No.106086

フタリノアイー完結編ー

一色アヤさん

死ぬよりももっと面白い事をしない?その一言で二人の日常は入れ替わった。そして最後に選んだ二人の未来とは?

2009-11-09 01:54:05 投稿 / 全10ページ    総閲覧数:661   閲覧ユーザー数:650

「永遠なんて、そんなのあるわけない。」

 

そう呟いたのは母だった。母はとても弱く、はかなく、雪の降る日に消えてしまった。

(だから雪は大嫌い。)

はかなくて、冷たくて…すぐ消えてしまう。そして今なお、母の最期の言葉が頭によみがえる。

「あのひとは…わたしがいなくなったら…悲しんでくれるかしら?」

ー二人のアイ・最終話ー

 

4月7日AM10:37

 

「急にごめんなさい。今日はおやすみだったんでしょう?」さわさわと風になびく髪をうっとうしそうに払い、愛は振り向いた。風に乗って桜の花びらがひらり ひらりと落ちてくる。

「いや、かまわないよ。こんな天気の良い日だし・・家にいるよりずっといい。」一弥はそういって一礼してから墓に花を供えた。

 白ユリの花の香が周りを散らばる。一弥にならって愛も墓に向かって手を合わせた。

「・・私がここに来ていいのかわからないけど…」

 その時だった。後ろを振り返ると・・そこには懐かしい顔があった。

「…来てたんだ。・・・愛。」長かった髪もさっぱり切り落とし、どことなく大人びたその顔。そしてその後ろには啓太の姿もあった。

「亜衣!啓太!」

 四人がそろって会うのは・・およそ一年半ぶりのことだった。

 

 

――12月24日クリスマス PM21:39

 

 どこからともなく、ジングルベルが聞こえる。街のほうからだろうか。それとも誰かのラジオからだろうか。街の明かりとは裏腹に心は落ち込んでいる。愛に寄りかかって眠っている明子の瞳からまた一筋、涙がこぼれた。

 「どうしよう・・!恭司さんが・・・恭司さんが…!!」

 切羽詰まったような明子から愛の携帯に電話がかかってきたのは一弥と街でちょうど会ったあたりの時だった。あわてて病院へと駆け込み、恭司が路上で何者かに刺されたという話を聞いたのだ。それからすぐに集中治療室へと入り、すでに5時間が経過している。

 (どうして、こんなことになってしまったんだろう。)

もう、何度この言葉を頭の中で繰り返しているんだろうか。しっかりと愛の手をつかんでいる明子の手に触れてみる。

 始まりは単純なことだった。毎度別の男のもとへ走る母親。夜ごと愛を呼び出しては虐待を繰り返す父親。今更家出するのもばかばかしいし、いっそのこと死んでしまおうかと思ってのぼった立ち入り禁止の廃ビル。そこでたまたま同じ背格好で、同じ「アイ」という名前の少女と出会った。

 彼女が持ちかけたのは「二人の日常を丸ごと入れ替えてしまおう」というもの。

 榎本愛をやめて神永亜衣としてはじまった日常は…あまりに幸せであまりにも残酷なものだった。そして迎えたクリスマス。幼馴染との再会、決別。そして今は「亜衣」の父が何者かに刺されて重傷だという。

 

 (・・もし、もし父さんが・・恭司さんがなくなってしまったら・・)

 

 愛の正体も知らずにいなくなってしまうことになる。そうなれば、愛は悔やんでも悔やみきれない。

 

 (まだ・・私はあなたたちにきちんと話せていない…!)

 

 

 

 橋本一弥は白い色で統一された清潔感のある階段をなるべく足音を立てぬように慎重に歩いた。橋本一弥は階段を降り切ると、そのままエントランスへと足を運んだ。

 クリスマスの最中のこの時間は病院内にも人はあまり多くなく、面会時間もとうに過ぎているせいかあたりは静まり返っていた。

 玄関に一面に張られたガラスの窓からは街灯の明かりがあたりを照らしている。もう人が歩いている様子もない。

 外にはいつの間にか雪が降っているようで、うっすらと地面に白く張り付いてた。

 「・・なんだそれ。・・・一体どういうことなんだよ・・・!!!お前んとこにいるあいつは・・愛は!!」

 「・・今、話した通り。彼女たちはお互いの顔を入れ替えて日常を過ごしていたんだ。・・こっちにいるのはまぎれもなく君の知ってる彼女だよ。」

 受話器の向こうから聞こえる一弥の声は冷静だった。それがまたさらに啓太を苛立たせる。「・・っなんで。なんであんたはそんなに冷静なんだよッ?!愛と・・そっちの愛ともう一度話させてくれ!!」

 「まだわからないのか?!君に・・恋人だった君に別れを告げた彼女の気持ちを・・どれほどの覚悟で君と向かい合ったと思っている!?」

 一弥はふと、愛のことを思った。啓太に愛を逢わせようとしなかったのもこれ以上愛の泣き顔を見たくはなかったからだった。

 ―― どこかで必ず双方にほころびが出てくる。今の現状がいつまでも続くはずはない。

  そうなる前に、なんとか手を打ちたかった。二人を元に戻せるのなら・・その方法も探すつもりだった。けれども・・・

 「自分が・・まったくの知らない別人になっている・・・そんなことを君に告げて・・・平気なわけがないだろう…!」

  啓太は言葉に詰まった。

 自分はそこまで考えただろうか。ただ、なぜ?と問い正すだけで、知ろうとしなかった。…知りたくもなかった。自分の事ばかり・・彼女の・・いや、二人のアイの気持ちを考えたことがあっただろうか。一弥の言葉が突き刺さる。

  「…橋本さん…。どうしよう、おれ…あいつらの気もちもなにも考えずに……こっちのアイにひどいこと言った・・・・。」

  携帯を持つ手が震えた。気がつくと、外の雪は勢いを増していた。 

 

 12月24日PM22:01

 

 バタン!

 

 突然手術室の扉が開かれた。明子も愛も、一瞬びくっと肩をすくめる。

  「・・すみません!…あの、A型の方はいらっしゃいますか?!あまりにも失血がひどいので・・至急輸血をしなければ…」

  A型。愛は喉もとまで出かかった声をあわてて抑えた。「・・そんな・・・っ一弥も私もОだし・・亜衣ちゃんだって・・確かABだったはずよね?」

 明子がそう言うと、看護婦は静かに首を振った。

 「そんな…このままでは…」

 ―― あの人を見殺しにするの?

 内なる声が頭に問いかける。すべてを明らかにして、恭司を助けるか。すべてを闇にふさいで、恭司を見殺しにするか。二つに一つだった。

 ―― 偽物は、いつまでも偽物のまま。 

 いつまでも偽物のまま、神永亜衣として生きて、幸せになれると思う?このまま恭司さんを見殺しにしたら・・だれも幸せになれない。愛も、あっちの亜衣も、明子さんも。

 ―― 偽物は、いつまでも本物にはなりえない。神永亜衣は、榎本愛になれない。そしてその逆もまた……もう・・これ以上は。

 「・・私はA型です。どうか私の血を使ってください。」

 「本当ですか?!ありがとうございます・・・一応念のため簡単な検査もさせていただきます。」看護婦がそう言って愛を促した。

 「・・・・え。・・・あなた・・は・・・・」握っていた明子の手をそっと話す。支えを失った明子は、その場に崩れ落ちた。

 「ごめんなさい・・・」愛は振り向かず、看護婦の後を追う。

 

(・・幸せな夢を見させてくれて・・ありがとう)心の中でそっと呟いた。

 

 

 「はーいいらっしゃいませー!今からケーキ二割引だよ~」

 「カラオケいかがですか―ぁ?」

 町中のいたるところでイルミネーションがキラキラ輝いている。華やかな気分とは裏腹に啓太は沈んだ気持ちであたりをぐるりと見回した。さすがクリスマスといったところか。

そこかしこに人がごった返していた。

 楽しそうにはしゃいでいる学生たちの群れを追い越し、啓太はただひとりを探していた。

 ――もっと早くに気づいていれば。

 少なくとも今のような現状にはならなかっただろう。もっと早くに愛の異常に啓太が気づいていれば。そんなことをぐるぐる考えながら歩いていると、突然背後から声をかけられた。

  「あら!啓太君。ひとりなの?」

 そこには、にこにことはじけんばかりの笑顔の幼児を連れた、見なれた女性だった。… 榎本 敦子。愛の母親だった。

 「あ、ああ…ども。」曖昧な返事を返す。後ろめたいものがあるわけでもないのだが、なぜかそこから逃げ出したい気持ちに駆られた。

 「さっきあの子から電話あって・・てっきり一緒にいるものだと思っていたわ。」

 「・・え?!さっきっていつ?!あいつ、なにかいってた?!」

 「ええと…あ、あった。ちょうど30分くらい前かしら。今日は遅くなるけど心配しないで、って。明日はちゃんと帰るから・・って。てっきり啓太君と逢ってるものだとばかり思っていたから。」

  一瞬、啓太は耳を疑った。あんなにすれ違っていた親子だったのに、今はこうしてちゃんと「家族」になっている。

 

 「…あ、あの、実はちょっと喧嘩しちゃってさ・・。あいつ、どこにいるって言ってた?」

 「うーん・・場所まではちょっと…。それにしても珍しいわね?喧嘩だなんて。」

 「・・・いやー・・なんというか…それより、最近どうですか?…すいません、おじさんのこと…おれ何も知らなくて。」

  愛の父親について、本人の口から聞いたのはあらかたものが片付いてから約二カ月あとのことだった。聞いたときはその父親を殴ってやろうかとも考えたのだが、その前後にその父親もどこかに引っ越したようで、いつも向かいにあった愛の実家は今はだれも住んでいない空き家になっている。

 「ううん、いいのよ。でも最近は愛と話もできるようになったし…ふふ。おかしいでしょう?家族なのにねぇ・・」そういうと、敦子はふとさみしそうな顔になった。

   「たっくんもねー。おねーちゃんもおかーさんも大好き!!あしたはねーパーチー!!」ぴょんぴょんと跳ねる卓の様子を気にかけながら、敦子はにっこりほほ笑む。啓太は何となく敦子のもつ大荷物に目が行った。

 「…それ、ケーキですか?」

 「そうよ。恥ずかしながら今年が初めてのクリスマスパーティーなのよね・・・・。」

  前にあった時よりも晴れやかな笑顔の敦子と別れると、信号が変わりそうな横断歩道を急ぎ足で横切ると、ふともう一人のアイの顔が思い浮かんだ。

 「最近ね。・・母さんと仲がいいの。…普通に話せるっていうことが嬉しい。・・・・不思議だね。」

 いつだったか、そう言っていたことがあった。その時は本当に嬉しそうだった。(そういえば…あの子の本当の名前をまだ聞いていないな・・。)だがいま思い出すのは・・今にも泣きそうな、傷ついた顔。

 それを思い出すたび啓太の胸は締め付けられるようだった。

 

  12月24日PM23:00

 

  「もう大丈夫。娘さんも旦那さんも容態は安定しましたよ。」年配の看護婦テキパキと周りの片づけを済ますと、明子に向ってにっこり笑った。

 「・・ありがとうございます。」軽く頭を下げて看護婦は静かに病室の扉を閉めてくれた。明子は、ベットで静かに寝息を立てる恭司の頬にそっと触れる。あまり顔色は良くないようだが、脈も血圧も安定しているので命に別条はないようだった。「ほんとに…よかった…!」

 一通り涙をぬぐうと、逆隣で寝ているもう一人の少女の寝顔を見た。

  

 「二人は?」そっとドアを開けて一弥が中に入ってくる。

 

 「…一弥。いつから知ってた?」

 「実は最初から。…自分で言うのもなんだけど…おれ、神永の亜衣ちゃんには毛虫のごとく嫌われていたから。だから一年前に会った時の様子があまりにも普通だったから…」

  一弥は何となく重いため息をつく。亜衣の実の母親が亡くなった時にナイフで切りつけられていからというもの、会うたびに敵意むき出しで向かい合ってきたものだった。今ではそれすら懐かしく思えるのだ。

 「そういえば…あなた嫌われていたものね。…わたしもだけどね。」明子はさびしそうにほほ笑む。「…うすうすは、わかってたのよ。」

  とても不思議な気分だった。今目の前にいるのは同じ顔だけどまったくの別人。ほんの一年前までは顔すら知らない赤の他人だった少女だ。実際今も名前すら知らないのに、こうしてそばで眠っている。

 「この子、ホントの名前は?」

 「… 字は違うけど、゛愛゛。聞いた話だけど…きっかけもそれだったみたいだ。自殺するつもりで上った廃ビルにたまたま居合わせたそうだよ。そこでこの子に神永亜衣が持ちかけたらしい。…死ぬよりも面白いこと、二人の人生を入れ替わろうって・・。」

    ―― どうせ死ぬなら、面白いことしない?

 こんな一言で始まったこのゲーム。…そうしなければならないほど、ふたりの少女は傷ついていたのだろう。

  「初めてこの子に会った時…言われたよ。やっと形のある家族に会えたって。」

 「…家族かぁ…。ふふ、私ね…この子のこと大好きだよ。素直で、やさしくて…。それはね、恭司さんもおんなんじ。…今からでも、なれるかな?」

 「…もうなってるんじゃないかな?…あ、おはよう。」

   愛がうっすら目を開けると、明子と一弥、二人の笑顔が飛び込んだ。一弥のひんやりした手が愛の頭にそっと触れる。

  「…あ…。かず…やさん。」

 「……よかった。でも、少し顔色が良くないね。恭司さんはもう大丈夫。命に別条はないって。」一弥がそういうと、ほっとしたように愛の顔はほころぶ。

 

 「私…ふたりに、明子さんに…話さないと。謝らないと…ごめんなさいって…言わないと」一瞬気が遠くなりそうになりながらも、愛は体を無理やり起こす。その体を明子は支えた。

 「大量に血を抜いたんだから…あまり無理しないの。あなたは元気になってからでも遅くないよ。」

 「…明子さん…あの、私っ…」何かをさらに言おうとする愛を制して、明子は愛を抱きしめる。そして背中を数回、ぽんぽんと叩いた。

 「何も言わなくていいんだよ。私はね、あなたが大好きなの。あなたが来てくれて、私はとっても救われた。みんなそうだよ。だからそれをだましていた、なんて思う必要はないの。」

  「まったくもってその通りだ。」突然背後から聞こえた声に愛は肩をすくめた。

  「恭司さん、まだ無理しちゃあ…」一弥はあわてて恭司の方へ駆け付ける。恭司に促されてその体を起こした。一瞬顔を痛そうにゆがめるが、起き上がって愛に向き合う。

 「…わかっていたよ。君は私の知ってるあの子じゃないこと。でも、君が来てくれて…私も本当の家族っていうのがやっとわかった気がする。」

   恭司は愛の手を力強く握りしめた。

 「血のつながりがそんなに必要だというのなら、私たちはもう親子だろう?君の血液の半分は私の中で活動しているんだからね。」

 「・・おと・・う・・さ・・」愛はやっと一言そういうと…また泣いてしまった。

  その時、やさしい空気を断つかのように愛の携帯の着信音が響き渡る。

 「…あの子だね。呼んでいるんだろう?」恭司は静かにそういうと、ゆっくりと一弥の手を借りて再度寝台に倒れこむ。

 「…?!・・どうして?」

 「私はあの子をとても苦しめていたんだな。いつも心の中で泣いていたんだろう。それすらも気がつかなかった…」恭司は月明かりで涙を流す亜衣の顔を思い出す。顔は違っても、泣き方は同じなのだ。

  

  ―― 最初の場所で、待ってるよ。

 

 メールの文面はこの一言。愛は静かに立ち上がると、ふらつく体を励ましながらコートを羽織った。「姉さん、恭司さんを」一弥は短くそういうと、自分もコートを羽織った。

  「か、一弥さん…」

 「おれもいくよ。君が途中で倒れたら元も子もないだろう?」愛は救われるような気持ちでうなづいた。

 「…あの子に伝えてほしい。いつでも待ってるからと。…君も。」恭司と明子はほほ笑みあいながらそう言った。愛は笑顔で一言「行ってきます」とつぶやいて病室を出ていく。

 そんなふたりの様子を見送りながら、明子はふっと笑った。

 「ふふふ。一弥の努力次第で…義妹にはなれるかもしれないわね。」その言葉に恭司は複雑な心境といった表情で笑った。

 

 

 ―― 誰であろうと幸せなんて、自分で決めること。そうでしょ?

   冷たく風が吹きつける。もうどれくらいこうして月を見ていたんだろう。亜衣は涙も流さずただじっとしていた。過去から現在のことが激しく頭を交錯し、もう寒さも何も感じない。

 (どうすれば…あの人を悲しませずに済むんだろう)亜衣を抱きしめてくれたやさしい母親。やっと見つけたのに・・・

 

 (「亜衣」じゃできなかったこと。だってとうさまが悪い。母さんがいるのに、別の人と結婚するなんて。)

 

 啓太はいなくなってしまった。もしかしたら、もう私の帰る場所はないのかもしれない。だって、あっちにはもう一人の亜衣がいるもの。・・そしてあの子は変えてしまった。家庭を顧みない父。仕事しかしない父。

  「あの子は全部持って行ってしまったんだ…」亜衣がそうつぶやくと。後方の重い鉄の扉が開く音がした。振り返ると…そこには、もう一人の自分が現れた。

  「…亜衣…。」

 「待ってた。そっちはど?こっちは…それなりに幸せだったよ。」そういうと、亜衣はさびしそうに笑う。

 「…今日、恭司さんが刺された。」

 びゅうっと横殴りの風が吹く。亜衣は表情を変えずにこっちを見やった。

 「あなたが…やったんだね。」愛は眼を伏せながらやっと一言そういった。

 「そうだよ。…だってしょうがないじゃない。あんたのせいだよ。」 

 「なんで!…私は…」

 「だって全部持ってったじゃない。とうさまも、幸せも、啓太だって…。」

  亜衣はそれだけ言うと、ゆっくりと愛に近付いた。また風が吹き、二人の髪を舞いあげた。

 

 「橋本さん!」

 息を切らして啓太がやってきたときには、雪はもうすっかりとやんでいた。一弥は愛が上に登ったって言った後、すぐさま啓太に連絡したのだ。

 「来たね、二人は上だよ早く行こう!」一弥が啓太を促す。だが、啓太はそこから一歩も動こうとせず、泣き出しそうな顔でこっちを見ている。

 「…啓太君?…ほら、早く」つかんだ腕は啓太が思い切り跳ね返した。

 「…俺は行かない。…行けないっ。行くのが…怖い!」

  一弥は再度何も言わずに啓太を促す。「…嫌なんだ!!!もう、二度も失った。もう失いたくない!!」啓太はそれだけ叫んで目を伏せる。と、突然頭に何やらひんやりする衝撃を受けた。

 「?!」しかも、やたらと水を含んでいそうだ。

 「……君は、馬鹿か。」重いため息をついて一弥はそういうと、ぱんぱん、と手を叩いて雪をほろう。「・・っつめた…!ゆ。雪?!」一瞬なにがなんだかわからなかった啓太だったが、先ほどの冷たい衝撃は雪だったらしい。

 「なら、君はそこにいろ。雪でもかぶって頭を冷やすといい。」一弥はそれだけ言うと、廃ビルの入口に張られている立ち入り禁止の看板と鎖を突破し、上へと昇って行ってしまった。

 その様子を情けない気持ち啓太は見やり、空を見上げた。

 

 亜衣は無表情で亜衣に近付くと、その場を通り過ぎて背後にある屋上にかろうじて張られたフェンスへと歩いていく。

 「ずっと考えていたんだ。あんたが一番苦しむ方法。」そういうと、そのフェンスを越えた。足元に広がるのは冷たい雪に覆われた地面だった。

 「亜衣?!何を・・・・!!」

 「あんたが一年前できなかったこと。今私がやってあげる。私がこの顔のまま死ねば・・あんたは一生背負うことになる。だって、この顔はもともとあんたのものだもの。」

 「馬鹿なこと言わないで!!そんなくだらないことで死ぬなんて…」

 「くだらないこと?!…大層ご立派になったもんだね!!一年前あんただってしようとしたじゃない!!!・・逃げ出したかったんでしょ?!やめたかったんでしょ?!!」

 愛は言葉に詰まった。今起きているのは昔の自分がしようとしていたこと。その気持ちは痛いほどわかる。

 でも、今は違う。

 「…そうだよ。逃げ出したかった、なかったことにしたかったの。でもね、今はそれが意味のなかったことだって。くだらないことだったって言える!!!」

 それだけ言うとずんずんと亜衣に近付く。

 「…な、なによ!!」

 「私は!!あなたになって家族ってこういうものだってわかった…。きちんと向き合うことってどういうことなのか・・・・わかった。あなたもじゃないの?!」

 「・・・・!!」

 「恭司さんは、あなたを待ってるって。いつでも帰っておいでって言っていた。」

 「…う、嘘!だってあの人は…!!」

 「嘘じゃない!…もう、私が神永亜衣じゃないってことも受け入れてくれて、それでもなおあなたを待ってるって。そういったんだよ?!きちんとあって、話して!!死ぬならそれからにしなさい!!!これ以上逃げるのはもうやめて!!!」

  亜衣は、不思議な気持ちでもう一人の自分を見ていた。もう一人の「亜衣」は、泣いてる。自分は涙を流せなかったけど…彼女は泣いてる。

 「あ…わたし…は。」

 「向き合おう?戦おう?!今度はみんなに助けてもらって…それが今の私たちにはできるでしょう?」

 その時、不意に横殴りの強風が襲ってきた。亜衣はその場からバランスを崩してしまった。

 「きゃ…っ」「亜衣!!!」

 

 

 がくん、と重い力が愛の腕にのしかかる。

 間一髪、その場から落ちるのだけは免れたが、愛は左手に亜衣を。右手で柵につかまる。結果、二人分を支えるのはこのよわよわしい柵だけだった。

 「あ…亜衣っ…絶対!!離さないで!」

 ―― 重い。

 人一人分の重さとはこれほどのものなのか。愛は自分の腕が千切れそうだった。何度も意識が遠のくのをこらえながら。亜衣を引き上げようとした。だが、微動だにしない。またさらに風が吹き、亜衣の体を左右に小さく揺らす。

 「…何よ…なんでそんな必死なのよ…!もういいよ。離してよ!!」亜衣の声は消え入りそうだ。

 「馬鹿言わない・・で!!」

 やり直せるだろうか。もう一度、愛の言うとおり向き合えるだろうか。わかってくれるだろうか。啓太も。父も・・

 「…愛…、私、やり直せる…?」

 「あたり・・まえでしょ…」そう言った瞬間、右手を支えていた柵から手は滑りだす。一瞬、二人の体は一瞬宙を舞った。

 

 ――・・・おちる!!

 

 そう思った瞬間、見えない力に引っ張られるように、愛の体は後方へと飛ばされた。

 薄く眼をあけると、空には美しい月が浮かんでいる。何が何だか分からず茫然と月を見ていると、ふわっと温かいものが自分を包み込んだ。

 「バ…馬鹿!!あまり心配掛けさせるな!!!」耳元で聞こえるその声は、一弥だった。

 「わ…わたし、生きてる?死んでない…っ?」

 「当たり前だろ…!!!」自分をさらに強いくらい抱きしめる。だんだん意識がはっきりしてくると、愛は一弥の腕から抜け出し、前のめりになってビルの下を見る。

 

 「亜衣!…あの子は…!!!」

 

 死にたくない、その時初めてそう思った。二人の体が宙を舞った瞬間、愛の体は一弥がさらっていったから、あの子はきっと大丈夫だって思った。でも、自分は。

 

 次に目が覚めるときには…母さんがいるのだろうか。そんなことを考えていた。

 

 そして、一年前に自分が行った言葉を思い出す。

 ―― ここから飛び降りたら死体はぐちゃぐちゃ。顔なんて潰れるでしょうね。

 (そんなのはいやだ!…死にたくない!!!)

 

 そう思った時、力いっぱい自分の手を握り締めた。何か冷たいものが手に当たり、水になった。

(…ゆき?)そしてその手を大きなもう一つの手が重なる。

 「ごめんな。…おれ、お前のこと何も考えずに自分のことしか考えないで、ぶつけて…大人げないよな…」

 耳元でやさしく聞こえる啓太の声。そして自分を包み込む温かいもの。夢ならいい。こんな幸せな夢を見れるなら、死ぬのも悪くない。

 「ううん。…しょうがないよ、無理もないよ…。ごめんね、啓太。」

  うっすらと目をあけると、いつの間にか数人の人間が周りを取り囲んでいた。

 「おー気がついた。今救急車呼んでるからな!」

 「え?」

  なんだか拍手が沸き起こる。そしてなぜ自分は啓太に馬乗りになってるんだろう。

 「わ・・悪い。ちょっ俺・・動けなくて…なんかあちこち全身の骨が…あいてててて」

 「え?…え??」

 「亜衣ーーー!!!」わけもわからず周りを見渡すと、愛が息を切らしながら走ってきて、亜衣に抱きついた。

 「え?!…愛?」

 「私たち、助けられたんだよ!!よかったぁ…!!」それだけいうと、愛はそのままふらーっと後ろへ倒れこむ。その体を一弥が支える。 

 「大丈夫かい?啓太くん。」

 「あの…なんかアバラ?とかがなんか…おかしいっつーか。」

 「大丈夫。今すぐ救急車が来るからね。神永病院が全面的にバックアップしてくれるからオールスタンバイOKだよ。亜衣ちゃんも一応念のため検査を受けてね。それじゃ、病院で。」

 一弥は愛を横抱きにして立ち上がると、すぐそばで待機しているタクシーに颯爽と乗り込んだ。

 「…え?」亜衣はうろたえながらタクシーを見送る。そして、入れ替わりに救急車が二台やってきた。「大丈夫ですか?!いったい何があったんですか?!!」

  止まった救急車から、救命隊員が下りてきた。そして矢継ぎ攻めに質問を浴びせてくる。一から説明することを考えるとうんざりする。そして今さら、一弥がいなくなった理由を理解した。(…あの人、説明するのが嫌だからさっさと逃げたのね…)だからあの人は好きにはなれない。

 

 4月7日PM0:01

 

 桜の花がひらり、ひらりと舞い落ちていく。もう、今は桜が満開だ。今日は午後につれて気温も高くなっていく。花見日和という奴だった。

 

 「亜衣、髪切ったんだね。そのほうが似合うよ。」

 「…そうだね、長い時よりも短いほうが楽だし、私もこういうの嫌いじゃない。」

 神永志乃の墓参りを終えた四人は、そのままぶらぶらと桜の満開な公園を選らんで散歩することにしたのだ。

 

 「いやー天気いいし、桜もいいし。弁当持ってくればよかったかな―。」

 「…えー…啓太は洋食専門でしょ?なんか無駄に凝り凝って、脂っぽい中身になりそう」

 亜衣がそうつぶやくと、啓太はぶつぶつと文句を言っていた。

 

 今日は休みの日とあって、どこもかしこも満杯だ。

 「あ、あそこの場所、空きそうだね。」一弥はそれだけ言うと。すたすたとその場所へと歩き出し、見事場所を確保した。

 そこはちょうど大きな桜の木の下で、タイミングが良かったとしか言いようながない。

 

 「よし、愛ちゃんたちはその場所守っててね。敷物と食糧を確保してくるから。」それだけ言うと、半ば強引に啓太を引きずって行った。

 「…相変わらず有無を言わさずというか、強引というか。」

 「一弥さんらしいね。・・一応気を使ってくれたんだと思う。」二人はそういうと笑い合った。

 

 目の前にそびえたつのはとても大きな桜の木だった。ひとつひとつの枝ぶりも立派で、花も見事に美しかった。

 「…愛、あんた…母さん…敦子さんに一生言わないつもり?」

 話題を切り出したのは亜衣のほうだった。

 「うん。…言わないほうがいい場合もあるよ。あの人は、あまり強くないもの。…いつか、言えるときがきたら言うつもり。」

  もし、今の敦子に長い期間にわたって自分が知らない間に娘が凌辱され続け、自殺を考えるまでに追い込まれ・・それこそしなかったものの、まったくの別人になり変っているのだとわかったらという真実を話したのなら、一人で思い悩むに違いない。それこそ、一年前の愛のように。

 「そっか・・。そうだね。私もあの人が悲しむのは…見たくないな。」

 「…亜衣は続いてるみたいだね。恭司さんとの文通。」

 「まあねー…。言葉じゃ、また馬鹿なこと言い出しそうだから…月に一回くらいのペースかな。割と、楽しいよ。」

  亜衣はどことなく照れくさそうに笑っている。…案外恭司も筆まめで、お互い文通が切れることはないようだった。

 

 それから、ゆっくり時間が流れて行った。現在の状況、近況などを報告し合うのは、今だからこそできることなのかもしれない。

 「わたしね、実は今年から看護学校に通うことになってるんだ。いずれは看護婦になって神永医院に何かしら関われたらしいなって思ってる。」

 「…へえ。いいな、それ。なんか愛らしい。…私は美容師になろうと思って。・・自分で何かの形を作るって、結構楽しい。…啓太の影響かもしれないけど。」

 

 その後、ナンパやら何かの勧誘だのなどを撃退しつつ、小一時間が過ぎた。

 

 「やっほーおまたせー!」

 上機嫌な声とともに二人の男性陣が登場したのはそれからだった。一弥の手には袋にいっぱいの飲み物と、酒。そして啓太の手には…

 

 「じゃじゃ~ん!!弁当作ってきましたー!!」得意げに啓太が重箱を広げると、そこには豪華な料理がずらりと並んでいた。

 「おお!すごい!!」思わず歓声を上げる二人に啓太は嬉しそうにひとつひとつ料理のこだわりを説明してくれた。うんざりしながら亜衣が聞いている様子が妙におかしかった。

 すると一弥が愛の隣にやってくる。

 「…一弥さんまで悪乗りするとは思わなかった。」

 どうやらあの後二人は一度一弥のマンションへと戻り男二人で手料理を作成して来たらしい。

 「おれも料理は嫌いじゃないしね。いやーそれにしてもプロの技はなかなか勉強になるよ。」

 「勉強・・ねえ。まだ駆け出しでしょう?ずっと接客のほうだったんだろうし。」愛は半ばあきれるようにそうつぶやいた。

 「いやーでも実際彼はいい料理人になれるかもしれないよ。今度うちにおいで、何か作って御馳走するよ。…君には渡したいものもあるしね。」

 「…渡したいもの?何?」

 愛は首をかしげるが一弥はそれ以上は何も言わなかった。

 「まあ…受け取ってくれるかどうかは別にして、成人祝いってところかな」

 「成人祝い…???」

 

 「よし!!じゃあみんな味わってくれ!!」啓太の料理説明がやっと終了したらしい。

 「やっと食べるの解禁…?長すぎだよ…このうんちく馬鹿!」亜衣はそれだけ言って、笑った。

  つられてみんな笑いだしてしまった。

 

 まだ日は高い。今日は楽しい一日になりそうだった。

  「幸せですか?」

 今の四人にそう尋ねると、きっと即答でこういうだろう。

 

 「もちろん!」


 
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