今宵の町の灯りは消えそうになかった。
新王が誕生したティエンランの城下では、どこの街角でもどんちゃん騒ぎで大盛り上がりだ。
リウヒとシギは宿の一室、ベッドの上で抱き合っている。甘い雰囲気は一切なかった。明日への希望と新しい王を称える声や、楽しそうな笑い声が窓の外から、絶え間なく聞こえる。
セイリュウヶ原から都に登ったあの高揚感、上意の礼の感動が過ぎ去ってしまえば、後に残ったのは戦で現実に経験した、殺し合いの恐怖だった。
「未だにこの感触が残ってるんだ」
シギがリウヒの腕の中で、震えながら言う。
「剣が人の体を突き刺した時の感触が手に…。あっけないほどずぶずぶ入っていって、そいつは倒れたんだ。多分死んだんだろう。他も血が飛んで…なんか臓器みたいなものが出てきて…。なあ、リウヒ。おれは人を殺したんだ。それも何人も」
「うん…」
「何人も殺したんだぞ。どうして逮捕されないんだ、これは罪だろう。死刑だろう。あの人たちも、奥さんがいて、子供がいて、父親の帰りを待っていたのかもしれない。恋人がいて、結婚の約束をしていたのかもしれない。おれは、犯罪者なのに、人を殺したのに、どうして…」
「でも、シギが助けてくれなかったら、わたしは死んでいた」
ねえ、シギ。聞いて。
「あそこで、人を殺さなければ、シギは生きてなかったんだよ。わたしだって、生きてなかった。今まで、人が死んでいくのって他人事だった…」
祖父や祖母の葬儀は、あまりにも儀式化し過ぎていて実感が湧かなかった。テレビの中は、自分と関係のない遠い所の出来事だった。ドラマだろうが、映画だろうが、ニュースですらも。
だから、イベントにでも参加する気持ちで戦に出た。実感と恐怖は後から襲ってきた。
行くべきではなかったのだ。
あの数々の死体。漂っていた濃い血の匂い。狂ったように殺し合う人々。
それでも。
「わたしは、シギとカスガが生きていてくれただけで、嬉しい」
抱いている腕に力をいれると、オレンジ色の頭に顔をうずめた。
****
酔いに任せて、見知らぬ人たちと抱き合い、肩を組む。どの顔も笑顔でいっぱいだ。
夜空の下、大笑いしながらも、カスガの心はあの戦のシーンを、繰り返し繰り返し再現していた。
ぼくは人を殺したのに、どうしてこんな所で笑っているのだろうか。笑えるのだろうか。
血と汗にまみれた体は、宿の風呂で落としたはずなのに、未だに生臭い匂いがする。
何人殺したんだろう。現代なら立派な犯罪者だ。死刑になってもいいくらいの。
だけど、あそこではそれが正しい行いだった。
なぜならば、それが正義だから。
宮廷軍を打ち破って、正しい王を宮に届ける。そんな大義名分があったから。
じゃあ、正義なら人を殺してもいいのか。
…分からなくなってきたな。
カスガは、疲れて段差に腰を下ろした。
多分、シギとリウヒも強いショックを感じているだろう。二人に遠慮して外にでたはいいが、一人で耐えられる経験ではなかった。
だって、ぼくたちは人を殺した。それも何人も。
参戦した民も同じだ。殺人を犯した人なんてそういなかっただろう。だけど、彼らは自分たちの生活を守る為に、あそこに行ったのだ。きっと今も、これからも誇りに思うだろう。
でもぼくたちはこの時代の人間じゃない。帰れるか分からないけど、未来の人間なのだ。
興味本位でついて行った自分たちとは、本気の度合いが違う。しかし、時間を戻してまた戦いに参加するかどうかと聞かれたら、カスガは一も二もなく、参加すると答えるだろう。どちらにしても、しばらくはトラウマになりそうだ。
遠くに見える宮廷は、かがり火が焚かれており、闇夜に幻想的に浮かんでいる。
新しい王に立った少女は、今頃何を思っているんだろうか。
****
王座は、少女の体には大きすぎた。
その豪奢な椅子の上で、リウヒは膝を抱えてただ一点を凝視している。
竜が花や飛沫や風を従えて、天に昇る様を掘った黄金の扉を。
夢のような楽しい時間は終わった。永遠に続けていたかった旅も終わった。
これからわたしはここで、このティエンランの国王としての務めを果たさなければならない。
だけど、わたしのとった手段は、最初から間違えていたのではないだろうか。
竜を睨みつける両目から涙が溢れてくる。
父王が崩御するまで待っていたら、戦はなかった。それは思ったよりも早かった。宮廷に自分が入った時、父はもう死んでいたのだ。
もう少し、あともう少しだけ待っていればセイリュウヶ原が、血に染まる事はなかった。宮廷軍だって、ティエンランの民だ。
シラギに丁寧に埋葬するよう頼んだが、あそこで命を散らせたものにも家族が、友達が、恋人がいただろうに。
小さく鼻を啜る。
わたしは、王の資格があるのだろうか。兄さまに、力ずくでも帰ってもらった方がよかったのだろうか。
柔らかい絹で包まれた膝は、涙でぐっしょりと濡れていた。
「陛下」
足音が聞こえて、目の前にシラギが膝をつく。
「…どうされたのです」
リウヒの目は相変わらず黄金の扉を睨みつけたままだった。
「己の不甲斐なさに意気消沈していたところだ」
そして、自分の声の頼りなさに再び情けなくなってしまう。
「お話を聞かせてはくれませんか」
優しいその声にリウヒは驚いた。この男は、こんな声も出せるのか。そして、シラギに導かれるまま、ぽつぽつと語り出した。
「リウヒ」
武人の美しい手は、白い頬を伝う涙をそっと拭った。
「あなたは、あなたの正しいと思ったことをやった。そしてその判断は、わたしは間違っていないと思う」
静かに言い聞かせるようにシラギは言葉を紡ぐ。王座に座る少女に跪き、その頬に掛かる涙を拭いながら。
「第一、最初から完璧な人間などいない。なんでも一人でやろうと思うな。リウヒの周りには、わたしたちがいる。そして王を支える臣下たちがいる」
「でも、これからも、みんなに甘えるわけには…」
「甘えではない。リウヒ。よく考えなさい。無理をして王が倒れたらどうする。臣下は、民は不安に思い動揺するではないか」
「そうか…」
「そうです」
安心させるように笑うと、シラギは立ち上がった。手を差し伸べる。
昔と変わらず黒一点を纏う男をリウヒは見上げた。そしてその手に、自分の小さな手をのせた。
「東宮では、三人娘とあの連中が待っている。遅れるとトモキがうるさいぞ」
リウヒも小さく笑った。
「ありがとう、シラギ。お前は頼れる男だな」
「お褒めいただき光栄です」
「ずっとわたしの傍にいてくれ」
シラギはなぜか、一瞬身を固めたが、嬉しそうに微笑んだ。
「御意」
****
王女が見事な上意の礼をしてから数日が経った。
税は瞬く間に元に戻り、治安も緩やかに良くなってきている。
チームカスガの三人も戦のショックから少しずつ立ち直っていった。
が、シギは、リウヒたちの前では何でもない振りを装うものの、寝る前に色々考え始めると、もう止まらなかった。
人を刺した時のあの感覚。戦場の匂い。敵が向かってきた時の恐怖。
体は勝手に震え始め、後悔と胸の痛みが襲ってくる。
横で寝ているはずのリウヒが、敏感に察して慰めるように抱きしめてくれた。
「大丈夫だよ。あそこで亡くなった人たちは、みんな新しく生まれ変わるんだから。またこの世に生まれてくるんだから」
「なあ、リウヒ」
違う事を考えたくて、息を吸い込む。
「なあに?」
「お前が見た、おれの前世の人はどんなだったんだ」
「うーんとね、他の人とは着てるものが違って…多分、海賊だと思う。鍬とか鋤とかもってなかったし」
そうか、やっぱり海の男だったのか。
「ねえ、シギ」
「ん?」
「現代で宮廷跡に行った時さ、ほら、初めてキスした時…。シギはどんな声が聞こえた?」
なんで、また今更…。
「この娘と離れたくない、でもこいつはここから動けない。おれと一緒に来てくれ。お前を愛しているんだ。だけど言えない。言えばお前は困るだろう…って。すごく悩んで葛藤していた」
「お願い、わたしの前からいなくならないで。あなたがこのまま、わたしを残して去っていくのなら、一緒についてゆきたい。でも、それは叶わない。恋する男について行く事もできない…って、わたしの中の声はした」
シギは思わず身をおこしてリウヒを見る。
「分からないよ。でも、もしわたしの前世が王女で、シギの前世があの海賊の青年だったら…」
「どうでもいい」
そんなこと、どうでもいいとシギは思う。
「おれはお前さえいれば、それでいい」
細い体を抱きしめると、リウヒも腕を回した。
「そうだね。わたしはわたしで、シギはシギだもんね」
「よくなーい!」
甘いキスをしていたシギとリウヒは、仰天して慌てて離れた。
「なんだよ、カスガ。驚かすなよ…」
「あー。びっくりした。寝てたんじゃなかったの」
「バカップル!このバカップル!いちゃつくの禁止って何度言ったら分かるんだ!一人淋しいぼくの気持ちも考えてよね。それに、二人の前世が王女と海賊の男なんて、すごいことじゃないか!」
しまった、古代オタクの魂に火が付いてしまったらしい、とバカップルは顔を見合わせた。
「うんうん、すごいすごい。さ、寝ようか」
「どうして、君たちはいっつもいっつも、感動が薄いんだ…」
ため息をついてカスガがベッドに突っ伏す。
「だってさあ、前世を知ったからって、別にどうなるわけでもないしさあ…」
「このリアリストめ」
「カスガがロマンチストすぎるの」
「とにかく、もう寝ようぜ。カスガの前ではいちゃつかないからさ」
「おやすみー」
蒲団をかぶると、リウヒがひっついてきた。そっと唇を合わせてくる。ばれなきゃいいんだよね、と小声で囁く恋人にシギも小さく笑ってキスをした。
こいつがいるから、おれはあの恐怖を忘れることができる。カスガがいるから、笑うこともできる。
「ばれてるよ。本当に君たちは、超がつくほどバカップルだよ…」
不貞腐れたようにカスガが言った。
****
不思議でならない、とカスガは首を捻る。
どうして、この馬鹿二人は自分たちの運命をあんなに簡単に考えるのだろうか。
宿の朝ごはんを食べながら、目の前で話しているリウヒとシギを見る。
一千年前から何度も生まれ変わっている魂が、導き合ったというのに。しかも現代から古代へとタイムスリップし、本人たちが生きている時代に。
さらに言えば、ティエンラン史上、最も有名な王女と、恋の叶わなかった海賊の青年じゃないか。
確かに、リウヒはリウヒだし、シギはシギだ。王女たちと同じ人生を辿るとは限らない。
だけどこの二人は、宮廷跡で声を聞いたと言っていた。前世の記憶と何か共鳴したのだろうか。だったら、もっといろんな所に連れまわせば、いろんな記憶を引っ張り出せるのかもしれない。ここよりも、現代の方がいいのかな。なんたって、王女はまだ海賊の青年に会ってないし。
「なにニヤニヤしているの、カスガ」
「どうせ、ロクでもねえこと考えていたんだろう」
「んー?いやー。そろそろ現代に帰った方がいいのかなー、なんて」
ふうん、とリウヒとシギがきょとんとした。
「わたしは帰っても、ここにいてもどっちでもいいけど」
「おれも」
どうやらバカップルはお互いがいれば、それでいいらしい。
「じゃあ、後であの洞穴にいってみようよ。あ、その前にゲンさんに会っておきたいな」
「ゲンさんは…」
二人から、あの親切親父の状況を聞いていても、カスガは会いたかった。
「いたたまれないかもしれないけどさ。すごくお世話になったから、あいさつだけしておきたいんだ」
「分かった」
リウヒが頷いた。
「わたしは、バイト先の商家にもう一回行ってみる。もしかしたら、帰ってきているかもしれないし」
シギもリウヒについて行くという。正午に都の門の前に集合することを約束し、カスガたちは宿を出た。
宿の裏にいたゲンさんは、カスガの顔を見るとものすごく複雑な顔をした。戸惑い、喜び、申し訳なさが見て取れた。
[お久しぶりです、元気そうで良かった]
[…本当に申し訳ない。このわしを許してくれ]
いいんです、そんなこと。ゲンさんのおかげでぼくらは、ここになじむことができたんですから。
カスガが笑うと、親父は涙をぼろぼろとこぼした。
[また、縁があったらゲンさんの宿で働かせてもらえますか]
声にならないのだろう、まるで子供のように、コクコクと頷く。
[いろいろとありがとうございました]
丁寧に礼をすると、カスガはにっこり笑って、踵を返した。
****
バイト先の商家は何度声をかけても、返事はなかった。
「どこにいっちゃったのかなあ…」
あの子供たちに堪らなく会いたい。リウヒはシギと手をつなぎながら、トボトボと歩いていた。
「きっとどこかで元気にしているさ」
「この時代にケータイがあったらなあ…」
メールや電話でとこにいるのって聞けるのに。
「おれのケータイも財布も売られてしまったなぁ」
「わたしのも」
ゲンさんに預けて、売られてしまった。
「現代で地層から出てきたりして」
「あり得るな」
クスクスと二人は笑った。一千年後の現代がすごく遠くに感じる。人間って、その土地に馴染んだら、以前いた所は現実感が無くなってしまうんだな。
「あっちはどれぐらい時間が経っているんだろう」
もうリウヒは二十三歳になってしまった。普通に暮らしていれば大学を卒業して、就職しているはずだ。でもなんだか、二十歳のままで止まっている感じがする。
「帰ったら時間がたち過ぎて、何もない世界だったりして」
「核戦争で全てが破壊されて、汚染された世界だったりして」
そんな事を考えると、恐ろしくて帰るのが怖くなる。
「どんな世界だろうと、おれはリウヒがいればいい」
繋がっている手がぎゅっと握られる。心がキュウと捩れて、ふいに涙が出てきた。
「シギ」
「ん?」
「大好き」
手を握り返すと、そのまま引っ張られて抱きしめられた。大通りの真ん中で、深いキスを何度も何度も交わす。周りの冷やかしの声は、二人の耳に全く入ってこなかった。
****
二人で手を繋いで、正午までの時間、城下を歩き回った。
もし現代に帰れたら、多分二度とここには来ないだろう。一千年前の古代には。
帰るのが惜しい気もする。秩序と自然が融合された美しい世界。
同時にとてつもなく帰りたかった。排気とオゾンに汚染された空気の、ごちゃごちゃしたあの現代に。
母はどうしているのだろうか。もしかしたら、なくなっているのではないだろうか。自分が時空の果てで恋にうつつを抜かしている間に。それを知るのが怖かった。
「シギ。そろそろ門にいこう」
「そうだな」
なんとなく、山を見上げた。曇天の下でも宮廷は、圧倒的な存在感を放っている。
あの小さな王女は、あの中で王座に座ってこの国を治めているのだ。
お前の話も聞かせてくれ。
シギに思われているその人が、少しうらやましい。
ちょこんと椅子に座って、恋に恋するような目でシギを見つめた、小さな王女。
「わたしたちが教わっていた歴史ってさ」
横で同じく宮廷を見ていたリウヒが言った。
「全てが真実じゃないんだね」
研究者は、実際にその時代に行って見たり聞いたりした訳ではない。残された資料や遺跡を元に憶測し、推測する。願望もある。その資料自体がそうかもしれない。
「なまじ知っているからさ、有名人を見る感じで面白かった」
「王女と内緒話をするくらいだったもんね」
棘はなく、柔らかい言い方だった。
お前もハヅキとキスしただろう。内心苛立ちながら、シギは繋いでいる手に力を込めた。
勉強不足のリウヒが知らないだけで、あいつもある意味有名人なんだぞ。
「わたしも、王女と話してみたかったなー」
シギの心に全く気が付かず、呑気に言った。
柳に囲まれた大通りに出た。石畳に整備された美しい一本道。背には宮廷、目前の城下の門では、カスガが壁に凭れて待っていた。こちらに気が付いて手を振っている。
「なんだか、また旅をするみたいな気分だな」
「もし、あっちに帰れなかったら、イーストエンド大陸を巡ってみたいな。海の向こうも」
「いいな、それ。楽しそうだ」
「クズハとチャルカに行ってみたいんだー」
「どうせ、白亜の王宮の見物と、チャルカで食いまくる気だろう」
「あ、ばれた?」
笑いながら、繋いでいる手を振った。
「君たちはさ。遠くからみているとさらにバカップルだよね。ていうか幼稚園児のカップルみたいだったよ」
「えっ?そう?」
「褒めてないよ。褒めてないからね」
三人は改めて、真正面に鎮座している宮廷を眺めた。
なんだか、ここに来た時を思い出す。どっかの国のテーマパークと勘違いしていたあの時を。
「帰りたいような」
「帰りたくないような」
リウヒとカスガも、シギと同じことを感じているのだろう。
なんとなく横一列に並んだチームカスガは、同時に深い礼をした。
ティエンランの愛する天の宮と、小さな国王に向かって。
横にいた白髭の門番が、目を白黒していた。
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ティエンランシリーズ第三巻。
現代っ子三人が古代にタイムスリップ!
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「わたしたちが教わっていた歴史ってさ。全てが真実じゃないんだね」
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