No.1074409 『鉄鎖のメデューサ』(第15章~第21章)ふしじろ もひとさん 2021-10-12 02:36:33 投稿 / 全9ページ 総閲覧数:353 閲覧ユーザー数:353 |
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<第15章>
「街中では結局成果なしか……」
アーサーは宿舎に集まった三人の話を聞いて唸った。
「アンソニーはまだか?」
リチャードの言葉にアーサーはうなづいた。
「でも街に情報がないということは、逆にいうと秘密裏に探してメデューサの居所を掴んだということになるんじゃないか?」
「やっぱりきな臭くありませんこと?」
エリックの言葉にメアリも相づちを打った。
「ただ者じゃないことは確かだな。なにしろメデューサを自力で捕まえるというんだから。ひょっとしたら犯人と関係があるかもしれんぞ」
「だったら警備隊に話を持ってきた理由はなんだ?」
リチャードに聞き返したアーサーの問いに答えられる者はいなかった。沈黙を破ったのはその場の四人の誰でもなかった。
「遅くなったでありますよ!」
「ずいぶんごゆっくりの登場ですわね、アンソニー。つまらないみやげ話だったら許しませんことよ」
目ざとくメアリが見てとったとおり、アンソニーの息ははずみ顔は紅潮していた。
「命令の出所はノースグリーン卿の代行を勤めているホワイトクリフ卿。命令権者としては正しいのでありますが、だったら卿がメデューサを捕獲する方法なり協力者を見い出したということになるわけで、まずここが変といえば変であります。しかも、例のメデューサを街へ持ち込んだ大男兄弟が受け渡しに行ったら留守だったとかいう一軒家から、男が一人出てきたであります。後をつけていったら、確かにノースグリーン卿の館へ入っていったでありますよ」
「一体どういうことだ? それは」
アーサーが困惑した声で唸った。
伯爵領であるスノーフィールドには爵位を持つ者は少ない。そのスノーフィールドにおいてロッド・ホワイトクリフおよびエドワード・ノースグリーンはいずれもナイトの称号を持っていた。それはこの地における働きが伯爵の、そしてヴェルスム国の王の評価を得たことにより名乗りうる称号であった。
だが、両者の立場は対照的だった。ロッド・ホワイトクリフは祖父や父もナイトの称号を得た旧家の出であり、代々続いた評価により世襲で名乗ることを許されてはいるものの、若い彼自身がそれに見合う働きを評価されたわけではなかった。ロッド本人は周囲以上にそのことを自覚していた。
そんな彼にとって、エドワード・ノースグリーンは嫌でも意識せざるをえない相手だった。平民出身でありながらその実績でナイトの称号を得るところまで登りつめた彼は、ロッドにとって父や祖父がかつて通った道を辿る人物であったが、偉大な父祖に肩を並べるに至っていないという自覚に苛まれる若き当主にとっては自らを脅かす目の上のこぶであった。共にスノーフィールドの守りの要である警備隊の運営に携わる幹部の一員でありながら、ロッドはエドワードと衝突しつつも、年上で経験も豊富な相手に遅れを取っていることをかえって周囲にあからさまにする結果を招きがちだった。その焦りがさらに過激な言動につながり、彼は警備隊においてむしろ煙たがられていたのだ。
しかし、このメデューサ騒動の起こる少し前、エドワードは長期休養を申し出ていた。ロッドはその間に実績を上げねばとの思いゆえ、警備隊の総力をあげてメデューサの消息を追っていた。だが、その熱意とは裏腹に成果はあがっていなかった。
そんな彼がメデューサの居所を探り当てた。あまつさえ自力で捕まえると豪語しているとなれば、アーサーならずとも困惑するのが当然というほかなかった。
「そもそもノースグリーン卿はなぜ休んでいるんだ? ご病気なのか?」
「ご家族が重病だとかいう話だぞ」
「セシリアとかいうお嬢さんだそうでありますよ。十四とか」
一瞬、沈黙が訪れた。
その担った重責を思えば、この長きに渡る休養は異例だった。それが許されている理由は明らかだった。おそらく容易ならざる病状であろう会ったこともない少女に、五人の若者たちはしばし想いをはせていた。
「ともかく、だ」
ややあって、アーサーは仲間たちを見渡していった。
「ホワイトクリフ卿がどうやってメデューサを捕まえるつもりかは、本部でその協力者に会えばわかる。でもノースグリーン卿とメデューサのつながりは探るしかない。打ち合わせがすめばアンソニーにはノースグリーン卿の屋敷を見張ってもらうことになりそうだな」
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「魔力を持つ存在を感知する宝玉ですって?」
魔術師としての興味にかられて、メアリが大きく身を乗り出した。
警備隊本部で五人の若者たちの前に現れたのは、グレゴリーというやせた老人だった。ホワイトクリフ家で長く執事を務めている魔術師とのことだった。老人が懐から取り出した玉の中には、光の点が2つ映っていた。それが魔術師である彼自身とメアリに対する反応だと告げたあと、震え声の老執事は続けた。
「つい先日これが手に入りましてな。精度はあまり高くないのでどこの家にそれがいるかまでは感知できぬが、ブロック単位ならわかるのですじゃ。それで、スラムの川に近い一角にしばらく前から魔力を帯びた者がいることが掴めたのですじゃ」
「その宝玉は、つい先日手に入れられたのでしょう?」
思わず訊き返したアーサーに、グレゴリーは宝玉を指し示していった。
「これを譲ってくださったお方がおっしゃるには、かなり前からその光は動いていない。そしてあの一角には魔術師はおろか占いの店ひとつない。しかもその一角では、人間と思えぬ小さな影がしばしば目撃されたということなのですじゃ」
震える声でいう魔術師を前に、五人の若者たちは当惑の視線を交し合った。
主に対する忠誠心は疑う余地がなかった。魔力も確かにいまだ備えているようではあった。だが自分の話のあやふやさ自体に、執事の老人が気づいていないのはあまりにも明白だった。
「では、グレゴリー殿。これを譲ってくれた協力者という方は、なぜこの場に来られていないのです?」
リチャードの問いに対する答えもあやふやの極みだった。
「メデューサを捕まえる切り札の数を揃えるのに手間取ったので来れなくなった、だから代わりに話しておいてほしいとのことでしたのじゃ。それが届き次第、お屋敷に届けやつがれに使い方も教えるとのことでしてな」
「じゃあ、作戦の打ち合わせはお預けということですのっ?」
「メデューサは若君が必ずや捕まえますですじゃ。及ばずながらやつがれも若君に力添えをばいたします所存。皆様方は安んじて容疑者の確保に全力を挙げてくだされ」
いらだちを隠そうともしていないメアリの態度にも、忠誠心と善意の塊のような老人は気づいた様子さえなかった。エリックが嘆息し、天を仰いだ。
「安んじてなんかいられるわけないじゃないですのっ!」
老人が帰ったあとの部屋にメアリの叫びが響き渡った。
「協力者の素性も不明。しかも情報はその協力者の話を鵜呑みにしているだけ。踊らされているのは絶対に間違いないな」
「ホワイトクリフ卿もよくもまあ、こんな話に乗る気になったもんでありますな」
「それだけ焦っているということなんだろうが……」
「それでもやはりこれは動きだ。とにかく状況を見ながら最善を尽くすしかない。メデューサにうかつに近づくわけにもいかないから、確かにここは容疑者の確保に全力を上げよう。もちろん、ご親切な協力者とやらも含めてだ。アンソニーは予定通りノースグリーン邸を見張ってくれ」
スノーレンジャーたちはアンソニーを除く四人が夕方六時に本部前に集合すると決めて、さらなる情報集めに街へと繰り出していった。
<第16章>
夕方ロビンが最後の仕事を終えて帰ってくると、戸口に花瓶の首が置かれていた。いわれたとおりに花瓶の胴と置きかえると、半時ほどでラルダがやってきた。
「旅装束だ。私とそろえてある。巡礼の旅と答えればいい」
ゆるい草色の長衣と茶色のフードは妖魔のシルエットを包み、ロビンと並んでも区別がつかなかった。
ロビンは店主が餞別にくれた一篭の林檎を分けた。餞別というだけあって、今までもらっていた売れ残りよりかなりましな味がした。クルルがもらした切なる喉声に、ラルダがなるほどと低く呟いた。
ラルダは机の上に地図を広げた。小さな一人と一匹はどちらも初めて見る地図を物珍しげに覗き込んだ。そんな彼らにラルダは地図をなぞりながら旅の道筋を説明した。ラルダは訪ねた村々で薬草の知識や治癒呪文で人々を癒し、その報酬を路銀としてこの二年間ずっと大陸各地を旅してきたというのだ。
いつしかロビンはラルダにこれまでの旅の話をせがんでいた。ラルダはクルルがなるべく退屈しないよう、ときどき地図を指しながらゆっくりと話した。黒髪の尼僧のゆるやかな声につれて、夜もゆっくりと更けていった。
最初に異変に気づいたのは小柄な妖魔だった。机に広げられた地図に向いていた顔が突然中空に向けられ、触手の束がざあっと戦慄した。顔に脅えが走った。
「どうしたの、クルル!」「静かに!」
ロビンを制し、耳をそばだてたラルダの顔色が変わった!
ロビンの耳にも届いた。遠くから、だがはっきりと。ごりっという音、重い音。ごりっという音、重い音。
「しまった!」
険しい表情でラルダが戸口に目を走らせた。
「裏口はないのか? ロビン!」
「壁の向こうはよその部屋なんだ。どこの部屋も戸や窓は通りに向いたのしかないんだ」
ロビンの声に被さるように、別の方角からも同じ音が聞こえてきた。
「くっ、油断した! 裏通りにも手が回ったかっ」
「ニンギョウ! イシノニンギョウ!」
「落ち着け! こうなったらやり過ごすしかない。ベッドの下にでも」
その言葉を同じ並びの離れた場所から響く轟音が圧倒した! 驚いたクルルが跳び上がり、ロビンもラルダも絶句した。
<第17章>
石でできた剛腕が木の扉を打ち抜き、引きはがした。室内から悲鳴と怒声が上がった。あたりの野次馬たちがどよめいた。
喧騒の中、それがゆっくりと身を起こした。人の背の三倍近い丈の石でできた人形、ストーンゴーレムだった。石を切り出しただけの体躯は不細工ながらも力と重量感にあふれ、顔の部分には動きを制御する呪文を受ける赤い文様が描かれているのが、夜の大通りを照らす両脇の壁の松明の光でもはっきり見て取れた。
「なんて乱暴な! ホワイトクリフ卿っ!」
アーサーが怒りに震える声で金髪の青年にくってかかったが、相手は切れ長の青い瞳に侮蔑を浮かべ振り向いた。
「なにを熱くなっている? スノーレンジャー」
「無茶苦茶です! 住民の家を破壊するなんて!」
「なぜあれが住民だと断言できる? 仮にもメデューサを捕まえてこのスノーフィールドまではるばる運んできて、しかも隠していたのだぞ。単独犯のはずがないだろう。周辺にいる者は仲間と考えるのが妥当だ。ここはスラムなのだぞ。まともな人間の住む場所じゃない」
「それは決めつけです!」
「住民たちの間に隠した例なんていくらでもありますわっ」
「そもそも、あれじゃ住民たちを盾にしてるも同然です!」
「せめてもっと穏当な方法がっ」
「ならばどうする? おまえたちが戸口にいって訊ねてみるつもりならば止めないが、開けたとたんに石化されるのが関の山だ。同じ失敗を繰り返す気か? スノーレンジャー」
痩身の若きナイトは悔しそうに沈黙した四人に背を向けると、二本の道の両側からそれぞれ次の家に向かうゴーレムたちの黒い影に手をかざした。
「心配するな。スノーフィールドを乱す化け物などは、この私が必ず退治してやる。おまえたちの仕事はあの有像無像から下手人を割り出すことだ。まあ、せいぜい頑張ることだな」
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「まさか、こんな無茶な手でくるとは……っ」
細く開けた扉の隙間から、表を窺ったラルダが呻いた.
「ゴーレム自体は動きが遅い。かわしてすり抜けるまでは難しくない。でも、その後ろに野次馬がびっしりだ。たちまち身動きがつかなくなってしまう」
「……どうするの? クルルを隠す?」
「こんな相手だ。むろん家探しするだろう。ベッドの下ではどうにもならない。一かばちか、野次馬を蹴散らせないかやってみるしかないだろう」
ラルダはロビンとクルルの旅装束を整えながら続けた。
「少しでも敵がとまどうよう同時に反対へ走ろう。私とクルルは右。ロビンは左だ。右へ行くと川に出るが細い道を抜けていけるからゴーレムも馬も入れない。左は市街だが、ロビンならなんとか追っ手を捲けるだろう。もし捕まったら人質にされたといって押しとおせ。あとはなりゆき任せだ。大声で脅しをかけるから、それを合図に全力で走れ!」
ラルダは小柄な妖魔を抱き寄せ震える肩を軽く叩くと、頭巾の奥からロビンの顔を覗き込んだ。ロビンも精一杯の決意を込めて見返した。
「いくぞ!」
扉を蹴り開けて跳び出したとたん全ての視線が集まった。間髪を入れずラルダは自分の頭巾をむしり取ると、黒髪を振り乱して叫んだ。
「おまえたちっ。石になりたくなければどけっ!」
虚を突かれた群集がどよめいたとたん小さな影が弾けたように飛び出した。得体の知れない姿が駆け込んでくるのを見た人々は恐慌に陥り、人垣が大きく崩れた。
右に飛び出した妖魔の前に巨大な腕が振り下ろされた。たたらを踏んだその眼前の石畳に剛腕がめり込むや、その腕を踏み台に小さな影は跳躍した。
だが背後を振り向いたラルダの目は、脇を走り抜けるロビンを無視して近づいてくる別のゴーレムの姿を捉えた。
「見分けているのかっ」
ラルダは妖魔の方へぎこちなく体の向きを変える石の巨体の脇をすり抜け後を追った。すると、先を走るクルルの脚が鈍った。前方はもう河で、舟が二槽浮かんでいた。うち一槽には男が仁王立ちになっていて、ただ者ならぬ眼力で小柄な妖魔を射すくめたらしかった。
「止まるな! 曲がれば川べりへ逃げ込める!」
追いついたラルダがいったとたん、屋根から投げられた大きな投網が彼らをひとまとめに絡め取った!
<第18章>
「やったぞ!」「捕まえた!」
背後から聞こえてきた群集の叫びにロビンの足が止まり、振り返ったその目が大きな網をゆっくりと吊り上げるゴーレムの姿を捉えた。
数歩戻りかけた歩みが疾走に転じる寸前、その肩を大きな手ががっしり掴んだ。
「話を聞かせてもらおう」
そういった黒髪の大男の脇にやってきた金髪の青年が、厳しい視線を向けてきた。
「格好だけ似せた猿知恵か。宝玉をごまかせるとでも思ったか。雑魚は任せたぞ、スノーレンジャー」
青年は手にした宝玉を袋に戻すとロビンにはもう目もくれず、大きな網を手に彼方に立つゴーレムに向かって勝ち誇った様子で歩み去った。
すると、彼方から叫ぶ声が聞こえた。舌足らずな叫びが。
「ろびんツカム、ナイ! ろびんツカム、ダメ!」
「えっ?」
あっけにとられた声の大男の手が緩むやロビンは身をもぎ離し駆け出そうとしたが、仲間らしき長身の男に捕まった。けれど、その男も驚きを隠せずにいた。
「メデューサがしゃべった……?」
その呟きに被さるように、また声がした。
「ろびん!」
「クルルーっ!」
ロビンもまた叫び返すと、鋼のごとき腕の中でめちゃくちゃに暴れた。腕の力は微塵も緩みなどしなかったが、男たちの顔には得体のしれないものにうっかり触れたときの脅えめいた表情さえ浮かんでいた。
「ロビンって、おまえの名前か?」「あれはおまえを呼んでいるのか?」「おまえ、あれと話ができるのか?」
とうとうロビンの感情が爆発した。
「なにが変なの! なにが悪いの! クルルはとっても森に帰りたいんだ。だから僕は連れていきたいんだ。ラルダさんに教えてもらって三人でいこうとしただけなのに、なんで寄ってたかって邪魔するのさ! ひどいや! あんなのひどいやっ!」
涙をぼろぼろ流しながら暴れる少年を、大の男二人はすっかり持て余していた。そのとき背後から、女の声が呼びかけた。
「リチャード、そんなに乱暴にしては話になりませんわよ」
男たちの背後から現れた乙女の豊かな金髪と白い顔は、周囲の闇さえ払うかのようだった。その美貌がにっこり笑った。
「わたくしには話を聞かせてくれますわね? ロビン君」
少年はまさかそれがかの悪名高き魔女であるとは思いもしなければ、頭上で男たちが得もいわれぬ表情の顔を見交わしたのにも全く気づかなかった。
「橋から落ちたメデューサを助けて気持ちを通じさせただけではなく、言葉まで教えたというのか……」
「……驚いたな」「全くだ……」
アーサーも含めた三人の男たちが口々に呟きあう中、ロビンはメアリに縋るようにたずねた。
「ねえ、クルルはどうなるの。放してもらえないの?」
「ホワイトクリフ卿がどう考えるかなのだけれど……」
いい淀んだメアリの口調が、厳しいまなざしのあの青年の顔を呼び起こした。
「さっきのあの人? だめだよ! クルル殺されちゃうよ!」
「とはいっても警備隊の作戦で捕らえたのに違いないしな」
「卿にはなにをいっても聞き入れてくれないだろうし……」
「だからといって、まさか逃がすわけにもいかないし……」
そんな声など届くはずもない彼方では、ゴーレムが悠々と網を漕ぎ手らしき男がいるほうの舟へと積み込んでいた。
「見物人が近づくと危険だから河舟で本部まで運ぶというんだ。あんな無茶をしておいて今更なにをといいたいが……」
アーサーが憤懣やるかたなき面持ちでいうと、網を積んだ舟が岸辺を離れた。だが若きナイトが満足げに頷いたとたん、残った舟へゴーレムが乗り込んだ! たちまち舟は石の足に踏み抜かれゴーレムもろとも大河に沈んだ。
「なにっ!」
四人のスノーレンジャーも驚いたが、彼方の青年の驚きはその比ではなかった。手にした袋を取り落としたのにも気づかずに、彼は河へ駆けていった。その前に走り込んだ警備隊員がなにかを告げるや叫びが彼方から聞こえてきた。
「グレゴリーが縛られていた? では、ゴーレムを動かしていたのは誰なんだ!」
メアリが跳びだし、若きナイトが落とした袋を掴んで戻った。取り出した宝玉の中の光が、中心から移動し始めていた。
「追いますわよ、みんな!」
「そうだ、事件は解決なんかしてないぞ。街を危険から守るのが我らスノーレンジャーの役目だ!」
アーサーはロビンにいたずらっぽくウインクした。
「メデューサの番人が専門ってわけじゃない」
「じゃあ僕もつれてって!」
少年の言葉にリチャードがかぶりを振った。
「だめだ。危険かもしれん」
「でも僕がいっしょなら、みんなが味方だってクルルにも分かるよ。間違って石にされたりしないよ!」
四人は顔を見合わせ、頷きあった。
「じゃあ決まりだ。いくぞ大将、頼りにしてるぜ!」
エリックがロビンを肩車するやいなや、彼らは光の点を追って駆けだした!
<第19章>
乗せられた舟が動き出したとたん、大きな水音と叫びが聞こえた。投網に巻かれ身動きもならぬラルダに起きたことを確かめるすべはなかったが、背を向けたまま舟を漕ぐ男の落ち着き払った様子から、おのずと事情は察しがついた。
「なにもかも計算のうちということか? 警備隊員に化けているようだが、さてはきさまが黒幕か!」
「詮索は無用だ。ついでにいっておくが、俺を石にしようなどと考えぬことだ。その網は自力では抜けられん。漕ぐ者がいなくなれば、この舟は大河を流れ下ってどこかで沈むしかない。やっと雪溶けが始まったこの地の水は冷たい。助かるなどと思うな」
そのさびた声に、ラルダはかすかな訛りを聞き取った。
「きさま、この地の者ではないな。もしやメデューサの棲む地にゆかりの者か。だからメデューサを怖れないのか。どんな性質の種族か知っているから。それで中原からこの地まで持ち込めたんだな。なにをたくらんでいる!」
すると男が、肩越しに視線を投げかけてきた。
「……ほう。やはり俺が張っていた方へやってきただけのことはある」
「なんだと?」
「あの状況でとっさに人垣を破り河をめざす判断が下せるなら、部下だけに任せるには荷が重いかもしれぬと思った。それだけのことだ」
「それもきさまの掌の上ということか……」
容易ならざる相手のようだった。こちらに顔を向けないせいではっきりした人相は把握できなかったが、たとえ勝手のわからぬ種族でなくともメデューサと対峙して動じぬ胆力、かいま見えた眼光、およそただ者とは思えなかった。そう思ったラルダが身を硬くしたとき、男がいった。
「しかしどんな神を奉じているかは知らぬが、そいつをそこまで手なづけるとはただ者ではあるまい。おまえもこの街に義理などなくば、妙な信心で嘴など挟まぬことだな」
どうやらこの男でさえ、クルルと心を通わせたのが少年ロビンであるとは思いもしていないようだった。ならば決してこの男に気取られてはならない。ラルダが黙っていると、さびた声は最後に告げた。
「話すのは俺の役目ではない。お屋敷に着けば、どうせおまえは詮議を受ける。訊きたいことがあればその場で好きなだけ訊くがいい」
いったん大河を下った舟は、やがて向きを変え流れを遡り始めたようだった。だが、舟底に転がされたラルダにはどこへ向かうのか見当もつかなかった。背中合わせに巻き付けられたクルルを落ち着かせるため、小声で話しかけることくらいしかできることはなかった。
やがて舟は停まった。男がもやい綱を結びつけると、上から石の腕が綱を下ろしてきた。男はその綱に網を結びつけると舟から下りて姿を消した。どこかに出入り口があるような様子だった。やがて彼らはゴーレムに再び宙吊りにされ、大きな屋敷の二階の窓から部屋へとそのまま押し込まれた。
部屋にいた者たちもメデューサの扱いには慣れている様子だった。先が二つに分かれた長い棒のようなものでうつぶせになったクルルの首を押さえたまま、彼らはラルダだけを網からほどくと後手に縛り上げて部屋から出した。そして小柄な妖魔は網を身にからめたまま部屋に残され、黒髪の尼僧も同じ階の離れた部屋に手を縛られたまま閉じ込められた。
<第20章>
月下に浮かび上がるゴーレムを、木陰からアンソニーは見上げた。
「まさかと思っていたでありますが、本当にノースグリーン卿がメデューサを……」
網が押し込まれた窓の位置を覚え込むと、アンソニーは用心深く屋敷に近づいた。
二階に登れそうな庭木があったが、メデューサがいる部屋となると不用心に近づくのは危険だった。仲間に知らせることを優先すべきとアンソニーは判断し、敷地の外へ出て待ちあわせ場所と決めている屋敷が見張れる向かいの建物の脇に身を潜めた。
だが屋敷の塀の上に突き出た遠くの大木の枝から自分を見張る者がいることまでは、さすがのアンソニーも気づかなかった。
やがて探知の宝玉を手にしたメアリを先頭にスノーレンジャーたちがやってきた。彼らがアンソニーと話し込む姿を見て、枝の上にいた影は屋敷へと姿を消した。
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「ジョージ! なんという乱暴なことを! もっと秘密裏に進められなかったのか?」
メデューサを舟で運び込んだ男の報告を聞き終わった壮年の男が叱責した。エドワード・ノースグリーン卿。この館の主その人だった。
長身のナイトはごま塩頭の部下よりも首一つ高く、荒げているわけでない声にも威圧が備わっていた。だがジョージと呼ばれた警備隊員は角張った顎を引き締めただけで、動じた様子一つ見せなかった。
「街中でゴーレムを四体も動かすとなると、警備隊の作戦という形にせざるを得ませんでしたので。もっともホワイトクリフ卿があそこまでなさるとは予想できませんでしたが」
さびた声の答弁にエドワードは視線を向けたが、その黒い目は疑念よりはるかに色濃い心労と焦燥に染まっていた。やがて彼は不承不承うなづいた。
「だが、我らはあくまで街の平和を預かる者だ。その立場として今回のことは心苦しい限りだ。で、メデューサを匿っていた尼僧を捕らえてあるというんだな? 何者だ」
苦い口調でいったその顔にも心労の爪跡がやつれとして刻みつけられ、鳶色の髪にも年齢以上に白いものが目立った。
「私からは尋問しませんでした。だが、ただ者ではありません。警戒心の強いメデューサを手なづけているばかりか、言葉を教え名前まで付けております」
「なんだと?」
「捕らえたときにロビン掴むなとかいっておりました。おそらくそれが名前でしょう。会われますか?」
「……会おう。どのような意図で邪魔をしたのか、確かめておきたい」
二人は廊下に出たが、ノースグリーン卿を見送った警備隊員は背後から部下に小声で呼び止められた。
「やってきたのはスノーレンジャーか。わざわざ宝玉を持たせておいてやったのに、なんたるざまだ。ホワイトクリフめ」
「いかがいたしましょう? ゲオルク隊長」
「いずれ屋敷に侵入しようとするはず。メデューサの網を切って部屋の扉の鍵をあけておけ。連中と鉢合わせするように。あの尼の抑えがなければ屋敷の中で暴れて大混乱になるだろう。そこへホワイトクリフがやってくれば、ノースグリーンは確実に厳しい立場になる」
冷徹に指示を出すその顔には、今しがたの恭順の色など微塵も残っていなかった。
「いったん引くぞ。やつらにはせいぜい踊ってもらう。ホワイトクリフの側に情報を流しておけ!」
命じた者と受けた者は別の方向へ足ばやに、だが音もさせずに姿を消した。
<第21章>
鍵の開く音がした。ラルダが振り返ると上背のある男が入ってきた。やつれの目立つその面持ちに黒髪の尼僧は眉をひそめた。それに気づいたのか、相手もまた探るような視線を返した。だが縛られた手を見ると、彼はすまないと詫びながら縛めを解いた。そして彼女の目を真正面から見つめ問いかけてきた。
「メデューサを匿っていたのはあなたか?」
「……連れてきたのかとは訊かないんだな。やはりメデューサをこの街に持ち込んだのはあなたか」
「訊ねているのは私だ。だが、先に名乗ろう。私はエドワード・ノースグリーン。この館の主だ。旅の尼僧よ。あなたは誰だ」
「ラルダ。曲げられた運命を正すことを神に課せられた者。神はあのメデューサをあるべき場所へ帰すことを望んでいる。本来の姿で生きられる場所へと。だから私はあれを樹海に帰す」
すると、長身のナイトの顔に朱がさした。
「神の望みだと? では、なぜ神は無辜の者を苦しめる。無残な病苦の果てに死に至らしめようとするんだ!」
黒髪の尼僧は相手の顔に刻まれた心痛の理由を察した。
「……ご家族の方か?」
「娘だ……」
ラルダは口を挟まず相手の言葉を待った。しばしの沈黙の後、口を開いたノースグリーン卿の声は、もはや怨嗟とさえいうべきものだった。
「ほんの半年だ。それまで健やかな娘だったのに、急にやつれが目立つようになった。だが、どの医者に診せても首をひねるばかり。魔法的な領域のものではないとはいうのだが、全く原因不明だと。そのうち手足の筋肉が削げて石のように硬くなり始めた。そこまで症状が進んでやっと、ある医者がこれは血が活力を失うことで起こる奇病で、このままでは胴体の肉も変質して死に至ると宣告したのだ。もって四、五ヶ月だと……。
セシリアには、娘にはとても告げられなかった。煩悶する私を見かねて一人の召使が声をかけてくれた。私の話を聞いた彼は、故郷の話を聞かせてくれた。中原ではこの奇病にかかった者が出るとメデューサの心臓を開きその血を細かい傷をたくさんつけた患部に擦り込ませるのだというのだ。自身が石化することがないメデューサの血には肉体の硬化に抗する力があるからと」
「なんだって! あなたはそんな話を信じたのか?」
思わず叫んだラルダに向けられた卿のまなざしには、狂おしい光が宿っていた。
「危険な方法だと彼もいっていた。血が合わなければ死ぬことも多いと。だが、放っておけば死は確実に訪れるばかりだと。
私は診断を出した医者にもそのことを質した。偶然その医者も同じ地域の出身だった。彼はその話は本当だと、だが成功する可能性が低すぎて、医者の立場では話せなかったと弁明した。私はたとえ僅かでも助かる可能性があるなら賭けると答えた。
だがメデューサをそもそもどうやって捕まえるのか見当もつかなかった。そのとき私は思い出した。ここ五年ほどの間に警備隊で頭角を顕してきたジョージ・グレイヒースのことを。確か彼も中原の出身だったはずだと」
「そのジョージとやらが私たちを舟でここへ運んできた男か」
問いかけではなくて確認だった。卿が頷くことなどは最初から分かっていた。
「最初ジョージは反対した。メデューサを捕まえることは困難だと。それに街へそんな怪物を持ち込んだことが明るみに出れば、最悪の場合は追放刑だ。それでもやるのかと。
だが私の決心が固いことを悟ると、彼は私を全面的に助けてくれた。故郷の者たちに連絡をとってメデューサを捕獲することに成功した。それほど力を尽くしてくれたんだ。
でも街に入る直前で逃げられてしまい、二ヶ月も行方が知れなくなった。やっと見つかったと思ったらまた一月だ。なのに神がメデューサを森へ帰すことを望んでいるのだと? ならば、神はどうあってもセシリアの命を召し上げるつもりかっ」
「落ち着いてくれ、ノースグリーン! もしかすると、あの男はあなたを」
いいかけたラルダの言葉が途切れた。
どこからか、笛の音が聞こえていた。奇妙な音だった。音階を吹かず、たった一つの単音だけを長く、短く吹き分けているだけだった。
そのことが吹く者の呼気の震えをそのままあらわにしていた。己の息の通いを見つめつつ、吹いているのがわかった。響きに滲んだ哀切な諦念が、かえって悲痛さを際立たせていた。たちまちラルダは引き込まれた。胸突かれる思いだった。
「あれは……?」
我に返った黒髪の尼僧が目を向けたとき、長身のナイトは目頭を押さえ俯いていた。
「……母を早く亡くした娘は形見の笛をいつも吹いていた。心を響きに乗せそれは巧みに、風のように融通無碍に。しかし、あの病に手足の動きを奪われた今は、もう指穴一つ押さえることさえできない。
それでもあれは笛を吹く。首から吊った笛を口でくわえてまで吹くのをやめようとはしないんだ。
あれを聴けばわかるだろう! 私がいくら隠したところで娘はもう分かっているんだ。自分の容体がどんなものかなど。だからああして尽きつつある息を、命を確かめるように……っ!」
顔を上げた卿の目には憤怒が黒々と燃えていた。
「なぜセシリアなのだ! 娘がなにをした! あんな化け物さえ救おうとする神が、なぜセシリアを救わない? 無残な死の淵に追いやろうとする? それも神の望みだというのかっ」
「待ってくれ! 娘さんはおそらく病気じゃない。毒を盛られているかもしれないんだ!」
「なんだと?」
聞き返すノースグリーン卿に、ラルダは続けた。
「娘さんの症状を確かめる必要はあるが、あなたの話を聞く限り毒草ハイカブトの中毒とそっくりだ。大陸西南端に自生する草で花を除く全体、特に根に強い毒がある。濃い毒汁が体内に入ると筋肉が壊死するが、薄めて食事や水に混ぜると末端の筋肉から萎縮・硬化が進んで最後は全身に及ぶ。
メデューサの石化の魔力とは原理から別ものだ。メデューサの血などなんの役にもたたない。虫を寄せる花にだけ備わった中和成分でしか解毒できない。
目を覚ましてくれ、ノースグリーン! メデューサの血なんか擦り込んだら娘さんは確実に死ぬ。そんなところに希望などないんだ!」
「ならば、その花とやらはどこにある!」
黒髪の尼僧は唇をかんだ。
「……大陸の反対側だ」
「セシリアが一年ももつと思うか! まるきり話にならないではないか! さては私を作り話で諦めさせる気だな。神の婢女よ、そうまでして娘を死なせるつもりかっ」
ラルダをねめつける卿の目に浮かぶ敵意は、もはや憎悪の域に達しつつあった。
「受け入れられるものか、たとえ神の意思であろうと! そんな不条理が許せるか、横暴なる運命など! 神がこんな運命を定めたというなら、もうそんなものには従わぬ。私は運命を呪う! 娘を身代わりに運命を免れた者がいるなら、その者も許さぬ! 酷薄な神がただセシリアばかりを苛むというなら、神の意思などこの私がねじ曲げてくれるっ!」
瞬間、ラルダの魂が震撼した!
神の啓示ではなかった。外から訪れたものではなかったから。記憶と呼ぶべきものだった。魂の最深部、芯の部分に染み込んだものの浮上だったから。
具体的な記憶は一切なかった。いつ、どこで、いかなる状況のもとでのことだったのか、なに一つ思い出せなかった。
にもかかわらず、圧倒的な確信が彼女を捉えた。かつて自分は我が身にふりかかった恐ろしい運命に苦悶したことがあったと。苦悶のあまり魂を歪ませ、運命を免れる者を憎悪し呪いさえしたことがあったのだと。
「……だめだ。それはだめだ、ノースグリーン……っ」
声が変わっていた。記憶の中の定かならぬ苦悶が、しかしその激しさゆえ声を軋ませていた。卿の顔にもたじろぐような表情が浮かんだのが見えた。
「運命を呪ってはだめだ。もし呪えば、それは免れる者への憎悪に転じる。その憎悪が自分だけでなく、さらに多くの者の運命を連鎖的に歪めてゆく。たとえ相手が人間でなくても、怪物としか思えぬ存在であっても、それは罪だ。凄まじい罪なんだ……」
苦悶に軋むその声で、黒髪の尼僧は長身のナイトに訴えた。
「あなたは運命に苛まれる苦しみを知った上で、なお誰かをその苦しみへ引き込もうというのか。呪ってはだめだ。呪えばあなたの魂は歪む。憎悪に屈してはだめだ。魂を憎悪に染めれば堕ちてしまう。あなたは今、魂の危機の瀬戸際にいるんだ!」
憑かれたような緑の瞳に射抜かれたノースグリーン卿は激情に唇を震わせ立ち尽くしていたが、やおら身を翻すと部屋から出ていった。扉を激しく閉める音が、鍵をかける音が拒絶をラルダの耳に叩きつけた!
「ノースグリーン!」
その叫びを振り切るように、足音が遠ざかっていった。
第22章~第33章 →
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『遥かなる海辺より』の元となるエピソードが生まれるきっかけになった、僕としては珍しくなんとかハッピーエンドにたどりつけたメデューサの幼体にまつわる全40章のお話です。