キャラがいつものように、トモキの家に行くと庭先に少女とオヤジの後ろ姿が見えた。
二人してなんだか真剣に話している。キャラが近づいてきた事も気が付いていないようだった。
オヤジは薪割りの最中らしく、汗をぬぐいながら少女の話に耳を傾けている。少女は偉そうに腕を組んで静かに話していた。
キャラは木の木陰に身を隠し、二人の会話に耳をすませた。
「なんの話をしているの?」
と聞いたところで、素直に教えてくれる訳がないのは今までの経験上で分かっている。
トモキが帰ってきたと喜んだのもつかの間、あっという間にいなくなってしまった。それを知った時は、鍋で後頭部を殴られたような衝撃を受けた。
すぐさま一番星をなじったが、星はただ夜空に瞬くだけであった。
トモキが消えて半年がたつ。
が、この丸いオヤジと暗い少女は未だトモキの家に残っているのである。なぜトモキが消えてこの二人が残るのか。訳が分からず、トモキの母や、オヤジに聞いてみたがうまいことはぐらかされるばかりであった。
キャラの母が
「もしかしたら宮廷の偉い人たちかもしれない」
と言っていたので、この二人がいればトモキは戻ってくる可能性は高いかもしれない。そう踏んだキャラは、なにかと口実をつくってはトモキ家に入り浸るようになった。最大の口実は、暗い少女を「寂しそうだから慰めてあげる」である。
キャラは偉いね、と大人たちは褒めてくれたが、本当はリウヒという名の少女が嫌いだった。
しかし、すべては自分の為…ではなくトモキの為だ。
改めて二人の声に集中する。
「でも、トモキくんはここで待ってろっていったよね」
「戻ってこないじゃないか」
リウヒが鼻を鳴らす。
「ゲンブの町でトモキに似た男が見つかったんだろう?」
「な、なぜそれを」
「そして、カガミもそこに行くつもりなのだろう。冗談じゃない、わたしも一緒に行く」
キャラは何となしにその会話を聞いていて、再び鍋級の衝撃を受けた。
この二人は、ここから出ていく相談をしている。仮にトモキがこの村に戻ったとしても、宮廷の偉い人たちである二人の後を追いかけるだろう。その時に、一緒に連れて行ってくれと懇願しても受け入れてくれないに違いない。
そうすれば、また会えなくなる可能性は高くなってしまう。一生会えないかもしれない。
どうしたらいい、あたし。考えろ考えろ…!
「それこそ冗談じゃないよ、君はここに残りなさい」
「嫌だ。トモキに会って散々文句を言ってやる」
「ゲンブの人が彼だって確証は、全然ないんだよ」
二人はまだ言い合っていたが、どうやらオヤジが根負けしたらしい。
「ああ、トモキくんに怒られちゃう。でも、王女さんをお願いしますっていわれたし、トモキくんには借りがあるしなぁ」
とブツブツつぶやいていた。王女?何をいっているのだろう。目の前にいる、この暗い少女が王女だとでもいうのだろうか。キャラは吹き出しそうになった。まさか。王女さまと言うものはもっと立派な人に違いない。
それよりも、自分の事だ。この二人についていけば、トモキに会える確率はうんと高くなる。キャラの脳みそは、未だない事回転して計算した。そしてたどり着いた答えは。
よし。
キャラは、息を整えると木陰から飛び出した。オヤジと少女が驚いている。
「あたしもついて行く!」
リウヒが目を見開いたまま凍りつき、その横でカガミがゆっくりと倒れていった。
君にもご両親がいるのだろう、まずはご両親の許可をいだたいてからだよ、というオヤジの言葉をうけ、急いで家に帰った。
許すはずがない、という言外を感じさせる言い方だったがキャラは鼻で笑った。
子供の知恵を見くびるなよ。
幸いな事に母は台所にいた。
「またトモキちゃんの所にいっていたの、夕餉の支度をするから手伝ってよ」
その母にまずは良い子ぶってお願いしてみる。
トモキのところにいる二人が、旅立とうとしている。自分はこの村しか知らないから、この機会に二人について行って外の世界を見て自分を高めたい、と。
我ながら説得力がないな、と思った。外の世界なんぞみてどうなる。何を高めるというのだ。世界はこの村の中だけで十分だ。
案の上、母は一笑に付した。
「何を馬鹿な事いっているの」
仕方がない、次の作戦だ。
母をしゃがませ、自分と同じ目の高さにする。
「いい?お母さん」
目に力を込めた。
「トモキさんのところにいる二人は、お母さんがいう様に宮廷の偉い人よ。女の子の方は王女さまかもしれない」
そうはみえないが、今は吹いておこう。
「トモキさんは、何かしらの縁で宮廷に上がったわよね。そしてこの村に残された弟さんとお母さんにはそこそこの金額が支払われているはず」
だって、あの弟は遠い町の中学へ行き、下宿すらしているのだ。
母の目の色が変わってきた。もうひと押しだ。
「もしも、あたしがあの二人についていくことで、宮廷にあがることになったらお家の家計も楽になるかもしれない」
最近、税が増えて父の酒代すらバカにならなくなってきた。家計は苦しい。親は何も言わなくても、子供には分かる。
「だから、お願い。行かせてください」
母は泣いた。最後のひと押し。
「あたしは、絶対大丈夫だから。だって、お母さんの子供だもの」
****
子供が笑い声をあげている。
両親に囲まれ甘えたように。そこの空間だけ幸せな空気が漂っている気がした。いや、そこだけではない。酒場に集うそれぞれの客が酒を飲んで楽しそうに騒いでいる。隅で愛を語らっている恋人たちも、仕事上がりであろう大工の団体も、常連のオヤジたちも、何の集まりなのか女性の集団も。
酒場の猥雑な空気を感じながら、カグラは猪口に口をつけた。
たまに、ごくたまに、世界の枠組みから外れているような奇妙な感覚になる事がある。
幼い頃から、一人でいることには、慣れているはずだったのに。
仕事一筋で自分を顧みてくれない父の背中を思い出した。そしてため息をついた。
いい歳をして父に認めてもらいたがっている事を自分でも自覚していたが、幼い頃から植えつけられた感情は中々去ってくれない。父への狂おしいほどの渇望は未だ胸の中にある。
ひっそりと自嘲するような笑みが出た。
外に出てから、ただ町から町へと彷徨うだけのつまらない日々を送っている。それを考えるとあそこは中々面白いところだった。最後、見事な炎を舞い上げ消え去った宮廷。
いや、意外な人を発見した。
接触しようか、どうしようか。
肴をつまみつつちびちび飲んでいると、扉が開いて背後の空気が一瞬揺れた。つられてカグラもそちらを見やる。
女が一人入ってきた。人々の目線を引き連れて。
金色の髪を結わずにそのままおろしている。衣は依然よりは大人しいが、襟を緩ませ肩まで出ていた。そこにいるだけで相変わらず目立つ。知っている顔だった。
その女はカグラの顔を見つけると、目を見開いたものの何も言わずに横に座った。酒を注文してつまらなさそうにカグラを見る。
「外に出たのね」
カグラが笑顔を浮かべたが、無言だった。
「年増女にくっついているものだと思っていたわ」
無言。
「どうせあれもすべてあなたの仕業なのだろうけど」
無言。
ま、あたしには関係ないけどね、と呟いて運ばれてきた酒に口をつけたマイムにカグラも口を開いた。
「あなたも外に出たのですね」
マイムは明後日をみて無視した。
「宮廷の中で踊り明かしているものだと思っていました」
無視。
「どうせショウギが嫌で外に出たのでしょうけど」
無視。
まあ、わたくしには関係のないことですけれどもね、と呟いて再び猪口に口をつけた。
しばらく、言葉を交わさずに黙々と酒を飲んでいた。お互い別々の方を向いて。
宮廷一の踊り子だった女と、国王の愛人が夢中になった男は、まったく酒場にそぐわず浮いており人目を引いた。が、その間にながれる空気は極度に冷え切っていて、みな見て見ぬ振りをしていた。
そういえば、とカグラがぽつりと言った。
「この町で王女を見かけました」
マイムが弾かれたようにこちらをみる。
「御前試合で一度しか拝見したことがなかったのですが、わたくしは人の顔は忘れない性分でしてね。あの方は間違いなく王女でした」
「何を考えているの」
目の前の女が睨みつけるように見つめてくる。それはまるで燃えているように光っていた。
カグラはこの女のこういうところが好きだった。今まで周りにいた女は、好意しかよこしてこなかった。その大きさに違いはあっても。たとえカグラに興味を示さないものがいたとしても、甘い言葉を二言、三言ささやけば、尻尾を振って寄ってくる。
マイムは最初から違った。初めて接触した時は、ショウギに喧嘩をこっそり売り、カグラに対しては、どこか投げやりな態度だった。そのくせ仕事はきっちりとこなしてくる。他の間者よりよっぽど役に立った。
マイムと話すことが、認めたくはないが心地よかったのだと思う。だからあの時、うっかり漏らしてしまった。別に後悔はしていないが。
喧嘩を売るような棘のある声でマイムが言う。
「あたしも一緒に行くわ」
その言葉を待っていた。
もしかしたら。
ふとカグラは思う。
もしかしたら、おれはこの女を相当気に入っているのかもしれない。
****
気に入らない。むしろ嫌い。
それがキャラのリウヒの対する評価だった。
カガミと言う名前のオヤジとリウヒと行動するようになって、数日間が過ぎた。ゲンブの町に着いて捜索しても、トモキらしき人はいなかった。
しかも。キャラはイライラと爪を噛む。あたしとカガミが手をつくして町中探し回っているのに、あのリウヒはのんびりと宿で待っているのだ。だから本人に怒鳴ってやった。横でカガミは真っ青になっていたがそんなの、構わなかった。
リウヒも目を丸くして聞いていたが、
「それもそうだな」
とあくる日から外に出るようになった。なにがそれもそうだな、よ。常識が欠落している。完全に欠落している。言われなきゃ動かないなんて。
一緒にいたカガミというオヤジも頼りがいがあるのかないのか分からない人だったが、いないよりはマシだ。
時々、訳の分からない事を聞く。
「例えばだ。ある人がいる。その人は自分の為だけに他の人を苦しませている。君たちは苦しめられる方の立場だ。だが、その人を倒そうと思えばできるんだ。大変だけどね。
さあ、どうする」
「あきらめる」
二人は口をそろえて答えた。
「だって、大変なんだろう」
「あきらめて受け入れた方が楽だもの」
オヤジは額を机に付けて撃沈していた。
「キャラくんはともかくリウヒくんまで…。ぼくたちは一体何を教えていたんだろう」
とかなんとかブツブツいっている。
リウヒにどうしたのこの人、と聞いてもさあ、と首をかしげていた。
だけど、さすがお偉いさんだわ。お金の心配はない。
リウヒが別珍の袋に入れた、宝玉を持っていた。大人の拳ほどもある。キャラはともかく、カガミも初めて見るものだったらしく、あの騒ぎの中でよくこれだけのものを持ち出したねえ、と感心していた。
が、リウヒ曰く
「これで殴れば、痛いだろうと思って」
どうやら武器のつもりだったらしい。カガミとキャラは一瞬絶句した後、同時に大きなため息をついた。これから大丈夫なのだろうか、不安になった。
旅立つ日。
母と兄は、涙ながらに見送ってくれた。父はしょげたふりをしながらも、どこか嬉しそうだった。きっとキャラの顔が金に見えたのだろう。
そんなものよね。
そのままトモキの家に行くと、丁度別れの最中だった。
トモキの母が、リウヒの顔に手を当て泣いていた。
「あんなに小さな子だったのに、本当に大きくなって…」
顔に手を当てられた少女は、真っ青になって硬直していたが、みるみるそれが歪んだ。
「つらくなったらいつでも帰っておいで。ここはあなたの家でもあるのだから」
リウヒは、目から大粒の涙を流しながら「あ」と声を上げた。
「ありがとう」
それから小さな声で呟いた。
「かあさん」
トモキの母は耐えられず、リウヒを抱きしめた。そのまま、二人は崩れ落ちるように座り込み、お互いの肩に顔をうずめて泣いた。
その後ろではオヤジが一人、袖を濡らしていた。
やめて。
キャラは思わず目を背けた。自分の家と比較してしまう。己が仕向けたことだったが、「つらくなったら帰ってこい」などキャラの親は言わなかった。リウヒがトモキの母に「かあさん」と言ったのも腹が立つ。
静かに泣く三人を、キャラは冷めきった気持ちで見た。
あの場面を思い出すたびに、悲しいような、苦しいような、腹立たしいような変な気分になる。
宿に戻ると、カガミがいた。宿は一階が酒場、二階が宿泊部屋となっている。
「ああ、いまリウヒくんは来客中だから」
それがどうした。キャラはオヤジの声を無視して階段を上がった。声もかけずに部屋の扉を開ける。そして自分の目を疑った。
見たことがないほどきれいな女の人と男の人が、二人揃って自分と同い年の少女に跪礼をしていた。最高位の礼の型である。リウヒが「あ、キャラ」と声を上げたが驚きのあまりそのまま扉を閉めてしまった。
急いで下のカガミの元へ走る。
「リウヒっていったい何なんですか」
「君と同い年の女の子だよ」
それは分かっている。
「あの子って本当に王女さま?」
カガミは、つまみを食べる手を休めてしばらく考えていたが
「それは違う」
と言った。なんだ、やっぱり違うのか、と納得するキャラの耳には「まだね」と呟くカガミの声は聞こえていなかった。
Tweet |
|
|
1
|
0
|
追加するフォルダを選択
ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「この町で王女を見かけました」
続きを表示