No.121866

真・恋姫†無双~江東の花嫁達・娘達~(起)

minazukiさん

最終話の開演です。
始まりがあれば終わりがあります。

『江東の花嫁シリーズ』完結編。

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2010-02-01 19:50:48 投稿 / 全20ページ    総閲覧数:13270   閲覧ユーザー数:9855

(江東の花嫁 起)

 

 天の御遣いである北郷一刀がこの世界に召されてからすでに二十年。

 戦乱が終息をして平和な日々が続く中、一刀達は平和を謳歌していた。

 そして今年最後の三国会議に呉王の代理として出席をした一刀に華琳は会議中に意外なことを口にした。

 

「一刀、一つ私から提案があるのだけどいいかしら?」

「なんだ?」

「これは以前から言っている事だけど、一刀、あなた皇帝に興味ないかしら?」

「皇帝?」

 

 なぜそのような事を言っているのかすぐには理解できなかった一刀に代理補佐として出席していた雪蓮はどことなく嬉しそうな表情を浮かべていた。

 

「三国がこうして平和になっているのはいいことなのだけど、ちょっと問題が起こっているのよ」

「問題?」

「些細なことよ」

 

 華琳は桃香の方を見ると、桃香も頷いた。

 

「最近、呉の者が魏や蜀の者を軽視する傾向があるみたいなの」

「どういうことだ?俺達はそんなこと」

「ええ。あなた達はしていないわ。でも、下にいくほど人というのは自分達がどのような国にいるのかというものを気にするのよ」

 

 華琳の話はこうだった。

 最近、三国の民の間で妙な風潮が広がっていた。

 初めは気にすることもない戯言で済んでいた。

 だが、今の平和は誰がもたらしたものか、天の御遣いを擁している呉の国こそが他の二国よりも優れているなどと、まるで魏、蜀を見下しているようになっていた。

 

「そんなこと……ふざけているな」

「ええ。その通りよ」

 

 一刀は自分達だけではなく華琳や桃香達と協力してこの平和をもたらす事ができたのだと思っていただけに、華琳が話したことはあまりにもバカバカしいものだった。

 

「でもね、一刀。民という者は自分達の国が優れていれば優れているほど他国を見下したくなるものよ。いかに三国が手を取り合っていたとしてもね」

 

 王、将軍、兵卒、民と広がっていけばいくほどそれが強く根付いていくものだった。

 華琳も民同士のことならば注意をするだけで済む事だと思っているが、もしそれは国同士に発展してしまえば些細な出来事というわけにはいかなかった。

 

「私が恐れるのはそういった民を扇動して乱を起こさせようとする者が現れることよ」

 

 せっかく手にした平和を乱す者が現れない保障などどこにもなかった。

 もしかしたらこの平和を疎んじている者がいるかもしれない。

 

「一刀さん、私達はもう戦う必要なんてないんですよね?」

「もちろんだよ」

 

 不安そうな表情で一刀に訴える桃香。

 誰もがもう二度と戦で大切な人を失いたくないという気持ちはある。

 桃香を安心させるように一刀は戦を否定した。

 

「もう二度と戦なんて起こさせないさ」

「一刀さん」

「それじゃあ皇帝になるしかないわね」

 

 華琳の不適な笑みに一刀は困惑するしかなかった。

 だが、隣に座っていた雪蓮は華琳と視線を合わせて同じように笑みを浮かべていた。

 

「俺なんかよりも皇帝になるに値する人物は他にもいると思うけどな」

「一国の王ならばね。ただし王と皇帝ではそれが違うのよ」

 

 まして三国を束ねる皇帝となればよほどの統率力とそれに比例して人望、政治能力が必要とされていた。

 それが自分にはないと一刀は思っていたが華琳は違っていた。

「ねぇ一刀。私はあなたになら膝をついてもいいと思っているわ」

「華琳……」

「この私がそこまで思うほどの人物だからよ。そうすれば三国の民は一つの国の民になれて今のような不安要素は消えるわ」

 

 三国の民の誰もが天の御遣いの収める国の民になる。

 そうすれば誰かが別の誰かを見下すようなことは無くなると華琳は思っていた。

 

「とりあえず私と桃香と蓮華の三人で何度か話はしているの。今まで黙っていたのはもしかしたら収まるかと思って様子を見ていただけよ」

「でも、事態は少しずつ悪い方へいっているわね」

 

 雪蓮の指摘に華琳は頷く。

 

「桃香はどう思っているんだ?」

「私も華琳さんと同じ意見です。蜀でも同じようなことがあるみたいですから」

 

 桃香も蜀の民のことを思うとそのように見下されることに対しては愉快ではいられないといった感じをさせていた。

 

「これは呉一国の問題で済むことではないわ。私達全員がどうにかしないといけない問題なのよ」

「でもだからって俺には皇帝だなんて無理だよ」

 

 大都督ですら過分な身分だと思っているのに三国をまとめた新しい国の皇帝など、想像をするだけでも不向きだと思っていた。

 

「大丈夫よ。あなたに足りないものは私達が補ってあげるわ」

「私も一刀さんならできると思います」

 

 優秀で広大な領土を治める華琳と凡庸ながらも人徳のある桃香、それにまもなく臨月を迎える彼の妻であり、孫家三代によって築かれた呉をしっかりと治めている蓮華。

 そんな彼女達の元にある数多くの優秀で忠誠心厚い家臣達。

 それだけあれば一刀に足りないものは十分すぎるほどに補うことができる。

 

「少し考えさせてくれないか」

 

 あまりにも唐突な話に戸惑いを隠せない一刀に対して雪蓮達は納得できなかった。

 自分には大都督ですら身に余るものなのに皇帝など似合うはずもないと思っていた。

 

「この荊州に留まっている間に考えなさい」

「短いな」

「それだけ危険が迫ってきているってことなのよ」

 

 今は小さくても危険が迫っているだけに華琳はその猶予を長く与えるわけにはいかなかった。

 この一月が限界だと一刀に半ば脅迫するように言った。

 

「まったく華琳は無茶が好きだな」

「あら、あなたの正室よりましよ」

 

 華琳は雪蓮の方を見て笑みを浮かべる。

 それに足して雪蓮も笑みを浮かべ応える。

 

「雪蓮といい、華琳といい、よくこんな人物の中で俺、生きてこられたな」

「それだけ天運に恵まれていたってことよ♪」

「まったくね」

「そう考えたら一刀さんって凄いですね」

 

 三者三様で一刀を褒めているのだが、本人からすればそれは褒められているのだろうかと思ってしまうほど微妙なものだった。

 

「とりあえず考えておきなさいね」

 

 華琳はそう言って席を立って部屋を出て行った。

 桃香も一刀と雪蓮に挨拶をして用意された自室へと戻っていった。

 

「どうしたものかな」

 

 残された一刀は雪蓮の方を見ると、彼女は楽しそうにしていた。

 それが一刀を複雑な心境にさせたのだが、雪蓮はいずれどのような結果になろうとも自分が考えている通りになるだろうと予測していた。

 数日後。

 一刀と雪蓮は用事で出かけていた氷蓮と彩琳に皇帝について話をした。

 

「パパが皇帝って凄いじゃない」

 

 純粋に喜ぶ氷蓮に対して彩琳は些か慎重な態度だった。

 それは皇帝になるということは三国が一つの国になることを意味する。

 そうなれば今まで自分達だけのものだった大好きな父親が魏や蜀からも側室を頂くことになって自分達の存在が薄れてしまうのではないかと思っていた。

 そしてそれ以上の問題も気にしていた。

 

「彩琳はどう思う?」

「私は正直なところ父上にはこのままでいていただきたいと思っています」

「どうしてよ?」

 

 氷蓮からすれば一刀が皇帝になれば自分達はその皇帝の血を引いていることになる。

 つまりそれが将来的には自分達の未来に大きく影響を与えるものだと思っていた。

 

「姉上、それこそ父上が危惧していることなのですよ」

「どういうことよ?」

 

 彩琳に食らいつく氷蓮を一刀が制した。

 

「彩琳の言うとおりだよ。俺もそのことは気にしていたんだ」

「わかりやすく言ってくれない?」

「要するに俺が今のまま皇帝になっても現状は変わらないってことだよ」

 

 呉が擁する天の御遣いが皇帝になっても呉の民からすれば、元から自分達は彼を慕っていたと主張して新しく天の御遣いの民になった魏や蜀の民達を見下してしまえば今と何も変わらない。

 もしかしたら国をまとめたとことでより戦乱が再発する危険性があると気にしていた。

 

「では父上はこの一件についてお受けにはならないのですか?」

「実は困っているよ。まず俺は皇帝だなんていういうものに興味はない。仮に俺が皇帝になってもみんなの協力がなければ何も出来ないし」

 

 一刀は自分の力量を理解しているつもりだからこそ、皇帝になることは正直に言えば迷惑な事だった。

 だが同時に、水面下で少しずつ不安定になりつつある状況でいつまでも三国が共存することが不可能になってきているのではないかとも思っていた。

 

「華琳からは一月の猶予を与えられたけど正直どう答えるべきか悩んでいるんだ」

 

 氷蓮のように素直に喜べない自分に苦笑いを浮かべる一刀に氷蓮も事の深刻さに気づいて、さっきまでの能天気さは消し飛んでしまった。

 

「父上、まだお時間があるのであればもうしばらくお考えになってはいかがですか?」

「そうだな。でも、上手くまとまらないよ」

 

 一月だろうが一年だろうが問題が問題なだけに一刀にはいくら時間があっても足りないぐらいだった。

 

「ママはどう思っているの?」

「一刀が決めることだから私は傍観よ♪」

 

 どちらにしても雪蓮にとって自分の立場が変わることはないためか、三人に比べて余裕があった。

 

「しかし雪蓮様。これは私達だけで解決するできる問題とは思えません。本国の蓮華様にもお知らせするべきかと」

「その蓮華も一刀が皇帝になることは賛成よ」

 

 意外なことだと氷蓮と彩琳は思った。

 蓮華なら反対するであろうと思っていただけに驚きを隠せなかった。

 

「蓮華も今の状況が不安定だってことに気づいているのよ。だからこそ三国を統一させるべきだと思っているのよ」

 

 歴戦を潜り抜けてきた者だけが感じる平和の中での不安。

 それが氷蓮達には不足しており、それを理解できる者は彩琳のように慎重に物事が見れる者だけだった。

「とにかく今はその問題を解決させないとダメだな」

 

 そう言いつつも一刀はその解決策が思いつかなかった。

 一月という時間で決める。

 

(無茶すぎるぞ華琳)

 

 一刀は自分より華琳のような者にこそ皇帝になってもらいたいと思っていた。

 もちろん蓮華にも桃香にも皇帝としての素質はある。

 それでも華琳には他の二人にはない積極性があり、新しいものにはすぐ順応することが出来る。

 

(でもそんな華琳ですら俺に膝をつくと言ってきた)

 

 華琳の性格を考えるとそれは信じられないことだが、彼女が冗談でそのようなことを言うような人物ではないことはわかっていた。

 

「ねぇパパ」

「なんだ?」

「あまり深く考えると余計に迷うだけだと思うわよ」

「わかっているさ。でも、そう簡単に決められることでもないだろう?」

 

 こういうことならさっさと隠居でもしたらよかったと思う一刀に氷蓮は立ち上がり彼の手を掴んだ。

 

「それじゃあ散歩に行きましょう♪」

「散歩?」

「ここで悩んでもダメ。すぐに結論を出すこともできない。それならば考えが少しでも出来るように散歩をしたらいいのよ」

 

 氷蓮からすれば深く考えすぎては見えているものも見えなくなってしまうと思ったに違いなかった。

 だからこそ柔軟で納得のいく結論に少しでも近づけるように気晴らしが必要だと主張したのだった。

 

「そうだな。ここで悩んでいても良い考えが浮かぶわけではない」

 

 氷蓮の提案を一刀は受け入れて立ち上がると彩琳も立ち上がった。

 

「私もお供してよろしいでしょうか?」

「ああ。一緒に行こうか。雪蓮も行くだろう?」

「そうね。ここにいても美味しいお酒が呑めるわけでもないし行くわ。ただし、一刀と一緒の馬でね♪」

 

 雪蓮が自然と一刀と同じ馬に乗るということに氷蓮は目を光らせた。

 

「パパ、ママより若い私と一緒に乗らない?」

「う~ん」

「あ、そこで悩むわけ?」

 

 呆れる氷蓮は積極的に一刀を誘うとしたが、鋭い視線が彼女を捕らえていた。

 表情は笑顔そのものだったが目が笑っていない雪蓮に気づいた氷蓮は抵抗を示そうとしたが、未だ母親に及ばない自分の力を省みて諦めることにした。

 

「彩琳」

「はい?」

「今回は譲ってあげるわ。たっぷり甘えなさい♪」

「よ、よろしいのですか?」

 

 まさかの嬉しい提案に確認をする彩琳だが、雪蓮は何も問題はないといった表情で頷くだけだった。

 

「なんで彩琳はいいのよ!」

「はいはい。あんたは私と一緒よ」

「え~~~~~!」

「え~~~~~じゃないわよ。ほら行くわよ」

 

 雪蓮は素早く立ち上がって娘の腕を掴んで先に部屋を出て行った。

 残った一刀と彩琳はお互いの顔を見て笑いを噛みしめながらも二人のあとを追うように部屋を出て行った。

 四人は二頭の馬にそれぞれ乗ってかつて激戦が繰り広げた赤壁までやってきた。

 すでに戦場の面影はなくそこを観光名所として作り直した港町が広がっていた。

 

「懐かしいわね。ここで三国が最後の戦いをしたのだから」

「そうだな。あれからもう何年になるだろうな」

 

 激戦を生き抜き、共に平和を作り上げた華琳や桃香。

 その結果が目の前の港町の活気溢れる姿を見ればどうなのか誰が見てもすぐにわかることだった。

 

「ここが戦場だなんて思わないわね」

「そうですね。少なくとも私達が産まれる前ですから」

 

 平和の中で産まれた自分達にとってここで行われた戦は人々の語りでしか知ることの出来ないことだけに一刀と雪蓮達が今生きていてくれることに感謝をしていた。

 

「今でも時々信じられない時がある」

「どうして?」

「だってあの時の俺は何も出来なかった。ただの天の御遣いという肩書きがあるだけだったんだ」

 

 実際に指揮を取ったのは一刀ではなく雪蓮や冥琳達だった。

 それでも勝てたのは一刀がいてくれたからこそだと彼女達は言った。

 

「今こうして俺がいられるのも雪蓮達がいてくれたからだよ」

「でも私は一刀がいてくれたからこそ勝てたのだと今でも思っているわ」

「雪蓮……」

「もっと自信を持ちなさい。あの戦で私達に勝利をもたらせたのは自分だってね」

 

 当時から一刀は自分の功績を決して誇ることなく常に謙虚な姿勢でいたため、他の諸将達からも信頼を集めていた。

 それだけに雪蓮はもし一刀が王になればどんな国を造ってくれるのかと何度も想像をしたことがあった。

 

「そうよ。パパは私達の自慢のパパなんだからもっと自信を持ってもらわないと娘である私達が恥ずかしいわよ」

「そうだな。でも、俺はまだまだみんなの上に立つほどの力はないよ。大都督ですら穏や亞莎がいないとダメなときだってあるからな」

 

 あくまでも自分はひとりでは何も出来ないと思っていた。

 

「だから皇帝になっても私達が支えるわよ」

「そうよ。パパなら私も全力で支えてあげるわ」

「わ、私も及ばずながら父上をお助けいたします」

 

 三人の励ましを嬉しく思うと同時にいつまでも彼女達に苦労をかけている自分が情けないとも思っていた。

 天の御遣いとしての実績といってもそれは大都督になってからのほうが多く、それ以前まで一刀はただ守りたい者を守ろうとしていただけだった。

 だがそれは雪蓮達からすれば誰にでもできることではないと思っていた。

 雪蓮の暗殺の時も冥琳が病に侵されている時でも誰よりも近くにいて彼女達を死から守った。

 それだけでも十分以上に賞賛されることだった。

 

「まだ一月あるんだ。結論を急いでもそれは誰のためにもならないさ」

「そうね。でもこの一月で決めなければ桃香はともかく華琳は容赦しないわよ」

「パパ、頑張って♪」

「父上、私は何があろうとも父上の近くにいますから」

 

 一月後の未来を予想しているわけではないが一刀は自分にとって避けられない運命でもやってきたのかと思いつつも、こんな自分を支えてくれる大切な人達の期待を裏切ってよいものか悩んだ。

 

「ありがとう、三人とも」

 

 とりあえず今はそう感謝をすることが一刀にとって精一杯だった。

 

「ほらほら余り考えていると禿げるわよ」

「パパ、若禿げはやめてね♪」

「父上……」

 

 もしここで自分が禿げたらそれはきっと彼女達のせいだろうと一刀はため息交じりに思った。

「でもこうして見ていると本当に華琳が言ったことが本当なんだろうかって思うな」

「そうね。見た目はそういう風に見えるわね」

 

 商人達は見た目は国など関係ないといった感じであり、華琳達が懸念しているようなものはどこにもなかった。

 

「でも華琳が嘘をつくなんて思っていないでしょう?」

「そりゃあそうだけど」

 

 活気のある街、子供達の笑い声、それらの裏側で醜いものがある。

 一刀はこの平和の中で自分達からすれば本当にくだらない格差などがあるのならば今すぐにでもなくさなければならなかった。

 皇帝となるのは一刀が望まないところで他者が望んでいることである以上、一刀自身が民と直接話などをしてどう思っているかを聞く必要があった。

 

「ずっと華琳から三国を統一して俺にそれをまとめてほしいって言っていたな」

「あの華琳がそんなことをいうのはきっとあなたを置いて他にはいないわよ」

「でもそれは自分達にも利益があるからって考えていたからだろう?」

 

 自国の反映を望むのはどの君主でも同じことだった。

 特に華琳は魏単独の天下統一を打ち砕かれただけに、未練がまだあるのではないかと一刀は思った。

 雪蓮からすればただ単に一刀を手に入れたいという個人的な願望がかなりあるはずだと同じ女人として理解していた。

 

「それでもいいんじゃない?誰だって利益になることは考えるし、それが民にも繁栄されれば何も問題はないと思うわよ」

 

 かって王だった者の言葉は未だ国の頂点に立ったことのない一刀にとって重くのしかかってきた。

 

「ねぇパパ」

「なんだ?」

「もしかしてパパって自分のこと優秀だって思ったことないの?」

「ないな。だって俺の周りを見てみろよ。天の知識がなければ誰一人としてその足元にも及ばないぞ。まぁあっても遠く及ばないけどな」

 

 歴史を知っている、未来の知識が多少あるだけ。

 雪蓮達からすればそれだけでも凄いことだと思っていても、一刀からすれば試験の解答を事前に知っているようなものだった。

 よって自分の打ち出す政策はここでは異彩を放っており、それが上手くいっているのはひとえに彼よりも優秀な者達の存在があってこそだった。

 

「パパ、それじゃあダメよ」

「なにがだよ」

「パパは自分が思っているほど下じゃないのよ」

「でも雪蓮達から比べたら下だぞ」

 

 どこまでも自分の評価を低くしている一刀に氷蓮は呆れてしまった。

 

「ねぇママ」

「うん?」

「パパって自分がどれほど凄いかってこともしかしなくても知らないわけ?」

「そうね。一刀はいつも自分よりも誰かの才能を褒めていたわね」

 

 他者を賞賛することは別に悪いわけではなかったが、その他者と比較して自分を低く見せるのも度が過ぎれば比べた者達に失礼だった。

 

「母上も父上は少し謙遜しすぎると申していますよ」

「冥琳は一刀に自分にはない物を見つけたのよ。だから後任に一刀を指名したのよ」

「俺は冥琳に少しでも近づけたらいいなあっては思っているさ。今も冥琳だったらどうするかって考えているぐらいだしな」

 

 偉大な呉の大都督として雪蓮を支えた冥琳に認められるように今の職務を頑張っているだけに、自分がまだまだ冥琳の足元にも及ばないと思っていた。

 

「俺としては誰かを支えることならいくらでもするんだけど、自分が支えられる立場は似合わないさ」

 

 ある意味で無欲すぎる一刀。

「もし俺が皇帝になったらきっと皆に頼りすぎるだろうな」

「それでいいんじゃないかしら?」

「あまり頼りすぎると不安を感じさせてしまうさ。民がそれを知れば俺を皇帝にしたのは失敗だったって後悔させてしまうよ」

 

 今は呉の国を、蓮華を支えることが自分の限界だという意味を一刀は言葉に含ませていた。

 

「でも私は近くで父上のなさっていることを見ていますが、最後にはご自分の意思をしっかりと持っているように見えますよ」

「確かにね。どうしたら民が喜んでくれるかって考えてそれを蓮華に上申するときは、民の立場からみてどう思うかっていうのを一番に考えているからね。曖昧な気持ちではできないからだよ」

 

 それについては妥協をするわけにはいかなかった。

 自分は民のために大都督をしている。

 つまりそれは呉の国のため、蓮華のために繋がっていく。

 そう信じているからこそ新しい物を次々と提案をしていた。

 

「でも皇帝になれば自分が最終決断をしなければならない。良し悪し関係なくその重責に俺は耐えられないよ」

 

 人には自分という存在価値にみあったもの以上のものを求めてしまえばどこかで破局をしてしまう。

 もしそうなったとき、誰が一番苦しむか。

 容易に考えられるものだった。

 

「まぁとりあえず一月あるんだ。その間に華琳が納得する断りを考えているさ」

 

 馬から下りた一刀は屋台に向かい、そこで饅頭を四個ほど注文をした。

 その様子を見ていた雪蓮達はお互いの顔を見てため息を漏らしていた。

 

「雪蓮様」

「な~に?」

「雪蓮様は父上が皇帝になることには賛成ですか?」

「ええ。私も華琳と同じ意見で一刀には皇帝としての素質はあると思うわ。でも、どんなに素質があっても本人にその気がなければ意味はないわ」

 

 雪蓮は最終的には一刀自身が決めることであり、自分達がどうこういったところで無意味だということを知った上で一刀に皇帝を遠まわしに勧めていた。

 

「氷蓮と彩琳はもし今の一刀と同じ立場だったらどうするの?」

「今のパパと同じ立場で?」

「そうよ」

 

 雪蓮の質問に二人は即答できなかった。

 あくまでも一刀だからこそ氷蓮達は軽々しく皇帝になってほしいと言えたが、自分達が今の一刀の立場になれば話は変わってくる。

 

「私は逃げるわ。王や皇帝って柄じゃあないもの」

「姉上と同じです。私にはまとめるだけの器量はありません」

 

 氷蓮は王という重責に耐えられるのであれば呉王になる方がいいと思っていた。

 だが重責だけではない。

 氷蓮自身が自分は誰かの頂点に立つほどの器量がないと感じていたからだった。

 それは彩琳も同じことだった。

 自分はあくまでも誰かを補佐するのであれば何も問題はなかったが、王になればそれまで通じていたものが通じなくなる可能性もある。

 自分の判断次第で国が衰微してしまうことになりかねなかった。

 

「尚華はその点、パパに似て誰からも愛されているし王としての才覚もあるわ」

「そうですね。尚華ならきっと蓮華様に劣らない素晴らしい王になると思います」

 

 そして彼女のためになら自分達はどんな苦労も厭わないであろう。

 

「私達の自慢のパパなんだから皇帝でも何でもしてみたらいいのよ」

「そうですね。父上を支えるのも娘として当たり前ですしね」

 

 娘にこれほど想われている父親に雪蓮は自然と笑みがこぼれていく。

 屋台の店主と何かを話しては笑っている一刀の姿を見ていると、雪蓮は皇帝だろうがなんだろうが、北郷一刀であることに変わりはないと確信していた。

「お待たせ」

 

 人数分の饅頭を買ってきた一刀だが、ふと一人の粗末な服を着ている女の子を見つけた。

 

「父上?」

「ちょっと行ってくる」

 

 饅頭の入った入れ物を彩琳に渡すと、女の子のところに一刀は向かった。

 

「どうしたんだい?」

「…………」

「お父さんとお母さんはどこだい?」

 

 顔を横に振る女の子に一刀はなんの躊躇もなく手を伸ばして頭を撫でていく。

 それでも感情が乏しいのか女の子は表情を一つ変えることはなかった。

 

「孤児か……」

「どうしたのですか、父上」

 

 彩琳とその後ろから雪蓮と氷蓮がやってきた。

 

「家族がいないんだそうだ」

「そうなのですか?」

 

 いくら平和でもまだ孤児がいるのかと思うと一刀達は辛い気持ちになっていた。

 そして女の子は彩琳が持っている饅頭の入った箱をじっと見た。

 一刀はそれに気づいて饅頭を一つ取り出して女の子に差し出した。

 

「出来立てだから美味しいよ」

 

 饅頭を小さな手で受け取るとその饅頭と一刀を何度も見た。

 戸惑っているように見えたが一刀が何度も頷いてみせるとようやく饅頭を一口食べた。

 ゆっくりと何度もかみ締めていく女の子。

 その様子を静かに見守っている一刀達。

 やがて飲み込むと女の子は瞼から涙の粒が零れ落ちていく。

 

「え、ち、ちょっと!?」

「一刀ったら女の子を泣かしちゃって」

「ご、誤解だって」

 

 一刀は女の子を慌てて慰めるが全く泣き止む気配はなかった。

 何とか泣き止んでもらおうとしたが何をしても失敗した結果、道行く人達の視線を集めていく事になってしまった。

 

「あらら、どうしたものかしらね」

「し、雪蓮、そんなことを言わないで何とかしてくれよ」

「天の御遣い様でしょう?だったらこれぐらいは自分で何とかしなさい」

 

 ひどくおかしそうに笑う雪蓮に一刀はため息をつき、女の子の頭を撫でていった。

 

「大丈夫。俺達は君に何もしないから」

「そうですよ。あまり泣いてばかりでは辛くなるばかりですよ」

 

 彩琳は優しく女の子に声をかけるがそれでも泣き止む事はなかった。

 二人して慰めることに失敗をしたためどうしたものかと思った。

 

「まったくそんなに泣いても何も変わらないわよ」

 

 今まで黙っていた氷蓮は女の子の腕を掴んで引き上げようとした。

 それに反応したのか女の子は急に暴れだして氷蓮の手を振りほどいた。

 

「危ない」

 

 身体のバランスを崩した女の子が後ろに倒れていくと、一刀はすぐさま彼女の腕を掴んで自分の胸に引き込んだ。

 両手でしっかりと女の子を抱きしめて一刀は氷蓮の方を見上げた。

 

「氷蓮、乱暴はダメだぞ」

「だって泣いてばかりで何もしないじゃない。それよりもパパ、しっかり抱きしめているわよ」

 氷蓮の指摘に一刀はハッとして慌てて女の子を離そうとした。

 が、女の子は一刀にしがみついて顔を胸に埋めて離れようとしなかった。

 

「ごめん、痛かったか?」

 

 心配する一刀に女の子は顔を左右に動かす。

 

「困ったな……」

「両親がいないのですか?」

「そうみたいだ」

 

 どうしたらよいのか迷っていると、遠くからこの街の警邏隊がやって来た。

 

「やっと見つけたぞ!」

「な、なんだ?」

 

 数人の兵士に取り囲まれた一刀と女の子。

 何がどうなっているのかわけがわからない一刀はとりあえず兵士達に何事なのかを聞いた。

 

「その女は盗みを働いたのだ。それも一件二件ではない。数十件と盗みを繰り返している極悪人だ」

「でもこんなに小さい女の子だぞ?」

「女だろうが子供だろうが盗みをすることは重罪だ。とにかくその女を引き渡してもらおう」

 

 隊長らしい兵士が手を伸ばして女の子の肩を掴んで強引に引き離そうとした。

 女の子は小さな悲鳴すら出さずに地面に叩きつけられた。

 

「お、おい、その子に何するんだ!」

 

 すぐに女の子を助け起こしながら一刀は兵士達を睨み上げた。

 

「罪人をどう扱おうともこちらの勝手だろう。貴様も庇い立てをするならば同罪で連れて行くがそれでもいいのか?」

 

 その言葉と同時に他の兵士達は槍を一刀に突きつける。

 

「はいはい、その辺にしておきなさいよ」

「なんだきさ……ぐはっ!?」

 

 振り向くと同時に隊長格の兵士は後ろに吹き飛ばされた。

 何事かと他の兵士が振り向くと、そこには拳をに握っている氷蓮と不適な笑みを浮かべて仁王立ちをしている雪蓮の姿があった。

 

「まったくパパったら天の御遣いって言えばいいのに」

「天の御遣い?」

 

 その言葉を知らない者はほとんどいない。

 兵士達は一刀の姿を何度も見ると、顔色を青くしていった。

 

「とりわけその子は私達の知り合いなの。ここまで来るのに大変できっと路銀でも尽きたから盗みをしたのかもしれないわ。もし盗まれた者が訴えているならば支払ってあげてもいいわよ」

 

 雪蓮の言葉を兵士達は聞こえたはずだが、自分達の目の前にあの天の御遣いがいるということの方が衝撃が大きかった。

 

「し、失礼いたしました」

「とりあえずこの子は俺の知り合いだから許してやってもらえるかな?」

 

 一刀は彩琳の方を見ると彼女は頷いて、兵士達の前にやって来た。

 そして被害にあった者に謝罪とその被害金額を算出してそれに似合った侘びの品を送ると伝えた。

 

「私達は江陵にしばらくいますゆえ、何かありましたら申し出てください」

「わ、わかりました。さっそくその者達にも申しておきます」

 

 隊長格の兵士も非礼を詫びてその場から離れていった。

 その姿がなくなると女の子は緊張の糸が切れたのかそのまま気を失い、一刀の胸の方へ倒れていった。

 一刀達はこのまま戻るわけにも行かず、宿を見つけてそこに入った。

 身体の汚れなどは彩琳が綺麗にし、その間に雪蓮と氷連は警邏隊の屯所に赴き被害を受けた者達に保障をすると約束をしてきた。

 

「父上、とりあえず汚れは落としました。あとそこで買ってきた服に着替えさせました」

「そうか。ありがとう、彩琳」

 

 彩琳の労を労いながら部屋の中に入ると寝台で眠ったままの女の子の姿を見下ろした。

 肩の下まで伸びた黒髪に頬にかすかな切り傷がついていた。

 だが顔立ちからしてそれなりの家の者だと彩琳が推測をしていた。

 

「可哀想に。どこかで斬られたのかな」

「傷跡からみればそうだと思います」

 

 まだ十を少し過ぎたぐらいの女の子がここまで傷つき憔悴しきっている姿を見ていると胸が痛む思いだった。

 

「警邏隊にも聞いたけど、その子はどうやら北からきたみたいね」

「北?ということは魏か?」

「たぶんね」

 

 だがそれにしてもこんな南までなぜ来たのかわからなかった。

 

「父上、着替えさている時にこのようなものが」

「なんだそれ?」

 

 彩琳が差し出したのはお守りのようなものに見えた。

 だがすでに汚れきっているためにお守りかどうか判別は難しかった。

 

「大切なものなんだな」

「おそらくは」

 

 両親のいない女の子。

 そして魏からきたであろうそれなりの家の娘の可能性。

 

「それにしても一刀って年齢無視なのかしら」

「何がだ?」

「まさかとは思うけどそんな幼い子には手を出さないわよね?」

 

 雪蓮の半分面白がっているように見える態度に一刀は呆れていたが、娘達は僅かばかり後ろに引き下がった。

 

「おい、そこの二人、なぜ離れるんだ?」

「き、気のせいよ。ねぇ彩琳」

「え、ええ。気のせいですよ、父上」

 

 わざとらしく笑う二人にため息を漏らす一刀。

 

「あのな。自分の娘ぐらいの女の子に手を出すわけないだろう」

「どうかしら」

「雪蓮!」

「冗談よ。そんなに怒らないの」

 

 少しからかい過ぎたが謝るつもりは雪蓮にはなかった。

 ただ、眠っている女の子の方を興味津々といった感じで眺めた。

 

「それでどうするつもりなの?」

「このまま放っておくわけにはいかないだろう?」

 

 もしここで女の子を置いてけば警邏隊に捕まり処罰されかねなかった。

 それに自分達の知り合いだと言ってしまった以上、見捨てるわけにもいかなかった。

 

「かといって連れて帰るわけにも行かないでしょう?」

「う~~~~~ん」

 

 妙な拾い物ををしてしまったと一刀は思ったが、関わってしまった以上、最後まで責任を持つべきだろうとも思った。

 

「せめて目を覚ましてくれてどこの誰なのかがわかればいいんだけどな」

「そうね」

 

 結局のところ女の子が目を覚まさなければどうすることも出来なかった。

「氷蓮と彩琳は一度、城まで戻ってくれないか」

「なんでよ?」

「あのな、呉の代表がこぞって帰ってこなければ華琳達に余計な心配をさせるだろう?」

「それじゃあママと彩琳に帰ってもらえばいいじゃない。私はパパの護衛官よ」

 

 二人がいなくなれば大好きな父親を独占できるという下心丸出しの氷蓮だったが、彩琳がそっと手首をつかんできた。

 

「何よ?」

「父上、雪蓮様、出来るだけ早くお戻りくださいね。さあ姉上戻りますよ」

「え?ち、ちょっと彩琳?」

 

 意味がわからず部屋から出て行かされる氷蓮。

 

「とりあえず私達で情報を集めてきますね」

「え~~~~~!パパ~~~~~~!」

「はいはい、戻りますよ」

 

 一刀を呼ぶ氷蓮の声が次第に遠くなっていき部屋の中は静けさがやってきた。

 

「まったくあの子ったら誰に似たのかしらね」

「そうだな。親子ってよく似るもんだな」

 

 一刀の笑顔に雪蓮は何か言い返そうとしたが途中で言葉を飲み込んだ。

 そして椅子に座って用意されていたお茶を飲んだ。

 

「ねぇ一刀」

「うん?」

「皇帝の話なんだけど、本気で嫌?」

「出来れば断りたいよ」

 

 対面に座った一刀に雪蓮はお茶を淹れて渡した。

 一口呑んで一息ついて眠っている女の子の方を見ながら皇帝の件を思い返していた。

 

「俺は今のままで十分だよ。確かに俺達の目の届かないところで不穏な空気が流れているのであればすぐに対処しないといけない」

「でもそんなものは一つ潰したからってなくなるわけではないのよ」

 

 人の口を塞ぐことなど不可能だと雪蓮は言う。

 それは一刀にもわかっていることだった。

 だからといって自分が皇帝などやはり何度考えてもありえない光景だった。

 

「いずれ三国の時代は終わるわ。それが遅かれ早かれね」

「そうだな」

「ならば私達がいる間にそれをすれば何も混乱なく進むと思わない?」

 

 このまま三国の共存でいても雪蓮の言うように終わりがやってくる。

 だがその時、新しい国が出来るまでに争いの種が蒔かれれば再び戦乱が起こり多くの罪なき者達が悲しみと絶望の日々を送らなければならない。

 

「今だからこそ華琳も好機と思ったはずよ。一つの国に自然とまとまっていけるこの時期がね」

「どうしても俺に皇帝になって欲しいんだな」

「そうね。私は一刀がもし私達の上に立ったならばどんな国を造るのか見てみたいのよ」

 

 今までとは違う、北郷一刀が造る全く新しい国。

 誰もがその未知なる国に興味を示している。

 

「もしあなたがダメだって思えばさっさと誰かに位を譲ればいいのよ」

「おいおい、王とか皇帝ってそんな簡単に辞めていいものか?」

「あら、私は辞めたわよ」

「それは雪蓮だからだろう?」

 

 愛する者のためにあっさりと王と名を捨てた雪蓮はまるで楽しんでいるかのように笑顔を絶やさない。

 そんな彼女だからこそ一刀は嫌いになることなどなく、逆に雪蓮らしいと思っていた。

 

「とりあえず一月、考えてみるだけでもいいんじゃない?やるにせよやらないにせよね」

「そうだな。そうするか」

 

 ここで即答しても誰も容認してくれるとは思えなかっただけに一刀は一月の間考えることにした。

 のんびりと話をしていると、寝台の方から声が聞こえてきた。

 起きたのかと二人は寝台に駆け寄ると女の子は薄っすらと瞼を開けて一刀達の方を見ていた。

 

「気がついたかい?」

 

 一刀の声に小さく頷く女の子。

 そして小さな手をゆっくりと動かして一刀の頬に当てた。

 

「大丈夫。もう君は誰からも追いかけられることもないよ」

 

 自分達は味方だと教えるように一刀は優しい口調で話す。

 雪蓮も威嚇するような視線ではなく温かみのある視線で女の子を見下ろしていた。

 

「もしよかったら名前を教えてもらえるかな?」

「あまね」

「あまねって真名だよな?」

 

 あまねと名乗る女の子は小さく頷く。

 

「いいのかい。どこの誰かもわからない俺に真名を授けても?」

「いい。あまね、知っている人だから」

「知っている?」

 

 また小さく頷く。

 だが一刀はあまねと一度も会ったこともなかった。

 

「俺は今日が初めてなんだけど?」

「ずっと知ってる」

「そう言われてもな」

 

 全く記憶になり一刀は雪蓮に助けを求めた。

 

「ねぇ、あまねって言ったわね。この人が誰だか知っているの?」

「天の御遣い様」

「そう。なら一刀は貴女を知らなくても貴女は一刀を知っているわけね?」

「ううん、違う。天の御遣い様もあまねを知ってる」

 

 雪蓮は念のために疑いの視線を一刀にぶつけた。

 

(もしかして誰か知らない女を抱いてその娘だなんてことはないでしょうね?)

 

 そういった意味を含めて少し棘のある視線で一刀の反応を見たが、当の本人はまったく知らない様子だった。

 

「ごめんな。俺は君のことわからないよ」

「そんなことない。天の御遣い様、あまねを知ってる」

 

 あまねも自分と一刀はお互いに知り合っていると繰り返す。

 

「困ったな……」

「ずっと探していたの」

「俺を?」

「うん」

 

 あまねはゆっくりと起き上がり、正座をして姿勢を正した。

 まだ少女のあどけなさがある表情だが、その視線は真剣なものだった。

 

「ずっとずっと天の御遣い様に会えるのを楽しみにしていたの」

「そっか。でも思い出せなくてごめんな」

「ううん。こうして出会えたから」

 

 ゆっくりと前に進んでいき一刀にしがみついていく。

 その仕草はまるで父親に甘える娘のように雪蓮は見えた。

 

「まさかとは思うけど、一刀の側室になるなんて言わないわよね?」

 

 もしそうだと言われたらさすがの雪蓮も全力で止めるつもりでいたが、あまねは顔を左右に動かした。

「あまねは天の御遣い様に会いたかったの。ただそれだけ」

「ただ会うだけでいいの?」

「うん」

 

 世の女人ならば少しでも自分に自信があれば好機を見計らってやってあわよくは側室にでもと思うだろうが、目の前のあまねはそのようなことに一切の関心を示していなかった。

 

「ずっと会いたかったから」

「そっか。でもどうしてこの街なんだ?俺のことを知っているなら呉に行くのが普通だろう?」

「ここにくれば会えると思ったから」

 

 この港町で一刀と会うことがわかっていたかのような言い方に雪蓮はわずかに眉を動かした。

 一刀も自分がここにくることを事前に言わなかったため、そのような偶然があるものなのかと思った。

 

「でもどうして盗みなんてしたんだ?」

「そうしないと生きていけなかったから。父上も母上もここに来る途中に病にかかって死んじゃったから」

「そうだったんだ。ごめんね、余計な事聞いて」

「ううん、天の御遣い様だから何を言われても平気」

 

 一刀からすれば誇張された同姓同名の天の御遣いの噂を信じているのだろうと思ったが、雪蓮はそうではなかった。

 

(この子、本当に一刀のことを知っている?)

 

 なぜそう思ったかわからなかった。

 漠然とした何かが雪蓮の警戒心を強めていく。

 

「だからあまねのお願いを一つだけ聞いて欲しいの」

「何でも言ってくれていいよ。俺にできることならば何でもしてあげるから」

「本当?」

「ああ、本当だよ」

 

 それを聞いて嬉しそうにするあまねはほんの少し距離を置いて枕元に置かれていた簪を手にして一刀の胸にめがけて突く。

 胸に吸い込まれるより早く一刀の身体は後ろに倒され、代わりに雪蓮があまねの手首を掴んでそのまま寝台から引きずり出した。

 

「雪蓮!」

「黙ってなさい」

 

 あまねの手から離れた簪を掴んで彼女の首筋に当てた雪蓮は鋭い視線を向けた。

 

「やっぱりね。一刀を殺すためにわざと演技をしたのね」

「演技?」

 

 あまねは雪蓮から視線を逸らして一刀の方を見た。

 そこには悲しみと憎しみが入り混じっていた。

 

「お前のせいで大好きな兄が死んだ!」

 

 さっきまでとは打って変わってあまねの声は高くなっていた。

 

「お兄さんが死んだ?俺のせいで?」

「そうよ。お前のせいで兄はこの赤壁で死んだの。だからその復讐をしにきたのよ」

 

 赤壁で死んだ。

 その言葉を聞いた一刀と雪蓮は顔を見合わせた。

 

「どういうことかしら?」

 

 答え次第ではこの場で死を与える構えを見せた雪蓮に臆することなくあまねは答えた。

 

「お前達が火攻めをした時、私の兄はそれに巻き込まれて死んだのよ」

「あまねちゃん……」

「気安く呼ぶな」

 

 怒りをぶつけるあまねだが、一刀は彼女に近づいていき雪蓮に離すように諭した。

「謝罪をしろっていうのであればする。でもこの命はもう俺一人のものじゃないから簡単にはあげられない」

「…………」

「それ以外でなら俺が出来る限りのことをするよ」

 

 三国にとって赤壁の戦いは天下を定める重要な戦いだっただけに、一刀と雪蓮は勝たなければならない一戦だった。

 戦う限り犠牲はつきものであり、それをいかに効率よく死なせるかが用兵というものなだけに、彼女のような悲しみを産んでしまう。

 

「今の平和だなんてどうでもいい。私は兄がいないこの世になんて未練なんてないの。お前と刺し違えても……」

「子供ね」

 

 雪蓮は冷たく言い放った。

 悲しみは誰もが持っておりそれを凶器に変える気持ちも理解できる。

 だからといって一刀をむざむざ死なせるようなことはさせない。

 そうなる前に自分がその相手の頸を跳ね飛ばすまでだった。

 

「誰だってあの時、必死になって生きようとしたのよ。たとえ戦に勝とうが負けようが、生きたいと思うのは誰にでもあるわ」

「それでも天の御遣いは私から兄を奪った」

 

 あまねは涙を流しながら訴えた。

 兄が死んだのは天の御遣いのせいだと。

 その者のせいで魏軍は負け多くの者が赤壁で死んでいった。

 

「だから天の御遣いを私の手で殺したかった」

「あまねちゃん……」

「でもそれすら出来なかった。さっさと殺して」

 

 幼くも死を覚悟して一刀に迫ったあまねに一刀は彼女を起こしてそっと抱きしめた。

 

「ごめん。俺のせいで君のお兄さんを死なせてしまった。どうやっても償えないだろうけどごめん」

 

 抱かれたあまねは離れようともせずただ一刀の腕の中で彼の言葉を聞いていた。

 

「君のように深い悲しみを与えたのが俺のせいだっていうならばそれでもいい。でも、復讐は何も生まないんだよ」

「兄を殺したのにどうしてそんなことが言えるのよ?」

「君に後悔をさせたくないからだ」

 

 失った者を蘇らせられることが出来るのであればそうしたい。

 だが、一刀はただの人でありそのような神通力はない。

 だから彼が出来ることはこれ以上の悲しみを彼女に与えたくないという事だった。

 

「お前を殺せない方が後悔する」

「なら殺せるまで俺の傍にいるか?」

「ち、ちょっと一刀!」

 

 とんでもないことを言い出す一刀に雪蓮は驚いた。

 彼を失うことは雪蓮にとって何よりも回避しなければならないことだった。

 

「まぁ俺の周りには凄い人達がたくさんいるからね。うまく俺を殺せればいいんだけどな」

「…………どうして」

「うん?」

「どうしてそんなことが言えるわけ?」

 

 信じられないといった感じであまねは一刀に真意を問う。

 自分を殺す者を近くに置くなんて行為は自殺行為そのものだっただけに、一刀の考えていることが理解できなかった。

 

「俺達はたくさんの人の命を奪った。だからその奪っただけの命に釣り合うだけのことをしなければならないって思っているんだ」

「命に釣り合う?」

「ああ。君のお兄さんを死なせたのなら同じ事を繰り返さない事が俺達の役目なんだ」

 

 そのために平和な世の中を作り上げ、戦で人が死ぬことをなくしたかった。

 天の御遣いである自分一人ではどうすることも出来なかったが、彼の想いに賛同してくれる多くの者達と共にそんな世の中を目指した。

「それでも俺が憎いのなら隙あらばこの命を奪ってもいいよ。ただし、失敗したら武器なんか捨てるんだ」

 

 一刀があまねをゆっくりと離していくと、彼女はかすかに震えていた。

 必死になって兄の仇を追い求めようやく見つけても失敗をした。

 そして偽善者のごとく平和を訴える一刀にあまねは戸惑いが生まれていた。

 

「それにこんなに可愛い女の子に武器を持たせたくないな」

「一刀、それって口説いているのかしら?」

「え?や、やだな、そんなことないだろう」

 

 慌てて弁解をする一刀に雪蓮は意地の悪い笑みを浮かべていた。

 

「ねぇ貴女は兄を戦で失って言ったわよね。私も母様を戦で失ったわ」

「えっ?」

「確かに貴女と同じで母様を殺した相手が憎かったわ。でも、いつまでも憎しみだけで生きてはいけないわ」

 

 大切な人を失った悲しみはそれを体験した者にしかわからない。

 一刀も大切な友を思い出して表情を一瞬硬くした。

 

「一刀を憎むならそれでもいいわ。でもね、私にとって大切な一刀に刃を向けることがどれほど罪深いかその身に刻み込むから覚悟をしなさいね」

「雪蓮、そんなに脅かさないでもいいと思うけど」

「あら、普通よ。ふ・つ・う♪」

 

 一刀を害する者は誰であろうが自分の敵になる。

 雪蓮はそれでもいいのであれば一刀の言うように傍にいることを容認した。

 

「どうかな。あまねちゃん」

「…………」

 

 あまねは俯きどうしたらいいのか迷った。

 やがて小さく頷いた。

 

「よかった。とりあえず俺の近くにいた方がいいよね」

「一刀……、あなたね」

「いいじゃないか。そうでもしないとあまねちゃんも納得しないだろう?」

 

 自分の命を狙っている者をそばに置こうとする一刀にあまねは軽く驚きを覚えた。

 天の御遣いは敵だった者にも情けをかけると聞いていただけにそれが真実なのだとあまねは思った。

 

「いいの?」

「ああ。ただし覚悟しておいてくれよ。君のように可愛い子がきたら俺の娘達がよってたかって押し寄せてくるからな」

 

 すぐに仲良くなる事間違いなしと付け加えて笑う一刀にあまねは彼を真っ直ぐに見ていた。

 

「どこにも帰る場所がなければうちにおいで」

「みつかい…………」

「おっと御遣い様はやめてくれ。北郷か一刀でいいよ」

 

 一刀は苦笑しながら言うとあまねはそっと手を伸ばして彼の頬に触れた。

 

「本当にいいの?」

「まぁ嫌になったら出て行ってもいいし、俺を殺してくれてもいいよ」

 

 できれば彼女には平穏な日々を過ごして欲しいと願い一刀。

 あまねはしばらく考えて、そして答えを出した。

 

「わかった。傍にいる」

「そうか。よかった」

 

 一刀はあまねの頭を撫でると彼女はじっと成すがままにされていた。

 

(これでよかったのかしらね)

 

 雪蓮はそんな二人の様子を見て軽くため息をついたが、これ以上の危険性がないことを感じて苦笑いを浮かべた。

 江陵城に戻った一刀達を出迎えた華琳は一刀が連れてきたあまねを見てこう言った。

 

「あら、この子って司馬家の者じゃない」

「司馬家?」

「ええ。司馬家というのは名家なのだけど、流行病でその一族のほとんどが病死したのよ。それで生き残ったのがこの子とその兄だけ。たしか貴女は司馬懿だったかしら?」

「…………」

「司馬懿?」

 

 一刀はその名を聞いて思い出した。

 あの諸葛亮孔明の宿敵であり何度となく押し寄せてきた蜀軍をことごとく跳ね除けた名将だった。

 そして最後には彼の子孫が魏を乗っ取り晋を建国するに至った。

 

(あの司馬懿がこの子なんだ。しかも兄が赤壁で死んだ事になっているなんて)

 

 自分の知っている歴史とはかなり歪曲されていることに違和感を覚えたが、今はそんなことはどうでもよかった。

 

「幼いけどなかなかの才能の持ち主で私からの仕官の誘いを何度も断った挙句、一刀のところにいるってどういうことかしら?」

「それは」

 

 一刀は華琳に事の次第を話した。

 

「なるほどね」

 

 華琳は納得したかのように頷き踵を返した。

 

「華琳?」

「あなたの侍女にするならば問題ないわ。それに私よりもあなたを選んだってことはある意味で正しい事かもしれないわね」

 

 そう言って自室へ戻っていった。

 

「あまねちゃん…………じゃなくて司馬懿ちゃん」

「天音いい」

「……天音ちゃん、かり……曹操からの誘いを断ったって本当なのか?」

「興味なかったから」

 

 幼いながらも才能があると見抜いたからこそ華琳は年齢に関係なく自分の手元に置こうとしたが失敗した。

 そして復讐から一刀と出会い侍女としてこれから過ごす事になる。

 奇妙な縁といえばそうなる。

 

「それに今は復讐するほうが大事」

「天音ちゃん……」

 

 隙あらば命を狙ってくる天音に一刀は微笑んだ。

 

「ねぇパパ」

「なんだ?」

「誰の子?」

「…………氷蓮」

「ん~?」

「久しぶりに拳骨でも落とそうか?」

「冗談よ♪」

 

 冗談にしてはあまりいい気がしなかったが、あえて一刀はそれ以上何も言わなかった。

 

「よろしくお願いしますね。司馬懿さん」

 

 礼儀正しく挨拶をする彩琳に天音は何も反応を示さなかった。

 その幼さに目を細めて眺めている彩琳は天音の手を掴んで自室へ案内をしていく。

 

「なんだか訳ありね。でも楽しくなりそう♪」

 

 彩琳と天音の後を追いかけていく氷蓮を一刀と雪蓮は苦笑いを浮かべて見送った。

 賑やかになるかなと内心で思いつつ雪蓮と自室に戻る途中、一刀は彼女のような者をこれ以上増やさないためにどうするべきか考えた。

「それにしても一刀は本当に見境がないわね」

「なんだよ、華琳まで」

「あら、事実でしょう?」

 

 意地の悪い笑みを浮かべる華琳。

 彼女からしても長年自分の好意を受け取りながら娶ろうとしなかっただけに、多少の嫌味を含ませていた。

 

「あのな、彼女は俺を仇だとは思ってもお嫁さんになろうなんて絶対に考えていないからな」

「それはあの子が決める事でしょう?」

 

 いくら事情があるとはいっても一刀の傍に長いこといればそうなるであろうと華琳だけではなく雪蓮も思っていた。

 

「華琳、貴女も一刀のめいどにでもなっていたらよかったのよ。そうしたら今頃、もっと違っていたわよ」

「そうね。でも、今の幸せ悪くないわ。それにこの私を放置して諸国を回るほどの度量があるのはたいしたものよ」

 

 華琳は一刀とは別にある意味で異彩を放つ『あの』華陀と結婚をしたことは一刀達を驚かせるのに十分だった。

 そして彼女もすでに八人もの娘を授かり、一刀に負けない子煩悩ぶりを発揮していた。

 

「それに蓮華があなたの息子を授かれば私の夢を娘達に託す楽しみができるってものよ」

「華琳の夢?」

 

 不思議そうに華琳を見る一刀。

 それに対して微笑む雪蓮と華琳。

 

「華琳さん、それって劉禅ちゃん達にも好機があるってことですよね?」

「そうよ。だから今のうちにしっかりと育てておきなさい」

「はい♪」

 

 一刀のわからないところで話が進んでいく中、雪蓮はそっと彼の耳元で囁いた。

 

「もしかしたら一刀以上に種馬になるかもしれないわね」

「あのな、まだ男かどうかもわからないのにそういうこというか?」

「あら、私は可能性を示しただけよ?確実だなんて一言でも言ったかしら?」

 

 雪蓮の勝ち誇った言葉に一刀はため息を漏らすしかなかった。

 

「それよりもいいの?」

「何が?」

「司馬懿のことや皇帝のこと」

 

 雪蓮に指摘され一刀は少しだけ考え込んだが頷いた。

 だがすぐには結論を出すことは避けた。

 

「この一月できちんと自分で調べたいんだ。それから結論を出すさ。雪蓮」

「な~に?」

「俺はきっと自分の力量以上の位に就くと思う。だからたくさん迷惑をかけるかもしれない。それでも傍にいてくれるか?」

「あら、私は今までもこれからもずっと一刀の傍にいるのよ。そんな問いは愚問でしょう?」

「それでも聞きたいんだ。俺がきちんとやっていけるように」

 

 一刀の真面目な表情を見て雪蓮はしばしその様子を眺めていたが、やがて柔らかな微笑みを浮かべた。

 

「ええ。どんなことがあっても私はあなたの傍にいるわ。たとえ他の子があなたを見捨てても私はあなたを最後まで見捨てないわ」

「ありがとう、雪蓮」

 

 長年、寄り添って生きてきた二人にとって一刀が皇帝になろうがならまいがまったく関係のないことだった。

 お互いになくてはならない存在。

 そんな二人の様子を華琳と桃香はやはり羨ましそうに見守っていた。

 

「いいわね。なんだかあの二人を見ていたら羨ましいわ」

「そうですね」

 二人にとって今の幸せが物足りないというわけではなかったが、常に寄り添っている一刀と雪蓮の姿を見ているとそう思わずにはいられなかった。

 

「一刀」

「うん?」

「司馬懿のことも頼んだわよ」

「出来る限りのことはするさ。でもそれでもあの子が仇討ちをやめようと思わないときはそれを叶えさせてもいいかもって思っているよ」

「呑気なものね」

 

 自分の命すら差し出そうとしている一刀に呆れる華琳だが、そういう一刀だから自分達の頂点に立つにふさわしいと思っていた。

 力ではなく言葉では言い表せない何かが彼女達を引きつけている。

 

「まぁあなたにそんな素振りを見せたらあの子にも死ぬよりも恐ろしいことを味あわせてあげるだけよ」

「華琳が言うと洒落にならないな」

「あら、冗談なんかじゃあないわよ?」

 

 北郷一刀を害する者はどのような末路が待っているのかその身にしっかりと刻み込む。

 雪蓮だけではなく華琳、桃香、それに蓮華は常にそう思っていた。

 

「とにかくあなたが皇帝になってくれたらの話よ」

「なんだか妙な気分だな」

「それが嫌ならさっさと決めなさい。一月も時間をあげたのだから考える余裕はあるはずよ」

 

 まさか数日で結論に辿りついたなど言えない一刀は苦笑いを浮かべた。

 

「華琳の言うとおりね。決断が遅くなればなるほど大変なことになるかもしれないわね」

「雪蓮まで脅かすなよ」

 

 自分の考えを知っているであろうと雪蓮の意地の悪い笑み。

 桃香も何か言いたそうだったが、一刀を追い詰めてしまい可哀想に思えたため何も言わなかった。

 

 

「楽しみにしているわよ。行きましょう、桃香」

「あ、はい」

 

 華琳と桃香はそう言って城内に戻っていった。

 

「まったく華琳は鋭いよな」

「そうね。でも華琳も薄々わかっていると思うわよ」

 

 一刀を皇帝にする。

 それが運命なのだろうかと一刀自身は思った。

 

「数日で考えを変えたこと知ったら何て言われるだろうな」

「たぶん、そうって言うだけよ」

 

 華琳の性格を考えれば雪蓮の言うとおりだろうと一刀も納得できた。

 

「きっとこれからも色々と大変よ」

「そうだな。とりあえず雪蓮がいつも傍にいてくれるのであれば何も問題ないさ」

「あら、私は権力なんて持つつもりはないわよ。あくまでもあなたのお嫁さんなんだから♪」

 

 もはやただの女人として生きている雪蓮にとって権力などどうでもいいものであった。

 それよりも一刀の傍にいる幸せを感じている方が幾万倍も価値のあるものだった。

 

「でもどうしてもダメだって思ったら甘えてくれていいわよ♪一刀ならたくさん甘えさせてあげる♪」

「それは楽しみだな」

 

 二人にとってそれは当たり前のことだった。

 だが、皇帝として生きるのであればそればかりをするわけにもいかなくなる。

 皇帝が腐敗すればそれは国自体が腐敗し、それが乱世への引き金にもなりかねなかった。

 

「とりあえず頑張りましょう」

「そうだな」

 

  今の彼らにはそれしか言えなかった。

 それから一月の間、一刀は精力的に行動をした。

 まず過去の戦で家族を失った者達に一律の見舞金などを与える事を提案し、孤児がいれば保護施設を造り自立できるまで面倒を見るように華琳や桃香に伝えた。

 

「無制限というわけにはいかないけれど、一刀の提案には見るべきものがあるわ」

「そうですね。私も賛成です」

 

 魏王と蜀王から賛同を得た一刀はすぐに実行をした。

 すると想像していた以上に戦の為に大切な人を失った者が多く、そして今でも苦しんでいる者もいた。

 

「それと俺もいろいろと調べたけど、華琳の言うように三国間で不穏な空気が流れていた」

「そうでしょう?」

「そこでだ。これを失くすためにどうするべきか考えた」

「それで?」

「三国という一見、安定しているかのように見える現状では遠からず破綻をきたす。そこでそうなる前に三国をまとめた新しい国を造ろうと思う」

 

 ようやく決心がついたかと華琳は思った。

 それと同時に自分達が望むとおりになるものだと思っていた。

 

「そこで華琳から以前、俺を皇帝にしようという意見が出たけどそれについて解答をするよ」

 

 静まり返る部屋の中。

 雪蓮、華琳、桃香の三人はじっと一刀を見守る。

 

「俺はみんなが思っているほど力もなければ才能もない。でも、誰かが苦しんでいることを見過ごす事は出来ない。きっと不平不満が出てくることは間違いない。それでも誰かが立たなければならないとこの一月、調査をしていて痛感したんだ」

 

 そこで一度言葉を切って一刀は三人を見渡した。

 

「一つの国にすれば今よりもましになるかもしれない。もしかしたら新しい問題が出てくるかもしれない。そのときにはみんなの力を貸して欲しい」

 

 誰もが感じ取った。

 北郷一刀は自分達の望んだ結論を出そうとしているのだと。

 

「新しい国の皇帝になる。だからみんな、俺と共に新しい国を造って欲しい」

「一刀……」

「一刀さん……」

「ようやく決意したわね」

 

 華琳は立ち上がり一刀の傍にやって来て、膝をついて礼をとった。

 

「曹孟徳、天の御遣いに変わらぬ忠誠をここでお誓い申し上げる」

「華琳……」

「安心しなさい。あなたを利用しようなんて思っていないわ」

 

 華琳が微笑むと一刀も頷いて見せた。

 それを見て桃香も立ち上がり、一刀の傍に行き同じように膝をついて礼をとった。

 

「劉玄徳、天の御遣い様と共に民が幸せに暮らせる世の中を造ることをお誓い申し上げます」

「桃香……」

「一刀さんなら大丈夫です。だから頑張っていきましょう」

 

 凡庸ながらもその人柄によって数多くの名将が集う桃香に一刀は協力を改めて求めた。

 最後に雪蓮が立ち上がり一刀の前に膝をついて礼をとった。

 

「呉王、孫仲謀の代理として天の御遣いに心からの忠誠と愛を持ってお慕い申し上げることをここで誓約いたします」

「雪蓮、ありがとう」

「それはこっちの台詞よ♪」

 

 雪蓮の微笑みに一刀は頷いた。

 こうしてここに天の御遣いである北郷一刀を中心とした新しい国造りが開始された。

 その様子を侍女として身の回りの世話をしていた天音は何一つ表情を変えることなく、また何も言わずにただ静かに眺めていた。

 その夜。

 一刀は夕食会を抜け出して天音と共に庭に出ていた。

 

「こんなことをしても失った人が戻ってくるわけではないのはわかっている」

「…………」

 

 夜空を見上げている一刀の後姿を黙ってみている天音。

 

「今なら俺を殺せるよ?」

 

 わざとらしく言う一刀だが、後ろから殺気が感じられないためか無防備でいられた。

 

「天音ちゃん」

「…………?」

「もしよかったら最年少の宰相になってみないか?」

「宰相…………?」

 

 皇帝の次にその権力を持つことが出来る宰相。

 それを侍女である天音になってみないかと一刀は提案をした。

 華琳から天音の才能は将来、一国の宰相になれるほどだと一刀は聞いていた。

 

「これは俺の我侭だ。だから断ってくれてもいい」

 

 一刀は三国を統一するに当たって自分を補佐する人物が必要だった。

 ただし三国からではなくそれとは無関係な者になって欲しいと思っていただけに、天音の存在はピッタリだった。

 どの国から出しても雪蓮達のように将は納得できても兵卒や民が素直に納得するとは思えなかったためでもあった。

 

「それに俺の傍にいるならば宰相になっておいた方がいいだろう?」

「…………わかった」

 

 短く答える天音に一刀は彼女の方を振り向いた。

 

「そしてゆくゆくは天音ちゃんにこの国を任せたいと思っているんだ。君のような人をこれ以上作らないために、その痛みや悲しみを知る君にお願いするよ」

「…………」

「どうかな?」

「…………」

 

 無言で答える天音に一刀は頷いた。

 自分に対する贖罪といえば聞こえはいいだろうが、一刀にとって天音のような者を心の底から救いたいと思っていた。

 だからこそ天音に協力して欲しかった。

 たとえ幼くとも、自分の我侭といわれようとも。

 

「これからよろしくな、天音ちゃん」

「…………」

「それとこれを返しておくよ」

 

 一刀がポケットから取り出したのは天音がおそらく大事にしているであろうお守りを差し出した。

 それを天音は黙って受け取り、礼をとってその場から離れていった。

 そして一人残された一刀は夜空を見上げた。

 

「いいの?」

 

 不意に雪蓮の声が聞こえてきた。

 

「うん。コレが一番いい方法なんだと思う。あの子のように俺を憎んでいる人はたくさんいる。だからこそ、そういう人達を救いたいんだ」

 

 一刀は自分のせいで苦しんでいるのであればそれは自分の責任であり、どうにかしてあげたいと思っていた。

 

「甘いわね」

「そうかな?」

「ええ。甘すぎて反乱を起こしたくなるわね」

「おいおい」

「でも、それがあなたらしいわね。いいわ。あなたに敵対する者は私達がすべて叩き潰してあげるわ。だからあなたはあなたのすべき事をしなさい」

 

 雪蓮の言葉に一刀は感謝をした。

 自分には過ぎた人物であり愛すべき妻。

 

「頼りにしているよ」

「頼りにされるわ♪」

 

 雪蓮は一刀に近づいていき、そんな彼女を一刀は肩を抱き寄せた。

 


 
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