「駄目!」
彼の意図を察した真祖が、珍しく慌てた声を上げる。
だが、身裡に取り入れていた彼の血が、彼から流し込まれる力に呼応し、滾る。
否応なしに流れ込んでくる力が、今の私では押さえ切れない。
彼の力が……彼の命を支える力までが、彼の式姫たる我が身に流れ込む。
何たる凄まじさか、龍王を封じた天柱樹と一体となった人の血の力。
いや、そうではない。
私の力すら貫いた彼の選択と行動、それを支えた強い意思こそが、この人の本当の力。
だからこそ、この人は常の人なら潰され、あるいは堕落してしまうだろう巨大な力を借りても、なお信じた道を淡々と歩み続けられる。
駄目よ……。
貴方はこんな所で死んでは駄目な人。
式姫達と共に苦しい戦いを続けながら、それでも先に進み、目指していた世界があるんでしょ。
そうだな。
それじゃ、何故?
何故私なんかに命までも与えようとするの?
呑み友達の為?
そんな、目先の感情で……貴方は、貴方に力を貸してくれている、全ての式姫を裏切るの?
裏切ってはいない、俺は、生きて帰ろうと願い、それを目指している。
今も、全力でな。
何よ……それ。
私に命の最後の一滴まで注ぎ込もうとしている人が、生きたいって。
生きようとしているって。
そんな、空虚な、強がりみたいな言葉なんて!
人は、死なないとか、必ず帰るとか、そういう約束はできないんだ。
出来る事ならしたいけど……人は脆い、ある日病でぽっくり逝くかもしれん、戦で果てるかもしれん、予期せぬ災厄に見舞われるやもしれん。
俺が出来るのは、ただ、今を生き切るという約束だけ。
そして、俺はこの命を、今一番生かせると思った道を選んだ。
その先に、俺か、別の誰かが歩みを進められる道を。
判らないわ。
そんな、矛盾した言葉は。
いいや、君には判る筈だ。
だから、君は、俺からの力を遮断した。
俺がそうすると判っていたから。
そうだろ、白まんじゅう。
……そう、判っていた。
長き私の生の中でも数えるほどしかいない。
その血と命を以て歴史に名を刻み、我が名を永遠の物としようとするのでもない。
死を前に自暴自棄になるでも無い、ただただ恐怖にかられ逃げるのでも無い。
その命の最後の一瞬まで、自分の信じた道を歩む事を止めず、倒れ、次代へと続く道の土となっていった名も無き人。
稀にそういう、ばかな……この私が認める、本当にばかな人が居るって。
だから私は、貴方の式姫となる事すら承知したのにね。
上げた顔に、涙が一筋伝う。
良いわ。
貴方の命、この永劫なる我が魂の痛みと涙の記憶と共に。
貰い受ける。
「ま……勝負はここからだよな」
建御雷は、自らが力任せに開いた門から、その先の世界を眺めやった。
距離とかそういう概念が意味の無い世界
無限でもあり、無でもある……とかなんとか、あの方と思兼が面白そうに話をしていたものだが……。
ええ全く、こういうの大嫌いだ、本来ならこんな話は思兼にひねくらせとけば良いんだ、嬉々として一日中でも調べて回ってるだろうに。
そう、こんなのはボクの柄じゃない。
だが、負けるのはもっと嫌だ。
あいつの死は、黄龍との戦の敗北を意味する。
そんなの……ボクが許さない。
銀の円盤を、虚無の世界に向けて翳す、手の中でまだ反抗するような力を感じるが、それをねじ伏せる。
「お前の対になる存在が此処のどこかに有る筈だ……捜せ、そして喰らい付け、貴様自身の尾に!」
そして、繋がった所を引っ張り寄せる。
始まりと終わりを「対を為すべきもの」として世界を規定したがる存在と、始まりと終わりは、ただそれとして世界のどこかに屹立するべき物、そう規定したがる存在が居るのよね……ほんと面倒。
時間なんて、仲良く甘い物作って食べるのに使うだけで良いじゃないのよ、ねぇ。
あの方が饅頭を幸せそうに齧りながら、小さく呟いた言葉を思い出す。
後者の理において生み出した、この時なき世界を、前者が無理やり自分の理に従えて動かそうとして生み出したのが、この面倒な円盤。
だが、中々手応えが返ってこない。
働いてはいるようだが、仮にもどこかの神が作った代物を、力づくで従えた弊害か、円盤からの反応が鈍い。
とっとと見つけてくれ……。
仙狸の助力で一刻は収まっていた足元の鳴動が、再び大きくなってきている。
不気味に腹に響くような低い音は、あの邪龍と化してしまった黄龍の呪詛と歓喜の唸りか。
この庭の地下深くの黄龍を、ボクに変わって抑えてくれている式姫達の力も、いい加減限界。
だが、最前戻って来た、吸血姫と鞍馬は助力にはならない。
涼しい顔は崩さないが、あの二人の力がもうとっくに限界なのが建御雷には判る……あの時、立っているのがやっとだったろう吸血姫が、良くボクとにらみ合いができた物だと感心する程。
事を片付け、一刻も早く、ボクが封印に戻らないと。
いや、何より、あちらとこちらの時間の経過がどう異なるかは知らないが、あの男が連れ去られて、かなりの時間が経過している。
あの庭に現れた異国の妖の力が凄まじい物であるのは疑いない、そして彼の側には一人の式姫も居ないのだ。
この庭の力があるとはいえ、それを与える相手が居ない状態では、彼は普通の人間に過ぎない。
ここまで要した時間を考えると、あいつは……もうすでに。
一瞬。
ほんの一瞬の、その想念が、建御雷の力を緩めた。
門に向けて翳していたその手から、銀の円盤が跳ねるように飛び出し、時なき世界に吸い込まれる。
「な?!」
その引き合う力を利用して、先方を呼び寄せようとしたのだ、思えば力が緩めば、こちらが引かれるのも道理ではあるが。
「戻れ、この!」
建御雷が円盤を追おうとする、だがその身が門の入り口にぶつかり止まる。
この先は時なき世界。
時を刻み続けるあれの作り出す場が無い限り、神々なりとて移動も叶わぬ虚無の世界。
「何て事だ……このボクが」
軍神たるこのボクが、勝利の要を一瞬の油断でこの手から離すなど。
不覚。
どうすれば良いんだ……。
この庭の皆の想いを全て無にするような、この失策を、どう取り返せば。
自分の理性は言っている、あの訳の判らない世界に対して干渉できる唯一の道具を失った時点で、最早自分の力が及ばない領域の話だと。
もう、どうにもできないと。
だが。
(お主、軍神の癖に、ちと諦めが良すぎやせぬかな?)
物わかりの良いボクを、あの化け猫が笑う。
うるさい、化け猫。
ボクはまだ諦めてなどいない。
あいつの居る世界への門はまだ開いている。
あの円盤を抑え込んだ時に、少しはその本質に触れた……あの気配も辿れる筈。
そして何より、その先に居るだろうあの男の感覚も想いも……ボクのこの身の裡に有る
(応えろ、ボクを式姫として、この世界に呼び出した不遜な大馬鹿野郎!)
応えろ、ここで君の帰りを願って奮闘している式姫達に。
お前が未来を願い、平穏な世界を渡してやりたいと願った少女の祈りに。
お前の将来に待つ、残酷で過酷な運命にも怯まず進むとボクに誓った。
その決意を見て……ボクはお前を認めたんだぞ。
(応えろ!)
ボクの声に……応えてくれ。
今ようやく、本当の意味で、俺と彼女は、式姫とその主になれた、その実感が、海の潮のように心をゆっくりと穏やかに満たしていく。
それはどこか、世界の根源と、少しだが対話出来たような充足感を感じる瞬間。
建御雷の時は、自然の力を、生きとし生けるものすべてに対して等しく振るわれる暴威と恵みの力を。
そして今、真祖と繋がった時に、世界の深淵を感じた。
深き夜の帳の下に全ての命を覆い、庇護し、愛し、食い尽くし、そしてまた命を送り出す、原初の母神たちの密やかな息吹を。
恐怖と、そして安らぎを等しく与える、闇の王。
(……そうか、君はそういう存在なのだな)
全ての命と魂が還る場所。
俺の命もまた……ここに。
ふと顔を上げると、そこに彼女が居た。
寂し気に笑いながら、こちらに蒼白な手を差し伸べてくる。
(貴方の命……貰いうける)
それで良い。
俺の命と最後の力、お前に預ける。
そちらに、一歩踏み出し手を伸ばそうとする。
(……うー)
その俺の着物の裾を引っ張る、微かな力と小さな声。
俺を引き留める、本当に小さくて、真っ白な、愛らしい姿。
(白まんじゅう)
離せ。
(だめー)
(……お前は、判ってる筈だ)
俺の眼前に立つ君の心は、既にそれを受け入れている。
ふるふると、小さな頭が拒絶の意を示す。
(いや)
確かに貴方の式姫である「真祖」は、貴方の覚悟と思いを受け止め、そして納得した。
でも……私は。
この無力な姿に魂を宿して生きた、私にとっては瞬きにも満たない、刹那のあの時間が、私にくれた、この心が。
いかなる理も、いかなる状況も、あなたの決意も……私のこの小さな心をどうしても納得させてくれない。
(いやなものは、いや)
いやよ……私、あなたの命なんて欲しくない。
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式姫の庭の二次創作小説になります。
「唐柿に付いた虫」でタグ付けしておりますので、過去作に関してはそちらからご覧下さい。
真祖という存在、弊小説ではヘカテをイメージしております、夜と魔術と吸血鬼の祖たる大地母神。