No.109644 Princess of Thiengran 第二章ー入廷・再会32009-11-29 22:12:33 投稿 / 全7ページ 総閲覧数:419 閲覧ユーザー数:412 |
よし、これで常に自分がどこにいるか確認できる。自室の机の上に、地図を勢いよく広げた。
思ったよりも緻密な図だった。
「面白そうだねぇ」
嬉しそうにカガミものぞきこむ。
「で、どうするんだい」
知らなければ何も始まらない。
地図と足で宮廷の地理を徹底的に叩き込む。全体は広大ですぐには無理だから、とりあえず東宮の辺りを重点的に。
それから、リウヒの女官たちに話を聞く。毎日、仕えているのだから詳しいだろう。
カガミの他に、どんな人が教師となっているかも知りたい。
食事時には必ず帰ってくるというから、それから後を付けるという手もある。
どこに隠れようが逃げようが、必ず捕まえて連れ戻す。
まずは、王女自ら勉強する意欲を引き出すことだ。
「それは難しいよ」
カガミが口をはさむ。
「やる気のない人は、何を言ってもやらないからさ」
「でも、それは義務じゃないですか」
トモキも言い返す。
「自分で稼いだ金じゃなくて、国民の税で暮らしているんですよ。だったら、ちゃんと教養を身につけて、国に恥じない人間になるのが王族の義務だと思うんです」
「君は面白いことを言うねぇ」
オヤジは小さい目を丸めて感心している。
「国王に聞かせたいくらいだ」
それから、しばらく茶を飲みながら歴史を肴に雑談した。オヤジのよもや話は面白く、この男と同室になって良かった、と思った。
すべては明日から。
あくる日から、トモキは精力的に動き回った。
地図と照合しながら宮中を歩き回るのは、体力的に疲れたが、楽しくもあった。迷子になることもない。大きな紙を広げて歩きまわるトモキを、女官や侍女たちが不思議そうにみていた。
それから、リウヒの教師たちを紹介された。
読み書きや国語を教えているのは、タイキという老人で、立派なふさふさした髭を生やしていた。
歴史はお馴染みカガミ。
教養、行儀、礼儀の教師はジュズという名の、怒らせたら怖そうな年配の婦人だった。新参者ですけど、と言って老女は笑った。
剣や、武術、馬術の指南がシラギだったが今日も忙しいのか不在だ。
リウヒは、特に何が苦手というわけではなく、気分しだいで授業を受けたりすっぽかしたりしているそうだ。頭はいい子なのにと、みな一様に嘆いていた。しかし、彼らは他の王子たちの勉強もみているのだ。王女のみに、与えられた以外の時間は割けない。
このときも、リウヒは行方をくらましていた。
女官たちにも話を聞く。
王女の世話をしているのは全部で三人である。それが多いのか少ないのか、トモキには分からなかったが、本人たちは不満であるらしい。ショウギの息子にだって十人はいるのに、と文句を言った。
彼女らは、話好きなたちであるらしく、軽快に語ってくれた。
王女の寝室は別だが、一日のほとんどをこの部屋で過ごすという。授業を受けるのも、食事をとるのも。
そして、気が付くとふらりといなくなるのだそうだ。最初のうちは、大騒ぎして捜しまくったが今ではもう慣れてしまったという。
「宮廷から出るわけではないしね」
「出られないしね」
あえて黙認することもあるという。ただ、たまに夜中にでも歩き回るため、その時はシラギが探し回るそうだ。
まるで腫れものに触るようだな、と、トモキは思った。
大層、扱いにくい王女であるらしい。始終、不貞腐れており気に入らない事があると、癇癪をおこし物に当たる。深夜に野獣のように泣き叫ぶ。笑わない。殻に閉じこもって、話しかけても無反応。触られることを極端に嫌う。公の場に出たこともない。
「最初の頃は、愛くるしくて可愛らしい方だったのに」
「やっぱり、あれよ、陛下が…」
「ちょっと」
話しかけた女官をもう一人が、肘でつついた。つつかれた方も、はっとして口に手を当てる。
「陛下がどうしたんですか?何かあったんですか?」
何でもないの、何でもないのよ、と三人が同時に首を振る。
「ごめんなさい、わたしたちそろそろ行かないと」
「がんばってね、お守役」
「そして、この話は忘れて」
慌てたように去って行った。
トモキは呆けたように、その場に取り残された。
始めは、王女がリウヒだとは思わなかった。もしかしたらリウヒは死んでいて、違う少女が身代りになっているのではないかとも思った。
しかし女官は、最初は可愛らしかったといった。他人であれば、シラギが自分をここに呼ぶはずがない。あの暗い闇を纏った王女は、間違いなくリウヒだ。あれだけ変貌するのは、何か原因があるはずだ。
実母である側室が亡くなったからだろうか。それとも、あの国王とショウギが苛めたのだろうか。
数日間だけだが、宮廷で暮らしてみてトモキは肌で感じていた。ここは、いい人もいるけど、いい人の皮をかぶった悪い人の方が、いっぱいいる。いや、無関心に日和見を決め込んでいる人がほとんどかもしれない。
でもぼくは、そんな中で自分のできる精一杯のことをしよう。
そう決意も新たに、夕暮れの空に誓うのであった。
****
沈みゆく夕時の光を受けて、赤く輝く銀髪が風にたなびいた。
髪の隙間から見える瞳は薄紫で、宝玉を連想させる。その美しい男に、しな垂れかかっている女がいた。
ショウギだった。
後宮の一角、南宮にある小さな園の長椅子に座って沈みゆく太陽を見ている。
「この間は、陛下に推薦していただき、ありがとうございました。左将軍というもったいない地位を頂き、感謝の言葉もありません」
楽の音のような、低く流れる声に女はうっとりとする。
「何をおっしゃいます、そのような水臭い…」
あなたとわたしの仲ではありませんか、と甘えたように身を寄せた。
「ああ、もうすぐ陛下の元へ参らなければなりませぬ、わたしはここから動きたくないというのに」
さらに縋りつくと、男の手が女の肩に回った。
「わたくしも、あなたを行かせたくはありません」
耳元で囁くその声がなんと甘いことか。
「このお体を陛下の老体が抱くと思うと、悲しさと悔しさで夜も眠れません」
とたんにショウギが硬直した。
老体。老人。
国王はもう御歳七十を過ぎている。死期が近づいている。王が死んだら、後ろ盾を失った自分はどうなるのか。何もかも失うのは確実だ。失うわけにはいかない。失ってなるものか。
「申し訳ございません、嫉妬のあまり失礼なことを申し上げてしまいました」
再び耳に掛かる男の声で、我に帰る。
いいえいいえ、という風にショウギは首を振った。耳飾りが涼やかな音を立てる。
遠くに、女官が控えるのが見えた。行かなければならない。
別れの言葉を、情緒たっぷりにささやいて立ち上がろうとした時、激しく口を吸われた。
あまりの激情に一瞬我を忘れそうになる。否、忘れた。
気が付くと、女官たちを引き連れて歩いていた。後ろを振り向くと、男がほほ笑みながら立っている。
銀髪の男は、ショウギとその女官が見えなくなるまで笑顔で見送っていた。そして一団がいなくなると笑顔のまま唾を吐き、口を拭った。
日はとうに暮れ、夜のとばりがおりていた。
****
夜明けとともにトモキは飛び起きた。身支度もそこそこに、急ぎ朝餉をとりに食堂へ向かう。勝負の日だ。気合いを入れ直して席を立った。
「おはようございます」
東宮の、王女の部屋に入室したリウヒと女官三人は、ギョッとして身を引いた。
トモキが窓辺に立って、爽やかな挨拶をしてきたからである。
女官たちと面識がなければ、警備をよばれていただろう。根回ししておいてよかった。トモキはこっそりと息を吐いた。
リウヒは、不審者に驚いたものの関心なさそうに椅子に座る。どうやら食事のための椅子と卓であった。
奥の方にはまた違う机と椅子がある。多分あれは勉強の為のものだろう。
「あの、殿下はこれから朝餉を召されるのですが…」
「あ、ぼくの事はかまわないでください。食べてきたんで」
と、顔の前で手をふった。
そういうことじゃあないのだけど、と女官が呟くのを無視してリウヒを観察する。
髪は相変わらず結われておらず、薄紅色の衣に茶色の帯を締めていた。いささか渋い組み合わせである。目の前に、朝餉の準備がされているのを無表情でみていた。今日も顔色が悪い。
「お召し上がりくださいませ」
女官たちが一礼すると、なんと王女は手づかみで食べ始めた。
ひどい。これはひどすぎる。記憶の中のリウヒは五歳だったが、箸は使えた。
「箸を使って食べてください」
女官たちが驚いた眼で見ている。リウヒはちらりとトモキを一瞥し、無視した。可愛くない。
食べ終わった後、片付ける女官を尻目に扉へと歩いて行く王女に声をかけた。
「どこへ行かれるのです、もうすぐ勉強の時間ではないのですか」
リウヒは再びその声を無視して外に出た。
厠かな。いや、違う。
外に出ると、王女は脱兎のごとく走り出した。もちろん後を追う。
七つのくせして速い。トモキも全速力で走った。女官や侍女たちが慌てて道を開ける。
前方にカガミの姿が見えた。王女の部屋へ向かう途中か。
「あ、トモキく…」
オヤジの声と姿は、一瞬で前から後ろへと流れていった。
「待っていてください、必ずや王女を捕まえて授業を受けさせます!」
そう叫び、走ることに集中した。
「だから元気だしなって」
リウヒの部屋、リウヒの机に突っ伏したトモキの頭上から呑気な声が聞こえる。
王女はいない。まかれたのだ。宮外にでて、階段を下りて、上がって、角を曲がって、袋小路に追い詰めたと思ったら、誰もいなかった。辺りを必死に探したが、やはりいなかった。
「カガミさん、ぼくは悔しいです…」
「そのすぐ落ち込む性格、なんとかしたほうがいいよ」
「若者は繊細なんです」
「じゃあ、早く大人になるといい」
そういえば。顔をあげて聞いてみる。
「カガミさんやほかの先生方は、王女がいない間何をされているんですか」
オヤジはうーん、と唸った。
「そうだなあ、散歩したりとか、部屋に戻ったりとか、お嬢さんたちと話したりとか…」
控えていた女官らが小さく笑った。
「授業を受けてくれないのは悲しいけど、受けないのは王女さんの責任だろう。受けるのも受けないのも、本人が決めていることだよね。いくら七つとはいえ、自分の判断には責任を持たないと。嫌だからって逃げてばかりじゃあ、後で手ひどいしっぺ返しを食らうと思うよ」
「随分と手厳しいんですね」
「ぼくは厳しい男だよー」
自分には甘いけどね。あ、お茶のお代わりもらっていいかな。
厳しいのか呑気なのか。侍女に茶を注がれて寛いでいるオヤジを目の前に、トモキは考えた。
多分、ここの人たちは、自分さえ良ければいいのだ。国王も、ショウギも、女官たちも、カガミや、シラギでさえも。別に間違ってはいない、自分が一番可愛い。ぼくだってそうだ。手を煩わす王女は、厄介者なのだ。厄介者には誰も関わりたくない。もしかしたら、リウヒは解った上で待っているのかもしれない。それを乗り越えて、自分を叱ってくれる人を。
考えすぎか。
しかしそれ抜きにしても、ぼくはカガミさんのように突き放せない。まだ七つなのだ。
頭の中に、五つの頃のリウヒがちらりと浮かんで消えた。
王女の手を引いて、正しい道に戻してやるのが、ぼくの仕事なんだ。
トモキはため息をついた。どんな手を使っても。
それから数日間、リウヒは何食わぬ顔で戻り食事をするものの、トモキの顔をみれば逃げるようになった。その度に王女を追いかけまわし、結局はいつもまかれる。地図をだして確認し、捜索する。地図はもうボロボロになってしまった。
とある昼餉後。初めて王女の捕獲に成功した。東宮の外れの小さな庭園で追い詰めたのである。十三歳の少年と七つの少女は、構えたままジリジリと睨み合った。
そしてリウヒの肩をつかんだ瞬間。
「触るなっ!」
激しい勢いで振り払われた。憎悪を含んだ目でこちらを睨みつけている。
トモキはその剣幕に驚いたが、ここで隙を見せればまた逃げだしてしまうに違いない。
構えを解かずに、そのまま前進した。
王女は唸りながら後退するが、後ろは木に阻まれて動けない。
一瞬の隙をついてトモキは丸太のように王女を肩に担いだ。
王女はびっくりし、野獣のような声をあげて暴れた。警備の者たちが、慌てたように駆けつける。
「あ、大丈夫です。ぼく、シラギさまに任命された王女の教育係なんです」
ご心配なくーと呑気に手を振る。シラギの名前がきいたのか、彼らは訝しがりながらも去って行った。
未だ暴れるリウヒを担いで、部屋へと戻る。途中、女官らの目線が痛かったが、あえて気にしないことにした。更にリウヒが手加減なしで叩いたり、引っ掻いたり、髪を引っ張ったりするので痛いことこの上ない。が、そのうち暴れ疲れたのだろうか、大人しくなった。
部屋にいた、タイキ…国語の老師と女官たちは仰天した。
ぐったりした王女を担いだ、傷だらけの少年。
何事かと大騒ぎになった。慌ててトモキが説明する。再び老師と女官らは仰天した。逃げ出した王女を捕まえるなんて、シラギさんもできなかった、と老師は笑った。
とりあえず、リウヒに水を飲ませて落ち着かせ、授業開始となった。
その隅で、女官の一人がトモキの傷の手当をしてくれた。
薬を塗られながら、トモキは老師の声に耳を傾ける。低くて、朗々としたいい声だった。
頭のいい人って、教えるのもうまいんだな。
理解しやすく、頭にすんなりとはいる。リウヒは、大人しく本に目を落としている。普段のふてくされた態度は影をひそめ、素直に聞いているようだった。
傷の手当が終わり礼を言った瞬間、トモキの腹が盛大に鳴った。あまりにも大きくて部屋に響いたくらいだ。その場にいた全員が止まった。
再び腹の音がなり響く。トモキは恥ずかしさの余り、倒れそうになった。
静寂が耳に痛い。せめて誰か笑ってくれ。そしたら少しは救われるのに…。
回転する頭の中で、そう願った時。
クスクス。
小さな笑い声が聞こえた。リウヒが笑ったのである。老師と女官たちは、本日三度目の仰天をした。トモキもびっくりした。
リウヒが笑った。
笑い声は、部屋中に感染するように静かに広がっていく。タイキが苦笑しながら言う。
「厨房であれば、まだ何かあるかも知れんよ」
女官も笑いながら
「では、わたしがとってまいります。トモキさんは待っていらして」
と、食堂に行ってくれた。
「昼餉を食べる時間がありませんでしたものね」
「シラギさまにお願いして、殿下と一緒にお食事を取られてはどうかしら」
本当は許されないことだけど、と女官たちは再度笑った。
リウヒは元の仏頂面にもどっていたが、心なしか険が取れている気がした。
それからというもの、トモキは一日の殆どをリウヒと過ごすようになった。
朝、起きて身だしなみを整えた後、リウヒの部屋へ行く。
リウヒの一日の予定は、大体決まっていた。
朝餉をとり、カガミの講義を受ける。次に礼儀作法で、それが終われば昼餉。その後、タイキの授業を受け、シラギが来れば剣術を習い、夕餉を終えた後は寝室へ向かう。
食事は一緒にとり、王女が講義を受けている間は近くで控えていた。実際は控える振りをして、真剣に聞いていたのだが。
リウヒの剣の腕は…非常に危なっかしかった。が、二十二歳のシラギに向かって、しゃむにつっかかっていく。もちろん、軽々と受け流されるものの、見ているトモキはいつも手に汗を握ってしまうのであった。
自分も剣を習いたい、とシラギに申し出た。教師は誰でもよいから、と。
シラギは了承してくれた。
「剣を握ったことは?」
「包丁ならあります」
「それは剣ではない」
「すみません」
シラギ自らが教えてくれるという。願ってもないことだったので、トモキは喜んだ。
「でも、お忙しいんじゃないですか」
「いいんだ。最近はわたしも手を抜くことを覚えた」
いいのかそれで。
内心つっこんだものの、何も言わなかった。
「ただ、すぐには無理だが」
それは仕方ない。トモキは礼をとり、感謝の意を述べた。
相変わらずリウヒの逃亡癖は抜けずに、追いかけっこをする毎日だが、それも段々と減ってきた気がする。話しかけてさえくれるようにもなった。
少しずつ、良い方向に向かってきている。そういう風に思うような日々が過ぎて行った。
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ティエンランシリーズ第一巻。
過酷な運命を背負った王女リウヒが王座に上るまでの物語。
「嫌だからって逃げてばかりじゃあ、後で手ひどいしっぺ返しを食らうと思うよ」
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