「大見得切っといて、我ながら情けないザマだね」
紅葉御前の艶やかな浅黒い肌のあちこちに、それと判る程の打撲の痕と細い切り傷が見える。
「流石に式姫ヤァ、その足場で、ヨォ、私の攻撃を凌ぐわいナァ」
紅葉御前の想定していたより敵の攻撃が早いのか、岩を投げつけようとする動きを、あの伸縮自在の舌の攻撃で片端から牽制され、倒すどころか、満足な攻撃すら出来ない有様。
いくつか何とか投げつける事が出来た岩も、彼女の影すら捉えられず、空しく硬い山肌を砕いたのみ。
だが、それだけの劣勢にあって、紅葉御前は相手の言葉を鼻で嗤った。
「凌ぐも何も、反撃怖くて、んな距離からぺろぺろ舌を伸ばしてるだけの優しいお触りなんぞで何をしたいんだい?式姫が飴玉みたいに舐(ねぶ)ってりゃ減るとでも思ってんなら、まぁ何とも気の長いこったね」
その紅葉の言葉に、崖にへばりついた妖の美女は、若干不快そうに片頬を歪めた。
「安い挑発をお言いジャ無いかェ」
その言葉の響きに若干の苛立ちを聞き取った紅葉が、にやりと笑ってから顔を山頂に向ける。
「挑発と言うならそれでも良いけどよ、姐さんが呑気にあたしを舐めてる間に、山頂じゃおつのが烏の焼き鳥で店を開けるくらい在庫を積み上げちまうぜ、その内、香ばしい匂いがこっちまで漂ってくんじゃ無いかね」
軽口を叩いている紅葉だが、眼前の敵を侮る気はさらさらない、離れた場所から、速く鋭く鞭のように撓って襲い掛かる舌の攻撃は変幻に閃き、時に絡み付くようにして彼女の皮膚を切り裂き、時に叩きつけて来る威力は鬼神の振るう棍棒のそれに匹敵する打撃となって骨身を打ち砕く。 彼女の頑健な体であればこそ何とか凌げているが、これがおつのや主ではとても保つまい。
彼女と互角以上にやり合うこの力、紛れも無い、彼女こそ、この山の守りを委ねられた妖。
だからこそ。
「数羽なら兎も角、あんまりあいつらを焼き鳥にされちまうと、あの城にふんぞり返ってる連中に舐められんじゃないかい?」
それが嫌なら、ほれ、あたしをさっさと倒しに掛かって来な、出来るもんならね。
そう、啖呵を切る眼下の鬼神の式姫の姿を、彼女はねっとりとした視線で眺めやる。
確かに目の前の式姫の見透かしたように、守りを委ねられた地で、偵察隊を全滅させられては、彼女の名に傷が付くだろう事は疑いない……まして、あのいけ好かない人間如きに借りを作る事となるのは、彼女にとって我慢ならない話ではある。
だが、あの式姫を一息に仕留められる間合いに入るというのは、同時にあの手にした大斧の一撃必殺の間合いに近付く事でもある、それは余りに危険すぎる。
自分の強みを生かし、一方的に有効打を与えられる位置取りに成功したのだ、今は挑発に乗らずにあの式姫を消耗させ、弱った所を仕留めるにしくはないし、相手の式姫もそれは悟っている……あの挑発は彼女を自分の間合いに引き寄せる為の物。
見え透いた手だ。
式姫一人屠る功は、あの程度の小妖の損失如きとは比較にもならない。
「狙いは判ってるンだ、その手にゃァ、乗らないヨォ」
あの天狗の速度を以てしても、山頂に逃げた三つ足烏の群れを殲滅し、こちらに取って返すには、まだまだ時間が必要だろう。
その間に仕留める、その時間は十分にある。
「この舌でなら、アンタをねぶり殺しにしてやる事も出来るって教えてやるサァ、飴細工みたいに、そこに突っ立って死を待つが良いわェ!」
蜥蜴丸の力を得た体はこんなに軽いのか。
山頂に飛び去ったおつのを追い、細い崖路を駆け抜けても、全くぶれの無いこの体を以てすれば、さながら平野を行くが如く不安が無い、崩れ、切れている道をなんのためらいも無く飛び越し、危なげなく向かいに着地し、また駆け出す。
「……なるほど、皆が俺に付き合ってくれてただけだってのが良く判るぜ」
(ご主人様の鍛練を兼ねての事でもあり、皆も賑やかな遊山気分も味わえて宜しかったかと。 所でどうです、四肢の隅々まで神と気が行きわたり、自在に動かせることは心地よいでしょう?)
鍛錬の楽しみを人に伝える機会が出来た喜びに溢れる蜥蜴丸の思いが伝わって来て、男は苦笑した。
「そりゃまぁ、そうなんだけどな」
確かに、この感触は心地よい、この境地を求め武技の修練に生涯を捧げる人々が居るのも頷ける。
だが、自分はその道は選べない……身を鍛えるのも、書を積むのも、調べ物をするのも、全ては鞍馬に語った大願を成就する為に、必要な分だけ有ればよい術に過ぎない。
良くも悪くも、何かに耽溺する事は許されない、それが自分の選んだ道。
「……すまねぇな、鍛えがいの無い弟子でよ」
(……いえ、良いのです、主殿の目指す剣が、そこに無い事は弁えております)
その背に、多くの命と思いを背負う人が修めるべき、王者の剣こそがこの方には相応しい。
ただ、この方には何かに専念して、その道を究めるような生き方の方が向いているし、それを選んで欲しい、そんな思いが蜥蜴丸にはどうしても付きまとう。
言えば否定されるであろうが、私が最初に主と認めた、この方の祖父君と、この方は良く似ている。
そして、今、この方が歩んでいる道も同じ、あの人も遼遠すぎる目的の為に怯まず歩き出し、そしてその途次で無念の裡に倒れた。
もしこのまま、この方も今の歩みを続けた時、その辿る未来も……。
「ところで蜥蜴丸よ」
主の言葉に、蜥蜴丸の意識が現実に引き戻される。
(なんでしょう?)
「紅葉の姐ちゃんとおつのには、この山の崖を登るのは止められてたんだけどよ、お前さんの力借りている今なら、あの崖の小さな出っ張りを蹴って上に行くのも出来るんじゃねぇか?」
主が見上げる崖には、所々足場になりそうな出っ張りが認められる、確かに自分の力であれば、あれらを蹴って行けば、かなりの時間の短縮が見込めよう。
一刻も早く山頂に行き、おつのに合流したい、その思いが、二人に禁じられた事でも、この超常の力を得た体なら大丈夫では無いかという誘惑を囁くのだろう。
(ふむ……)
蜥蜴丸が暫し沈思した後に、慎重に口を開いた。
(確かに可能です、そしてかなりの近道になりうるでしょう)
「だよな、それじゃ」
蜥蜴丸の言葉に、今にも手近な所に飛び移ろうとする、その体が止まる。
(お待ち下さい、主殿)
「蜥蜴丸、何故止める」
珍しい主の焦りと苛立ちが伝わってくる。
この方はそう、安い私利私欲では動かない、自分自身すら駒の一つとして見る事が出来る、冷徹な程の判断力も持ち合わせている……だが、おつのや紅葉御前の身を案じ、彼女たちの戦の補助に急ごうとする思いが、その足を逸らせ、その判断を鈍らせる。
あの方もそうだった、我が子の為に、己の背負った過酷な運命を未来ある子らに継がせぬ為に、全てを自分一代で蹴りを付けようとして動き、焦り、道を誤った。
あの方と同じ思いを抱き、だが、全く違う道を歩き出したこの方を、同じ目に遭わせる訳にはいかない。
(軍師殿が、進む道に関しては全て二人に従う事、山の状況に関しては己の判断をしてはならない、そう仰っていた事をお忘れですか?)
「……そういやそうだったな、けどよ」
二人の判断はあくまで一般論、人の身の彼に向けての話ではないのか……だとしたら、今の蜥蜴丸の力を借りている自分なら。
(主殿も悪鬼殿に仰いましたよね、軍師殿の差配を信じ、それに従ってくれと)
「む」
蜥蜴丸の言葉に押し黙り、暫し無念そうに崖を睨んでいた主が、ふっと小さく微苦笑を浮かべて首を振った。
「……違ぇねぇ、俺がやんちゃしちゃ、留守番頼んだ悪鬼に怒られるよな」
(ありがとうございます、差し出口をお許しください)
「いや、いつも皆の助言には助けられてる、ありがとよ蜥蜴丸、それじゃ先を急ごうか」
(ええ、遠回りに見えても、確かな道を踏んでいく方が良い事もあります……今は、山の事を知り尽くしたお二人の言葉を信じ、この道を駆け抜けましょう)
鋭く切り立った山肌を駆け上るように、おつのは山頂に向けて真っ直ぐに飛翔していた。
その視線の先、三つ足烏の群れが何故か一様に山頂を目指し飛ぶ姿がある。
……どうして?
普通に考えれば、あの鳥妖の動きはおかしい。
多少の集団ではおつのには敵しえない、しかもおつのの攻撃は、彼らを纏めて焼き払う。
弱い存在が逃走時に集団を作るのは、あくまで彼らを一体一体餌食にする捕食者に対して的を絞りにくくする事で攪乱する意味合いが強い、つまり彼女の攻撃から逃げる時、集団で居る事には害しか無い事は、相手も判っている筈。
であれば、完全に散開して、それぞれがばらばらの方向に逃げた方が、生存率は圧倒的に高くなる、それが理解できぬ程に愚鈍な存在ではなかろうに。
「やっぱりそういう事なの、鞍馬ちゃん」
(奴らの中で、集団として動いている連中には、妖らしからぬ動きと判断をするという共通項がある)
偵察中の天狗君を追撃した際の、集団の総力として彼女に適わぬ数まで減った時点で撤退した判断。
完璧な勝ち戦にも関わらず、ある一定の線から先への追撃をぴたりと止めた骸骨兵団。
(可能性は幾つか考えられるが、大きく三つだろう、一つ、奴らを操る存在は妖では無いか、極めて理性的にその辺りを抑えて思考できる存在、二つ、活動範囲が限定的な為に、そもそもそう動かざるを得ない、三つめは、あれだけの群れである以上、ある程度の数を一塊としてしか操れない……もしくはまぁ、その内幾つかの要因が複合しているかも知れないがね)
小さく肩を竦めた鞍馬が織姫や天狗に顔を向けてから、言葉を続ける。
(これは最悪の状況ではあるが、私が今あげたような分析を成立させるだけの情報を敢えてこちらに匂わせる事で、更に致命的な罠に嵌めようという遠大な計画を敵が立てているという可能性も、現状では否定するだけの材料が無い)
(そこまでベラベラと講釈しといて最後に何だいそりゃ……あたしらは結局何にも出来ないって事かい?)
腕組みしてこちらに剣呑な視線を向ける紅葉御前の顔を見返して、鞍馬は首を振った。
(まさか、今私が言ったのは最悪の状況を考えた場合の事だし、そこも考えた上で仙人峠攻めを提言している、ただ情報が無い敵と戦うというのは、こういう可能性すら考慮しないと駄目という時点で、既にこちらが不利な状況となる事を知って欲しい)
(成程のう……では、その可能性はどの程度あるのじゃ?)
(さて、そこは何とも言えない)
仙狸の言葉を、鞍馬はあっさりと流して、小さく肩を竦めた。
(今回の仙人峠攻めは、その辺りの敵の出方、意図、能力がどうであれ対応できるようにと、作戦を立てた)
無駄に見えるかもしれない配置が幾つかあるのはその為だ。
(だが、この戦いの結果で、それらの未知だった部分に一定の答えが出せる筈だ)
それにより、奴らの纏う、未知という化けの皮を引き剥がす。
(幽霊の正体見たりではないが、未知の、得体の知れない存在という奴は、それだけで一回り巨大な存在として、意識の中に立ちふさがる物、先ず、君たちの中に敗北と共に植え付けられた奴らの巨大な虚像……それを叩き壊す)
目の前の三つ足烏達も彼女が言ったような動きを見せている。
三人に対し、それぞれの力量に応じた群れで襲撃し、そして今、逃走させるような、数十羽の「塊」としては扱う事は出来るようだが、「個」としては操りきれていない。
だから分散して逃がすという、この状況下での最善手が打てない。
(もしくは、そうやって遠くに逃がすか、分散してしまうと、制御が外れて正気に戻って逃げられるのかな)
思い付きではあるが、試す価値が有りそうだ……末席の末席を汚す程度の妖怪とも精霊ともつかない程度の輩ではあるが、知人の眷属で食べられもしない焼き鳥を作るのは、おつのの本意では無い。
(ノウマク、サマンダ……)
口中で小さく真言を唱えたおつのの手に、力が集まる。
「不動よ……無明を彷徨う衆生を導く、その力をお借りします」
■蜥蜴丸
この蜥蜴丸の力は、式姫の庭のゲーム本編で存在した、式姫を憑依させて力を増加させるという要素を取り入れた物になります、憑依させた式姫の防御特性も付与されるので、あれで随分と戦闘の幅が拡がったなぁ。
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