寝れねえ。
絹の掛布や寝着は柔らか過ぎて、どうも肌に馴染まない。
キジは舌打ちして起き上がった。
あてがわれた客室は、壁は細かい刺繍がほどこされているし、家具は高級で落ち着かないし、大体、なんで寝台の上から布がたれさがっているのだ。そこにすらも刺繍が施されている。ここの人間のしゃべり方にもなれない。どうも体がむず痒くなってしまう。
リウヒと共に宮廷にきて数日が経った。
王は公には病気という事になっていたらしい。公にはってなんだよ、と思ったが、上になればなるほど、表と裏ができてくるのだろう。そりゃそうだよな、一国の王が海賊に攫われてしまいましたー、なんて公表できないもんな。
だけど、本当にあの子は王さまだったんだ。
宮に帰った翌日、朝議にキジとクロエも連れて行かれた。そこでキジは愕然とした。
おっさんやじいさんたちが、深々と頭を下げる中、小さな冠を藍色の頭にのせ、見た事もないきれいな衣を纏ったリウヒが厳かに進んでいく。そして一段と高い、高級そうな椅子に座った。
「面を上げよ」
おっさんたちが顔を上げると、低く静かな声で話し始める。だけども、キジの耳には全く入ってこなかった。船でつるんでいた時や、水かけ合戦の時のような、生き生きと笑っていた少女の面影は全くなかった。国を預かる責任をもった顔だった。
まるで別人だ。本当に、お前は王さまだったんだな。
それは住む世界が違う、という事実で横面を殴られたような衝撃だった。
クロエはもともとここで育った人間だ。呼吸するように馴染んでいた。今度は自分そっくりの又従兄と火花を散らし合っているらしい。当のリウヒは夜な夜なキジの部屋にやってくる。酒瓶を片手に窓から。
「なんで窓からくるんだよ」
「あれから目付がきびしくなっちゃって」
「帰れ」
「そんなこといっていいの?」
ふっふっふっ。いやらしく笑いながら酒瓶を取り出す。
「これが目に入らぬか!」
「うっ!それは幻の高級酒!」
結局は部屋に上げてしまう。
ヘラヘラ笑っているリウヒは、王さまでなくていつもの少女に戻っていて、ホッとする。
「大丈夫かよ、また、かっ浚われないように警備もきびしくなってんだろう。その本人がフラフラと」
「大丈夫、大丈夫。キジの部屋に行ってきますって書置きしてきているから」
そして血相変えて迎えにきた、シラギやトモキに引きずられて帰ってゆく。
トモキという男は見覚えがあった。以前、同じ船に乗っていた時に世話をしたことがある。本人も覚えていてくれた。気持ちのいい男で、リウヒさまを助けていただいて、ありがとうございましたと深々と頭を下げた。そして、部屋に招いてくれた。
巨大な本棚のある居心地の良い部屋で、色々な話をした。それでも住む世界が違うという違和感は拭えなかった。もし状況が違えば、いい友達になっていたのかもしれない。
外にでると、ひんやりした冷気が頬を撫でた。
遠くに城下の灯りがひっそりと瞬いている。町はもう寝入っているのだろう。静かだ。
風がゆるやかに吹いている。目を閉じて思い切り吸ってみても、微かに花の香りがするだけだった。
磯の香りが恋しい。体を駆け抜ける風が、踊るように歌う波の音が。
キジはしばらくそのまま目を閉じていたが、ゆっくり目を開けると部屋に戻った。
翌日、朝餉を持ってきた女官にリウヒに会いたい旨を伝えた。
****
酒を持ってきた女官が下がると、マイムが杯を満たしてくれた。
「お疲れさま。そしておめでとう。今回の事で海軍は随分と株があがったんじゃないの」
「わたくしは己の仕事を片付けただけですけれどもね」
返杯しながら言うと、金髪の恋人は胡散臭そうな目線を向けた。
「あんた、変わったわね…。なんだか気持ち悪い…」
「おかげで、予算も取りやすくなった」
元王子に感謝、と杯を掲げると、マイムは吹き出した。
「前言撤回、やっぱりあんたはあんただわ」
それでも、ほとんど綱渡りのような救出劇だった。リウヒが海に飛びこまなければ、あのキジという青年がリウヒを助けてくれなければ、どうなっていただろうか。
「あの子は…どうなるのかしら」
「どうもならないでしょう」
リウヒを助けたキジは、小舟の上で必死になって娘の意識を呼び覚ました。
目を覚ませ、おれを置いていくな。そして目覚めたリウヒは、ただただ、キジしか見えていなかった。周りの者たちは、なにも言えなかったし入れなかった。唯一ジャコウを除いて。その中年男は、遠い目をしてカグラに語った。
「あの時のお二人には、感動いたしました。まるで昔の自分を…。あ、いえ、ゴホゲホ」
最後は咳払いで誤魔化された。
カグラの目の前で、目を開けたリウヒは、すぐさまキジの元へ向かおうとした。
国王である少女と海賊である青年は、間違いなく惹かれあっている。
だが、しかし。
「ぜひあなたを海軍へむかえたいのですが」
「やめてくれよ。宮仕えなんてがらじゃねえ。それに生まれ育った船や仲間を裏切りたくねえんだ」
喉から手が出るほど欲しい人材だったが、あの男はその内、アナンの船に帰っていくだろう。リウヒをダシにしてなんとかがんばっても、キジは首を縦に振らなかった。
「シラギの意外な一面も見られたし」
クスクスと思い出し笑いをするマイムにつられてカグラも笑った。
帰ってきた愛しい少女をうっかり抱き殺すところだった黒将軍は、小さな宴が終わった後、今度は部屋に戻ろうとしたカグラを抱きしめた。
「感謝する」
リウヒを取り戻してくれて。
男になんぞに抱きしめられたことのなかったカグラは目を白黒させて狼狽した。丁度、横にいたマイムも凍り付いていた。
しかし、胸の内に温かい感情が湧いてきたのも否めなかった。生まれてからこのかた、友人など持ったことのなかった二人が、初めて心を通わせた、そんな感じがした。
「あのときのあんたらは見ものだったけど、ちょっとうらやましかったな」
友達っていいものね。マイムが微笑んでカグラの座っている椅子の肘かけに腰をかけた。
そのままゆっくり銀髪を梳いてゆく。
「それでどうなさるの、白将軍さま。海軍は強くなるの?」
「当たり前」
まろやかにくびれた腰に手を回した。
「女を育てると思えばいいのです。軟弱でやる気のない小娘の尻を叩いて、この近辺に名を知られるほどの美女に育て上げてみせますよ」
「あんたって、本当に…」
マイムは笑いながら、銀髪を引っ張った。カグラが痛みに顔を顰める。
「変わらないのね」
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
「どうにもならないでしょう」
続きを表示