No.1010920

いつかの君の話

カカオ99さん

ツイッターに投稿していた、トリガーが戦死した仲間の墓や遺族のもとへ行く小話を加筆修正してまとめたものです。このトリガーはZEROのグリューン1の甥という設定です。ネタバレと捏造だらけなのでお気をつけて。5月30日の彼女と10月31日の彼→http://www.tinami.com/view/1021117

2019-11-23 14:46:37 投稿 / 全8ページ    総閲覧数:1162   閲覧ユーザー数:1161

   五月三十日の焼き菓子

 

 トリガーとブラウニーは、実はノースオーシア州の同じ高校に(かよ)っていたのだという。いわゆる先輩後輩の仲。それをブラウニーは知っていたが、トリガーは知らなかった。

 ノースオーシアといえば元ベルカ公国領。一九九五年のベルカ戦争で負けたベルカは南ベルカを割譲。オーシア連邦の信託統治領となった。そういう歴史の経緯があり、住民は圧倒的にベルカ人が多い。

 その土地にいわば外国人が来るのは、ノースオーシア州スーデントールに拠点を置くノースオーシア・グランダーI.G.、かつて南ベルカ国営兵器産業廠(さんぎょうしょう)と呼ばれた大企業に関連する職員が多い。

 ブラウニーにさりげなく家族のことを聞けば、「そうよ」とつっけんどんな答えが返ってきた。

 二人が通った高校はマグネットスクールと呼ばれ、公立における進学校であり、学区外からも優秀な生徒を磁石のように集めた。入学してくるのは当然、教育にお金をかけられる裕福な家庭の子供が多く、ブラウニーもそういう家庭だった。

 スーデントールの下町出身のトリガーが入学できたのは、学業優秀なのはもちろん、学校側による生徒の多様性の確保という面が大きい。

 育った環境や階層が違う中、トリガーが校内で一定のポジションを確保できたのは、母方の伯父が元ベルカ空軍のトップエースだった影響が大きい。

 ベルカ戦争以前のベルカ空軍は、ベルカ人の間でも伝説の英雄のように語られた。身内にあの時代の元エースがいたとなると、その子供は特別視される。まるで貴族と同じように。

 それに加え、在学中に自家用パイロットの免許を取ったことが、生徒たちの間で話題になった。ブラウニーはそれでトリガーの存在を知ったという。

 確かにあの時、校内での知名度は上がったとトリガーは記憶していた。

 伯父がベルカ空軍の元エースだったこともあり、空への興味は物心ついた時からあった。そこで勧められたのが、自家用パイロット免許。

 ノースオーシアには民間の飛行訓練学校があったので、トリガーは夏休みを利用し、免許を取ることにした。

 この学校には、ベルカ空軍の元トップエースがインストラクターとして在籍していた。その元エースは伯父同様、あのベルカ戦争で円卓の鬼神という天才的なウスティオの傭兵と戦い、生き延びたパイロットだった。

 訓練学校の体験入学に行った時は両親に加え、その元エースに興味が湧いた伯父も一緒に付いてきて、ちょっとした旅行になった。

 元エースたちは現役時代に交流があるわけではなかったが、伯父は「あんたが死ねない男か」、インストラクターは「君が梟か」と、ほかの師団のトップエースをもともと情報として知っていたらしかった。

 その後、円卓の鬼神と直接戦ったという共通点で、話が盛り上がっていた。

 インストラクターは、伯父が出た二〇〇六年のOBCのドキュメンタリー番組に出演したという。トリガーはその番組を小学生の時に見たが、うすらぼんやりとした記憶しかない。

 母親が「兄貴が出てるから、爪折って永久保存版にしとくんだ」と録画したものがあったはずなので、母親に頼んで探してもらった。

 いつのまにかビデオテープからDVDにダビングされたものを改めて見て、ああこの人かと、ようやく脳内で一致した。

 親族に元エースがいるのは良いことばかりではなく、悪い面もある。トリガーを通して元エースのことを聞きたい、会いたいと言う者たちが一定数いるのだ。

 必要以上に根掘り葉掘り聞こうとしたり、執拗に会いたいと言ってくる者がいた時、トリガーはストレートにはっきりと明るく断る。

 下手に遠回しに言ったり申し訳なさそうに言うと、うまく伝わらなかったり、推せばいけると判断されてぐいぐい来られた。何度もごめんと謝り、無理だと分かってもらえたと思っても、あとから陰口を叩かれることもあった。

 そういう経験から、断ち切るように明るく拒絶する技術を習得した。そのほうがトラブルは少なかったからだ。自分を通してうしろにいる誰かを見て、自分を道具として扱うなら、それなりの対処をするだけのこと。

 そのため、いつしかトリガーは薄い壁を作るようになった。用心に用心を重ね、固定の相手以外はけして絡まない。近寄らない。集団でいる時に話しかけられたら、会話が得意な誰かに任せる。

 みんなに話しかける時はあくまでみんなであり、自分はクラスの誰とでもオープンに繋がれる人間なのをアピールするが、絶対に個には触れない。

 相手から直接名前を言われ、話しかけられることで、ようやくそこからやり取りが発生する。相手が自分の波長と合って、さらに信用できるのかどうか、しっかり見極めてから仲間と認定する。

 元エースの伯父の威光を利用しつつ、信じられる取り巻きを作って守らせるような、そういう交友関係の形成の仕方。

 トリガーにも付き合った相手は、それなりにいた。親族に有名人がいるトリガーをアクセサリー感覚で所有したい。そういうのが透けて見える子からの告白は断っていたが。

 ちょっといいなと思った子と付き合っても、そのうちどこかに壁があると判断され、別れを切り出されるパターンが常だった。

 この子は親族に有名人がいる自分と付き合えるのか。そういう無意識の瀬踏み行為にトリガー自身が気づいたのは、だいぶ後になってから。

 だからこそブラウニーは新鮮だった。お前は倒すという雰囲気を出しながら、正面から堂々と来る人間は久々。そういう人はたいていが表面上だけでも取りつくろい、あるいは取り巻きのような周囲が守ってくれることで、自然と遠ざかっていたから。

 同じ高校の出身だというのも、少しは気を楽にさせたのかもしれない。

 ベルカ系オーシア人、元ベルカ空軍、ノースオーシア。ベルカというものから少し離れたくて、異国のフォートグレイス島基地に来た。

 それなのに、結局心の拠り所にするのはベルカにまつわるもの、というのが奇妙であり、不思議だった。

 ——お前の母ちゃん、小さい頃は負けん気が強くてな。

 伯父が言っていた妹という存在は、こういう感じなのかもしれなかった。

 五月三十日、トリガーは国立墓地でブラウニーの墓を見つけると、デイバッグからタッパーを取り出し、「ほら、作ったぞ」と焦げ茶色のお菓子を見せた。彼女は器にもう少し気を使えと言うだろうが、トリガーは気にしなかった。

「アーモンド入りなんて初めて作ったけど、結構うまくできたと思うんだ」

 そう言って、自分が作ったブラウニーを食べ始める。

「ん、うまい」

 絵に描いたようなピュアホワイトの雲と、天辺の青たるゼニスブルーの空のもと、墓の前で一人焼き菓子を食べるのは少々不思議な光景だったが、それもトリガーは気にしなかった。

 かつてフォートグレイス島基地でゴーレム隊、メイジ隊とともに食事を取っていた時、料理をする話題からお菓子を作る話題に発展した。

 焼き菓子のブラウニーにアーモンドを入れるか入れないかで、ほかのナッツと食感が変わるので入れないと言うトリガーと、アーモンドを入れたらよりおいしくなると言う彼女とで、軽く言い争いになった。兄弟喧嘩に近い。

 結局、「食事に集中しろ」とゴーレム隊隊長のノッカーに一喝され、その話題は終了。彼女からは「あとでおいしいの食べさせてやるんだから」と宣言されたが、それが果たされることはなかった。

 売り言葉に買い言葉で、トリガーも「じゃあ俺も作るよ。アーモンド入りのブラウニー」と言ったが、果たされたのは死後の今日というこの日。彼女の命日。

 墓石に置かれている花は、家族のものか、ノッカーのものか。口調は厳しかったが、二番機のブラウニーをよく見て気遣い、部下の生還を優先させる一番機だった。思い返せば、戦争の道理もよく分かっていた人だった。

 ノッカーだけでなく、トリガーが所属していたメイジ隊の隊長だったクラウン、空中管制指揮官のスカイキーパーとも、あの事件以来会っていない。

 仲間を信じてやれなかった、あるいは守れなかった負い目か。規制か。再会するとしたらおそらくもう少し、時間がかかる。

 クラウンは長距離戦略打撃群の中隊長ワイズマンと同じように、自由にやらせてくれる人だった。ハーリング元大統領の件で最初はトリガーをかばっていたものの、他者にきつく問われると、すぐに意見を揺らがせた。

 その時にトリガーの心に生じた、ああまたかという諦めと悟り。

 高校までのトリガーは、元ベルカ空軍エースの伯父の威光と、ベルカ系が多いノースオーシアという土地に守られてきた。その守護がほぼなくなったのは、空軍士官学校に入ってから。

 ベルカ系に対して、最初に身構える空気。少しずつ探りながら、安全な話題を見つけると安心する空気。表立った差別はないが、それらは嫌でも分かる。

 そしてなにかトラブルがあれば、ベルカ系に疑いの眼差しが真っ先に向けられる空気も。

 ベルカ空軍とは恐怖や恨みだけでなく、憧れの対象でもあり、オーシア空軍におけるベルカの扱いは、おそらく他国の軍よりも非常に複雑であった。

「アーモンド入れると食感にアクセントがあって、結構いいな」

 トリガーは一人で全部食べ終えると、手を叩いてカスを払い、カラになったタッパーをバッグの中に戻す。

「じゃ、気が向いたらまたな」

 きびすを返して、歩き始めて数歩。

 ——だからおいしいって言ったじゃない。

 風に乗って聞こえた懐かしい声は、幻か否か。墓地は冥界のようなもの。冥界で振り返ったら相手は消える。そんな神話がある。

 また次も会いたいと思うなら——。

 トリガーはうしろに向かって手を振ると、一度も振り返ることなく、墓地をあとにした。

 

END

 

   七月四日のワンペア

 

 七月四日、トリガーはハイローラーの実家にいた。規模の大きい地方都市の下町、アパートの一室。どこにでもある風景。

 ロカロハ砂漠での彼の戦死後、家にまでちゃんと来た軍の仲間は、どうやらトリガーが初めてだったらしい。母親はたいそう喜び、客用の菓子や飲み物をどんどん出してくる。

 トリガーはやんわりと断りつつ、だが口をつけないのも失礼なので、クッキーを何枚か食べ、トイレに行かない程度の分量のぬるいコーラを飲んだ。

 当初の予定では午後のほど良い時間に来て、出された飲み物一杯分を飲み切るくらいの時間でお喋りをして、あとは帰るつもりだった。

 が、母親はご丁寧に妊娠時代から順番に語り始める。これは長くなるぞとトリガーは最初から覚悟して、適度なタイミングで相槌を打ちながら話を聞いた。

 懲罰部隊での空中管制指揮官だったバンドッグが教えてくれた、ハイローラーの実家の住所の情報。これはもしかしたら嘘なのではないか。

 トリガーはそんなふうに少々疑っていたが、実際行ってみると正しかったので、口は悪いが根は悪人ではないと妙な感心をした。

 始まりは特別でもなんでもない。カウントとの間で、そういえばバンドッグは今どうしているのかという話題が出た。

 今の部隊のロングキャスターなら、同じ管制官のよしみで情報網があるかもしれない。そう思って聞いてみたら、意外にもコンタクトが取れた。

 なんのことはない。ロングキャスターが二人の目の前で、個人のスマートフォンから電話をかけたのだ。

 「同期なんだよ」とごく普通に言って、「マジか!」とトリガーが声を上げた。「番号知ってんのか!」とカウントが問うと、「ああ、知ってる」とこれもさらりと言われる。

 トリガーとカウントが「ええー!?」と声をそろえて驚く中、電話に出たバンドッグに対し、ロングキャスターは簡単な挨拶をかわすと、「ほら」と二人にスマートフォンを差し出した。

 急な展開に、二人はちょっとした押し付け合いをした結果、隊長であるトリガーがしぶしぶ受け取った。カウントとロングキャスターから距離を置き、「久しぶり」と会話を始める。

 一応型通りの挨拶をして、今はカウントやアビーと一緒に元気にやっている、そうかという簡潔なやり取りをすると、そこで話題が途切れる。そもそもなにかを喋りたかったわけではない。

 「ほかに用はあるか」と聞かれ、トリガーは「ない。いや、ある」ととんちんかんな受け答えをすると、電話の向こうであからさまに「なにを言ってるんだ」とあきれられる。

 その流れで、懲罰部隊で戦死した面々の実家に行って、その時の様子を語りたいんだとトリガーが言ったら、ほんのわずかな沈黙のあと、「そうか」という答えが返ってきた。

 「あの部隊は性質上、機密扱いになっている。任務の内容は詳しく喋るなよ」とアドバイスされ、それで会話が終わる。カウントからはおそるおそる、だが好奇心に満ちた顔で「どうだった」と聞かれたので、「…機械的?」と返した。

 トリガーが「バンドッグって、電話ではシンプルな喋り方するのか?」と聞くと、ロングキャスターは「よく喋るぞ?」と言うので、トリガーとカウントはまた驚いた。

 罵倒用語なしに喋れるのか、詩人みたいなことを言わないで喋れるのかと、二人に次々と聞かれたロングキャスターは、「総合すると罵倒の詩人か?」と笑ってはぐらかした。

 そしてなぜか、「なんだかイカスミスパゲッティみたいな組み合わせだな。今日の夕飯はそれにしよう」とその日のメニューが決定され、部隊のみんなで食べにいったレストランで、文字通りイカスミスパゲッティを食べた。おいしかった。

 ロングキャスターは食べ物を例として出すことが多いが、バンドッグのこともそういうことらしかった。イカスミスパゲッティは見た目が黒いので驚くが、食べればおいしい。バンドッグは高圧的だが、指揮能力はある。機転も効く。総じて優秀。

 外見と中身でギャップがある。実際に人付き合いをしてみなければ分からない。おそらくそういうこと。

 後日、バンドッグはなにを思ったのか。懲罰部隊でトリガーが生前関わった戦死者たち、その個人情報の書類が添付されたメールを送ってきた。

 トリガーはバンドッグに今のメールアドレスを教えていないので、なぜ向こうが知っているのか、ちょっとしたミステリーだった。

 ロングキャスターに教えたのかと聞けば、「いいや。教えてない」と返ってくる。

 彼が嘘をつくとは思えないので、今のバンドッグは、なにかしらの情報を扱える立場にいるのか。それについても聞いてみると、「向こうがはっきり教えてくれないんだよ」と言われる。

 では、今は管制官をしていないのか。それとも表では名前を出せない、特殊部隊の管制官をしているのか。詳細はまったく分からなかったが、とりあえず生き延びて軍人を続けているのは分かった。

 問題は個人情報。そもそもトリガーから頼んだ覚えはないし、明らかな情報流出に、一体どうやって調べたのか、あるいは知ったのかとメールで聞いたが、「必要ないなら破棄しろ」とだけ返事が来た。見事にメールアドレスの件は流された。

 罵倒と嫌味のレパートリーは多彩だが、褒め言葉に関してはマイナスを行く、あの番犬からの謎の好意。あやしさは半端ないものの、トリガーは結局ありがたく利用することにした。

 あとでなにかリターンを求められても、それが無茶な要求でないことを祈るばかり。

「……でね。そのうち、人の生き死にが一番アドレナリンが出るとか言って、地下格闘技の博打にのめり込んでねえ。金を巻き上げた相手がマフィアの息子で、それで目をつけられたから、軍に逃げ込んだのよ」

 ハイローラーの家は、父親も博打狂いだったという。父親は息子に博打のいろはを叩き込んだ。

 さらにハイローラーは体が屈強で物怖じしないので、子供時代から家の周辺一帯を仕切る大将となった。お菓子を賭ける小さなことから、博打人生がスタートしたという。

「目に浮かぶようです」

 息子が軍にいる間に、父親は他者の博打のトラブルに巻き込まれて死亡。呆気なかったらしい。

「あんなに博打が好きだったのに、変なところで律儀でね。借金はしなかったの。それだけが自慢」

 トリガーは淡々と、「息子さんもそうだったみたいです」と話を合わせた。

「死んだあとに遺品が送られてくるじゃない? ゲン担ぎで銅貨を集めていて、あの子らしかったわ。親子そろって妙な律義さがあるの」

 生まれた年の銅貨を集めていたことを、トリガーは彼の死後に知った。

 ハイローラーとの接点らしい接点は、あの懲罰部隊での初任務で彼を儲けさせたことで、いい酒をおごってくれたこと。それくらいのものだったが、あの基地に行ってから、良い扱いを受けた最初の出来事でもある。

 彼との付き合いはせいぜい四日という短さだったが、彼は善人とも言えず、かといって悪人とも言い切れない。確かなのは、酒のお礼をちゃんと言う前に、あっというまに無人機に撃墜されたこと。

「その銅貨、俺も渡しそこねました」

 トリガーはトラックジャケットのポケットから小銭入れを取り出すと、銅貨を一枚、母親に差し出した。

「酒をおごってもらったお礼に渡そうと思ったんですが、その前に亡くなられたので……どうぞ」

 母親は息子が生まれた年に作られた銅貨を手に取ると、まるで我が子をさわるように、大事そうに触れる。

「金のトラブルで逃げた子は、金になって帰ってくるんだねえ」

 おそらく答えを必要としない語りだろうからと、トリガーはなにも答えない。情緒的な空気が流れる。

(……あ)

 こんな時だが、会話が途切れていることに気づいたトリガーは、わざとらしく腕時計を見て、時間が迫っていることをアピールした。

「では列車の時間がありますので、これで失礼します」

「……あら。こんなに長く引き(とど)めて、ごめんなさいね」

 トリガーは「いいえ」と穏やかな笑みを浮かべながら、すばやく玄関まで移動する。

「そうだ。あなた、生まれた年は? その年の銅貨をあげるわ」

「いえいえ。結構ですよ」

「いいのよ。遠慮しないで」

 これは遠慮したら余計にややこしく、話が長くなると判断したトリガーは、素直に生まれた年を教える。すると母親は「ちょっと待って」と自室に行き、慌てて戻ってきた。

 「はいこれ」と銅貨を渡される。トリガーは不思議そうな顔をして、「二枚ありますが…?」と聞いた。

「あたしとあの子からのお礼。わざわざこんな所にまで来てくれて、ありがとね」

 母親はよほど嬉しかったらしい。家を出たトリガーが見えなくなるまで、窓からずっと手を振り続けた。

 空はとっくに、深く鮮やかなサファイアブルーと輝くようなゴールデンイエローが層になり、混じる時間になっていた。

 トリガーは横断歩道を渡る前、なぜか握り続けている手の中の銅貨を改めて見る。日没前のマジックアワーの光が、二枚の銅貨を宝物のように照らし出した。

 母親はただ純粋な好意で二枚くれた。意図したものではない。

 だがトリガーは、嗚呼と息をもらす。苦い顔をした。

「ワンペアか」

 彼が死んだ作戦名。

 

END

 

   七月十二日のいい人

 

 七月十二日、今にも雨が降りそうだが降らないパウダーブルーの空は、ブルーとは名ばかりの灰色の空だった。

 そういえばインシー渓谷の空もこんな感じだったようなと、トリガーは記憶を引っ張り出してくる。渓谷内に立ち込める雲を抜ければ、そこは薄いライトブルーが広がる空ではあったが。

 トリガーはチャンプの実家だという場所に行くと、TAC(タック)ネームの由来はこれかと得心した。

 ゴロツキたちが一発逆転を夢見て集まるボクシングジムは、正直綺麗とは言いがたく、いかにもという小汚いビルに入っていた。

 チャンピオンクラスを出したことはないが、手頃な選手をそろえていることから、経営はそこそこうまく行っているらしかった。

「そこでお待ちください」

 ジムを訪れた時、最初トリガーはボクサー志望と間違われたが、チャンプの名前を出すと、「…ああ」という表情でジムの隅の事務所に通された。カップに入ったインスタントコーヒーを出され、それを少しずつ飲みながら待つ。

 事務所と練習場をへだてる窓からはリングが見えた。リング上には、まだ十代と思われる男性ボクサーと経営者兼トレーナーの父親がいた。リズミカルにミット打ちをしている。

 父親はチャンプ同様、見るからに筋肉質で背が高く、外見だけで圧倒してくる。見た目や雰囲気がチャンプそっくりで、彼は父親似なのが分かった。

 母親はいたが、チャンプが小さい頃に離婚済み。原因は夫からの暴力で、なんらかの事情により、子供を置いて自分だけ出ていった。いわばチャンプを捨てた形になった。

 それらはすべてバンドッグから提供された情報だったが、一体こんな情報をどこでどうやって、誰が知り、誰が調べたのか。

 少なくとも個人で調べるには限界があるが、彼に聞いたところで、なに一つ教えてくれないのは予想がつく。不必要なことは喋らない人間だ。

 さすがにジムの経営状況の情報は必要ないのではとトリガーは思ったが、囚人となったチャンプが育った環境や、軍に入った経緯を知るには、やはり必要なのかもしれない。

 灯台戦争での通信衛星破壊によって情報に翻弄された身としては、こういうところで情報の重要さに妙な関心をいだく。

 懲罰部隊出身でまだ生き延びているトリガーとカウント、それにアビー。三人の個人情報は送られてこなかったが、おそらく自分たちもそれなりに調べられているのは察した。

 自分のまったく知らない場所で、情報によって人生を丸裸にされているのは、あまりいい気分はしない。

 とはいえ、オーシア軍で囚人のカテゴリーに入ってしまうと、そういうふうに扱われるという知見を得ることはできた。

 それに情報は今のところ、役に立っている。事前に情報を知っているか知らないかで相手への対処も変わるし、地雷を踏む可能性も低くなるというもの。

「あんた、体鍛えてるのかい」

 練習メニューを終えた父親が事務所に入ってくる。声もチャンプそっくりだった。

「はい、日課にしています」

 父親と会話をしているとチャンプが生き返ったような、だが数秒後には別人だと分かって困るような、トリガーは奇妙な感覚におちいったが、(つと)めて表に出さないようにする。

「どうだい、ボクサーにならねえかい。もったいねえな」

「まだ除隊していませんので……」

「辞めたらうちに来なよ」

 トリガーは「考えておきます」と遠回しに断った。挨拶のような会話が終わったあとで、トリガーは「息子さんのことですが」と切り出し、自分が知っている限りのことを、できるだけオブラートに包んで話す。

 やんちゃが過ぎるところはあったが、誰よりも強く、仲間とよくつるんでいた。そんなふうに。いわゆる褒め倒し。

「あいつ、子供の時から喧嘩っ早くてなあ。軍隊なら厳しくしつけてくれるだろうと思って入れたんだが、ちゃんと仲間ができたんだな」

 どうやら話はうまく通じたらしい。父親の反応は上々。一応、嘘は言っていない。あくまでトリガーから見れば、そういうふうに見えたのだ。

 チャンプが戦死したことで、「ざまあみやがれ!」とののしっていた人間がいたことは言わない。それは今、伝えなくてもいいこと。

 懲罰部隊の任務でのトリガーは撃墜数や貢献度が高く、パイロットとしての腕は上位に入った。部隊に来た初日に、上下関係を体で教えようとした監視兵を叩きのめしたこともあり、チャンプはトリガーの存在を認めていた。

 喧嘩をするうえでの腕力とパイロットの腕、両方が強かった。そのため、トリガーは懲罰部隊で一定の地位を築くことができ、面倒事から身を護ることができた。

 そもそもトリガーが喧嘩に強くなったのは、必要に迫られてという部分が大きかった。

 トリガーの父は普段物静かだが喧嘩は強い。母はヤンキー風の男に絡まれる派手さがある美人。母方の伯父はベルカ空軍の元トップエース。そんな家族構成だったため、小さい頃のトリガーは喧嘩を吹っかけられる対象になることがあった。

 そこで、「とりあえずちゃんとした格闘術は学んでおこうか」と父に格闘技のジムに(かよ)わされ、基礎を学んだことがある。「喧嘩の仕方はまた別だから」と、そのへんは伯父にも学ぶところが多かった。いわゆるグレーな手口。

 あとはパルクール。これは父がやっていたもので、空と同じように、地上でも建物の間を自由自在に飛んで行くさまは面白かった。無用な争いを避け、逃げる際に役立った。

 人は外見で判断することが多いと分かると、体を鍛えるようになった。服を着ているとあまり分からないが、体育の着替えでトリガーの上半身を直接見たクラスメイトの男子は、それでクラス内の序列を自然と変えていたようだった。

 トリガーの父も喧嘩が強くなったのは致し方なく、という部分があり、それは彼が移民の子だった背景がある。ベルカ戦争が起きる前、まだベルカが軍事的な強国としての存在感があった頃、父の両親は移住してきた。

 移民に対する感情はいろいろあり、差別の対象となる時もあった。子供は親の背中を見て育ち、親が普段口にする価値観を自分の言葉として喋る。

 毎日ではなかったが、同級生からの理不尽な暴力に立ち向かうため、父は自己流で喧嘩に強くなるしかなかったという。

 目撃者がいる所で半端にやると親が呼び出されるため、闇討ちで徹底的に潰すことで、自分には近づくなと静かなアピールをした。そうしていつしか、父は学校で平穏を手に入れた。

 その父は、国際停戦監視軍に行きたいという息子の決断を後押ししてくれた。母は戸惑いを隠さなかったが、代わりに説得してくれたのは父だった。

 ベルカ戦争前も戦争後も、両親はスーデントールの地から一歩も動いていない。

 なのに、本来ならベルカ人として生まれるはずだったトリガーは、南ベルカがオーシアに割譲されてノースオーシアという名前に変わったことで、ベルカ系オーシア人になった。

 図らずも移民二世のような形になってしまった息子に、同じ移民二世である父は「行っておいで」と言った。多分それがお前の旅になるからと。

 ——俺たちみたいな人は、あっちの国、こっちの国で、長い時間、心がずっと旅をするんだと思う。観客みたいに両方のことを見て、考えて、そのうち自分だけの居場所を見つける。でもそれは俺の場合だから、ほかの人は分からない。

 トリガーはその時初めて、父に狭間で生きる者としての根本的なものを問うた。父さんの居場所はどこだったのと。父は答えた。この家だよと。

 まさかその旅路が、これほど波乱万丈になるとは想像していなかった。一体なんの因果か、ハーリング殺しの汚名を着せられて懲罰部隊行き。

 伯父の威光がまったく届かない懲罰部隊で、実戦的なものが役立つ日が来ると思わなかった。人生はなにが起こるか分からない。運命の悪戯というには過酷なやり口に、当時のトリガーは天を仰ぐしかなかった。

 物理的な強さこそがすべて、という世界におけるルールは非情なもの。チャンプは強い相手なら素直に認めるが、弱いとみなした相手は、露骨なまでに低く扱った。パシリ、こまづかい、そういう人権の無さ。

 彼と同等、あるいはそれ以上に強い人間からすれば、直情型のパワー系の鉄砲玉に見えただろうが、弱い人間からすれば、力で支配する感情的な暴君。そういう人間だった。

 力を誇示した人間は、エルジア軍のミスターXという格上の相手に遊ばれ、墜とされた。あのまま戦わずに逃げれば、生き残れたかもしれない。

 だがブラウニーの件を思い出せば、それは無理かもしれなかった。

 いずれにしろ戦う姿勢を示したことで、おそらく恐怖を味わう時間は短く済んだものの、呆気なく捕食された。

 そこは、必死に最後まで相手と競い合ったことにした。見方によっては合っている。実際、一瞬だけミスターXを出し抜いた。正確には相手が出し抜かせてあげた、なのだろうが。

「弱い相手に負けたなら一発殴るとこだが、強い相手と戦って負けたなら、仕方ねえな」

 そう言って微笑む父親は、いい人に見える。妻に暴力を振るった人間には見えない。改心したのかもしれないが、そういう情報は提供されたものの中にはない。

 情報があればあったで安心し、あるいは振り回される。偏見や思い込みといったフィルターがかかってしまう。情報というものの面倒臭さ。

 事務所のドアがノックされ、スタッフが父親に練習を再開したいことを告げに来ると、これ幸いとばかりにトリガーは話を切り上げた。さりげなく玄関まで近づき、ジムを出ていく。息子を褒められた父親は、上機嫌でトリガーを見送った。

 外に出たトリガーは、父親が我が子にいだく幻想を満たした、そういう役目を果たしたと自覚する。

 トリガーから与えられた情報で、傷ついた心を癒やす。それを灯火にして、我が子に先立たれた父親は、若いボクサーを育てながら生きていく。

 チャンプとはほんの一瞬の付き合いだった。その瞬間、彼はトリガーにとっていい人だった。害をなさなかったという意味で。それで十分なのだ。遺族である父親にとっては。

 大きな深呼吸を一つすると、トリガーは歩き出す。

 かつての懲罰部隊の仲間の死の様子を伝える。なぜそんなことをしているのかと問われたら、それは多分、彼らが正規兵とは言いがたかったから。

 まともな正規兵であれば訪れる者は多いだろうが、囚人となった厄介者であれば、家族のもとを訪れる誰かはいるのか。いないのなら、それは少し寂しいのではないか。

 ふと、そんなことを思えるくらいには、懲罰部隊の面々に感傷的なものを覚えている。

 そんな自分自身に対して、トリガーはささやかに驚いた。

 

END

 

   七月二十七日のさえずる鳥

 

 事故により敵味方識別装置(IFF)に敵機として扱われ、友軍による誤射(フレンドリーファイア)での事故死という処理をされたフルバンドは、ちゃんと国立墓地に埋葬されていた。

 機密情報を暴こうとした囚人でも、死後はそれなりの扱いを受けていた。死に方と同じく、誰かがきちんと取りつくろって報告したのだろうとトリガーは察する。

「なんだ。来てたのか」

 七月二十七日、その誰かは手ぶらでフルバンドの墓を訪れた。第四四四航空基地が正規部隊として昇格したあとも、実質基地の支配者だった人間は、当たり前のように戦争を生き延びていた。

 フルバンドの墓に花はすでにあり、先にカウントが来ているのは察せられた。彼は喜怒哀楽を素直に見せるほうだが、深いところまですべてをさらけ出すかといえば、そういうわけでもない。戦友という近さなら、同じ懲罰部隊にいたのなら尚更。

 撃墜数の水増し報告をしていた人間が受けた報いは、厄介者の始末の片棒を担がされるというもの。彼の望み通り撃墜数は増えた。フレンドリーファイアという形で。

「あんたが来るとは意外だ」

 バンドッグはちらりとトリガーを見た。戦時中は丁寧にあなたと言われていたが、自分と同じ管制官であるロングキャスターから聞いた話では、よく喋るようになったと聞く。

 ——もともとは砕けた喋り方をする人間なんだろうよ。

 多少なりとも自分に対する警戒心が解けたのか、演じる必要もないと判断したのか。

 もともとこういう喋り方をする人間だったように思えるが、意外にトリガー自身なりに、礼節をわきまえた付き合い方をしていたのかもしれない。バンドッグはそう思った。

「戦時中は同じ部隊だった人間だ。弔意を示すのはいけないことか?」

 その言葉に、トリガーは思わずハッと笑った。

「まあ、あんたがくれた情報、役立ってるよ。ありがとな」

「素直に礼を言われると思わなかった」

「そこは素直に受け取れよ」

「では受け取ろう」

 それすらも嫌味たっぷりに聞こえて、トリガーは相変わらずだなと薄く笑う。

「フルバンドのおばあさん、施設でいい扱いを受けてたよ」

「そうか」

 フルバンドの遺族といえば、民間の介護施設に入っている祖母だった。彼女はまともに話せる状態ではなく、子供と孫のフルバンドの小さい頃を一緒くたにさせ、時系列をあちこち移動させながら喋った。

 介護士から、「とにかく話が飛んで、話している人物もすぐに変わるので、そこは合わせてやってください」と前もって言われていたので、トリガーは適当に相槌を打ちながら話を聞いた。

 いい子だったんだよ、あの子はいい子だったんだよと祖母は繰り返した。

 ——いろいろなことをどこからか聞き出してくる子でね。さえずる鳥のようだったよ。世話しなく餌をついばむみたいに、いろんな噂を拾う子でね。

 本当にいい子なんだけど、癖っていうのかねえと祖母は溜息をつき始める。

 ——人から聞いた話を、すぐにポロポロこぼす子でね。そこがねえ……。

 祖母は長大な溜息をつくと、あんな育て方をしたからああなったんだとブツブツ言い始め、自分の世界へこもっていった。

 ああなるほどとトリガーは納得した。死へと至るかけらが、子供時代にすでに転がっていた。

 収集した情報には価値があると、それとなく吹聴する。そういうやり方は取引において有効だろうが、自慢という形で無駄に披露するなら、命取りになる。フルバンドはそれを子供の頃から繰り返していた。

 情報漏洩でトラブルが起きれば、子供時代は親が周囲に謝っただろうが、大人になれば本人に跳ね返る。情報を扱う者としての致命的な欠点は修正されることなく、あるいは周囲が修正しようとしても、できなかった。

 噂好きの子供は長じて情報屋となり、集めた情報をいつもの癖で、もったいぶりながら自慢げに話した。そして命を縮めた。

「弔慰金や恩給って、色つけられるのか?」

「あれはきちんと上限が決まっている」

「施設の人の話だと、先があまり長くないけど、身寄りがない老人にしては、最後まで安心できそうな額を持っているって話だ」

「口が軽いスタッフだな」

 何事にも動じず、さらりと流される。トリガーはため息をついた。

「そういう分かりにくい優しさ、先に示しておけよ」

「優しさ? なににだ」

「まあ、いろいろとだ」

 トリガーは先に墓から去ろうとする。

 が、バンドッグのほうに向き直り、「なあ」と声をかけた。

「インシー渓谷での殿(しんがり)は、俺とタブロイドを指名したよな」

「そうだが」

「なんでマッキンゼイの護衛任務は、俺とカウントだったんだ」

 バンドッグは明快に「お前は指名。カウントは戦績だ」と答える。

「タブロイドは政治への勘が良くて、結果的にフルバンドをあおったからか? だからタイラー島送りにした」

「さあな」

「本人にはその気がなくても、体制に疑問をいだく種を次々と撒かれて集団を乱されると、看守としては困るよな? フルバンドみたいに好奇心で簡単に乗って、機密情報を探る奴も出てくる」

「お前も話を聞いていただろうが」

 トリガーはわざとらしくにっこり笑うと、「聞いていただけだよ」とあしらった。

「謎の無人機集団の機体も、フルバンドの機体もスーパーホーネット。カウントは水増し報告の癖がある。そこに同士討ちの重しをつければ、任務に対して真摯になる。よく一瞬であそこまで頭が回ると思って、感心してるんだよ。ほんとさ」

「なにを言ってるのか、さっぱり分からん」

 嫌そうな顔をするわけでもなく、怒るわけでもなく、バンドッグは平然と答える。

「情報屋なのに口が軽い人間が生き残ったら、懲罰部隊のことを言いふらすだろうなって、俺でも思うくらいだ。あんたならその上を考えるだろうさ」

「あれは事故だ。それで処理が終わっている」

「だから国立墓地に入れてあげて、遺族に金も上限ギリギリまで出す処理をして、誠意を示した?」

「そこの判断は俺の仕事じゃない」

「でも裁量はある」

 トリガーは明るく微笑んだ。それは懲罰部隊時代のトリガーが、ついぞ見せたことのないタイプの笑顔だった。あるいはバンドッグが見ることがなかった表情。こんな笑い方をする人間だったのかと、バンドッグは新しい発見を得る。

「フルバンドの件、結果的にカウントにはいい薬になったしな。ショック療法みたいなものだけどさ。あんたはなにも間違ってない。でもカウントの心が壊れないって、よく判断できたな」

「心の耐久性は愛されて育ったかどうかで、だいぶ違うそうだが」

 けして肯定しているとは取れない曖昧な言い方に、トリガーは喉の奥で笑った。

「愛されて育ったから、そう簡単には壊れないって? それでも壊れる可能性がある人間じゃなくて、無人機にやらせれば良かったのに」

 嗚呼この人間はと、バンドッグはトリガーを見る。

 任務中に囚人たちはよく雑談をした。バンドッグは一応注意するし、口が過ぎれば独房行きになる。

 だが囚人内の人間関係の把握に役立つので、たいていは放っておく。

 ロカロハ砂漠での敵駐留基地の掃討戦では、任務の立案が早過ぎて初めから決まっていたようだと、ハイローラーが疑問を投げかけた。

 それはドクトリンがあるからとタブロイドが答えた。なにが起きたら次はどうするか決まっていると。そこにうまそうな情報の匂いを嗅ぎ取ったフルバンドが、次の作戦が決まっているのではと興味を()かれた。

 そしてワイアポロ山脈での敵レーダー施設の破壊任務中に、バンドッグが何度注意を与えても、フルバンドは自分たち懲罰部隊が一体なにをやらされているのか、思わせぶりに喋り続けた。

 スリーアウトを達成した時点で、どうやってフルバンドを正しく排除するか。バンドッグは考え始めた。

 地対空ミサイルの囮にさせようとしても、なまじ生き残る腕があるフルバンドは囮にならない。そうこうするうちに、レーダー施設は無事にすべて破壊。

 ここでの排除は無理だったかと考えていたら、おそらく施設破壊を合図に、IFFをオーシアに偽装した無人機が迎撃に来た。敵のほうが一枚上手。

 これは絶好の機会が来た。バンドッグはそう判断した。危険な芽は小さなうちに摘み、組織と機密は守らなければならない。

 無人機がいる場所にフルバンドを誘導させようと考えたが、トリガーがおそらく先に無人機を倒してしまう。エース級に成長した兵士がいるのが、逆にあだとなった。

 家庭環境。精神状態。思想。耐久性。反社会性。パイロットとしての能力。さまざまな情報を瞬時に取り出し、振り分け、あそこで確実にフルバンドを始末できる腕と耐久力があるのは、トリガーだと判断する。

 トリガーが懲罰部隊に来た罪状はハーリング殺し。それが冤罪なのは、当時のバンドッグの中では確信に変わりつつあり、その人間が本当の味方殺しをするかといえば難しく、即座に除外となった。

 説明をする時間がない中、たとえば正規部隊復帰という餌をぶら下げて、ほかの隊員にフルバンドの始末を命令してもあやしまれるだけ。特に政治犯であるタブロイドは拒絶し、反乱を起こしかねない。

 だとすればカウントだった。少なくとも両親に愛されて育ったという情報が確かなら、耐久力はある。それに上位の人間に褒められることに弱い。

 あとはロカロハ砂漠で、正規部隊のために用意した補給基地使用を押し切られた意趣返しも、少しはあった。

 脳内で確保したカウントという駒はあくまで最終手段だったが、フルバンドはアーセナルバードの長距離ミサイルからもしぶとく生き残った。そのため、バンドッグは最後にカウントを活用して、フルバンドを正しく排除した。

 その排除を、フルバンドのあの場での死を、トリガーは許容している。

 この人間ならできたのかと、バンドッグは内心驚いた。せまい下町での喧嘩上等なパワーゲームを、軍部のより複雑なパワーゲームに当てはめて考えることができる。

 道理を分かっているはずのトリガーがバンドッグに妙に突っかかるのは、フルバンドの排除をだまし討ちのような形で味方にやらせたこと。この人間の甘さはそこにある。

 空では命令通りにこなし過ぎて、命令以上の成果を上げる戦闘マシーンに見えて、分かりやすい部分でとても人間らしい。

 メイジ隊時代にエルジア軍のミスターXに仲間を撃墜されたのがネックになっているのか、キャパシティオーバーぎみと思えた味方からの掩護要請をこなしていたのもそう。他人に理解されやすい甘さ。

「お前が答えを言ってるじゃないか。結果的に、カウントにはいい薬になったんだろう?」

 肯定とも取れる答えに嫌味を混ぜる。お前もそういう判断をしたのだろう、同族だろうと。

 トリガーはまじまじとバンドッグを見てから鼻で笑い飛ばすと、「あんた、嫌な人間だな」と言う。

「それを人に直接言うお前もな」

 面白そうにトリガーは笑うと、そのまま背を向け、別れの言葉も言わずに去っていく。

 雲の隙間から見える空の色はスモークブルー。灰色成分が強い、鈍さのある青。トリガーやカウントと道が分かれた日の空の色と同じ。トリガーとはもう一度直接道はまじわったが、また分かれる。

 バンドッグはため息をついた。

(……なるほど)

 確かによく喋る人間だ。

 

END

 

   九月十九日の大馬鹿野郎

 

 九月十九日、曇った青のような印象を与えるピジョンブルーの空を駆逐する鮮やかなマンダリンオレンジは、あの日のファーバンティの夕暮れと似ている。

 トリガーはワイズマンの墓参りに行くと、すでに人がいた。「今来たのか」とイェーガーが言う。

「時間をずらしたつもりだったのに」

「こういうこともあるさ」

 トリガーは見抜かれているなと思った。

 長距離戦略打撃群、通称ロングレンジ部隊の最年長パイロットは部隊内の教育係であり、相談所のような場所でもあり、潤滑油のような存在。

 ワイズマンはオールマイティなリーダーに見えたが、それでも取りこぼす部分がある。そこを拾い、補佐するのがイェーガーの役目だった。

 ファーバンティ攻略戦で、ワイズマンがエルジア軍のミスターXに撃墜されて戦死。中隊長にはストライダー隊一番機だったトリガーが昇格したが、実質部隊を仕切っていたのはベテランのイェーガーだった。戦後もなくてはならないメンバーの一人。

 そんなイェーガーから唐突に、「ワイズマンのヒヨッコ時代の話、聞いたことあるか」と言われ、トリガーは「じっくり喋られたことはないな」と答えた。

「あのウォードッグと飛んだことがあるらしい」

「ほんとに!?」

「本当だとも」

 イェーガーは「情報開示の二〇二〇年までは秘密にしとけよ」と前置きをしてから、ワイズマンのヒヨッコ時代をかいつまんで話した。

 二〇一〇年の環太平洋戦争中、補給でノースオーシア州にあるハイエルラーク空軍基地に降り立ったウォードッグ隊に、みんなで華々しい戦果を聞きに行ったこと。

 ウォードッグ隊は強く、彼らが来れば戦況は変わる、自分たちには空の守護神がいると思ったこと。

 サンド島の防衛戦で、まだ育成中のヒヨッコたちが駆り出されたこと。その時に同期はユークトバニアの超兵器で次々と戦死して、自分は生き残れた数少ないヒヨッコなこと。そのため、ワイズマンの同期は少ないこと。

 その戦闘でのウォードッグ隊は全機帰還したが、そんな彼らですら、のちの戦闘で仲間を一機失い、絶対ではなかったこと。

 ワイズマンは環太平洋戦争のエース部隊に憧れをいだき、あんなふうになりたいと思ったこと。

 隊長職をやるようになってから、新人たちの教育場でもあるハイエルラーク空軍基地の恩師に、たまに相談していたこと。

 ——機体は消耗品だが、機体もパイロットの育成同様、金がかかる。機体を作り、整備した人たちの誇りもある。できればパイロットと機体、両方を帰らせることができる隊長になってくれ。

 ろくに飛べない戦闘機に乗るのはつらいことだからねと、さとされたようだった。

 ワイズマンの恩師は元ベルカ空軍のエースで、一九九五年のベルカ戦争後にオーシアに移住。オーシア空軍で教官をしていた。

 だが、ベルカ事変とも呼ばれた環太平洋戦争を経たあと、ベルカ人ということもあり、周囲から嫌な反応を返されることがあった。

 しかし、指導教官の立場から追い落とされることはなかった。政治的にクリーンというのもあったが、擁護する教え子が多かったという。

 トリガーも彼のことは知っていたし、学んだことがある。老いた教官からすぐに一本取れるだろうと思ったら大間違い。飛び方も甘く、駆け引きを知らない生徒たちはいつのまにかうしろを取られてレーダー照射、すなわち撃墜判定を受けていた。

 降り立っても老いた教官はまだまだ元気で、若い生徒たちは疲れ切っている。その落差に、自分たちはヒヨッコという意味が痛いほど分かり、経験の違いはこうも大きいのかと思い知らされた。

 彼も円卓の鬼神と戦い、生き延びたという。あっというまに墜とされたと言うが、今もこうして軍の関係者としているのは、それだけで貴重。

 トリガーが実家を離れて分かったのは、オーシア軍人にとってベルカ戦争以前のベルカ空軍そのものが、ベルカ人が考えている以上に、今でも生きた神話であること。

 いまだにオーシア空軍は気持ちの上で、あの時のベルカ空軍に後塵を拝していること。

 ベルカ戦争時代と比べれば機体性能は向上し、無人機も戦力として有効になっている。理論上では、今のオーシア空軍のほうが強い。

 それでもあの時のベルカ空軍の強さは、神格化されるほどに強烈。そのベルカ空軍のエースたちを次々と墜とした円卓の鬼神、ウスティオの傭兵パイロットの戦いは、まさに神話クラスの出来事なのだ。

 神話から遠くに来た今、その一端に直接触れ、教えを乞うことができたとなれば、擁護する者が多いのは無理もないとトリガーは思っていた。

「ワイズマンは本当によくできたエースで、隊長だったよ。問題児を使いこなすことに関して、右に出る者はいないだろう」

 懲罰部隊出身の自分やカウントのことを言われたと思ったトリガーは、「そりゃすんません」と軽く謝る。

「最初はフーシェンも、まだまだ気が強くてなぁ」

「それは聞いたことがある」

 二人でハハッと笑い合う。

「やたらと噛みつくカウントの扱い方もうまかった」

「それは、前のストライダー隊の隊長と似ていたからな。あしらい方も慣れてる」

「そういえば、フーシェンがカウントは前のストライダー(ワン)と似てるって言ってたような……」

 エルジアの巨大原子力潜水艦アリコーンに関する作戦の時だったと、トリガーは記憶していた。謎のSu-47二機に襲われた時、カウントが被弾したのをフーシェンが気遣った。

「明るくて腕も良くて、ついでに口が軽くてな。しかも仲間想いで、平気で無茶をする奴だった。まあ、そういうところがワイズマンと気が合っていたんだが、裏目に出たのがストーンヘンジの強行偵察任務だ」

「帰り道がインシー渓谷になったやつ?」

 イェーガーが「ああ」とうなずく。

 前のストライダー1については、トリガーはワイズマンから簡単な経緯を聞いていた。強行偵察任務を無事に終えて、来た時と同じルートで帰ろうとしたら、予定外の戦闘に遭遇。その時に前のストライダー1が墜ちたというもの。

「前の隊長は、俺たちを逃がすために無茶をした。だからワイズマンは、余計に無理をしたんだろう」

「そうなのか? 無理をしているふうには見えなかった」

「中隊長だからな。そう見せるのがうまかったのさ」

「ワイズマンは本当に優秀だな。欠点がぜんぜん見当たらない」

「そうでもない」

「ほんとに? さっき、よくできたエースで隊長って言ったじゃないか」

 イェーガーは苦い笑みを浮かべる。

「最期まで信念を貫けたのなら、エースとしては上出来ってことさ」

「信念って?」

 隊長としてのいろはは教えてもらったつもりだが、個人的な信念は教えてもらっただろうかとトリガーは思った。

「仲間を失わないエースになりたい、だとさ」

 ——自由に動いてもいい。だが常に周囲に見ろ。気を配れ。

 ——自分ができるからと言って、他人もできると思うな。ただし、隊員が無理をしているようだったら助けにいけ。それは強いお前にしかできない。

 ——褒めることを忘れるな。みんなの前で褒めろ。逆に怒る時は一対一でやれ。

 ——仲間も機体も連れ帰ってこそ隊長だ。

 いろいろ言われたが、ずっとワイズマンの信念に根差していた。

「ヒヨッコ時代に、同期を目の前で大勢失ったのを見たからな。それだけは譲れなかったらしい。だからいつだって困難なことは自分が引き受けて、撤退する時は最後まで残った。それでも守れない命はあるから、常にいばらの道さ」

 ワイズマンの中には、ずっとあの日の光景があった。思い出としてではなく、昨日のような生々しい出来事として。

 あの日、ブラウニーに「メイジ(ツー)! 掩護を!」と呼びかけられたのに、応えられなかった。それがトリガーの中で小さな棘となり、TAC(タック)ネームやコールサインを呼ばれたら、無意識で応じてしまうように。

 ——いいか。仲間を助けたいと思うなら、全部じゃない。まずは一機だ。それから一機ずつ増やしていけ。

 暗に全部は助けられないことをさとされた。超兵器によって、紙飛行機のように次々と墜とされる同期を見ていたワイズマンは、それを一番よく理解していた。

 だから戦域が広くなると、好きな方向に行けと言った。お前が救えない方向をこちらがカバーするからと。

 トリガーは顔をゆがめると、イェーガーがいる方向とは逆にそらす。

「自分を失ったら意味ないだろう」

「だから命日が来るたびに、大馬鹿野郎って言え」

 しかめっ面を維持したまま、トリガーは墓石を見つめた。

「ワイズマンって、意外にろくでもなかったんだな」

「当たり前だ。エースだぞ。ワイズマンももれなく、そういう傲慢な奴だったって話さ」

「もう少しかっこいい話すればいいのに」

「それはほかの奴らがたくさんする。だからお前は、そういう部分を覚えておけ」

「なんで」

「いずれ生身の部分は、誰も話さなくなるからだ」

 生死に関わらず、現場を去った人たちはどう語られるか。おそらくイェーガーは、そういう光景を何度も見てきたことをトリガーは察する。

 すでにワイズマンは、理想のリーダーとして語られ始めている。

 トリガー自身ですら、三本線のパイロットという存在は、人々の間で勝手にイメージが独り歩きしている。修正などできない。

 死ねば尚更。愚者の部分は消え去り、完全な賢者となる。

「でもやっぱり、もう少しかっこいいほうがいいな」

 泣き顔に近いような、そうでもないような顔に笑みを浮かべたトリガーの発言に、イェーガーは「ああ、そうだな」と父親のような親しさで肩を叩いた。

 

END

 

   十月三十一日の世界

 

 バンドッグという人間は非常に有能で、ダーティワークを苦もなくこなし、懲罰部隊にいても組織に忠実で現実的。

 かと思えば、別れ際に「お前からは腐ったにおいがしなかった」と言うあたり、汚泥の中にそれでも真珠があることを信じているタイプらしかった。

 妙にロマンチストで律儀でもあり、よく組織で生きていられるなというのが、トリガーの印象だった。

 言動から察するに敵を作りやすく、おそらくロマンチストな部分で足を取られるのだろうと。ハードボイルドの主人公がぴったりなのに、最期は子供をかばって事故死しそうな人間。

 そんな彼から送られてきた、戦死した懲罰部隊の面々の個人情報。ご丁寧に、第四四四航空基地飛行隊が正規部隊昇格後に亡くなったタブロイドの実家の住所もあった。変に律儀なのがバンドッグらしかった。

 タブロイドの実家に行くと、父親は仕事で不在。いたのは母親だけだった。

 軍で一緒にいたと言うと、母親はトリガーを歓迎し、タブロイドに関するいろいろなことを教えてくれた。捨てられた動物をよく拾ってきたこと、弱い存在を見捨てられなかったこと等々。

「うちもノースオーシアで暮らせば、少しは楽だったかもしれないわね」

 ベルカ人としての苦労がにじむ言葉がこぼれ落ちる。

 同じベルカ系でも、ベルカが暗躍したとされる二〇一〇年の環太平洋戦争後にオーシアの外で暮らした者、元ベルカ領であるノースオーシアで暮らした者、ノースオーシア以外の州で暮らした者で、うっすらとした断絶がある。

 悪意のないつぶやきだと分かっているが、母親の意図しないところで、それは多少なりとも棘を持っている。ノースオーシアで生まれ育ったベルカ系オーシア人であるトリガーにとっては、棘になる部分があった。

「あの子には、もうちょっと広い世界を見てほしかったのだけど……」

 タブロイドは世界を変えようと行動しているように見えたが、当の母親からすれば、そうではなかったらしい。世界を変えるという、せまい世界にいたように見えたことを察する。

 血や国や縛られずに、もっと大きな視点で見ればいいのに。

 そうすれば人は繋がれるのに。

 そういうことをタブロイドは家族に言ったらしい。そうやって環太平洋戦争では繋がったんだろうと。

 だがそれは、裏に真の悪がいたからこそ。そこにベルカ系が含まれるのかというのは、おそらく灯台戦争で達成されたのだろうが、トリガーにはなんとも返答しづらい話題だったので、「そうですか」とだけ相槌を打った。

 そのベルカも環太平洋戦争では内部分裂し、過去の栄光を取り戻そうとする者、戦後の平和路線を維持しようとする者に分かれた。国民の支持が高いベルカ公家は後者を支持し、戦犯たちを突き出したことにより、すみやかな収束は成された。

 環太平洋戦争後のベルカは大人しく、公家が王室外交を積極的におこなっている。公家の人々は見た目が映画スターのように華やかなので、外国からのウケもいい。

「長居をしました」

 出された紅茶がなくなったので、トリガーは切り上げる言葉を言う。

「こちらこそ長話をしてしまって……ああ待って」

 そう言うと母親は台所に消え、しばらくしてから手に紙袋を持って戻ってくる。

「焼きたてのお菓子があるの。ちょうど粗熱が取れたから、帰りにお腹がすいたら食べて」

「この部屋に入った時、甘い匂いがしました」

 ふふっと笑った母親は「でしょう。ほら」と、お菓子を入れた紙袋を差し出した。

「ブラウニーよ」

 トリガーの動きが一瞬止まるが、母親は気づかない。

「あの子、子供の時はこういう焼き菓子が好きだったの」

「……そうですか」

「あ、小麦やナッツを使っているけど、アレルギーは大丈夫?」

「はい。大丈夫です。……あの、よろしければレシピを教えてくれませんか?」

「自己流にアレンジした家庭のお菓子よ?」

「はい。それがいいんです」

 母親は「待って。今書くわ」とレシピを急いで書き始める。

「ここで一つ食べてもいいですか?」

「ええ、どうぞどうぞ」

 トリガーは袋を開け、カットされたブラウニーを一つ手に取って食べると、ある食感に気づく。

「アーモンドが入っているんですか?」

 ブラウニーにアーモンドを入れる入れないで()めた、かつての仲間を思い出す。

「ええ、そうなの。いろいろなナッツが入っていると、あの子喜んだから」

 母親は懐かしそうな声で語る。数秒してからトリガーは吹き出したので、「どうしたの?」と母親が戸惑いながら聞いた。トリガーは「すみません。昔のこと思い出して」と、わざと咳をして呼吸を整える。

「あの、丸い粒のカラフルなチョコ、あるじゃないですか」

 話の流れが見えないので、母親は「あるわね」と調子を合わせた。

「息子さんとそのチョコを一緒に食べた時、彼、わざわざ全部の色を一個ずつ選んでワンセットにして、そういうのをどんどん作っていくんです。それで、ワンセットにしたのをいっぺんに食べていくんですよ」

「ええ」

「面白いことすると思って聞いてみたら、いっぱいあるから楽しいんじゃないかと言って、当たり前のように食べていくんです」

 それを聞いた母親は声を出して笑った。

「ブラウニーと同じね。いろいろなものがいっぱい入っているのが好き」

「子供の頃から、いろいろなものがあるのが好きだったんですね」

 母親は泣きそうな顔で、「そういう育て方をしたから」と言う。

「ベルカは…ほら、ベルカ戦争で核を使ったから、それを思えば仕方がないんだけど……。私たち、ベルカ人というだけで大変な目に()ったから…あの子にはもっと大きな世界を知ってほしくて、いろんな国の子供たちがいる学校に(かよ)わせたの」

 ペンを強く握り、「ずっとそれが根っこにあったのね」と母親は小さな声で付け足す。

「でも最後に子供を助けて死んだっていうの、あの子らしいと思ったわ。身の丈に合ったって言ったら、おかしいかしら」

 灯台戦争終盤の最大の戦いだった、国際軌道エレベーターでの戦い。その真下には難民たちが集まっていた。

 電力供給を絶たれて落下してくる無人機から逃げる中、家族とはぐれた子供を守るため、タブロイドが亡くなったことは伝えた。

「……彼はきっと、世界を守ったんです」

「そう?」

「ええ。人の命は、小さな世界みたいなものですから」

 トリガーはタブロイドの死に顔を見たが、安らかだった。おそらく最期、彼はなにかを見た。タブロイドにしか見えない、彼だけの世界。トリガーには分からなかった世界。

 懲罰部隊では人が集まる場所、手が()いた時間があれば、戦争の愚かさ、国というものの無意味さを語っていた。本人の言動はすべて善意から来るものだし、周囲の目を開かせようとしていた。

 その理想は広く高く、けして悪ではないのだが、彼はずっと上を見て、大きなものを見過ぎていて、トリガーはなにかが引っかかった。彼は一体なにを見ているのだろうかと。

 だが彼の家族と会い、過去を知ることで、トリガーにもなんとなく見えてくるものがある。

「なんだか哲学みたいな言い方になっちゃいましたね」

「……いえ。ありがとう」

 母親はトリガーの言葉になにかを救われたようだが、それがなにか、トリガーには分からない。母親は鼻をすすると笑顔を形作り、メモ用紙をトリガーに差し出す。

「はい、これがレシピ。大まかでごめんなさいね。作っていくうちに、手癖がどんどん入っちゃって」

「ありがとうございます。ブラウニー、おいしかったです」

 メモ用紙を大事そうに持つトリガーの姿を見て、母親は微笑んだ。「今日は来てくれて本当にありがとう」と家の外まで送る。

「こちらこそ、おいしい紅茶とお菓子をありがとうございました」

「あの子、あなたと仲良かったのね」

「……はい。僚機でした」

 答えになっていない答えだったが、それで母親は満足したらしく、小さく「ありがとう」と言った。

 車に乗ったトリガーは窓を開け、「それじゃ」と言ってから車を発進させる。母親はトリガーが乗った車が見えなくなるまで、ずっと見送っていた。

 トリガーはレンタカーを返し、帰りの飛行機に乗るためにラウンジで時間を潰している間、もう一度レシピが書かれたメモ用紙を見る。

(今度はこれを持っていくよ。ブラウニー)

 トリガーは微笑むと、メモ用紙を丁寧にたたみ、デイバッグにしまう。

 次にスマートフォンを取り出し、バンドッグに一言くらいは礼をすべきと思ったが、どういう形にするべきかと悩む。

 フルバンドの墓で再会した時は、思わず突っかかる態度になってしまった。あとから自分がまだまだ若いことを痛感し、そのことは反省していた。そのため、礼をしづらいという心理的ハードルがある。

 もし礼をするなら、直接電話でするべきか、メールにするべきか、ロングキャスターに伝言を頼むべきか。バンドッグがSNSのアカウントを持っているかどうかは知らない。

 しばらく悩んだあとで、結局メールにした。それならば仕事中でも邪魔はしないだろうと。

 そうなると今度は文面に悩むが、散々悩んだあげく、「タブロイドの実家まで回り終えた。礼を言う。情報を提供してくれてありがとう」とシンプルな文面にして送信。ホッと一息をつく。

 すると、数分とかからずに返信が来た。思わず「マジか」と声に出して驚き、返ってきたメールを見れば「役立ってなにより」とだけ。思わずスマートフォンを近くに寄せたり遠くに離して画面を見たが、文面が変わらないことを確認する。

 即答に近い速さでメールを返すあたり、気になっていたのか。真意はまったく分からないが、これも彼なりの優しさの表れなのだろうと解釈しておく。

 ふと、窓の外のもうすぐ夜になる風景を見る。空のほとんどの色は暗いミッドナイトブルーへと様変わりしていて、地平線に漂うのは燃えるようなバーミリオン。その狭間にダークブルーが残る。

 タブロイドの遺体を確認した時に見たものと同じ、あの日の空。

 日没後の黄昏、十月三十一日の薄暮。

 

END

 

   備忘録

 

脇キャラについての解説です。

 

ベルンハルト・シュミッド:ZEROミッション3ソルジャーで登場。アサルトレコードNo.015。ニックネームはフクロウの目を持つ男。公式設定で家族は母と妹が一人。父は幼少の頃に他界。

 

エリッヒ・ヒレンベランド:ZEROミッション10ソルジャーで登場。アサルトレコードNo.084。異名は死ねない男。戦後はノースオーシア州の民間飛行訓練学校のインストラクター。

 

フランク・フリートリヒ:ZEROミッション1マーセナリーで登場。アサルトレコードNo.000。戦後はハイエルラーク空軍基地の指導教官。

 

ウォードッグ隊:5で登場。主人公が所属する部隊。

 

   後書き

 

オーシアの教育制度や飛行免許は、オーシアのモデルであろうアメリカを参考にしています。ヴィトはプレイヤーが頑張れば生存ルートが開けるので、今作には入れませんでした。


 
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