テーマ別に書きます。
◎アンソニーの死とケネディーの死は似ている!と思うのはこの自分だけでしょうか?同じような意味合いをすごい感じると言う事です。ただ謎があまりにも大きいのは断然ケネディーの方ですけどね。たとえばアンソニーがキャンディの事を『一人で森の奥に行っていたの』といっただけで突然目つきが変わって激高してキャンディを殴ったのと同じようにケネディーもジャクリーンがキャンディと同じような発言をしたらやはりアンソニーと同じように突然目つきが変わって激高して殴ったのでは?!と思うのです。でもやっぱ、なんであんまりにも酷い話!という点ではすごい共通項が多いように思うのです。
※キャンディ・キャンディは、『なかよし』にて、1975年4月号から1979年3月号にかけて連載されました。ケネディ大統領暗殺事件は、1963年11月22日金曜日、現地時間12時30分にテキサス州のパレード中に起きました。⇒その辺を連想したんじゃないですかね事件をヒントに・・・キャンディの原作者が・・・。
◎作家とか絵師でも考え方が結構エゴイズムの場合は、その事については最近ここでよく書いていますが、“自分の理想で好みのタイプの人物を買い付けたり買い取りしてくれる人以外は殆ど皆不細工でどうしようもないイメージの感じで描いている”と思うんです。つまり、自分等に何もお得が無かったら常にコケおろしているって事です。またそうでありながらも、だからと言って完全にポイ捨てする事も出来ず、その後も要所々で、相手に隙さえあればあくまで自分本位な自己中心の願いの手伝いを半強制的にやらせようと常に企んでいる感じが明らかに常にミエミエですごく嫌だと思うんです。
◎自分としては、そんな面倒な嫌な事を特定の他人に対して執拗にしかも長年かけて要求するのなら、つまり、“作家や絵師達の理想で好みのタイプの人物を買い付けたり買い取りする活動”をさせようとしているのだったら、その要求している相手が誰と遭遇しようが話をしようが一切干渉したり嫌な顔をすべきじゃないと思うんですよ。そんな野暮用をやらせる訳なんだからその人物が何か楽しみを持ったって大いに良し!とするのが普通だと思うからです。その辺のすごい差別的で自己本位ないつもの主にネット内における作家や絵師達、その他芸能界関係やもしかしたら一部の政界の人等、あるいはマジ自己本位の塊の自営業関係の人等なんかのやり口がどうしても府に落ちないのですよね。あれダメ!これダメ!と年中やられていると、その人が喜ぶ顔をみたいから一生懸命何かを手伝ってあげようという優しい気持ちになんか絶対に沸く訳も無いからそう思います。最初から根本的に何かを大きく履き違えていると思うし、やはり昔から自分はサドのタイプの人だけは出会い系では危ないからずっと避けていたから、もし現在自分にすごく未練がある男性がいたとしたらやっぱサド趣味の人にまず間違いないと思うんですよね。殆ど思い出が無いからそうなるんでしょう。だからこそやはりしつこい人に対してはすごく警戒しますよね。何故なら自分はサド趣味の人にあまり強い関心が沸かない性質だからです。
◎そして、そこまで気を使って、相手にやる気を出させたり持ち上げるのが面倒で嫌だったり、ムカつくからって、何もマジ、我が子を崖下に突き落として殺害しその後保険金を得て、その金で豪遊して美女と遊ぼうって考えの人に対して何処まで本気で好意や友愛の精神を持ち続ける事が出来るのか?!という問題は非常に大きいように思われます。何処までも信じてついて行くと本当に最後は下弦の月の映画みたいな展開になると思いますよ。やっぱチャンスがあったとしてもそうとう頭の回転が速くて上手く男性をあしらえるタイプじゃなかったら簡単にその手のタイプとは籍を入れない方が良いと思うんです。だってもしそういう危険思想の男が金がどうしても欲しくなった場合我が子がいなかったら奥さんに暴力をふるって接客に行かすか行かす事がすごく嫌がられて無理だった場合にお金が手に入るまでに待ちきれなかったら殺害して保険金を欲しがる事もまったく無いとは言い切れないと思うからです。
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