「どうしたんだ、呆けた顔をして」
リウヒがトモキの顔を覗き込んだ。
びっくりして、身を引くと壁に頭をぶつけた。リウヒがケラケラと笑う。
昨日は一睡もできなかった。シラギの告白を聞いてからの記憶がない。それだけの衝撃だった。
目の前の笑っている少女を見ると、目の奥がツンと痛くなる。胸が引き攣れる。
そんなトモキにまったく気が付かず、昨日な、とリウヒが話し始めた。
「ジュズから面白い話を聞いたんだ」
教師の老婦人である。口うるさく怖いが、リウヒは孫のような感覚なのだろう、甘やかしている節があり、授業中にもいろんな話を聞かせてくれた。名家の出のくせに昔、放浪の旅をして各地を転々としていたそうだ。
「西国には、誕生日という風習があるらしい」
「誕生日?」
うん。少女はなぜか得意げだ。
「普通、年齢というものは年が明けると、みんな一斉にとるものだろう」
「そうですね」
「ちがうんだ」
リウヒは椅子に腰掛け膝を抱える。
「生まれた日にちに年をとる。しかも、親しいものたちでそれを祝うそうだ。貴賎に関係なく」
「祝う?では祭りが開催されるのですか?」
「多分」
トモキは首をかしげた。それでは人口がおおい都など、どうするのだろう。毎日どこかしこで祭りが開かれているなんて、陽気すぎて想像ができない。
「素敵じゃないか。自分の生まれた日が特別なんだぞ。それぞれ個別に年をとって、それを祝ってもらえるなんて」
うっとりとリウヒは語る。
歳なんてものは、自分を表わす記号にすぎない。便利にすぎない。でも、自分が生まれた日、大切な人が誕生した日を特別なものだとするその風習は、確かにひどく素敵なものに思えた。
「リウヒさまは、ご自分が誕生された日をご存じなのですか」
それならば、その日を皆で祝福してやろう。身内でひっそりと。祭りとはいかないまでも、カガミやタイキ、ジュズ、女官三人娘やシラギもよんで。
シラギ。胸が再び引き攣れた。憎い気持ちが腹の底にくすぶっている。
いや。みんな知らぬ振りをしていたのだ。あいつらみんな。
「知らない」
リウヒが首を振った。
みな、生まれた年は知っていても、日にちまでは知らない。重要ではないからだ。トモキも自分の生まれた日は知らない。
「では」
この少女に、記念日をつくってやろうと思った。
「わたしがリウヒさまにお会いした日を、誕生日にするのはいかがでしょうか。その日なら、わたしもよく覚えております」
うん、うん、とリウヒもうれしそうにうなずく。
「お前が、入廷した日…」
記憶を辿るように、遠くを見る。ふと眉をひそめた。
「いつだったっけ」
****
「それは、いつなのですか」
シラギはうんざりして聞いた。目の前の宰相もため息をついている。
「十日後だ」
忌々しげにいう髭男の顔を見ながら、この人も歳をとったなと思う。黒かった髭はすっかり白くなってしまっていた。心労と疲れから来るものも多いのだろう。やつれて一回り小さくなったようでもあった。欲がうごめいている宮中で泳いでいくのには相当な体力と知力を要する。ただ流されているだけなら、すぐに足元をすくわれて消えるだけだ。
その中で、精一杯、流されずに己の債務を果たそうとするこの男を、シラギは素直に尊敬していた。
しかし。
「誰なのです、御前試合などという事を持ち出したのは」
「知らぬ。だがショウギらと敵対している輩であることは間違いない」
最近、寝付いてすっかり気弱になっている王を慰めるため、御前試合を設けようじゃないか。本殿では、この話で持ちきりである。右将軍と左将軍、つまりシラギとカグラで、国王の前で剣の打ち合いをしてはどうかと言うのだ。
幼い頃から剣を叩きこまれ、今や国一番と言われるシラギに対し、左将軍であるカグラの経歴を知っているものはいない。が、一流の剣使いなどそうそう転がっていない。分が悪いのは目に見えた。
左将軍という肩書を持っているにもかかわらず、ただ王の愛人に侍って澄ましているだけの輩に一泡吹かせたい。と言うところであろう。
それならお前がやれ。
言いだしっぺにそう言いたい。
やっかいごとはごめんだった。大勢の人前で見せものになることも。
「陛下はなんとおっしゃっているのです」
「以外に乗り気で困っている」
宰相と将軍は同時にため息をついた。
このところ、王は持ち直して寝台から離れるようにはなっている。
「国王のほかに、その一族、臣下たちが見物する中での試合になるが」
「やりますよ」
そんな大勢の観衆の中の注目を集めるのは嫌だったし、左将軍に負ける気は全くなかったが億劫だった。しかし仕方がない。
これも仕事なのだ。たとえ滑稽な猿芝居であろうが、上からの命令なのだ。ならば舞台に上がって踊ってみせるしかないではないか。
「御前試合?」
王女は目を丸めてシラギをみた。茶器を机に置くと、チンと可愛らしい音が響いた。目の前には色とりどりの菓子や果物がある。昔から、食欲は旺盛だったが最近はさらに増えたらしく、午後に間食をするようになった。気持ちの良い食べっぷりで、目の前のものを胃袋に運ぶ王女をみて、背後に控えているトモキが口をだす。
「あんまり食べ過ぎると、カガミさんのようになりますよ、ほどほどになさい」
「それは困る。明日から控えよう」
そういってリウヒは饅頭をとって口に入れた。楊枝を使えとまた背後から声がする。
トモキはあれからシラギを避けるようになった。あからさまではないが、空気は伝わってくる。当然だと思う反面、寂しさは否めない。そう思う自分に驚いた。
「試合はいつなんだ」
「九日後です」
国王に正式に認定された。公式試合となる。
シラギの話を聞きながら、リウヒは目を輝かせた。こんな表情もできるようになったのか。改めて、目の前の少女の変貌ぶりに目をみはる。
「面白そうじゃないか、わたしもみたい」
「今なんと?」
幻聴かと思った。トモキも控えていた壁から身を浮かせ、固まっている。
「シラギが打ち合うのを見てみたいし、東宮からも出てみたい」
「人が大勢いますし、その、…陛下もいらっしゃるのですよ」
リウヒは僅かに表情を曇らせたものの、それはそうだろう、御前試合なんだから、と笑った。
「となれば、殿下のご衣装も用意せねばなりませんね!」
「わたしたちが腕によりをかけます!」
「誰よりも美しく装って御覧にいれます!」
女官三人が力強く宣言した。その勢いにリウヒが怯えたように、身じろぎをする。
「あの、あんまりに飾られても、恥をかくのは王女なんだから…」
恐る恐る諌めたトモキを侍女たちはギッと睨んだ。
「トモキさんは、わたしたちの感性を信用してらっしゃらないの?」
「そうだ、殿下の近くに控えられるのなら、トモキさんの衣装も必要よ!」
「お姉さんたちに任せなさいって!」
興奮した三人に囲まれたトモキは壁際に追い詰められ狼狽している。そんな風景を見ながらシラギがポツリと言った。
「王女さま、健闘を祈ります」
リウヒも返した。
「うん、お前もな」
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「西国には誕生日という風習があるらしい」
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