No.1019574

ER509-1Eclipse 第3話

橘つかささん

コミティア131で販売した作品になります。

2020-02-11 22:57:21 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:554   閲覧ユーザー数:554

 

 佐藤しおりはいつもと変わらない朝の通勤時間で同じルートを歩く。

 堀を渡ったとろにある横断歩道前で見上げる市ヶ谷の空は曇り。

 そのまま市ヶ谷側の入り口から防衛省の敷地に入る。

 しおりが勤務するイブバイオテックラボラトリー、通称EBLは半官半民の組織で、市ヶ谷の自衛隊内にその本社を構える。

 入稿証をかざすとゲートが開く。チャイムの音のあと通過し、入構証を首からかけた。

 ふと、先を歩く女性の違和感が気になった。

 身長は158センチの自分より少し低いかもしれない。

 ジーンズにTシャツ、大きなデイバッグは、自衛官でも、事務方っぽくもなかった。

 1つに縛った長めの髪は漆黒で背中の中ほどまである。

 彼女は敷地内を走るシャトルバスのバス停の前で止まると、あたりを見渡した。

 振り返った赤い縁取りの眼鏡ごしに、ふとしおりと目があった。

 全く特徴のない、整った顔立ち、美人というわけではないが、きれいな顔立ちだった。

 ただ、似顔絵を書いてくれと言われたら困るような、そんな特徴のない雰囲気だった。

「佐藤しおり先生ですね?」

 彼女は澄んだよく通る声で話すとそのまましおりに歩み寄る。

「はじめまして、伊武れい、形式番号はER55です」

 落ち着いた雰囲気の彼女は静かに頭を下げる。

 スレンダーな体格の凛とした印象だ。

 そして、左右の耳には小さな赤、青のピアス。

 間違いない。イブラボ製の試作介護用ガイノイドER55だ。

「あ・・・あなたが。はじめまして、生体の佐藤しおりです」

 しおりも頭を下げ、まじまじとれいの顔を見る。

「どうしました?」

 れいが不思議そうに聞く。

「いや、似ていると言うか、なんと言うか、雰囲気が同じと言うか、れいちゃん、いや、ER50に」

「しおり先生はER50とは親しいと聞いています。私達はデザイナーが同じなので、ER50が26歳くらいになったときに、こんな雰囲気になるという設計になっていますから、面影はあるかもしれませんね」

 れいはきゅっと口を結んで笑った。

「ER509-1エクリプスのトラブル概要のデータはもらいました。今日のサルベージは浅野先生も立ち会うそうですね」

「ガイノイド心療内科の?たしかに必要かも」

 シャトルバスが滑り込むと、2人とも乗る。

 乗車時間はほんの5分くらいだが、1番奥まったところにあるEBL本社まで歩くにはちょっと時間がかかる。

 すぐに降りると、そのままEBLの建物に入る。

「れいさんはここは詳しいよね?」

「生まれ育った場所ですから、大丈夫です。メンテナンスで2年に1度来ていますし」

 しおりはうなずいた。ERシリーズは何もなければ2年に1度の定期メンテナンスで劣化したパーツの交換等を行う。おおむね10年経った時点で大規模メンテが必要となり、2桁シリーズはまもなくその大規模メンテの時期になる。

 まだちょっと早い時間なので、そのまま技術工房に留置してある。エクリプスのところに向かう。

 しおりは首からかけている入構証をかざして技術工房の扉を開ける。

 部屋の真ん中のストレッチャーには頭からつま先まで大きな白いシーツが被せられたエクリプスが横たわっている。

 そばの陽電子脳プローブはログモードで待機しているようだった。

 エクリプスは昨日のまま寝かされている。

「れいさんはER509に会ったことある?」

「いえ、初めてです」

 しおりは近づくとシーツを上半分だけめくった。

 プラチナブロンドの色白の少女がキャミソールだけを身に着けて横たわっている。

「この子が、最新型ガイノイドのER509-1エクリプス・・・」

 れいはおでこにそっと触れ、まぶたを少し開ける。

「縮瞳してる。なんて深い青い目・・」

 れいはエクリプスの首から手を這わし、浮き出た鎖骨をそっと触る。そのままふくよかに膨らんだ胸の形を確認するように撫でていく。

「綺麗な子・・・」

 エクリプスの体の比率の数学は黄金比で構成されている。彼女と同期量産型の501達が性別不詳の男の娘のようなデザインなのに対して、美しい少女の体をもつエクリプスはしばしば他の筐体から羨望や興味の対象として見られていた。

 ER55も、最新型の筐体に興味があるのだろうかと、しおりは考えた。

「とりあえず、水面先生が来るまで、生体の方で待ちましょうか」

「わかりました」

 れいはシーツをかけ直した。

 

 しおり達が部屋に戻るとすぐに真理亞が出勤してきた。

「水面先生、お久しぶりです」

「れい、早かったね」

 真理亞はヘッドホンを外し、上着を椅子にかけ、そのまま白衣を羽織る。

「防衛医科大学校病院から直接来ましたので、ラッシュに巻き込まれないようにちょっと早めに行動しました」

「夜勤明け?」

「はい」

「おつかれさま」

 しおりは、いつまで経っても慣れないのだが、ガイノイドたちには睡眠は必要ない。

 ただ、消耗品のパーツ、例えば関節とか人工筋肉とかの劣化を抑えるために、見た目上の睡眠として休眠時間を設けている。

 この睡眠時間、動かないことによって、パーツの寿命を1.5倍ほど伸ばすことができるのだ。24時間連続可動することによって10年持つパーツを8時間の睡眠時間を作ることで16時間の稼働とし、パーツの寿命を15年ほどまで伸ばすことができる。

 ただ、看護師であるER55は激務。

 人間では不可能な24時間勤務を繰り返しているはずだった。

 看護師という立場上、陽電子脳に最も負荷のかかる「人間の死」という場面に立ち会う機会も多く、そのストレスがガイノイドにはありえないはずの近眼を引き起こしているらしい、というのは、しおりは知識として持っている。

 自らを故障させることによって機能不全を引き起こし、陽電子脳に刷り込まれた原則を回避する、それがガイノイド心療内科の浅野涼子の診断結果だった。

 それは人間に及ぶ危険を見過ごすことがないように設計されている彼女の心が崩壊すれすれのところで運用されていることを表していた。

「水面、来たよ。ER55、久しぶり」

 入り口にガイノイド心療内科の浅野涼子が立っていた。ショートヘアの細身の彼女は水面真理亞の同期だった。

「おはよう浅野、イントラ見た?エクリプスの事故報告書送っておいたけど」

「一応見たけど、なにあれ、エクリプスに本当のこと言えないの?」

「言えないってさ」

「上の連中は馬鹿なのかね。機能不全の原因がその嘘なのに、それを本人に言えないでどうやってサルベージするのよね」

「私に言わないでよ。みんなカチンと来てるんだから」

「やまちゃんも?」

「山澤先生は顔には出さないけど、結構怒ってると思う」

「しおりちゃんは?」

 真理亞はちらりとしおりを横目で見た。

「激おこ」

 しおりは首を縦に何度もふった。

「あんたは知ってるの?」

 涼子はまっすぐER55を見る。

「私も知っています。エクリプスに嘘をつくことも考慮しています。ただ人間の皆さんにはブレないでもらわないと、サルベージがうまく行っても、その後に問題が発生するかもしれませんので、よろしくお願いします」

 ER55は頭を下げる。

 そして小さな声でこう付け加えた。

「私達は人間に嘘がつけませんから」

 

「クーラントと補助陽電子脳、使う?」

 技術工房に全員が移動すると山澤がER55に質問する。

「多分必要ないと思います。とりあえず1回ダイブしてみてから、必要であればスタンバイしてもらえると助かります」

 ERシリーズは血液に当たるパーフルオロケミカルという白い液体で熱を吸収して体表と肺から排出するシステムを持つ。ただ、放熱の基本が身長160センチの筐体なので、それより小さい筐体だと、放熱がすれすれの効率なので、155センチのER55や150センチのER50は通常運用でも常にシステムダウンの危険と隣り合わせになる。

 ER55が陽電子脳の負荷による放熱の準備のため服を脱いで、キャミソールとパンティだけになる。

 清楚なキャミソールが日焼けを知らない真っ白な体によく似合う。

 体は太くも細くもなく、胸も大きくもなく小さくもなく、おしりも大きくもなく小さくもなく、上品な筐体だった。

 そのまま赤い縁取りの眼鏡を外し、脱いだ服の上においた。

 エクリプスは昨日と同じキャミソールとパンティだけの下着姿で横たわっている。

 その横にストレッチャーをもう1台横付けしてER55が横たわる。

「陽電子脳接続用のオプチカルケーブルのオスオス端子、この前断線しちゃって、今これ1

本しかないから気をつけて」

 山澤がER55に渡す。

「承知しました」

 ER55はエクリプスのピアスと自分のピアスを外してトレーに置く。

 ぽかんと穴の開いたお互いの耳たぶにオプチカルケーブルをさすと、仰向けになった。

「はじめます」

 そのまますっと目を閉じた。

 

 まずは陽電子空間での識別用の自分の筐体のデザインを決める。

 プリセットの白衣の看護婦スタイルで決定。

 ER55は、漆黒の壁の前に立つ。

 足元は基盤部分のゼロポイント、上は果てしなく、左右を見渡しても果てしない壁面が続いていた。

「硬そう」

 ER55はそっと壁に手を触れる。

 パチっと静電気のような火花が散る。

「攻性を持っているのね」

 まずは陽電子脳の防壁の解除キーを押し込む。

 一瞬崩壊するように見えたが、すぐに再構築され、そのままその解除キーは使えなくなってしまった。

「たったひと世代あとの陽電子脳なのに、私の数倍演算能力があるようね・・・コアの効率化かしら・・・」

 ER55は解除キーの亜種を作成すると、もう1度壁に押し込んだ。

 先ほどと同じような、崩壊するように見えて、すぐに再構築されるという現象が観察された。

「力比べね・・・」

 ER55は亜種の解除キーを壁に押し込んで崩壊しそうなタイミングで次の亜種を押し込む、という作業を繰り返す。

 次第に壁の崩壊範囲が広がってくるが、ある一定のところで止まってしまった。

 ER509にER55の演算能力が負けている。

 

 ER55は目を開けると、荒い呼吸でベッドから起き上がった。

「れい、大丈夫?筐体の温度が結構すれすれまで上がってるけど・・・」

 真理亞が心配そうにれいの額を触る。

「防壁、すごく硬いです。ちょっと力比べの様相を呈してきましたので、すみません、補助陽電子脳と、外部冷却装置の準備、お願いします」

 れいはそう言うと少しでも冷却効率をあげようとキャミソールを脱ぐ。

 身につけているものはシンプルなブラと上下セットのパンティだけになる。

「まずは冷却装置、と」

 山澤がパイプを渡すと、ER55は自分のちいさなへそに差し込み、押し込んでひねった。

「起動するけど、レベル1でいいかな?」

「落ち着いたら制御もらいます。まずは1でスタートお願いします」

 スイッチを入れると、人工心肺のようなその機械は冷却された白いパーフルオロケミカルをゆっくりと押し出し始めた。同時に熱を持ったパーフルオロケミカルをER55から吸い出す。

「はい、補助陽電子脳のオプチカルメタルワイヤー。これ経由でプローブでモニタリングしてるから」

 ER55はもう片方のピアスを外してそのケーブルを受け取ると、耳に差し込む。

 補助陽電子脳経由でプローブに自分の陽電子脳のコアが記号化されて映し出された。

「モニタリング良好」

 山澤がうなずく。

「ほんと、困った子ね、人間に迷惑かけて・・・」

 ER55は横に寝ているエクリプスのおでこにそっと触れる。

 そのまま横になると、目を閉じた。

「行きます」

 

 ER55は再び漆黒の壁の前に立つ。

 自分のプリセットの服装の演算に余計な力を割く余裕はなかった。

 服装の演算をキャンセルして全裸になった。

 真っ黒な壁の前に真っ白な細身のER55の裸身が輝く。

 接続した補助陽電子脳に解除キー生成のタスクを割り振る。

 これで処理速度が理論値では2倍程度まで上がる。

 ただ、同期アプリケーションの都合でその8割程度までが限界なので、うまくいって、1.6倍、さっきの押し合いの手応えだと、それでやっと五分五分だった。

 それ以上の力が必要となると、もはや暗号キーか、アプリケーションを根本から組み直さないといけない。

 エクリプスの防壁がこちらの手の内を学習する前に力で押し切る、それも多分、あと1回のハッキングでカタをつけないと、更に防壁が強くなることが予想された。

「まったく・・・」

 ER55は壁に手をつくと解除キーを押し込む。

 弾き返される前に次の解除キーを押し込む。

 人間の時間だと、ほんの一瞬だろう、何度も何度もキーを生成し、押し込む。

 それに対し防壁が新たなプログラムで解除キーをキャンセルしてくる。

 ただ、先程増強した補助用電子脳の力もあり、こちらが押している。

 ER509に実装されている陽電子脳は次世代とはいえ、ハードウエア的には大した変更はない、完成された技術だ。ただ、コアのプログラムが洗練されているだけだ。

 それに、相手は単独の陽電子脳。数で押し切ればいい。

「行ける・・・」

 壁のほころびが次第に大きくなり、広がっていく。

 突然、後ろへ駆け抜けるような風圧を感じ、壁が消え去った。

「え・・・?」

 ER55は、その暗闇の先に、白く輝くきれいなレースのドレスをまとったER509-1エクリプスをみた。

 風になびく、複雑なレースのドレス、これだけの防壁を展開しつつ、なんたる演算力か。

 演算力が劣る全裸の自分を、見せるわけには行かない。

 プリセットの看護婦の衣装を上書きした。

 急に処理が重くなったのを感じ、補助用電子脳との接続が切れているのを理解した。

 

「う・・・」

 ER55が短くうめき声のような声を発して、首を傾けた。

「ん?」

 ER55の想定外の動きに山澤がプローブを振り返る。

 突然画面がパツン、という音を立て、ブラックアウトした。

 画面からはぱちぱちという静電気のような音、プローブの空冷ファンが動力を失い、しばらく空転したあと、停止した。

「あら?なんだなんだ?」

 しおりはER55をうちわで仰ぐ手を止めた。

「山澤先生、なんかやばくありません?れいさん?れいさん?」

 しおりはれいの肩に手をかけた。

「あっつ!」

 触れないほどではないが、体温がかなり上昇していた。

 れいの反応はなかった。

「プローブのブレーカーが落ちたな。なんだろう。とりあえず自動復帰型のブレーカーだから、数分で再起動する・・・」

「山澤先生・・・?」

 真理亞も山澤の顔を覗き込む。

「だから、そんな顔したって、まだ何もわかりませんって」

 山澤は真理亞、涼子、しおりの突き刺さるような視線にいても立ってもいられなくなって、主電源を赤いUPSコンセントから引き抜き、再度挿し込んで強制的に再起動をかけた。

 画面を起動コマンドがサラサラと流れて、やがてプローブが再起動した。

「おっと・・・これは・・・」

 山澤が腕を組み、しおりと真理亞と涼子が画面を覗き込む。

「これって、補助陽電子脳だけしか見えていないですよね?」

 しおりがポツリと言った。

 山澤は真理亞を振り返った。

「ER55がエクの防壁の向こうへ行っちゃった・・・」

 

つづく

 

 

 
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