その瞳に映りし者
~第16話 動揺~
リオンとジュディの交際が公になって、数日過ぎたある午後……
ベアトリスが久しぶりに、ソユーズ家を訪ねてきた。
そして、昼食の席で、すぐに二人の話題に触れた。
「本当に今回のことは驚いたわ…一体、あなた達、いつからそういう事になってたの」
「いつの間にかですわ…叔母さま」
「まあ、近頃の若者はすることが早いわねぇ…ローズ・マリーだって驚いたでしょう」
今日は気分もいいので、珍しくローズ・マリーも同席していた。
「ええ…確かに、はじめ聞いた時はまさかと思ったわ…でも、今は心から二人のことを祝福しているのよ」
「で…婚約パーティは何時する予定なの?」
「今度のクリスマスを予定しています…」
ジュディは、にっこりと微笑みながらそう言った。
「クリスマスですって?!随分と急ね…それで、一体何人招待するつもりなの」
ベアトリスは、慌ててそう尋ねた。
「はじめは、大勢呼ぼうかと思ってたけれど、急なので…親しい人達だけですることにしました…慌てさせて御免なさい」
「まったくだわ…こちらだって、予定というものがあるんですからね」
ベアトリスは、気を取り直して、運ばれてきた食事に口をつけた。
その側でカイルが、グラスにワインを注ぎはじめた。
「それで、あなた…彼のことを本気で好きなの?」
「何故そんなことをお聞きになるの…当然でしょう…」
「だって、全然以前は興味を持っていなかったじゃないの リオンは、あなたのタイプじゃないと思ってたわ」
「私は、彼を心から愛していますわ」
ガチャン!!
急に、何かが割れる音がした……。
カイルが、手を滑らせてグラスを落としたのだ。
「カイル!あなた、一体なにやっているのよ」
ベアトリスは、カイルに向かって叫んだ。
「はっ…も…申し訳ありません!すぐに片付けます」
カイルは動揺しながら、割れたグラスを片付けようとした…。
「っ……」
カイルの指先から、血が滴り落ちた。
ガラスの破片で、指を切ったのだ…。
それに気付いたナディアがすぐ駆け寄った。
「カイルさま、血が出ていますよ!大丈夫ですか」
「大丈夫だ…すまない…これを片付けてくれ」
「わかりました…後のことは私が…」
ナディアは、カイルに代わってグラスの破片を片付け始めた。
その光景を見ていた一同に頭を下げると、カイルは足早に部屋から出て行った。
「まったく、執事ともあろう者が何をしているのかしら」
呆れるベアトリスに対して、リリアもジュディも心配そうな顔をしていた。
特にリリアは、完璧だと思っていたカイルの動揺ぶりに驚きを隠せなかった…。
(一体、どうしたのかしら…あんなカイル、初めてみたわ…)
グラスの破片を片付けて、厨房に引っ込んだナディアは、呆然と手を押さえてるカイルを見て…
「カイルさま…早く処置をしないと駄目ですよ その手を貸してください」
そう言って、救急箱から包帯を取り出し、処置を手早くはじめた。
「何があったか知りませんが…カイルさまらしくありませんよ あの動揺ぶりはひど過ぎます あれじゃ、お嬢さまたちを不安にさせますよ」
「そうだな…確かにどうかしてた…」
「こんなこと、私から言うのは変かもしれませんが…一言いわせていただきます」
ナディアは、改まってカイルにこう言った。
「身分違いは、トラブルのもとですよ」
「えっ?!…」
「その気持ち、ご自分のお心の中にしまい込んでください いいですね」
「……」
そう言うと、傷口の処置を済ませたナディアは、厨房を出て行った。
「ナディア……」
ナディアの突然の言葉に、カイルは一人絶句した…。
一方、セルゲイたちと暮らし始めたジュリアンは…
リリアの出した手紙を受け取って、その返事を書こうとしていた。
思えば、この街に来て、ボランティア活動を通じてルドルフと知り合い…
不思議な縁で、またルドルフの事故によって、離れていたリリアと再会し…
短い間に色々なことがあった。
いつの間にか季節は、もう木枯らしが吹く冬だ…。
ソユーズ家の人々は、楽しくやっているようで、安堵した。
リリアも少しは、ジュディと仲良くなったのかもしれない。
だが、それに比べて、シュテインヴァッハ家ときたら…
「僕は、まだ兄と全然解り合えてないな…その兆しすら感じない」
深くため息をつくと、筆を滑らせた。
親愛なるリリアへ
木枯らしが吹く季節になり、昨日はとうとうこの街にも雪が降りました。
僕も、ようやくこの街にも慣れ、皆と仲良くやっています。
ルドルフのお陰で、続けているボランティア活動も、板についてきましたよ。
以前の僕からしたら、かなりの成長だと思います。
リリアのほうも、ソユーズ家の皆さんと仲良く楽しくやってるようで、何よりです。
クリスマス・パーティの件ですが、勿論参加しますよ。
プレゼントは、何がいいかなぁ…
今から、楽しみにしておいてくださいね!
それでは、逢える日まで風邪などひかないように…
ジュリアンより
ジュディがリオンと婚約することをまだ知らないジュリアンは、そのまま手紙を投函した。
手紙にも書いてる通り、ジュリアンは以前とは違っていた。
目的もなく生きてるような少年だったのが、今ではすっかりボランティアに目覚め、意思をもって街のために働いている。
それは、紛れもなくリリアの為でもあった。
そして、亡くなったリリアの育ての父ルドルフに対しても、恥ずかしくないような生き方がしたかったのだ。
そんな姿を見て、一番嬉しかったのは、他でもない…
ジュリアンの父セルゲイだった。
不安定なジュリアンを長年見守ってきたセルゲイにとって、息子の成長は何よりも喜ばしいことであった。
そして、セルゲイの恋人クロディーヌも…
リリアの育ての母コリンも同様にそう感じていた。
やがて、昨日から降り始めた雪が降り積もり、この街を白銀の世界へと変えていった。
数日がたって……
ソユーズ家に再びリオンが訪れた。今回はダニエルはいなくて一人の訪問だった。
クリスマスに予定している婚約パーティの打ち合わせにやってきたのだ。
「ごきげんよう、ジュディ…」
リオンは、にこにこしながら挨拶を交わした。
「ごきげんよう、リオンさま…今日は、珍しくお一人なのね ダニエルさまは?」
「いつまでも、彼にばかり頼っててはいけないしね…今日は、僕一人で来ました さあ、招待状を作りましょう!誰を呼ぶかは、もう決めているよね」
楽しそうなリオンを見ながら、ジュディは穏やかに微笑んだ。
これが、幸せというものだ…人の幸せは千差万別なのだから、これでいいのだと自分に言い聞かせた。何も迷うことなどない…この人に付いていくと決めたのだから…。
「私ね…お母様を安心させたいの…お母様は、昔から身体が弱くて…あまり外に出たりとか出来ないのよ…父が病気で亡くなってから、特に塞ぎがちになってしまって…」
「ジュディ…」
「だから、私が守ってあげなきゃ…父のぶんまで…この屋敷は女ばかりでしょ…家族には、やっぱり強い男性が必要なのよ」
「僕は、強い男になれるかな…君や家族を守れる男に…」
「なってもらわなきゃ、困るわ」
「絶対なるよ!君を守ってみせる…誰よりも幸せにするよ」
リオンは、ジュディを強く抱きしめた…。
(私は、この人と結婚するんだ…そして誰よりも幸せになるんだ…そう誰よりも)
ジュディは、そっと目を閉じた。
クリスマスと婚約パーティという大イベントで、一番忙しくなったのは使用人たちだ。
かねてから言ってるように、モミの木を切りに森に向かったカイルとジャックは、ちょうどツリーにぴったりな枝ぶりの木をみつけた。
「こりゃ、いい枝ぶりだ…飾りつけたら、さぞかし綺麗だろうなぁ」
ジャックは、モミの木を見上げてそう言った。
「おまえの腕の見せ所だな…ジャック…これなら、お嬢さまもお喜びになるだろう」
「そういえば、カイルさま…ナディアから聞きましたよ…先日、昼食の席で指を切ったんだってね…あまりの動揺ぶりに、皆心配してたって…」
「もう耳に入ったのか…まったくしょうがないな…」
「大丈夫なんですか…そりゃ、俺だって、ずっと子どもの頃から見てきたお嬢さまを嫁に出すのは寂しいけど…こればっかりは仕方のないことだからなぁ」
ジャックは木を切りながら、そうつぶやいた。
「そう…仕方のないことだよ…ジュディさまも、リリアさまも…いつかは離れていく…
幼い頃から見ていると、つい情が移ってしまうな…執事としては失格だけど」
「本当にそれだけですか、カイルさま」
ジャックは、カイルに問いただした。
「それだけって…他に何があるというんだ…勿論、それだけだよ」
「他の感情も入り混じってるんじゃないんですか…俺にはそう映るけど」
「……」
カイルは、急に押し黙り、しばらくしてこう言った。
「おしゃべりは、そのへんにして…さっさと木を切って持っていこう」
「すみません…」
カイルに冷たく言われ、ジャックは慌てて作業の続きにかかった。
(一体、どいつもこいつも何が言いたいんだ…別に関係ないだろう…わたしがどうしたというのだ…動揺してはいけないのか…)
カイルは、作業を手伝いながら、ずっとそのことを頭の中で整理しようとしていた。
確かに、ジュディがリオンとの婚約を決めてからのカイルはおかしかった。
そして、その原因を彼自身が一番理解できずにいた。
(自分は、いったいどうしたというんだ…何故ここまで混乱する…確かにジュディさまは、幼少の頃からずっと見守ってきた…しかしそれは、リリアさまだって同様だ…自分はリリアさまがお生まれになった頃から、この屋敷と関わってきた…二人とも自分にとって大切な方たちだ…別に彼女だけが特別じゃない…それなのに、いくら急すぎるとはいえ、この動揺ぶり…どうしたらいいんだ…まともに仕事ができない…)
大きなモミの木を綺麗に伐採して、二人で持って帰る途中…
空から雪が降ってきた…。
「こりゃ、積もるかもなぁ…カイルさま…俺だって、なんとなく解りますよ…たぶん、一番気付いてないのは、カイルさまなんじゃないですか?」
「何をだ…」
「ジュディさまを好きだって、感情にですよ」
「……」
「認めたくないのかもしれないけど…認めてあげないと先に進めないですよ」
ジャックの言葉に、カイルは何も言い返せなかった。
(確かにそうだ…わたしは、気付いてないわけではなく…認めたくなかったのだ、自分の感情を…彼女を好きだという事実を…)
カイルは、急に立ち止まり、それからしばらく宙をみつめたまま動かなかった。
「カイルさま…?」
雪が降り積もるなか、しばらくの間、ふたりはその場に佇んだ。
クリスマスそして、婚約パーティまで、あと三日と迫っていた…。
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小説「その瞳に映りし者」の第16話です。
クリスマスを目前に控え、ソユーズ家では様々な人々の心が錯綜し…