ラスとの手合わせを終えて、椅子に座って休憩していたクロ。
先ほどラスに忠告された贖いの時について考えこんでいたクロの前に、ある人物が近付いて話しかけてきた。
「……お久しぶりですな。」
元ハイランドの将、キバである。
クロが皆の前でシュウに紹介された時、もちろんキバもその場にいた。その時には気付かなかった。クロの纏う気配が、キバの知るあの人物とかけ離れていたからだ。しかし、先ほどのクロの剣技を見て確信せざるを得なかった。あまりにも同じだったのだから。
「……誰かと勘違いしていないか。」
「いえ、先ほどラス殿との手合わせを見ておりました。あなたの剣を、見間違えるはずはありませぬ。」
死んだはずのあなたが何故ここに、と叫び出したいのをぐっと堪えて、拳を握り締めるキバ。クロはシュウが紹介したヒエンの恋人、当然シュウも正体を知っていると察したのだ。
クロも出来るだけキバとの接触を避けたかったが、仕方ないかと立ち上がる。
「どちらへ?」
「…部屋に戻る。話はそこでするとしよう。俺も、お前も、この場に余計な混乱を招きたくは無いだろう。」
「……そうですな。」
クロの落ち着いた様子にキバは内心驚いていた。本当にあの方なのか自問自答するも、あの剣技は間違いない、と頭を横に振る。
「クロ、もう行くのか?お疲れさん。」
「ラス様相手なら負けても仕方ねえさ、気を落とすなよ!そういやお前飲めたっけ?」
「いや、俺は下戸だ。ヒエンからも止められている。」
「またヒエンか!」
「ほんとアッツアツだなお前ら!」
はははと笑うフリックとビクトールと話すクロの姿に違和感を感じつつ、キバも二人に挨拶してクロの後についていくのだった。
クロとキバがヒエンの部屋に入ると、室内にムクムクがいた。ヒエン以外が来たら教えてくれとクロが言うと、ムムッ!と敬礼してドアの外へ行き扉を締めてくれた。
「…ムクムク殿とも仲がよろしいようで。」
「あいつらには世話になったからな。」
室内の椅子に座るように促す。キバが座った向かい側に座り、決して大声は出すなと釘を刺して、仮面を外した。
「っ!!?やはり…!!」
クロ、もといルカの顔を見て驚愕するキバ。椅子がひっくり返る勢いでガタッと立ち上がったが、叫び出したい衝動を拳を握り締めてぐっと堪え、椅子を直して再び座った。
「何故、何故生きている…ッ!!名を変えてまで…ッ!!」
「……あの夜襲で俺は死ぬはずだった。俺を生かしたのは、ヒエンだ。」
「何っ?」
話せば長くなるが、と前置きしてルカは語り始めた。
グリンヒルの森で偶然ヒエンに会い、好きだと告白されたこと。夜襲で死にかけていた自分をムササビがここに運び、ヒエンの輝く盾の紋章で瀕死の重傷から回復したこと。右腕を動かないように封じられ、そこからヒエンによる監禁生活が始まったこと。それがシュウにバレたこと。ルカもヒエンを愛するようになり、右腕の封印を解いてもらい、ヒエンの敵を斬る決意をしたこと。ヒエンとナナミと関わるうちに自分も変わっていったことを、包み隠さず話した。
最初は怒り心頭といった様子で聴いていたキバだったが、ヒエンによる監禁のくだりで青ざめ頭を抱えたりしながらも、話が進む内に落ち着きを取り戻していた。
「…ヒエンとナナミには、あのおぞましい事件のことを話してある。」
「なんですと!?」
キバは再び驚愕する。
「どちらも、俺が都市同盟を憎む理由を知りたいと言ってきた。ヒエンは最初呆然としていたがそれは憎むのも仕方ないと理解を示し、ナナミはダレルに対して物に八つ当たりするほど怒ってくれた。」
「あのお二人が…。」
「意外だろう。今まで俺に取り入るために下手な慰めをするか、腫れ物に触るような態度を取る奴しかいなかったのだからな。」
キバは改めてルカを観察する。あの事件以降憎悪を纏い破壊衝動に駆られ険しい顔しかしなかったルカが、憑き物が落ちたように落ち着いている。何よりも、あの狂皇子ルカをヒエンが監禁するほど愛し、ルカもそれに応えたという。本当に変わられたのか。
しかし、このルカはアガレス陛下を暗殺した。あの用心深いアガレス陛下を。ならば、聞かなければならない。真実を。
「一つお聞きしたい。あなたは何故、いかなる手段をもってアガレス陛下を暗殺したのですか?」
「…あの事件で母を罪人共に差し出し玉座で震えていたあいつを、殺したいほど憎んでいたのはお前も知っているはず。だが、暗殺の手引きはジョウイだ。」
誓いの杯に垂らす血を毒とするために、ジョウイが毒を飲んだと。そのジョウイが、ルカがあの蛍舞う崖で命を落とすはずだった夜襲を密告してきたとキバは語る。
「…やはりな。奴は自分が皇王になるために手っ取り早い方法を選んでいたか。」
「あなたは知っていて夜襲に乗ったのですか。」
「ああ。あの頃の俺が望むのは破壊だけだった。そんな王を周りが疎んじていたのは知っていた。それでも俺は都市同盟の豚共の殺戮と、母を犠牲にした世界の破壊を望んでいた。」
「…あの頃は、と仰いましたな。今は、いえ、今も破壊を望まれているので?」
「今は、違う。」
死ぬはずだった自分を救い、監禁するほどの独占欲と愛情をくれたヒエン。八つ当たりするほど素直に怒ってくれたナナミ。その二人の笑顔を、曇らせたくはない。
「右腕の封印が解けて、俺に出来るのは戦うことだけだと思い知った。だから俺は、クロとして剣を振るうことを決めた。全てはヒエンを、ヒエンの大事な家族のナナミを、守るために。」
「っ!?」
ルカの口から守る、という単語が出たことにキバは目を見開き驚愕する。あの事件から、『母はおれを守ってあんな目にあった。守るなど弱者が使う言葉だ。そんな生温い言葉などいらん。都市同盟の人間を全て殺せばいい。殺すための力をつける。母を見捨てて逃げたあの男も、全て、殺す、殺す、殺す、殺してやる、殺してやる、罪人を、全て、殺してやる。』と子供だったルカが呪詛のように呟いていたことを思い出す。その息子の様子に恐れを抱いたアガレスが食事に毒を盛っていたことを知った時、強く諌めたのはキバだったのだ。陛下の血を、ブライト王家の血を継ぐのは殿下だけなのだと。それも後にルカの深刻な問題により血を次代へ継ぐのは不可能となった。
それでも、ルカの力なら都市同盟と決着をつけられるかもしれないと思い凶行を諌めなかった。今思えば、それが全ての間違いだったのだ。ハイランドの間違いを正すためにアニマル軍に加わったキバだが、もっと早くルカを諌めていたらと、アガレスによる毒殺を止めなければよかったのだろうかと、後悔せずにはいられなかった。
「…あなたとヒエン殿がもっと早く出会えていたら、未来は変わっていたのかもしれませんな。」
「…どうだろうな。ヒエンはユニコーン少年隊にいたのだから、一歩間違えば他の者と一緒に殺していたかもしれん。あいつが都市同盟の軍主になったからこそ、ヒエンという人間を認識出来たのだからな。あの時、殺さなくて良かった。」
「……っ、」
苦悶の表情を浮かべて片手で目頭を押さえるキバ。殺さなくて良かった、という言葉をルカから聞けるとは。
陛下を殺したことは許せないが、同時に幼い子供の頃から知るルカが、あの事件以降憎悪の感情のみで強さを求め、呪詛と破壊を口にしていたルカが、まともに話せるようになったのは喜ばしい。
「…ルカ様、本当にヒエン殿を愛しておられるのですな。」
「…ああ。あいつが首輪をつけてまで俺を独占したいらしいからな。それならその独占欲ごと愛してやる。」
ルカがそっと指先で首輪に触れる。きっと今のルカならヒエンが望まぬことをしないのだろう。
ヒエン殿、ありがとうございます。この際首輪には目を瞑りましょう。
「それと、ルカ様と呼ぶのはやめろ。ルカ・ブライトはもう死んだ。クロと呼べ。」
「…その名もヒエン殿が?」
「いや、これはナナミだ。」
「ナナミ殿が…。」
「ヒエンに婿入りしたら私がお姉ちゃんだ、と。」
「なるほど、ナナミ殿らしい。」
「あの二人に振り回されるのも悪くない。最近はいろいろな感情が出てきている。」
フッと笑みを浮かべるルカにまたキバの目頭が熱くなる。
ナナミの料理を全て食べたら救世主扱いされたぞと話したら、胃は大丈夫ですかと聞かれ、毒に慣れていたから何ともない、と答えたら複雑そうな顔をされた。
「ところで、ヒエン殿はル、ンンンッ、クロ殿のあの機能についてご存知なのですか?」
「…………まだ、言っていない。」
「やはり……。」
キバの言うあの機能について。それはルカが次代へ血を継ぐことが困難な理由でもある。
「早めに言った方がよろしいでしょうな。不能だと。」
「………。」
「事件を知っているならば理解してくれるでしょうに。」
そう、ルカはつまり、勃起不全。あの事件で優しい母が陵辱されたのを目の当たりにしたルカはそれがトラウマとなり、性的興奮を一切感じず勃起しない。何度も娼婦で試したが、女性の裸体を見るとどうしても母の陵辱された姿と被り、目の前の女の首を絞めて殺してしまう。これが原因でルカは皇子でありながら、27歳という年齢で結婚もしていなければ婚約者すらいなかったのだ。アガレスには事件のトラウマで女性の裸体を見ると首を絞めて殺したくなるとしか伝えていなかった。ルカが不能なのを知っているのは、ハイランド古参の将であるキバとハーンの二人だけ。
しかし、ティントの騒動の前にヒエンの肩に噛みついた時、ルカにある変化が生まれていた。
「…実は、以前ヒエンの肩に噛みついたことがあってな。」
「…それはどういう経緯で?」
「あいつが喜ぶからしてみたら良いと言われて。」
「ふむふむ。」
「噛みついたら本当にあいつが嬉しそうに笑って。」
「ふむふむ?」
「あいつのふにゃふにゃした顔を見たら、初めて股間が熱くなった。」
「なんと!?」
驚いたキバがガタッと立ち上がった。キバが驚くのも無理はない。不能のはずのルカが初めて性的興奮を覚えたのだから。
「女を見ても殺したい衝動しかなかったのだがな。ヒエンには、触りたいと思うようになった。」
「な、なんと……!」
女性では駄目だったが、まさか男性のヒエンでルカの不能に改善の余地が見られるとは。もしかしてルカにとってヒエンは初恋なのかもしれない。
ヒエン殿、あなたの愛情はこの方を良い方向に導いてくださる。キバは目頭を押さえて感激し、すぐに真面目な顔になった。
「善は急げと申します。早めに契りを結ぶのがよろしいかと。」
「……しかしだな、男はどうやって抱けばいい?」
「それは私にも分かりかねます。亡き妻一筋でクラウスを育ててきたもので。」
「…やはりアップルに相談するしかないか…。」
「アップル殿に?彼女は女性では?」
「そういうものに詳しいらしい。クロの素性も受け答えも、下戸の設定も全てアップルの指示だ。」
「そういえば、あなたは飲めたはずでしたな。」
「酒を飲めばボロが出る。ヒエンのことを考えるなら部屋以外では飲むなと。あいつは恐ろしいぞ。」
「ほほう、なるほど。彼女は優秀な副軍師ですからな。」
ウンウンとキバが頷く。こうしてルカと向き合って話すのは20年ぶり。アガレスを殺した恨みはあれど、今のルカがヒエンを守るというならば、それを信じるしかない。この軍に入ってからすっかり楽観的になったなとキバが考えていると、コンコンと扉をノックする音が聞こえた。
「クロー、いるの?ムクムクがいるから何かあった?開けていい?」
ヒエンの声だ。念のためルカは仮面を着けてクロとなる。
「ああ、開けても構わんぞ。」
ガチャッと扉が開いてヒエンが入る。
「えっ!?キバさん!?」
「お邪魔しておりますヒエン殿。」
「えっ、まさか、」
「ああ、バレた。」
「ええ~!?なんで~!?」
幼少の頃より知っておりますので、剣技を見間違えることはありませぬとキバが言うと、そこかー、盲点だったなぁとがっくり肩を落とすヒエン。
「ご安心くだされヒエン殿。このキバ、秘密は守りまする。」
「ほんと?」
「はい。」
「ありがとうキバさ~んッ!」
ガバッと抱きついてきた人懐こいヒエンに、はははと笑うキバ。それにイラッとしたクロが怒りのオーラを纏ってキバを睨む。
「おい、離れろ。」
「あのル、ンンンッ、クロ殿が妬いておられる…!」
「えっほんと!?大丈夫っ、僕はクロ一筋だからね!」
ヒエンはパッとキバから離れて、ギュ~ッとクロに抱きつく。本当にヒエンがルカを好きなのだと目の当たりにしたキバはクウッと目頭を押さえた。
いずれはクラウスにも明かさねばなるまい。ヒエン殿によって人間らしくなってきているこのルカならば大丈夫だろう。このキバ、ヒエン殿のため、アニマル軍のために命をかけましょうぞと改めて誓うのだった。
終わり。
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ルカ様とあの人との和解。
ルカ様が機能不全設定です。
2主→ヒエン