いつも通り風呂上がりにマガイさんの髪を乾かしていたら、ふと夜空が見たい、なんて言うから散歩がてら外に出た。まだ夏だし湯冷めもしないだろうと思ったけど、案外夜の街には秋の気配が満ちている。半袖の先で曝される腕を擦りつつ、そろそろ上着も買わなくちゃですね、と言ったら何とも言えない顔をされた。それはそうだ、マガイさんにしてみたら次の季節のことなど考えるより先に早く自分がいた時代に帰りたいのだから。もう少し歩いたら小さい公園があるので、そこで空でも星でも眺めましょうと先を歩く俺に素直についてきてくれるマガイさんに伝えると、彼はこくんと頷いて近所履き用の雪駄をアスファルトに擦らせた。
申し訳程度の遊具を置いただけの公園は広い道路に面していて、マンションとか高い建物に視界を遮られずに空を眺めることができる。たまに朝のロードワークの途中に技の自主練をする場所で、道の広さの割には車通りも多くなくて静かだ。マガイさんをベンチに座らせると、自販機でお茶を買って戻る。
「まだあったかいやつがなかったんで、冷たいお茶ですいません」
「構わん、いただこう」
ペットボトルの飲み物にも慣れたマガイさんは、俺から受け取ったお茶の蓋を開けて一口飲んではまた蓋をする。隣に座った俺も、レモンスカッシュの蓋をそっと開けて強い炭酸を二口くらい嚥下して吐息した。
ベンチの背凭れに体を預けたマガイさんは、星の散る夜空を見上げていた。見たいと言ったのは彼だから、俺は邪魔をせずに黙ってそれを見ている。夜風に吹かれた前髪と、俺の不器用な手先で結ばれた組紐から零れた後れ毛が頬に触れている。
……似てるなあ。マガイさんの横顔を見ているだけで胸のどこかがちくっと痛むのに、目が離せないのは彼が『彼』に似ているからだ。あんまり考えないようにしていたけれど、視線が勝手に何百年も前の人からその面影を探してしまう。
「……何だ」
すると、俺に見られているのがうざったかったのか、マガイさんは怪訝な顔をして俺を見た。そのまま星を眺めていてくれたら良かったのにと思って苦笑いで誤魔化したら、彼はそれをちょっと叱る手付きで俺の頬を軽くつねった。痛くもないのに痛いですってまた笑って一度脚の間のベンチの木目に向かって俯いて、それから深呼吸をしてようやく俺は顔を上げた。
「本当に、あの八神さんのご先祖様なんですよね、マガイさん」
歴史上の真実ではあるけれど、現代で彼と過ごす時間の中では積極的には触れてこなかった彼の『子孫』の話。もちろん『八神』になる前の八尺瓊一族として彼自身に複雑な理由があったから触れにくかったし、俺自身としてもマガイさんと『彼』とを単純に結び付けて考えてしまうのが嫌だったから話さなかった。だけど、日々の暮らしのふとした瞬間にこうして『彼』を重ねてしまうのを止められない。それはどうしたって俺の一方的な感情のせいなのだけれど、マガイさんにまで巻き込んじゃいけない。だからこの話はもうおしまいです、とペットボトルをちょっとだけ強く握り締めて言ったら、マガイさんは俺の背中をぽんと叩いて、それからさっきまで星を見上げていた瞳でじっと俺を見つめてきた。
「似ているのか」
そんなに真っ向から聞かれたらどう答えていいのか困ってしまう。でも嘘で否定することもできなくて、俺はただこくんと頷いてマガイさんを見た。目元を少しだけ柔らかくしたマガイさんは、俺の背中を大きな掌でさすると一緒に空を見上げるように促してきた。言われるままに夜空の星々の瞬きを見つめたなら、マガイさんは背中に置いた手をそのまま肩に乗せて少しだけ俺と距離を縮めてくれる。
「先祖と言っても、数百年も世代を重ねれば血は交わり変わっていくものだ。しかし貴様の言う八神という男と俺とに何かしら似たものを感じるのであれば、それもまた、この血が経てきた歴史の業だろう」
く、と少しだけマガイさんの手に力が籠められて俺の肩にきゅうっと食い込む。思わず小さな声を漏らしてしまったから、気付いた彼は手を離して謝ってくれた。俺が大丈夫です、と笑うと今度はマガイさんの口元にも悪戯な笑みが浮かんで俺に問うてくる。
「どんな所が似ている?」
炎か、と言って指先に橙色の火種を揺らしてみせた彼へ首を横に振って、それからうんと伸びをすると頭の中には色んな八神さんの表情だとか仕草とか、俺に掛けてくれた言葉が浮かんできてまた胸がきゅっとなる。
「ちょっと怖かったところとか、すげえ強いところとか」
「ほう」
「それに、優しいところが一番似てます」
マガイさんは優しい、突然出くわした俺をわからんわからんと言いながらも傷付けないでいてくれたし、こっちに一緒に来てしまってからは不安だろうにそれを見せずに俺んちで暮らしてくれてる。そして今、こうやって俺の話を聞いてくれてもいる。
「……そうか、優しいか」
「はい、優しいって俺は思うんですけど、でも八神さんに言うとそんなことないって怒られます」
八神さんも、すごく優しい。時々俺のわがままに付き合ってくれるし、掌を重ねてみたいと思ったときには黙って俺に手を委ねてくれもする。ひどいことを言って俺のことを遠ざけようともするけど、それだって彼の優しさなんだって何となく気付いてる。だから俺はもっと強くならないといけない、そしたらもっとちゃんと俺の気持ちを彼に届けられるかとしれないって思ってるから。
……と、俺の話を聞いたマガイさんは、ふむ、と顎を擦ってからお茶を飲んだ。
「八神とやらは、他人に優しさを見せることは己の弱さを外へ曝け出すことだと思っているのかもしれん」
俺が語る八神さんの話に何やら思うことがあったのか、マガイさんは雪駄の指先を握ったり開いたりしながら俺を通して自分の子孫へと語り掛けるように話し始めた。
「実際優しさというものは何かを想わねば出てこない感情だ、それが弱みになるというのであれば違わないのであろうが……時として想いとは厳しさと優しさの両方を持ち合わせる純粋な強さだと俺は思っている」
「な、なるほど?」
「つまりは、貴様は貴様が考えているよりもその男に好かれているのかもしれんということだ」
「すっ…………!?」
八神さんへの言葉を言い終えたマガイさんは、俺の額に指先を当ててとんでもないことを言い出した。そうなのか、そうなんだろうか、ご先祖様が言うならそうなのかもしれない、だけどそんな単純に都合のいいことを鵜呑みにはできなくてただ彼の指先を寄り目で見つめることしかできずにいたら、彼は笑って指先をこつんと弾いて頭でっかちの俺を揺らした。
「好いているのだろう、その男を」
「……はい」
かあっと顔が暑くなる、涼しい夜なのにまるで熱帯夜みたいな汗の噴き出し方だ。額とか首筋の汗を前腕で拭う俺を愉快そうに笑うマガイさんに、俺は何となしに聞いた。
「あの、嫌じゃないスか?」
「何が」
「俺の好きな人に似てる、って言われて」
別に俺はマガイさん自身のことをどうこう思ってるわけじゃないし、これからも何かよからぬ考えを持つことはないだろう。だけどマガイさんにしてみたらやっぱりちょっと複雑な気持ちなんじゃないだろうか、自分に似ている、しかも自分の子孫に惚れてる男の家に居候だなんて。何となく不安に感じていたら、マガイさんは「はは」と楽しそうに声を出して笑ってから俺の背中を強く叩いてきた。
「俺は俺で、貴様の想い人では無い。貴様とて承知の上だろう?」
「……はい」
「なら嫌も何もあるまい。此れは只の、其方の青臭い恋慕の話だ」
くつくつと笑うマガイさんの顔は、やっぱり優しくて俺も釣られて笑ってしまった。彼は八神さんのことをからかいながら俺の肩を掴んで揺らす。
「次に会うことがあれば言ってやれ、貴様の先祖が説教をしていた、とな」
「あはは……そうですね、言ってみます」
八神さんは何て言うだろうか、まさか自分のご先祖様に恋愛相談しただなんて思わないだろうし、きっとまた俺が変なことを言い出したぞって微妙な顔をするんだろう。そして俺は、そういう八神さんの顔だって好きなのだ。
「マガイさんはすごいッスね、何だか俺、めっちゃ元気出ました」
「取って付けたように誉められたところでな。まあ、有り難く受け取っておこう」
お茶を飲み干したマガイさんから空のペットボトルを受け取ると、自販機の隣のゴミ箱まで捨てに行く。俺のレモンスカッシュはまだ残っているから、帰ったらグラスに移して氷でも入れて飲んでしまおう。ベンチまで戻ったらマガイさんは既に立ち上がっていて、俺を出迎えると夜空を見上げながら感じ入る声で俺に告げた。
「貴様は、星に似ている」
「えっ?」
「何処に居ても、どんな時代でも自らの光をひたすら真っ直ぐに届ける星の光……きっと、俺の子孫にも届いている筈だ」
わしっ、と大きな掌で頭を撫でられる。今の言葉が俺の淡い恋心へのエールだと気付いたらぽっと胸が熱くなった。
「あ、ありがとうございます!」
「ふ、そろそろ帰るか」
「はいっ」
来た道をそのまま戻るのも何だかもったいなくて、帰りは別の道で遠回りをすることにする。夜空の星は、さっきよりもキラキラしている気がした。
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またしても外伝勾依さん現代転移の話。庵真前提の勾依さんと真吾くんの恋愛相談。