ふと誰かに引っ張られているような気がして、カグラは手を見た。
そして恐怖に息を呑んだ。
ボロボロに焼けただれた無数の手が、自分を引きずり込もうとしている。
灼熱の炎の中に。
振り払おうとしても、後から後から手は湧いてくる。
かつて自分が奪った命。
消滅した宮廷。
違う、おれが恐れているのは、こんなことじゃない。
おれが怖いのは…。
「おい」
突然、体を揺さぶられてカグラは目を覚ました。
喘ぐように息をする。
宿の外から聞こえる微かな虫の音。カガミの鼾。そして目の前には窓から注ぐ月明かりを浴びたシラギがいた。カグラに手をかけている状態で心配そうに見ている。
「うなされていたぞ」
舌打ちを堪えて上半身を起こした。
それはどうも、お優しいことで。
いつも高い位置で一括りにされている黒髪は解かれており、何とも言えない色気を醸し出していた。性分なのか、寝着すらも隙なくぴっちり着こなしている。
陰気な奴だと思っていたら、意外に面白くて馬が合う。その事に驚きつつも、一方で苛立つような感情もカグラはシラギに抱いている。
「大丈夫か」
例えばこんな所だ。計算も算段もなにもなく、純粋に人を心配できる優しさ。
「大丈夫ではありません」
肩にかけられた手を取り、そのままぐるりと組み敷いた。不意を突かれたシラギはあっけなくカグラに押し倒された。
何が起こったか理解できていないのだろう、いっそ無邪気な顔でカグラを見上げている。
御前試合で自分を叩きのめした男が、今現在自分に組み敷かれている。
この男の顔はどのように歪むのだろうか。
この男の声はどのように上がるのだろうか。
鳥肌が立つほどの暴力的な快感と共に、奴らがやってきた。
ちろり。
ああ、来たか。
お前と共にこの男を襲ってしまおうか。
「やめろ」
さすがに異様を察知したシラギが身を起こそうとする。勿論、そんなことは許さない。
室内に漂う濃厚な空気は
「ぶへくちゅん!」
オヤジの以外と可愛らしいくしゃみで離散した。早い話が白けた。
カグラの手が離れると、シラギが身を起こす。何となく気まずい空気が流れた。
「…黒将軍は、罪を犯したことはありますか」
ぽつんとカグラが聞いた。
「ある」
シラギは即答した。
「己の身が可愛くて、知らぬ振りをしていた。結果、一人の少女にとてつもない不幸を背負わせてしまった。「済んだことだ」と笑ってくれるが、罪悪感が波のように襲ってくるときがある」
苦しくて堪らない。それは罪を犯した自分への罰なのだろう。きっと一生背負う。
「どうしたのだ、藪から棒に。うなされていたことと関係でもあるのか」
「いえ、カガミさんにのしかかられる夢を見まして」
適当にごまかしながら、カグラは内心驚く。
宮廷に火を付けた自分の罪を、こいつらには知られぬことを切に願っていることを。
いつの間にか、この愉快な仲間達はカグラの中で大きな存在になっていたらしい。
もしかして父よりも。
宿の窓からは相変わらず、遠くに虫の音が聞こえる。
****
港の宿の部屋に入ると、トモキは寝台にひっくり返った。
久しぶりの蒲団の感触を楽しむ。海の上では吊床で、意外と寝心地はよかったもののやはり蒲団の感触には負ける。
頭領と愉快な仲間たちは、約束通り港でトモキを下ろしてくれた。いくばくかの金ももらった。余所から奪った金を頂くのは気が引けたが、背に腹は代えられない。頭領はもし用があったらここに来てくれと港はずれの一軒家をさした。誰かしらいる筈だからと。
明日からは、リウヒを探しに行こう。
別れてから二年近く経つ。あっという間に経ってしまった。東宮で王女と追いかけっこをしていたのが嘘のように遠く感じる。そして意識も遠くなっていった。
翌朝、身支度をして宿の朝餉をとってから外に出た。
今日も朝から日差しが厳しい。
どこに行こうか。とりあえず、また片っ端から宿に聞いて回ろうと踵を返した瞬間。
信じられないものをみた。
こちらに向かってくる集団のなかに、リウヒがいる。トモキが知っているリウヒよりも、たいぶ背が伸びている。人違いか。しかし、見覚えのある藍色の髪の毛は、依然と変わらず陽の光を浴びて輝いていた。
少女と何か話しながら、ふとこちらを向いたリウヒはそのまま止まった。
トモキも足が動かない。
あんなに会いたかった少女が目の前にいるのに体が動かない。声すらも出なかった。
リウヒの周りにいた五人もこちらを見て固まっている。
長い時間が流れたような気がした。
「トモ…!」
リウヒの隣にいた少女が叫んだ瞬間、リウヒがこちらに向かって駆けてきた。
風が吹いて木々を揺らす。リウヒの足が地を蹴る。
そしてゆっくりとトモキの胸へと飛び込んできた。
その体を受け止める。腕に力をいれて抱きしめると、太陽の香りがした。
マイムがほほ笑んだ。
カガミが感嘆の声を上げた。
カグラが口笛を吹いた。
シラギが目を見開いた。
キャラが顔を背けた。
二人はそんな面々に全く気が付かずしっかりと抱き合う。
「待っててろって言っただろう」
トモキがリウヒの髪に顔をうずめて言う。王女への言葉づかいではなかったが、もうどうでもよかった。ずっと会いたかった。狂おしいほど会いたかった。この腕の中で、リウヒの存在を確かめている今でさえ現実感がないほど会いたかった。
「心配かけさせないでくれ、この馬鹿」
「馬鹿はお前だ」
トモキの胸に顔を擦りつけるようにしてリウヒも言う。その手はトモキを確かめる様に、背中を掴んだ。
「二度とわたしから離れるな」
返事の代わりにもう一度腕に力を込めた。リウヒが苦しい、と言って笑ったが力を抜くことはできなかった。
「いつまでそうしているつもりなの」
呆れた声に顔を上げるとそこに立っていたのはマイムだった。
「マ、マ、マイムさん!」
なぜこの人がここにいるのだろう。
慌ててリウヒを引き剥がす。リウヒはきょとんとした顔でトモキを見た。
「いやあ、ぼくはちょっと感動しちゃったよ」
「カガミさん!」
変わらない赤ら顔と髪型が懐かしい。
「堪能させてもらった」
「シラギさままで…」
なぜここにいるんだろう。宮廷から出たのか。
「感動の再会ですね」
誰?
ああ、昔シラギと打ち合った人だ。この人もなぜここに。
その横にいるのはシシの村の、友達の妹ではないのか。名前が思い出せない。どうして王女と一緒にいるのだ。その子は拗ねたように横を向いていた。
不思議な面々だった。
その後、カガミの提案でリウヒたちが泊っている宿に向かい、部屋で色々な話をした。自分を探して色々な村や町を彷徨っていたという。海賊船に乗っていたといったら、リウヒが目を輝かせてうらやましがった。
「あら、もうこんな時間」
確かに日は高くなっている。
「あなたたち、今日は港での仕事があるんでしょう。早く行きなさい」
マイムが少女たちに言うと、二人はえー、と口を尖らせた。
「働かざる者食うべからず。じゃないと今日の夕餉は抜きですよ」
銀髪の男が笑うと
「トモキの再会を祝って、特別にみんなで酒場に行こうと思っていたのだが」
とシラギも笑う。すると二人は先を争うように部屋から出て行った。
「君たちも大分、扱いがうまくなったねぇ」
カガミが笑っている。
トモキ一人、訳が分からずぼんやりしていた。
「さて、ここからが真剣な話だ」
カガミが言うと、四人の顔が引き締まった。
彼らは、トモキを探しつつも王女の為仕事を請け負いながら、町や村を飛び回っていたという。
トモキが見つかった今、これからどうするかと言う相談であった。
「その事なのですが」
シラギが迷いながらも口を開く。宰相が言った言葉。若干、カグラを警戒しているようだったが、カグラは涼しい顔をしていた。
「一理ありますね」
ショウギの元愛人は口に手を当てながら言う。
「国王はショウギの手の内にあるのでしょう。今行動を起こせば謀反征伐の大義名分を与えかねない」
「そうなんだよねー」
「確かに狙い目は国王崩御だが…」
「あの、どうしてもリウヒさまに王位に就いてもらいたいんですか」
トモキが口をはさむ。
「ぼくは、わざわざあの宮廷へ戻るより、このまま外の世界で平和に暮らしてほしいのですが」
その方がリウヒの為になるに違いない。贅沢で醜悪な場所より、多少貧しくても清らかで美しい場所にいててほしい。
「トモキくんがそんな事をいうなんて」
カガミが珍しく怒り出した。
シラギも険しい顔でこちらを見ている。
「昔、君は王家の人間は、自分で稼いだ金ではなく国民の税で暮らしている。だからこそきちんと教養を受けて国に恥じない人間になるべきだと言ったね」
言ったような、言ってないような。あまり記憶にない。
「ぼくはそれを聞いて、たいへんな衝撃を受けた。そしてそうあるべきだと思ったんだ。さらに言えば、王家の人間には国を治める義務がある。それがどんなに困難であろうともね」
「わたしも王家の血を引かぬ者に仕える気はない」
シラギが語気も荒く言った。
「まっぴらごめんだ」
この人はこんなに表情豊かだっただろうか。トモキは別の所で疑問に思った。
「宰相の言う舞台が気になりますね」
思案顔でカグラが言う。
「内側から何か工作をする気でしょうか」
「どちらにしても、今は動けないのでしょう」
マイムが髪をかきあげた。窓辺に腰かけて腕を組んでいる様子はそれだけで絵になる。
「このまま旅を続けるのがいいんじゃないかしら」
みな頷いた。
「しかし、国王もがんばるね」
「寝ついてもう何年経つのだろう」
「ショウギが用済みだと思ったら、毒殺でもされるでしょうね」
カグラに視線が集まる。
「可能性の話ですよ」
「もしかしたら、以外にショウギは宮廷で孤立しているのかもしれないね」
部屋に沈黙が訪れた。
「ああそうだ、トモキくん」
カガミが呑気な声を出した。
「一応、リウヒくんが王女と言うのは伏せて旅しているからね。砕けた感じで接してちょうだいよ」
「そうそう、あの感動の再会の時みたいに」
マイムが笑いながら言う。
「やめてくださいよ!」
トモキが顔を赤くした。
「リウヒも随分変わったな。自分から抱きつくなんて」
「あなたもではないのですか。最初は王女を呼び捨てに出来なかった黒将軍」
「それを言うな、白将軍」
軽口を叩き合う二人の男に、カガミとマイムは笑い声を上げた。
御前試合で死闘を繰り広げた男たち。この人たちはいつの間にこんなに仲良くなってしまったんだろう。
トモキはちょっぴり疎外感を味わったのだった。
夕方になって、リウヒとキャラが戻ってきた。労をねぎらう大人たちに得意そうな顔をしている。そして、初めて参加を許される酒場への同行に興奮を隠せないでいた。今まで理由をつけては追い返されていたのに、今回は特別なのだ。二人はクスクス笑いながら、いっぱい食べようね、お酒もこっそり飲んじゃおうか、などとろくでもない相談をしていた。
「最近、なんだか妙に仲良くなっちゃって」
少女たちをみながらマイムが笑う。
「前はあんなにいがみ合っていたのに不思議ですね」
「良いことではないか」
「やっぱり旅はいいものだねぇ」
「あの子は何でついてきたんですか」
「ん?世の中を見てみたいんだって」
隣にいたマイムが一瞬微妙な顔をしたが、トモキは気が付かなかった。
以前、マイムが歌を披露した酒場の扉を開ける。喧騒が七人を包んだ。
少女たちが物珍しそうにあたりを見回す。舞台があるよ、酒の瓶があんなにあるんだとはしゃいだ声を上げた。
「こぉら、落ち着きなさい」
注意されても聞く耳をもたない。あたしたちもお酒を飲みたい、ねえ、いいでしょうと声を揃えてねだった。渋い顔でたしなめる大人組にマイムが
「果実酒を薄く割ってもらいましょうか」
と提案すると歓声をあげた。
キャラはともかくリウヒはこんな性格ではなかったはずだ。こっそりシラギに聞くと
「トモキがいるのと初めての酒場で喜んでいるのだろう」
と笑った。
七人は大いに食べて飲んで笑ってしゃべった。
特にリウヒはみなが呆れ心配するほど食べた。
シラギはひっそりと、しかし笑いながら飲んでいる。
カグラが手品を見せてくれた。
カガミが腹をゆすらせながらでたらめな歌を歌い、みなを爆笑させた。
トモキがリウヒにねだられて、船上の話を面白可笑しく語る。
マイムは基本的に黙ってはいたが、時たま絶妙な突っ込みを繰り出した。
キャラはただただ、笑い転げていた。
こんな酒は初めてだ。かつてカガミやシラギと部屋で飲んだ時とも、気のいい海賊たちの宴会とも違う。
リウヒがいるからだ。
トモキは目の前で楽しそうに笑う少女を見た。少女はその視線に気が付き、にっこりと笑い返した。
腹も膨れ、酔いもだいぶ回ってきた時、賑やかな団体が入ってきた。頭領と愉快な仲間たちだった。騒ぎながら酒場の隅を陣取っている。
「元気な集団だね」
「あ、ぼくがお世話になった人たちです」
そうだ、頭領にあらためてお礼を、探していた人が見つかったという報告をしないと。とトモキが席を立とうとした瞬間。
シラギが弾かれたように中腰になった。勢いで倒れた猪口からは酒がこぼれているにも関わらず、一点を凝視している。
「もう、なにやっているの…」
マイムが猪口を戻しながら同じ方向をみて固まった。
カグラがその視線を辿ってむせた。
カガミに至っては目を見開き、開いた口からは酒がだらだらとこぼれている。
リウヒはそんな面々を不思議そうに見ていたが、視線の先をみて驚いた。
トモキは今初めて気がついた。そうか。だから、どこかで見たことがあると思ったんだ。
キャラだけが何も分からず「なに?どうしたの?」と聞いていたが、だれも答えられなかった。
最初に行動を起こしたのはシラギだった。
つかつかと海賊たちに歩いて行く。中の一人がそれに気が付き
「あんだぁ、兄ちゃんなんか用かい」
敵愾心もあらわにした声をだした。
「そこの男に用がある」
「あぁ?」
「そこの笑いながらこちらを見ている男だ」
荒くれ共はいきり立った。
「うちの頭領を馬鹿にしてんのか」
「なんだお前」
殺意が走る。海賊たちはそろって構えはじめ、シラギも剣の柄に手を添えた。
「はいはいはい、ちょっと待った」
突然色っぽい女が間に立ち、手を広げた。
「ごめんなさいねぇ。懐かしい顔が見えたものだから、うちの連れがつい興奮しちゃって」
うふ、とシナを作りながら流し眼を荒くれ共に送る。根は単純な男たちである。ふにゃんと相好が崩れた。
その間にシラギは、カグラとカガミに両脇を挟まれ引きずられていった。
「なんだよ、ねえちゃん。うちの頭領と知り合いかい」
「そうなの、こんなところで会うとは思っていなかったから、びっくりしちゃって」
だから是非ともお話がしたいなーと、女は上目づかいで頭領を見た。
「わたしも驚きましたよ。とても珍しい方たちがいるものですから」
頭領が笑いながら女に言った。普段とは違う言葉づかいに男たちは顔を見合わせる。
「話すことなどありませんが、そちらはそうはいかないでしょう」
良ければ場所をかえませんか。と不敵に笑う頭領に女も花のような笑顔を返す。
「ええ、ぜひお願いいたしますわ」
その笑顔は華やかだったが目は笑っていなかった。
「アナンさま」
遠くでそのやりとりを聞いていたトモキの耳に、聞こえるはずのない潮騒が聞こえた。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「二度とわたしから離れるな」
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