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【 姉妹 の件 】
〖 飯盛山城 試合会場 にて 〗
久秀が何を書き出すかと皆が固唾を呑みこみ、動く大筆の行き先へと注視する。
ちなみに、紙の位置は颯馬の書いた文字に並べるように、少し距離を置いて横に伸ばし設置。 監視しやすい様に配慮した結果だと思われる。
そんな紙に久秀は躊躇なく筆先をつけたと思えば、力強く押し込み『真っ直ぐに』勢いよく走り出した。
「────颯馬と同じ? 久秀殿は何を考えて……」
久秀の成そうとする有り様に、颯馬の味方をする陣営の一人、武田家姉妹の妹『武田信廉』が久秀の行う行動を訝(いぶか)しむ。
この席は、三好長慶の肝煎により、急遽造られた試合の観覧できる貴賓席。 各国の有力大名当主が訪れたとの聞いての配慮である。
本来ならば当主の席だけで充分なのだが、武田家の当主であり、信廉の姉でもある『武田信玄』の体面と病弱な体調を憂慮して同席していた。
その席は特別な席だけあり、三好家当主の近くに設置され、試合の様子を何者にも邪魔されずに、近場より観察ができたゆえに出た言葉。
松永久秀と言えば、遠く離れた甲斐国にも聞こえる三好家の重鎮。 しかも、類まれな数奇者(すきしゃ)であり、信廉自身も個人的に興味があった。
しかも、三好家の暗部である謀略、諜報等は、全て松永久秀の手腕であるとも聞いている。
そんな人物が、まさかの行動に移るとは考えられない。
現に、『自分と同じ文字を書いたら敗北』と颯馬自身が試合前に宣言していた。そのまま実行すれば、自分の想い人と同じ字になるのは確実。
そんな考えが頭から離れず、気付けば無意識に言葉として口から出てしまったのだ。
そんな切れ者が、わざわざ禁じられた模倣を行うなど、何が理由なのかと。
「それは短慮という物ですよ、信廉」
「─────ッ!?」
そんな自分へ唐突に声が掛かり、思索に耽(ふけ)いっていた信廉は、思わず声のした隣へ顔を向ける。
信廉の敬愛する武田当主の武田信玄が、何時もの対外的な厳めしい表情ではなく、親愛を持った優しい微笑で見つめていた。
姿形は瓜二つと言われ、長年に渡り姉の影武者を務めていた信廉だが、この姉の洞察力の鋭さ、機知の早さに、今も及ばないと内心で舌を巻く。
だが、自分を心配している様子も痛いほど伝わるため、素直に疑問を投げ掛けた。
「あ、姉上! それでは、何か考えがあってとの言うことですか? 私には全く………」
「落ち着いて考えを巡らしなさい。 貴女より外の情報に疎い私ですら気付けたのです。 視野を広げて見れば、必ず気付く事ができますよ」
信玄は事もなげに答えるが、信廉としては実に困る言い方だ。 姉に見えている物が自分で見ている物と同じでも、その中身まで一緒と限らない。
幾ら何でも手掛かりがないと、思案している信廉に、やれやれと呆れた様子を示す信玄が助け船を出した。
「先程の店で、颯馬と品定めをしてきたのでしょう? そこに何があったか思い浮かべなさい。 それが手掛かりになるはずですよ」
「あ………はいっ!! えっと、品定めを……颯馬と色々と……語りながら……」
「………二人で仲良く…………羨ましい……」
また悩む信廉に姉から嫉妬混じりの助言が告げられ、店での出来事を思い出そうとすれば、記憶は明確に忠実に脳内へ浮かび上がった。
言葉の一言一句、見た品や側にあった書き付けまでも。 事情ありきとはいえ、他国で二人きりの買い物という唐突な出来事を。
────言っておくが、
『己の才能は姉より劣る』と信廉自身は嘆くが、写実的絵画で積み重ねた観察力、日頃より姉の影武者となるべき学問や武術を習い努力した。
それはもう、政治経済は元より戦闘軍略まで、出来ぬことは無いと思われる英傑の姉が目標。
生半可な覚悟で、この道に挑む訳が無い。
だからこそ、それらは全て英傑を育てる糧となり、彼女を『もう一人の武田信玄』とたらしめたのだ。
因みに、本人は記憶しているが知らないが……
過去に姉の影武者として戦場で相対し、その結果『あんな奴が二人も居てたまるか!』と認めた、何処ぞの元強敵さんからの太鼓判付きである。
閑話休題
「南蛮渡来の商品を見ながら、楽しく会話……じゃなく、店にあった品書きをじっくり眺めて金額の確認して。 えっと、それから……………えへっ」
「何を惚けた顔をしているのですか! と言うより、貴方達は何をしていたのです!? ま、まさか、私の知らないところで、颯馬と─────」
こうして、ようやく得心した信廉は姉に感謝するのであったが、その姉は……少しの間だけ、端正な顔の頬が膨らみ、大層機嫌が悪かったそうだ。
◆◇◆
【 姉弟 の件 】
〖 飯盛山城 試合会場 にて 〗
このやり取りの最中、別の姉弟間でも繰り広げられていた。 奇しくも、同じ範囲内であり、しかもこちらは主催者側である。
「─────ちっ! 久秀のやつ、結局は颯馬の書いた物の尻馬に乗かってるだけじゃねぇか! 大言壮語もいい加減にしやがれってんだ!!」
「そんな詰まらない真似をする久秀ではない事、お前も理解しているのでないか、一存?」
「……………………ふん!」
こちらも姉弟仲こそ良好なのだが、どうも味方である松永久秀に対し、見解が著しく食い違い、同陣営であるのか疑わしい程の有り様だ。
三好家当主の『三好長慶』にとっては、綺羅星の如く居る優秀な人材の中で、特に頭角を現す久秀を重宝し、自分の片腕として目に掛けている。
だが、長慶の弟である『十河一存』は、武に秀で鬼十河の渾名がある程の猛将。 しかし、久秀に後ろ暗い物を感じ、露骨に嫌っていた。
「相変わらず一存は久秀を嫌うな。 三好家の重臣、それも家宰たる久秀だぞ? 一存と共に私を支えてくれる、三好家の両輪なのだが」
「三好家や姉さんにとっては、そうだろう。 だが、アイツは絶対信用できねぇ! 必ず姉さんや三好家に恩を仇で返す奴だと!!」
「一存の心配は分かるが、これでも警戒をしている。 それに為政者たる者、清濁併せ呑む気概を示さず恐れてばかりでは、家中は治まらない」
「いやいやいや!! 清濁併せ呑もうが姉さんは全く酔わないじゃないか! 毎回毎回、一緒に店で飲めば、俺と颯馬の懐が壊滅状態なんだよ!!」
「誰が酒の話をしている! しっかり話を聞いてから反論しろ!! …………ったく。 この席で言わなくても、いいではないか…………」
長慶は気恥ずかしそうに辺りを見渡すが、お互いに内密な話は小声で喋っていたので、幸いにも観衆には声は聞こえなかったようだ。
ただ、周囲の護衛は少し身動ぎしただけで動かず、周辺で動く使いの者達は表情を固くして、口角を上げつつ足早々に通り過ぎて行く。
『松永久秀』からで始まる姉弟の口論は、既に下の者達にとって、三好家で日常的によく起こる、たわいもない姉弟間の戯れと思われていた。
◆◇◆
【 起因 の件 】
〖 飯盛山城 久秀の自室 にて 〗
時は、今より一年前。
夜遅く、久秀は自室にて、三好家に協力するという軍師『天城颯馬』を調査した書状が、黒ずくめの配下より渡されていた。
顔を隠す黒い布、同色で身体を覆う服装は、俗にいう『忍者』という存在と同じに見えるが、かの者たちは、久秀だけに忠義を誓った者である。
主に情報収集、暗殺等の影の仕事が多いが、忍者と違うことは只一つ。 久秀の調教により既に久秀無しでは要られない……『玩具』である事。
褒美は金銭ではなく、久秀に戯れてもらうのが、最高の褒美だったのだ。
『こちらを……』
『ふぅーん、まさか他国の軍師に相談するなんて、あの戰馬鹿にしてはやるじゃない。 国内ならまだしも、他国なら久秀でも手を回せないわ』
─────三好家の家中において、松永久秀については一部を除き、概ね好感を持たれている。
実際に困った者を見逃さず手を貸し、悩む者には声を掛けて相談して解決に導く。 そんな、善人の鏡のような将であったからだ。
だからこそ、久秀に好意を持つ者は増えても、嫌悪感を抱く者は少なく、嫌うのも長慶からの信頼による嫉妬、仕事上での逆恨みが主な理由。
だが、一存だけは……別の理由で嫌っていた。
巧みに振る舞う善人の顔の裏に、国や臣民、強いては敬愛する姉まで、己の野望の糧にしようとする狡猾な狂気を感じていたからだ。
だからこそ、自分には無い軍略や謀略を知り尽くす知恵者『軍師』を探し、隣国の『天城颯馬』を三好家に招いたのが始まりだった。
普通ならば、隣国と言えど同盟も組まぬ相手ならば、今日にも敵対する関係。
しかし、天城颯馬の現当主は元足利幕府将軍であり、名高き剣豪将軍の異名を持つ足利義輝。 だからこそ、鬼十河が相談を持ち掛けたという。
『はっ、策謀など面倒な考えする御仁じゃないだろう! あの御仁は、俺と同じ敵対する者あれば、自ら突っ込んで斬りに行く類(たぐ)いだ!』
後に、一存と飲み屋で飲んだ颯馬が『何故義輝様に相談を持ち掛けたのか?』と聞いた時の回答。
久秀が義輝の将軍追放に一枚噛んでいる事を知っていた颯馬は、その事を考えず己の才覚のみで決断した行動に、ただただ唖然とするだけだった。
まあ、当時は義輝も話を聞いて即快諾、颯馬に三好家に訪ねるよう命じたのだから、剣豪と鬼の豪傑同士に何かしら通じる物があったのだろう。
そんな訳で相談に乗れば、二人とも馬が合い、和気藹々(わきあいあい)になれば、話を聞いた三好長慶も顔を出し、これまた関心を持つ事になる。
そんな颯馬も三好家中の雰囲気、長慶の人柄、
友と認めた一存に親しみを覚え、仕える主君から許しを得てから、三好家の力になるよう動いた。
しかし、そんな動きを黙って見ている久秀ではない。 既に颯馬の話は久秀の耳目に入っていたが、どのような輩かを把握しようとしていた。
『天城颯馬、ね。 確か……有名な足利学校を出た割りには、幾つかの仕官先で直ぐに追い出された能無しと聞いているけど?』
『はっ、我らの調べでも仰る通りで。 しかし、足利家再興を成し遂げたのも、間違いなく奴の手腕かと。 詳細は、此方の書状にて……』
『いいわ、ありがと。 また何かあれば呼ぶから、大人しく待っていなさい。 いい子にしていたら、また可愛いがってあげるから』
『─────っ! は、はいっ!!』
黒ずくめは久秀より声を掛けられると、高揚した声を挙げつつ、室内から音を立てずに退出。
障子の閉まるのを確認すると、渡された書状を訝しげに見ながら、誰に聞かせる訳でもなく、薄笑いをしながら呟いた。
『……………報告された事は、全部知っていた事ばかり。 どうやら、剣豪将軍サマお気に入りなだけの有象無象な軍師では無いようね』
そう言うと、久秀は書状を手に取り丹念に読み込んだあと、室内にある文台(机)の上に無造作に置かれた、同じような書状の束の上に置く。
この束は全部、天城颯馬の情報を複数の配下に探らせ、各々から報告を受けた書状である。
その報告には、大同小異の内容が書かれていて、
久秀自身も颯馬の実績を調べてみたが、実績等の話は同じ事柄だったのだ。
久秀は考えを纏めるため、天城颯馬の大同部分を声に出して読み上げた。
『天城颯馬とは────』
【仕えていた国内で流浪していた『足利義輝』その実妹『足利義昭』を保護すると、瞬く間に家中を纏め主君を隠居させ、義輝を君主へと奉じる。
また、類い希な軍略や的確な指揮で周辺諸国を制圧、それらを全て足利家の物とし、全制圧地を献上して名声を挙げた、足利義輝の懐刀。
更に、仕える前に諸国漫遊の旅へ赴いていた時、旅費を稼ぐため主な大名家へ宿借りを行い、その縁で今も交流を持っているとの事。
それもどういう訳か、当主自ら積極的に文を送るなど、盛んに情報交換を望んでいる様子あり】
『………………………』
改めて要点を得た時、久秀の秀麗な顔が醜く歪む。 自分と敵対するのが、予想を上回る有能な軍師だった、ことでは無い。
久秀が感情が動いたのは、一存が危惧していた策略を、先に天城颯馬が実行していたからである。
久秀の策略とは、先ず家中の信用を得つつ邪魔者たちを消し、機会を待って長慶を廃し三好家中を牛耳り、その権力と武力で機内を掌握。
これを足掛かりに、拡大した圧倒的武力で他方を攻め、東西南北の日ノ本を燎原の火の如く、天下騒乱の戦火で覆い尽くさんという───
正に『天下布武』を文字通り、実行しようとしていたのだ。
『ふふふ……この久秀と、同じような策略を巡らしながら、久秀の結末と相違するなんて。 有象無象の者なら……始末するつもりだったけど……』
そんな久秀の醜く歪んだ顔が、突如として恍惚した表情を見せたと思えば、妖艶な笑みを浮かばせ上唇をユックリと舐めた。
先ほどまで、久秀の心を占めていたのは、驚愕と屈辱、嫉妬と憤怒。
自分の目指した大望を、僅かな期間で、迅速に手際よく、己が望んだ以上の成果を挙げた、天城颯馬の手腕に、自分が劣るのを許せなかった。
だが、やがて久秀の心には、それ以上に……歪んだ執着心が芽生えたからだ。
天城颯馬は伏龍鳳雛。
いや、もう一人の『松永久秀』とも言える者。
久秀と同じ権謀術数を巡りながら、近隣国を助け遠国へ誼(よしみ)を通じるのは、天下泰平という綺麗事を目指す者だ。
そんな天城颯馬を久秀の玩具として、久秀の道具して、久秀の一部として………手元に置きたいと。
手駒に変えてしまえば………
─────日ノ本を更なる狂騒に導かせる─────
『………気に入ったわ。 戦馬鹿の無駄な努力、どうやら役に立ちそうね。 天城颯馬とやらを捕まえ、久秀の新しい玩具にしないと………』
◆◇◆
【 勝敗 の件 】
〖 飯盛山城 試合会場 にて 〗
そんな双方での揉め事がある中、久秀は大筆を紙に走らせ一定の場所まで進めると、遂に足を止めて、大筆も用は済んだとばかり横に置いた。
久秀の書き上げた文字を一目見ようと、観衆は前へ前へとのめり込む様に進み、立ち入れる場までギリギリに近寄る。
「「「 ─────────!? 」」」
そして、紙に書かれた文字を見た者は、皆一様に疑問を抱き、少し経つと徐々に文字の意味を理解し、文字を書いた本人への非難が出始めた。
「久秀様は何を考えているのだ?」
「あれでは、天城に追随しただけではないのか」
「いや、久秀様のことだ。 何かしら……何かしら………考えが…………」
「……幾ら長慶様の肝煎とは言え、あのような不埒な者を御家に入れたのが、そもそも間違えというものよ……」
「全く、これでは御家の先行きは危ういわい」
「己の力量も弁えず、颯馬様を手に入れようとするからですわ。 でも、これで颯馬様が………!」
「ほう? かの松永めに苦汁を飲まされた者が、ようも吠えるわ。 だが、この尾張のうつけの目には、まだ終わりでは無い……と見えるがな」
双方を応援する陣営、特に久秀が与(くみ)している三好勢では、駭然と困惑の渦が巻き起こり、騒然となるのは当然である。
何故なら、久秀が力強く書き抜いた字は────
先に颯馬が書いたと同じ………『一』の文字であったからだ。
しかし、この行動は颯馬の行った作業の踏襲に過ぎない。 久秀の書いた文字が『漢数字の一』であれば、負けは確定だ。
「ハァハァ……まだ、最後の仕上げがあります。 申し訳ありませんが……大人しく待って………ハァハァ……頂きませんか?」
「……………………」
「み、三好家の名誉……そして我が主君のために、久秀は……ハァハァ……精一杯勝ちを目指しておりますので……」
だが、当の久秀は慌てず騒がず。
短時間とはいえ、自身の背丈より大きい筆を持ち上げ、長い紙へと文字通り走り書きを行った故に、多少息遣いが荒いが柔和な表情で語る。
美少女と呼ぶに相応しい、久秀の顔を見た見物客の多くは、赤面して口を塞いだ。
…………その言語の裏に『部外者は黙って見ていろ』との意味があるのは当然だった。
何故なら、久秀は近くの士分の者に命じて、書いた紙の位置を移動させる。 颯馬の書いた物と対比するような、横並びだった紙を縦にと。
そこに現れたのは、数字の『1』
正確にはローマ数字であるが、確かに颯馬が書いた文字とは意味は同じだが、書いた文字は違う。
城下でも南蛮の品を扱う店があるため、この数字に疑問を持つ者は居ない。
だが、颯馬の課題は【颯馬が先に書いた字より勝る意味合いの文字を、一筆で新しい紙に書く】という物だ。
これだけでは、意味は同じであるため、勝るといは言えない。
皆の目が久秀に注目すると、久秀は答えた。
「ならば、日常的に数字を扱う城下の商人に聞いてもらえば分かるかと。 どちらの数字で計算がしやすいか、多数決を取れば一目瞭然でしょう」
これを聞いて、思わず颯馬は負けを認める。
意味では互角だが、利便性の優劣ならば久秀の数字の方が勝ると、瞬時に覚った結果であった。
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遅くなりました。第二戦目の決着です。