がいつか来るとしても。
「あ、マモルさん。コンビニ寄ってプリン買っていい?」
そうそう、激甘党かつプリン魔人のオマエは、そうやって新作コンビニプリンでも食って喜んでろ……って、ああもう。このギャップで力抜けるぜ、バカ野郎。
例えばそれがオマエの作り上げた興味だとしても。
でも、もちろん、人生そんなに甘くないってのが通説だ。
オレの予感ってのは、極端な能力を持つ夙夜並みじゃないとしても、それなりに当たるのだ。
「あーやべえって。これ、オレの思った通りだって」
思わず口からそんな言葉を漏らすほど。
なにしろコンビニ袋を提げたオレたちの目の前に現れた黒髪美人は、相変わらず表情ないアーモンドの瞳をまっすぐオレと夙夜に向けていたのだから。
始業式も終え、春のポカポカした陽気だというのに、オレの周囲だけツンドラ気候。
助けて、地球温暖化。
「こんにちは、アオイさん」
「こんにちは」
おお、白根葵が意外と普通の挨拶を返してきたぞ。
それでも、恐ろしく冷えた視線に変化はないが。
無表情美人の彼女は、当たり前のように淡々と告げた。
「私は、あなたたちと、お話をしたいと思っています」
「……は?」
まるで機械のような、意味不明な言語が彼女の口から飛び出して、オレは思わず口を開けて固まってしまった。
やべえよ、これ以上呆けてたら気づかぬうちに一日終わっちまうよ。
ぶるぶる、と頭を振って、オレは深呼吸。一回、二回。
よし、落ち着いた。
「マモルさん、やっぱり今日はのんびりだねえ」
だいじょうぶ、隣のマイペース男の言葉は聞き流せ。敵(と呼ぶのが適切かどうかは知らないが)は珪素生命体でなく人間、そして、転校生の女の子。
「ええと、白根葵、だったか、オマエ、オレの事を知り合いに似てるとか言ってたが、そりゃ本気か?」
「事実です」
よかった、とりあえず会話は成立するようだ。
「あなたは、私が捜索している人物である可能性があります。だから、私はあなたと話がしたいと思います」
いや、これ、成立してるのか?
「ねえ、マモルさん、俺お腹すいたな」
「……」
このマイペース野郎……!
目の前にクールビューティ、背後にマイペース。
オレってやっぱ、不幸体質?
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オレにはちょっと変わった同級生がいる。
ソイツは、ちょっとぼーっとしている、一見無邪気な17歳男。
――きっとソイツはオレを非日常と災厄に導く張本人。
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