第72話 孫家の柱石との交流
冥稟がここへ来た最初の頃は、水晶の治療の初期と同じで、外出にもかなり制限がついていた。もちろん、すべて天和の指示で。
しかし、15日ほど過ぎた今は、少し遠くまで行くような散歩も許可が出ていた。こちらの領土で暗殺されたらシャレにならないので、都度、俺と女媧か、愛紗たち、ここ下邳にいる武将の誰かが護衛をしていた。といっても、最近はほぼ俺の仕事になりつつある。この大陸の情勢を確認して判断すること以外でやることが、自分の文武の鍛錬くらいしかないこともあるけど、なにより、彼女と歩きながら喋ったり、どこかで食事を取るのがとても楽しい、というのが大きかった。
「鴻鵠殿が頑張っておられるのだろうが、ここは本当に治安が良いな。昔、商人から聞いたことはあるが、ここまでとは想像していなかった。いつも思うことだが、本当にすごい。」
「ありがとう。お褒めにあずかり光栄に思うよ。」
「なぜなのか、自分なりに考えてみたのだが、やはり、この、鴻鵠殿が率いる警察という組織が常駐しているのが一番大きいのだろうな。我々の治安維持は兵だ。戦場で戦う兵に、治安維持を担わせるのは良くない、ということなのだろう。」
もちろん、俺はそんなことを教えたことはない。与えられた情報は、ごくわずかしかないはず。その中から、的確に読み解いてくるのは、さすがとしか言いようがない。
「どうした、北郷殿?」
あっけにとられたように聞いていた俺に、そんなことを聞いてきた。
「噂で聞いてはいたけれど、冥稟の頭脳が本当にすごくて、圧倒されちゃったよ。」
「謙遜も、過ぎるのはあまり良くないな。ここに来てから会った、朱里殿、藍里殿、福莱殿、水晶殿たち軍師の皆も、それに愛紗殿をはじめとする武官の皆も、そしてもちろん北郷殿も、別格の者たちであると、私は思っている。」
「そう言ってくれるのはとても嬉しいな。今、ふと気になったことがあるんだけど、聞いてもいい?」
「答えられることなら。」
「俺らの中から、一人、無条件で引き抜けるとしたら、誰を選ぶかなって。」
なにげに思ったそれは、とても重要な意味を成す質問だと、言ったあとで気づいた。俺たちの中で誰を一番危険視していますか、とも取れるのだから。
「正直に言うことにしよう。北郷殿、君だ。」
「え……。」
愛紗、星、悠煌、水晶、福莱、そして病気を治せる天和、その6人のうち誰かだと、勝手に思っていた。即答で俺と答えてくるのは、全く想定していなかった。
「その顔を見るに、その答えが返ってくるとは全く思っていなかったようだな。はっきり言ってしまおう。“天”の知識なくして、この都市の枠、形はつくれないだろうと思ったからだ。それと、君の性別によるところもある。」
知識と性別、か……。その答えが返ってくるなんて、本当にすごい人物なんだな、と改めて実感する。
「なるほど……。ありがとう。それと、これを聞いたことは」
「もちろん、秘密にしておくとも。君たちには、本当に計り知れない恩がある。それには少しでも報いなくてはね。
それにしても……。本当に、食べものそのものが美味しいな。これほど美味しい米や野菜を食べたのは初めてだ。それに加えて、家魚の養殖までやっているとは。家魚に関しては、我々も、規模を今よりさらに大きくする必要がありそうだな。」
「ということは、冥稟たちも……?」
「もちろん。多少は養殖している。ただ、川が多いこともあって、もともと魚がたくさんいるからと、ここまでの導入はしていなかった。」
真似ができそうだ、と思ったところはすぐに真似する、その判断力もすごい。
「ちなみに、揚州の炎蓮たちのことは心配?」
「それほど心配はしていない。私は、私ひとりがいなくなった程度で崩壊するような組織なり、集団というものは。最初から崩壊しているのと同義だと思っているんだ。
まあ、今の揚州がどうかと言われると、お話にならないとしか答えようがないが。
私なりに、崩壊しないようにする種はまいてきたし、これからもまき続けることに変わりはない。ただ……。雪蓮には、いまよりずっと広い視野で物事を見られるようになって欲しい。私が死んでも揚州はどうにかなるだろうが、今、炎蓮様になにかあると、ね……。
その種をまき続けるための一助となる意味でも、ここで学べることはとても多い。治療に加えて、そこまでさせてもらっていることには、本当に感謝している。」
冥稟が言ったその視点は、俺からすると全く新しいものだった。桃香が今、死んだら? 俺が今、死ぬか、元の世界に戻るとしたら? そこまでのリスク管理ができているとは、到底思えなかった。将来のことまで考えて政策そのものを考えてはいる。そこは間違いないが、今、俺らの誰かが逝ったときにどうなるか、それは考えるだけで恐ろしいことだった。
「冥稟の組織論が聞けたのはとても良かったよ。広い視野?」
「ああ。今、領土があるとする。収入を増やすには二択ある。
一つ目は、今の領土からの収入を増やす。
二つ目は、新たな領土を手に入れる。
一つ目の視点が欲しいのだ。それを蓮華様、ああ、娘のほうの孫権様が得意とされていることも含めてね。」
冥稟の能力で一番優れているもの、それは分析力なんじゃないだろうか、そんなことを思った。わずかな情報から的確に意図を見抜く力。適材適所で物事を進めるにはどうしたらいいか、主君なり友なりがこうなってほしい、そう考える力。とはいえ、今日は伝えないほうがいい、そんな気がした。
「今日もありがとう。本当に、毎回いろんな学びがあって俺もとても助かっている。また来るよ」
「こちらこそ。」
そんな話をしてから城に戻ると、いきなり桃香に抱きつかれた。兵のいない場所とはいえ、これは……?
「一刀ぶんが足りない。」
「はい????」
「一刀ぶんが足りない。」
「どういう……?」
桃香が甘えた声でそんなことを言ってきたけど、真面目に意味がわからなかった。一刀分とは何だ?
「だってー。最近は暇さえあれば冥稟さんのところじゃない? 私たちのこと嫌いになっちゃった?」
桃香が抱きつきながらそこまで言ったあたりで、咳払いが聞こえた
「兵が通らないとはいえ、このようなところでそういう真似は……。」
「部屋の中ならいいの? 愛紗ちゃんもやる?」
「桃香様!!!」
要するに俺が冥稟のところに行ってばかりなのがお気に召さないらしい。うーん。護衛のために割く将もいらなくなるし、色々、とてもためになる話を聞けて、それが俺たちの動きの改善にもつながるのだから、別に悪いことじゃないと思うんだが……。
「あのなあ……。」
「仕事があまりないのと、他に護衛の将を出す必要がなくなることもあるんでしょうが、最近は冥稟さんのところに通ってばかりですからね。とはいえ一刀さんの気持ちは十二分にわかります。
彼女の頭脳は、これまで会ってきた誰とも一線を画している。私や藍里ちゃん、水晶さんが行っても、毎回発見があるくらいです。あれほどの分析力を持つ人物は我々にもいないかもしれない。」
「朱里から見ても、冥稟の一番凄いところは分析力なんだ?」
「そうですね。少ない情報からでも、的確に物事を読み解いてくるのは、やはり分析力でしょう。あれほどの頭脳の持ち主なのは、やはり孫家の大黒柱、柱石といっていい存在です。」
朱里もそれを見抜いているのはさすがだなぁ……。それと同時に、俺の見る目も間違っちゃいなかったことが嬉しかった。
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第5章 “貞観の治
改稿とか、ほぼ何もかも手つかずなのですが、やはり書かないことには……ということで投稿させていただきます。