突然、頭領がティエンランへ行くと言い出した。
あの騒ぎから半年、久しぶりのティエンラン上陸だ。
「けど、なんでいきなり」
「何か、忘れものをしたとかなんとか」
「なんじゃそりゃ」
目の前の親友も首をかしげている。
「お前、なんか知ってんじゃないの。頭領と同じ、元宮廷人だろ」
「やめろよ。おれも分かんねえよ」
とクロエは顔をしかめた。
キジは、物心ついた時からこの海賊船に乗っていた。生まれた国も知らない。親兄弟もいない。
潮騒を子守唄に、波の揺れを揺籠にここで育ってきた。今じゃ若干二十一ながらりっぱに古株だ。
片や親友のクロエはピカピカの新人だ。半年前から船に乗っている。
こいつとの出会いは今でも、まざまざと思い出すことができる。
ある日、名前を呼ばれて振り返ると、頭領と一人の少年がいた。高そうで上質な衣を着ていて、髪の毛は真っ黒、風にさらさらとなびいている。思わず自分のバサバサ頭に手をやってしまった。
目も黒色で、キジを興味津津といったように輝かせて見つめている。
「新入りだよ。色々教えてやってくれ」
「よろしくお願いいたします」
深々と頭を下げられ、びびった。
「お、おう…」
じゃ、頼んだよ。頭領は爽やかに笑うと少年を残して去って行ってしまった。
「お前、名前なんての?」
「はい、クロエと申します」
はきはきと少年が答える。
「いくつ?」
「二十です」
同い年じゃねえか!十六くらいだと思っていた。
「と、とりあえず案内するからよ…」
「はい、よろしくお願いいたします。キジさま!」
キジは思わずのけぞった。
「やめて!なんかかゆいから、キジさまってゆうのだけはやめて!」
クロエはきょとんとした顔をしている。
船内を案内しながら色々な話をした。
貴族さまの息子みたいだと思っていたこの少年は、本当に貴族さまの息子だった。
名門の出で、血は王女派だったがアナンにつけられていたという。そしてその人柄に魅せられてしまった。
「本当に大勢の中にいても存在感があって、誰にでも優しくて、快達で憧れていたのです」
クロエはうっとりと語る。
うんうん、そうだよな。おれたちの頭領だもの。
スザクの港で王女が接触してきた時、キジと仲間は衝撃の事実を知った。尊敬していた男がまさか、ティエンラン国の王位継承者だったとは。そして王位を選ばずに海と仲間たちを選んでくれたその男に、一層の敬愛の念を注ぐようになった。
「忘れられないのは、ある宴の時です」
そこで、クロエは小さな王女と話す王子を見た。
煌びやかな宮廷の中心で、藍色の髪を輝かせて幸せそうに笑う少女と、少女の前に片膝をついて、ほほ笑んでいる青年は一枚の絵画のように美しかった。
「その後ろで、得意げに鼻を膨らませている少年は目障りでしたが」
お前も、その光景をみて鼻を膨らませていたんだろうよ。
「しかし、アナンさまは突然姿を消してしまいました。騒ぎがあって、王女も消えた」
それからは色町上がりの女の天下になった。が、王女は生きていた。王子も生きていた。
二人は海賊と民衆を率いて国の為に反旗を翻した。
セイリュウヶ原の戦いは、キジも参戦していたから知っている。それを言うと、クロエは本気でうらやましがった。
「セイリュウヶ原の頭領と嬢ちゃんは、マジですごかったぞ。馬をバーッと駆けてだな。あっという間に宮廷軍を蹴散らしていった。あいつら、怖がってすぐに嬢ちゃんにつくといいだしたんだ」
「ええと、嬢ちゃんって…」
「ああ、現国王。なんだったっけ、名前…」
「リウヒさまですか」
「そうそう、それだ」
頭領が気に入って協力した、勇ましい娘を仲間たちは親しみを込めて嬢ちゃんと呼んでいる。
妹は国王となった。兄は自分の居場所の海に帰っていった。
「アナンさまがここにいると知って、わたしは居ても経ってもいられずに、追って来てしまいました」
「へー。お前、見かけによらず突っ走るんだなあ」
キジは感心した。貴族さまというものはもっと軟弱だと思っていたのに。
「なあ、一つ頼みがあるんだが」
「はい、なんでしょう!」
背筋を伸ばして、笑顔で答えるクロエにキジは怒鳴った。
「そのしゃべり方を何とかしてくれ!おれさあ、駄目なんだよ。そういうの!」
いきなりの剣幕に目を白黒させた少年だったが、真剣な顔して頷いた。
「分かりました。まず、何をすればよいのですか」
だーかーらー。やめろっつてんだろ!
「自分のことは、わたしじゃなくて、おれと呼ぶように」
「…お・れ?」
「違ぁ―う!発音が違う!」
キジの教育のおかげか、クロエは瞬く間にここでの生活になじんだ。いまでは無二の親友だ。共に酒を飲み、商船を襲い、嵐の中を走り回って、青空の下で笑い合った大切な親友。
「ティエンランなぁ。あんまり好きじゃねんだよなぁ」
酒も食いもんも、うまいけどさ。
「おれ好みの女、少ねえし」
「お前の好みが変なんだろ」
キジが好む女は、みな一様に太っていて年上だった。だってしょーがねえじゃん、好きなんだもの。
「変なのはお前の方だ。陸に上がっても、女抱かねえし。ものすごく言い寄られる癖に」
美少年にほんのちょっぴり渋みを足したクロエの容貌は、女にとにかくもてた。
いいよな、男前は。おれなんて頭、橙色でばさばさだし、顔はそばかすだらけだし、やせぎすだし、三白眼だし。と拗ねたくなるくらいもてた。しかし、当の本人は。
「面倒くさいんだ、そういうの。宮廷では、まあ色々あったけど、女の人って暇だから恋愛しかすることなくてさ、何かうるさいんだよな。キャンキャンと」
お前、それ女に喧嘩売ってんのか。売ってんだな。
「キジと一緒にいた方が楽しいし」
キジは勢いよくクロエから離れた。
「おっおれはそういう趣味ねえぞ!」
「ああ、そういう意味じゃなくて」
なんだよ、まぎらわしい。妙な勘違いしてしまったじゃねえか。
****
奇妙な感覚に、リウヒは目を覚ました。ゆっくり傾いでいると思ったら、また逆に傾ぐ。
ここはどこだ。見慣れない天井。見たことのない室内。
緞帳のかかる寝台に自分は寝ている。身を起して寝台から降りると、足取りがフラフラした。慌てて、机の端を掴む。
卓上の上には、地図や見たことのない小道具が散乱している。
その後ろに窓があった。覗き込むと遠く海原が見えた。
海の上。なんで?
昨夜、寝たのはいつもの自分の寝室だ。それは覚えている。
もしかして、わたしは夢を見ているのだろうか。花見をしていた時に、こんな話がでたし。じゃあ、どうして一人でいるのだろう。トモキは?みんなは?後から追いかけてくるのか?
床が音をたてて傾ぐ。リウヒはへたり込んで、机にもたれた。
その時、扉が開いた。入ってきたのは
「気が付いたんだね」
「兄さま!」
異母兄弟の兄だった。王となるときに助けてくれた、赤茶けた髪の、翡翠色の瞳をもつ自慢の兄。いつも朗らかで、頼りになる大好きな兄。
不安は一気に晴れた。足取りがおぼつかない為、フラフラと兄によってその手を掴む。
「お久しぶりです、お元気でした?」
「君も元気そうだね」
アナンは笑って、リウヒの頬を包み込むように撫でる。
「そして美しくなった」
兄にそう言われるのは嬉しい。
「薬が効きすぎたようで、目を覚まさないからどうしようかと思ったんだけど」
さわやかに笑ったまま、頬を愛おしげに撫でている。
「覚ましてくれてよかった。しかし、宮廷の警備は緩いね。もっと厳重にした方がいいよ」
リウヒは、ぽかんとした。
何をいっているのだろう、この人は。
「兄さま、これは夢じゃないの」
夢だろう。みんな後から来てくれるはずだ。
「わたしの妹は、可愛い事をいう」
そのまま、近づいて頬に口を寄せた。不安が心の中を満ちるように引き返してくる。
「やめて、兄さま。どうしてわたしはここにいるの」
「わたしが浚ってきたからだよ」
何をいっているのだろう、この人は。理解ができない。
「そんな、戯れはよしてください。本当の事を言って」
「やれやれ、わたしは本当の事しか言わないのに」
兄は、妹の手を握ったまま、片膝をついてその下から覗きこんだ。かつて宮廷の宴で初めて声をかけてきてくれた時のように。港はずれの一軒家で、自分に協力してくれた時のように。
その深緑の瞳に吸い込まれそうになる。
「あの上位の礼はとても美しかった」
アナンの手が、再び妹の頬を撫でた。嫌がるようにリウヒが身をよじる。
全く気にせず、兄は続けた。
「君たちと別れてから、わたしはわたしの日常に戻ったよ」
細い両手を掴む。そして片手に閉じ込めた。
「でも世界は以前よりも輝かなくなった」
兄のもう一つの手は頬からゆっくりと下がっていく。冷汗が背を伝った。
何をしているのだろう、この人は。
「愛する妹がいなくなったからね」
唇を、指の腹でゆっくり撫でられた。背中を無数の虫が這っているように気持ち悪い。
「最初は気が付かなかったよ、まさか妹に心奪われているとは思ってもいなかったから」
手が腰に回った。思考が全く回転せず、リウヒはただ硬直しているだけである。
「どんな女を抱いても、この虚しさは消えなかった」
首筋を舐められた。もがいても兄の手は緩まない。
何をしているのだろう、この人は。
「ところがどうだろう、君がいるだけでわたしの世界はキラキラと輝く」
クスクスと楽しそうに笑う。
「愛する妹は国王となってしまったが、それでも欲しかった」
兄は逞しい腕で、妹の細い体を抱きしめた。悪寒が背中を一気に駆け抜けた。
「わたしの可愛い妹を、この手の中に」
何をいっているのだ、この人は!
「離して!」
思いっきり突っぱねても、兄は腕に力を込めるばかりだ。
「戯れはよして、ふざけた事をいわないで。わたしはあそこへ帰らなければ、いけないんです。やるべきこともあるし、心配している人も…」
国を預かる身として、仕事は山ほどある。そうでなくとも、過保護で心配性な人たちなのだ。今頃、トモキや宰相を筆頭に大騒ぎしているに違いない。
「それはトモキくんかい」
その顔は笑っていたが、目は恐ろしいほど静かだった。
「黒将軍か。それとも白将軍かな」
そのまま抱きあげようとする。リウヒは転がるように兄から離れると、扉へと走った。
取手を回しても開かない。鍵がかかっているようだ。それでもガチャガチャと回し、腹立ちまぎれに扉を叩いた。
「外に出てもいいけどね」
アナンがクスクスわらったまま、近づいてくる。
「無駄だよ。海の上だから、どこにも逃げ場はない」
鍵が開けられる。音をたてて扉を開け、リウヒは外へ飛び出した。
****
いきなり、大きな音がした。
キジが驚いてその方向をみると、やせっぽちのチビが一人、頭領の部屋から転がり出るように、飛び出してきた。
あれは嬢ちゃんじゃねえか。
二日前ティエンランに降りた頭領は、一人どこかへ行き、ぐったりした娘を担いで帰ってきた。そしてさっさと故郷から離れてしまった。
その時は気に入った女を連れてきたのだろうと思っていた。しかし甲板を狼狽したように、蹴躓きながら走りまわっている少女は、たしかに頭領の妹で国の王さまだ。
「あの子…」
隣でクロエが呆然としたように、少女を眺めていた。
「リウヒさまだ」
「知ってんの?まあ、知ってるよな」
「いや、何度かしか見たことなかったし…。でも何で…ここにいるんだ」
少女は走りまわるのをやめ、一点をじっと見つめている。その先にあるのはうっすら見える陸地だ。
それ、ティエンランじゃあねえぞ。アスタガだぞ。
しかし、その子はおもむろに足を上げて舷側の手すりによじ登ろうとした。
「あっ!」
クロエが声を上げる。
「やめなさい、リウヒ。危ないじゃないか」
頭領が軽々と抱きかかえる。少女は身を突っぱねて暴れた。
「大人しくしなさい、海に落ちるよ」
「謝れ!」
少女の絶叫が響く。他の仲間も何事かとあっけにとられている。
「我が国とわたしに謝れ!そして即刻、国に戻せ!」
「ああ、わたしの妹はなんて勇ましい」
頭領はうろたえた様子もなく、未だ暴れる娘を腕に閉じ込めたまま、部屋へ戻って行ってしまった。
「なんじゃ、ありゃあ」
「頭領は妹をかっさらってきたんか?」
「しかも王さまだろ、あの子」
仲間の声がする。
「おい、クロエ。仕事に戻ろうぜ」
「あ…ああ。うん」
横で、クロエが呆けたように立っている。その顔を見てキジは一抹の不安を覚えた。
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ティエンランシリーズ第二巻。
兄に浚われた国王リウヒと海賊の青年の恋物語。
「それでも欲しかった。わたしの可愛い妹を、この手の中に」
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