「今日の最下位は、ごめんなさぁい…しし座さん!八方美人で孤立する可能性あり!今日は脇役に徹して。ラッキーアイテムは茶そば!」
テレビから流れる軽快かつ安っぽい曲と共に、可愛らしくかつ甘えたような声が高らかに宣言した。
しし座の遠野さんはワシワシと歯を磨きながらフンと鼻を鳴らす。
接客業が八方美人じゃなくなったらクレームになっちゃうよ~。
ラッキーアイテムって誰がどうきめてんの?
大体、鼻にかかった甘い声で「ごめんなさぁい」なんて言われてもさあ。
ブツブツ呟きながら家を出る支度をする。
玄関を開けると冷たい風が直撃した。
遠野さんは本屋でアルバイトをしている。
都心の一等地に構える老舗書店は900坪の面積を誇り、店内で迷子になる客も多い。
約80万の蔵書が棚にぎっしりと詰まっており、1日の来店客数は3万人とも5万人とも言われる大型書店だ。
が、彼女が働いているのは、主役の「本」に携わるカウンターではなく、「奥座敷」もしくは「離れ小島」といわれる一番奥に位置する文具カウンターだった。
勿論、遠野さんは文房具を売りたいがためにここにはいったんじゃない、と力説する。
「本が好きだから本屋さんに入ったのに、文房具だなんて!」
それでも住めば都、慣れれば何とやら。気が付けば3年の月日が経過し、今では立派にベテランとしてふてぶてしく小生意気に育ってしまった。シフト表の一番下だった名前は、上から数えて5人目。下には4人の後輩の名前が連なっている。
カウンターでぼけっと客待ちをしている遠野さんに後輩の一人、大橋嬢が声をかけた。
「今日もヒマなんですかねぇ」
「今日と言えば、あたしのラッキーアイテムは茶そばらしい」
「は?」
「茶そばってどこに売ってんの?それを食べたらラッキーになれんの?」
説明を聞いた大橋嬢は可愛らしい声を上げた。
「違いますよぅ。ラッキーアイテムってものは常に携帯してなきゃいけないんですよぅ」
「えー」
じゃあさ、じゃあさ、じゃあさ。
蕎麦片手に「いらっしゃいませ~」とかやってさ、蕎麦汁かかってお客さんに怒られるんだよ。全体朝礼でさ、店長にさ「こういう事例があったので蕎麦はカウンターに持ち込まないように」とか言われたりしてさ。
それ滅茶苦茶恥ずかしいでしょうねぇ。
そんときゃあたし、下向いて知らんぷりしとくよ。
きゃっきゃっきゃ。
「…ってんなわけあるかぁ!」
不毛な会話は遠野さんのノリツッコミと、後ろから聞こえた社員の北さんの咳払いで終了した。
ところが占いというものはどうも侮れないらしい。
季節の変わり目という時期は、なぜか不可解な人がやってくる率が高い。
そしてこの日、遠野さんはことごとく不思議さんたちにクリティカルヒットした。
お客さまは神様です。でも販売員だって人間なんです!
「今日は変な奴が多いなあ」
てんてこ舞いになっている遠野さんを眺めながら、課長が他人事のように一人ごちた。
遠野さんと大橋嬢がその髪型から「プチアシベ」と命名した49歳のおっさんである。
「寒くなったから中(店内)に入って来たんかなあ」
「そんなこと言ってないで、助けてあげて下さいよぉ。一応、課長、上司じゃないですかぁ」
そういう大橋嬢もテンパっている遠野さんを、課長や他のバイトと共にカウンター内で見物している。
「むやみに首を突っ込まない性格なの。おれ」
ああ、だからそんな歳になっても未だに課長なのね、という声を大橋嬢は心の中に封印した。
「やっぱ今日、茶そばいるわー…ふぉう!」
ヘロヘロになって帰ってきた遠野さんは、故スーパースターのような声を上げて大橋嬢と課長の視界から消えた。
「と、遠野さん!?」
慌てて覗きこむと、カウンター前の何もないところですっ転んだらしい。
尻持ちをついている状態で、恥ずかしくてどういう顔をしていいか分からないように口をパクパクさせていた。
「せめて足、足は閉じてください。ぱんつみえますよぅ」
「毛糸のぱんつはいているから大丈夫…」
そういう問題じゃない。
「色気ねえ。いい歳なんだから、ぱんつくらい絹をはけ」
「カウンター前でそういう話をしない!」
社員の北さんが呆れたような顔で仁王立ちしていた。
働いているんだから、こういう日だってあるさ。
遠野さんは自分を自分で励ます。
せめて今日のビールは、発泡酒じゃなくていいビールにしよう。
金色の缶ににっこり笑った恵比寿さまを思い浮かべて、遠野さんは幸せな気分になった。
茶そばなんかよりも、よっぽどいい。
一人頷いて退勤のタイムカードを押す。
その思いに罰が当たったのか、帰りの電車が1時間遅延して再び往生するはめになることを、遠野さんはまだ知らない。
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大型書店内の離れ小島、文具売り場で働くアルバイトの遠野さん。
この話はフィクションです。実在の会社、人物、他諸々とは一切関係ありません。ないんだってば。