「そろそろ上では、敵が主殿らに気が付いた頃合いかの」
仙狸が、殺風景な仙人峠の山肌を睨みながら低く呟く。
「どうかしらね、まぁ、おつのと紅葉御前相手にお喋りしながら登ってれば、昼寝してる連中でも気が付くでしょうけど」
心配だわ、と呟くおゆきの顔にも憂いの色が濃い。
あの二人に、蜥蜴丸の神体を持参した主なら、そうそう後れを取る事は無かろうが、相手の戦力も確とは読めぬ現状では、どうしても危惧は拭えない。
「にしても、鞍馬も何考えてるのよ、わざと見つかるように登れとか……」
上から岩でも落とされたらどうすんのよ。
「その時の警戒用におつの殿まで付けたんじゃから、余り心配するでないよ、紅葉殿は自然にせよ敵襲にせよ、落石や土砂崩れ程度への対処は慣れたもんじゃし、主殿はおつの殿に空に逃がして貰えば最悪どうにでもなる」
第一じゃな、そう言葉を挟んで、仙狸は肩を竦めた。
「余程の大軍が押し寄せたなら、道を破壊する事で進軍を妨害する挙にも出ようが、妖共とて空を飛べる連中ばかりでは無い、自分らも不便を来す道崩しに繋がるような事は軽々にはせんじゃろ」
恐らくあの軍師殿はそこまで考えた上で、先発隊の規模と質を主と相談の上で選定した。
山の事に通じた紅葉御前とおつのが居れば、小さな変化や危険にも対処ができようし、そして主に直接力を与え守護する蜥蜴丸によって、彼はほぼ式姫に準じた力で事に当たる事が出来る。
あの骸骨兵団のような存在はむしろ例外で、妖の多くは自分の力に自信と誇りを持っている連中が多い、僅か三人という少数相手ならば、直接襲撃で片付けようとする公算が高い。
「だと良いんだけど」
不満顔のおゆきの顔をちらりと眺めて、仙狸は小さく笑った。
「珍しく愚痴るのう、山神としては、主の山攻めに同道出来なかったのが、さよう不満か?」
「ええ不満よ。 そもそもわざわざ危険な思いしなくても、こんな山程度、妖さらまとめて全山凍結させてやる事だって出来るのに」
おゆきの言い種は誇大な物では無い、あの渦巻く妖気に守られた堅城は兎も角、この山一つなら、氷雪の結界に閉ざし、無力化してしまう程度は、彼女ならば十分可能。
「敵の偵察拠点としての機能だけ潰すならそれも良かろうがの、後でこちらが使わせて貰うには、ちゃんと制圧せねばな」
それに、それだけの事をすれば、さしものおゆきであってもかなりの力を失い、回復には時間を要すだろう。 おゆきの持つ広域の天候をすら操る強大な力は、こちらの持つ数少ない切り札でもある……鞍馬や主の判断としては、それはまだ切る時では無いという事なのだろう。
「その判断は判らなくも無いけど……」
不満そうにそう呟いて、おゆきも山を見上げた。
「私達がここに居る意味は一応説明して貰ったけど、こんな山裾に待機してて、本当にこの山を制圧する役に立つの?」
おゆきの言葉に仙狸が肩を竦める。
「わっちらの出番があるかは半々じゃと言うとったが、この役目はお主にしか出来ぬ。 後は軍師殿の知略を信じるしかあるまい……それに、おゆき殿の心配は判るが」
仙狸が僅かに眉を顰め、言霊を怖れるように、声を低めた。
「あの軍師殿がもし名前倒れだったなら、どの道わっちらの進軍は、ここでお終いじゃろうよ」
「……そうね」
頷き返すおゆきの顔も憂いの色が濃い。
妖の勢力が堅城を攻め落とし、自身の要塞化した事で、奴らは人や式姫の東西の往来をほぼ完全に遮断し、人の世界を大きく分断する事に成功している。
この戦略的な動きは、その辺の単純な妖が為せる事では無い、恐らくは大妖狐玉藻の前の分身、尾裂妖狐などの暗躍があったと見た方が良い。
それに抵抗する自分達が、このまま堅城を前に足踏みを続けていては、連携を断たれた人の勢力は各地で孤立無援となり、妖たちにすり潰されていく事になるだろう……数年後に苦労してここを突破してみたら、堅城の向うは妖の跋扈する世界、という状況になっていてもおかしく無い。
今の自分達にとって、時間も敵。
その意味では、鞍馬が不利を承知で、時を置かずに堅城攻略に着手した点は、彼女の判断の確かさを証す物。。
だが時間を取れない以上、こちらの戦力を増強させる見込みは薄い。現有戦力で事態を打開できるかは、彼女の軍略の才を加えた自分達の力が、あの城の守備隊の力を凌駕するかに掛かっているのだ。
「今は、信じて待つしかあるまいよ」
「こいつが、天狗を追い払った鳥妖か?!」
鋭い爪を閃かせて上空から鋭く襲い掛かる黒い影に向け、男が大きく蜥蜴丸を抜き打ちに振るうが、地に縛られたその身をあざ笑うかのように、それは鮮烈なまでに青い空を黒く切り裂く鋭い旋回を見せて、その斬撃を躱す。
刀を振り切って、僅かに体勢が崩れた男の隙を狙い、別の鳥妖が黒い一弾と化して彼の背を襲う。
「つっ!」
踏みとどまって切り返すのは厳しい、男はそのまま地に伏し、何とかその一撃を背中に流した。
だが、更に別の鳥妖が休む事は許さないというように男に向かって襲い掛かる、それを何とか膝立ちになり、大きく刀を振るってそれを退ける。
「大将! 大丈夫かい?!」
「今の所な、紅葉こそ気を付けろ、かなりの数に囲まれてるぞ!」
「判った、そっちはそっちで何とか切り抜けとくれよ……ったく、バサバサカーカーやかましいんだよ、アホガラス!」
罵りと共に振るわれた紅葉の一撃に空気が不気味に唸る。
腕を一杯に使って、紅葉御前が手にした大斧を振るう様を見るに、骨折の影響はさほど無さそうではある、天女や織姫の癒しの術の効果もさることながら、彼女自身の回復力の凄まじさには、相変らず驚かされる。
とはいえ、紅葉の剛撃も空を舞う敵を捉えきれていない、数羽が、斧の巻き起こした風圧に押されて姿勢を崩すが、僅かに羽根を散らしただけで、大した痛手にはなっていなさそうではある。
この鬼姫の手に有る戦斧は、恐らく掠る程度でも当たりさえすれば、彼らの体を粉砕するに足る威力を秘めている事は鳥妖も把握してるのだろう、男を翻弄しているのは二三羽だけだが、紅葉御前の周囲には、かなりの数が、慎重にその間合いを計りつつもひしめき、その動きを牽制している。
多少広い場所に出たとはいえ、その山道は未だ細く険しく、足場の悪さは如何ともしがたい、さしもの紅葉御前も戦い難そうではある。
「あーもー、親戚のおじさんのいとこのはとこの隣の家の子くらいではあっても、天下に名高い熊野ちゃんの眷属ともあろうモノが、妖気に当てられて凶暴化とは情けない、彼女の所のお札にもなってるその三つ足が泣くよー、今からでも遅くないから改心して静かな山に帰れー、帰らないと熊野ちゃんから牛王符大量に貰ってきて書きまくって片っ端から反故にしてやるぞー、この起請を反故にすりゃ、熊野で烏が三羽死ぬ、なれど私は三千世界の烏を殺し、昼までぐーすか寝て居たい、って痛い痛い!気安くつつくなこらーー焼き鳥にしちゃうよーーー!」
空から援護してくれる筈のおつのもまた、無数の三つ足烏に取り囲まれてしまい、得意の術を使っている暇も無さそうではある。
それにしても、ある程度は居るだろうとは思っていたが、まさかこれ程の数の鳥妖がこの山で警戒をしていたとは、想定外ではあった。
「軍師殿の見立ては正しかったみてぇだけど、ちょいとばかし数が多過ぎやしないかい」
「そんだけ、ここが偵察拠点として重宝って事なんだろうよ……っとこの野郎!」
紅葉に怒鳴り返しながら、男が襲い掛かって来た烏を払うように大きく蜥蜴丸を振るうが、その影も捉えられない。
男の剣の腕は、人としてはかなりの物ではあるが、中々に飛燕を落とすような所まで到達できる物では無い、ましてここは崖に面した細い山道。
紅葉やおつのには数十羽が群がっているのに対し、人の弱さをあざ笑うかのように、男を翻弄する烏は三羽だけ。
「畜生め……しかし流石に速いな」
(ご主人様、動作の速い遅いは、剣術ではさまで重要ではありませぬ。 今のご主人様は敵の動きを見てから刀を振るっている故に、敵の動作の速さに目の動きが幻惑され、敵に翻弄されるのです。敵の体の流れを見、動き出しの間合いを計り、それに応じる、そうでなくば敵の命に届き、それを断つ刃とはなりませぬ)
蜥蜴丸の教示が直接心に語り掛けてくる間にも、烏は襲い掛かって来る、それをいなしつつ、男は低く呟いた。
「成程……しかしその域に俺が至れるのはいつの日かね」
(それは、必要な事を心に留め、心身を練磨しつつ戦場に立つ事を重ねる内に、ある日、自分の身に宿っている事を何となく悟る……そんな物です)
何をどのくらいやれば身に付く、そういう物では無いのです。
見せつけるように男の周囲少し高い位置で旋回していた烏が、そろそろ仕留める時と見計らったか、一羽目が男に襲い掛かるのに呼応し、少し時をずらして二羽目、三羽目と、それぞれが急降下に入る。
「さてと、出来の悪い弟子の鍛練はお終いだ……わりぃが先生よ、そろそろ『実演』頼めるか?」
(承知しました、では「お借り」します)
蜥蜴丸の声と共に、男の周囲の世界が拡く、濃密な物となる。
今なら、手を伸ばせば、風を形あるものとして捉えられそうな程に、空気の流れが観える。
彼女の力を与えられ、研ぎ澄まされた感覚が、世界が教えてくれる事をより深く、男の耳に、目に、触覚に届ける。
(判りますね、ご主人様)
「ああ」
これが、彼女たちの「戦」の感覚。
俺は、この感覚に近付き、我が物としていかねばならない。
彼女の力を満たされた足が、大地を踏みしめる。
(結構です、では)
背後から、彼の心臓を鋭い嘴で抉ろうと無音で迫る烏の気配を、ゆるりと上体を僅かに動かして躱しつつ、右から迫るもう一羽に向き合う。
上げた目が、烏のそれとぶつかる。
(相手と正対し、敵の殺気とそれが向いている先を、何となく感じられますね?)
「そうだな」
彼の頭頂を抉るか、それとも牽制の為に腕を掠めようか……そんな相手の意図が蜥蜴丸の感覚を通すと、何となく判るのは、敵の視線や体の動きの流れを感じ取れるからだろうか。
生命の急所は、多くその体の中央、正中線と呼ばれる上にある。
敵と正対せねばそこを捉える事は難しい、だがそれは己の急所も相手の正面に向ける事ともなる。
(次いで構え、相手から我が身の急所を隠し、かつ敵の隙を過たず攻撃する為に練り上げられてきた姿勢)
すうと右足が後ろに引かれ、腰が落ちる。半身になった体の前に構えた刀が、更に我が身の急所を敵から遮る。
(そして、相手との間合いを見切り、それを制し)
軽い跳躍から、彼が手にした刀、式姫たる蜥蜴丸の神体が下段から、短く鋭く振り上げられる。
すっと自然に水の流れるが如く、鍛えられた鋼が、その羽毛と肉と骨、そして妖しの魂を通り抜ける。
(敵を断つ)
鮮烈な青空に墨をぶちまけたように、三つ足烏の黒い羽根が散る。
「やるねぇ」
「さっすがご主人様と蜥蜴丸ちゃん」
紅葉御前が口笛を吹き、おつのがにこりと笑う。
それを目にし、無力な人と思っていた相手が、思わぬ強敵だった事を悟り、三つ足烏の群れに恐慌が走る。
その群れに向かい、紅葉御前がニヤリと笑う。
「どうするねアホガラス、尻尾……尾羽か、巻いて逃げるか、あっちにも戦力割いて、アタシとおつのんに半減した戦力で当たるか……好きな方を選びな」
そう、これが彼が来たもう一つの理由。式姫並みの戦力を、それと隠して同行する事で、彼を足手まといと錯覚させ、相手の戦力を式姫二人に振り向けさせ、その隙を突く事で、一気に相手を突き崩す。
(さて、残りも片付けます、この一連の感触、体で覚えますよう)
「……おう、頼むぜ」
■蜥蜴丸
鍛錬、訓練馬鹿一代、式姫一の熱血姫だけど、ストイックさの合間に何とも言えない色香を感じさせるのが何とも魅力。
弊小説では主の佩刀兼護衛役として、今後もちょいちょい出てくると思います。
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「堅城攻略戦」でタグを付けていきますので、今後シリーズの過去作に関してはタグにて辿って下さい。
おつのの台詞に既視感のあった方、アイムユアファーザーズカズンズネッフューズルームメイト