No.1131432

花ざかり

青柿さん

約二〇〇〇字。二〇一六年四月二日完成、最終更新二〇二三年十月十七日

2023-10-17 23:09:26 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:173   閲覧ユーザー数:173

 恭治は待ち合わせの時間丁度に、川べりの公園まで歩いてきた。風の音が桜並木を揺らめかせていた。春めいた晴天、温暖なこの日は人々が花見人見とばかりに集まり(にぎ)わっていた。もうじき春祭りでも始まるのであろう。彼は行き交う人々、憩う人々を横目に歩いた。

 美春は桜の木陰の椅子で(いこ)うている人の後姿に探し人のそれを見出したと思った。気分良く彼女が声を掛けて男が振り返る。美春は、あれという表情を一瞬して、人違いだったと言って謝った。その美春の姿が恭治の目に留まった。

「美春、こっち」

「あ、恭治くん! ごめんなさい、それじゃ」

 そうして二人は手を(つな)いで、すぐそこにあった無人のベンチに腰を下ろした。美春がばつの悪そうな表情で頭を掻いている。恭治がそんな美春を眺め下ろした。

「気にしなくてええんやけど」

「いや、恰好悪いし」

「……まぁお好きにどうぞ」

 続けるのはお互いの為にならない。恭治は立ち上がって、昼ご飯にしようと告げた。二人が行くのはこの近くの、風情も何もないファミリーレストランである。新春のなんたらかんたらと新メニューの宣伝をやっているのを聞いて二人は特にこだわりも無くここを選んだ。二人にとってそういう季節限定ものとはそれほど意味をなさない。二人の関係とはつまるところそういう具合なのである。一瞬一瞬、一日一日の楽しみの内として選ばれたそういう特別な料理に、二人は毎日食べている朝夕の食事と何ら変わらぬ幸せを感じた。

「これ美味しい。油っ気がしつこくない」

「うんうん、それに盛り付けすっごい綺麗」

 舌鼓を打つだけ打って、二人は愉しい時間を過ごす。料理が尽きれば飲み物を継ぎ足しつつ他愛も無いお喋りを暫く続け、それも付きてなお、恭治は美春を眺めているし美春はそういう恭治の視線をよくよく感じている。喜ばしい、と彼女は内心で思う。

 午後の時間は散策と称して街並みを訳も無く歩いてゆく。お互いの手と云う枷を振り回して歩くことの愉しみに二人は浸りながら、百貨店に乗り込んで服屋を眺め歩く。女のお洒落に掛ける情動の程を知らぬでもない恭治は、楽しげにはしゃぎながら並べられている服と取っては、何度となく繰り返される「これ似合う?」の言葉に付き合う。

「これ似合うかな?」

「花柄が綺麗なな。薄ピンクが映えるだろな。買うん?」

「やだ~、予算が苦しいわ」

 結局、一着だけ恭治が買ってやった。こういうのも良かろうと彼は自分の幸福が末永いことを信じられた。服屋が済めば本屋にでも足を運び、それから再び街に繰り出して街中を歩き回った。こんな直ぐ帰る訳でもないのに荷物を増やすことさえ二人には重荷とは思われなかった。街を歩き、行き交う人々と擦れ違い、その最中で二人は他愛も無いお喋りを繰り広げる。益体も無い日常の些事(さじ)を、恭治は当初よくぞそこまで楽し気に並べ立てられるものだと反って感心していた。今の彼はすっかりそういう日常に感謝していることが美春からさえありありと分かった。信号が変わった。二人は呑気な足取りで、相変わらず両手を揺らしながら歩く。街の喧騒は二人をより近付けている様に思わせた。

 小腹の空く時間帯になった。二人は商店街を抜けて神社の石段前に居た。石造りの鳥居が歳月の色褪(いろあ)せしてなお格調高く(そび)えていた。直ぐ近くに甘味処があったが、お参りをしてからにしようと二人は意見が一致した。見上げる石段の先の社は中々高くそれなりに歩き回った二人には堪えるものだったが、多少汗を掻く程度で二人は登り詰めた。右手の手水場に蛙の形をした水道があったが、水は張られた分に継ぎ足すつもりは無い様である。手を清めて二人は改めて神社に向き合った。日光が瓦葺の屋根を黒く照らしていた。少し黒ずんだ木造と合わせて、二人は歳月の威容をほんの(わず)かに感じ取った。花吹雪が舞い散っていた。四月の美しさだった。ひらひらと舞い散る花弁(はなびら)が、途切れることなく少しずつ散り落ちて行く。その一片がふと恭治の前を舞った。指で摘まんだ桜の花弁は柔らかく、瑞々しい。彼は一週間、いや二週間先の景色をふと思い浮かべた。褪せて朽ちるのを待つ花弁の回廊があるのを彼は知っていた。

「どしたの?」

「いや。……」

 今年、今日来れて良かった。恭治は花弁を、手放す様に静かに落とした。くるくると落ちて行くそれを彼は見なかった。二人は賽銭箱(さいせんばこ)に小銭を投げ、鈴を鳴らして手を叩いた。乾いた小気味のいい音が境内に響いた。二人は黙して語らなかった。(きびす)を返し、石畳を歩く。二人がそこで、示し合わせた様にお互い顔を向けた。目が合って、二人とも僅かに驚いた様に口が緩み、そのまま二人揃って微笑んだ。石段に差し掛かろうとした時、美春が目の前の景色に気付いて指差した。

「見て、めっちゃ綺麗!」

 街を見下ろす高い景色。その視界の端をやはり花弁が舞い落ちていた。


 
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