No.100727

ミラーズウィザーズ第四章「今と未来との狭間で」01

魔法使いとなるべく魔法学園に通う少女エディの物語。
その第四章の1

2009-10-13 02:37:43 投稿 / 全1ページ    総閲覧数:418   閲覧ユーザー数:416

  第四章「今と未来との狭間で」

 森のざわめきが聞こえる。

 風の音ではない。獣の鳴き声でもない。空気が、この世界に漂う幽星気(エーテル)が密かに奏でる音。目には見えない鮮やかな息吹が聞こえていた。

「うぅ」

 自身の呻きが、やけに頭に響く。いや、痛いのだ、頭だけでなく身体全てが悲鳴を上げている。

 それでも視えてしまう。目をつぶり『霊視』などしていないはずなのに、周囲の荒れ狂う幽星気(エーテル)が万華鏡のように一面ちらついているのがわかる。では、エディ・カプリコットは幽世の夢を見ているのだろうか。

 『霊視』とは視覚によって霊子(れいし)を視る力。なら五感全てで幽星気(エーテル)を感じるならば、それは『霊感』と言った方がいい。普通の、幽世の気配をなんとなく感じるだけの弱々しい『霊感』などではない。より高度な、知覚として幽世を感覚として認識出来る力。言うなれば『第六感(シックスセンス)』という別なる感覚が本当にエディに備わっているとでもいわんばかり。

 そんなことは露(つゆ)知らず、エディ本人は苦痛に悶えていた。

 やっとにして目を開けば、夜の帳が下り始めた空。新月も同然の、か細い月がエディを見下ろしていた。

 そこは森の広場のような場所だった。ただ、そこを広場と呼ぶには抵抗がある。森の中で開けた地形とはいえ、元々生えていた木々が魔法により薙ぎ倒されて開けた場所は何と呼べばいいのか。倒木と化した木々は乱暴に散乱し元の森の姿を思い出すことも出来ない。

 記憶がとんでいた。ここがどこなのか思い出せない。ぽっかりとエディの知覚が抜け落ちたように、何も考えつかなかった。

 一つ一つ確かめるように、自分の身体に視線を落とす。あちこち傷付き汚れた魔道衣。こんなことでは、寮に帰った途端、マリーナにどやされる。身体だって何やらまともじゃない。四肢を失う大怪我ではないようだが、全身がしびれて動かない。幽星体(アストラル)が悲鳴をあげるほどのダメージを負っている。明らかに異常だ。

(魔法? 何か魔法を喰らった? 幽生体(アストラル)の弱ったこの独特の感じ、ダメ、まだ立てない)

〔何を呆けておる!〕

 きつい叱咤(しった)だった。誰の声だか一瞬忘れていた。しかし、直ぐに幽体の魔女、ユーシーズ・ファルキンの声だと思い出した。

 ぼやけた視界には、いつもエディの側で浮いていた、あの儚い幽体の姿はどこにもない。暗い森の空。申し訳程度に残った夕空は、あと数分もしないうちに、完全に黒に塗り変わだろう。まだ星を見るには若干明るい、そんな中途半端な空がエディの視界を占める。

〔早ぅ、立たんか、このままやられるつもりか!〕

(やられる? 何が?)

 その答えが返ってくるまでもない。やっとにしてエディは自分の置かれた状況を思い出した。

 ローズ・マリーフィッシュと一緒に森に逃げ込んだはいいが、そこであの白い魔法使い。『統べる女(オール・コマンド)』と名高い、学園序列二位のジェル・レインに追いつかれたのだ。一度はローズの機転で逃げ出したのだが、相手は空を自由に『飛翔』する高位魔法使いだ。追撃にあったエディは無様に逃げ惑い、そして――。

「く……、そうだ。私、あの人の『黒羽』を喰らって……」

 呼吸するにも肋(あばら)に響く。ジェル・レインに追われ、彼女の奥の手である魔法『黒羽』に襲われた所までは記憶が戻ったのだが、それ以後がはっきりしない。全てが遠い昔のように、薄らいだ意識の海に沈んでいた。ただ、エディの周りのえぐられた地面のくすぶりを見れば、エディが気を失っていたのは極短い時間だったことが量られる。

 力の入らぬ足を無理に引き寄せ、弱々しい膝を突っ張って体を起こす。すると、視界の端に白い姿を見付けた。この魔法学園において、白いシルエットの魔法使いと言えば、ジェル・レインか、義兄のカルノ・ハーバーぐらいしかいない。それほど魔法使いには似合わぬ色なのに、今はその白が闇夜に閉じようとしている森中に映(は)えて仕方がない。

 近視の目をしかめるまでもなく、その白い魔道衣は、先程『黒羽』での突撃を放った女魔法使いに相違なかった。エディが無様に倒れていたので、様子見がてらに息を整えていたのか、棒立ちのままだ。彼女にしても『黒羽』という高位魔法は、軽々しく使える魔法ではないのだ。

「どうしてこんなことするのよ! 私が悪いことした?」

 痛みを堪え、必死に訴える。それは泣き言に近い。突然、クラン会長に講義から連れ出されて、訳のわからぬうちに逃げる身となった。エディを逃がそうとしてくれたローズともはぐれてしまい、今のエディは孤立無援。泣き言も吐きたくなるというものだ。

「自分のしでかしたことを忘れたとは言わせませんわ。魔法学園の禁忌に触れるなど、許されるはずなくて?」

 『黒羽』による痛手を抱えて、ふらつきながらも無理矢理に構えるエディをジェルは見据える。

 しかし、いつも凛々しい彼女らしくない、息は整ってきたようだが、まだ肩を荒げ、エディへの宣告もようやくひねり出した言葉に聞こえた。ジェルとて、度重なる魔法施行で消耗しているのだ。だが、その程度で隙とは呼べない。ジェルはしっかりとエディに心を残している。

〔エディ、素直に投降してはどうじゃ? あまり逃げ回るのは得策と思えんがのう。くくく〕

 いつもの卑下た笑いが癇(かん)に障る。幽体の魔女であるユーシーズはその姿を隠したまま、エディにだけ声を届けていた。

(自分は被害がないからって、そんな他人事みたいに!)

〔そうじゃ、他人事じゃ。我は主が追われようと知ったことではないわ。……ただ、全てが我に関係ないというわけでもなさそうじゃがの〕

 そのユーシーズの言通り。中世に戦禍を撒き散らした魔女ファルキンが全く関係ないわけではない。それは先程ジェルが触れた「魔法学園の禁忌」とやらに当たるのだろう。エディは『魔女』という最も触れてはならぬものに触れたのは間違いない。

「さて、カルノの方も心配です。あなたが大人しくしてくれれば、私もあちらに加勢に迎えるのですけど、まだ逃げるおつもりですか?」

「ぐっ」

 エディが声に詰まった。ジェルの言葉から察するに義兄のカルノ・ハーバーもエディを追う側の立場のようだ。彼もジェルと同じ『四重星(カルテット)』の一員、学園からそんな命令を受けても仕方がない。

 そもそもこのバストロ魔法学園の最高責任者である学園長はエディの祖父だ。そんな立場のエディが、こんな扱いを受けている時点で、その祖父もエディの味方ではないのだ。

 誰も味方がいない。唯一味方をしてくれたローズも今頃は『四重星(カルテット)』の誰か、ジェルの言葉から推察するにカルノか誰かに追われているのだろう。

 ボロボロになった体を押して立ち上がってはみたが、予想以上にダメージが大きい。もう先程までの逃げ足は望めない。絶体絶命とはこのことか。

 いや、むしろここまでよく逃げ延びたものだと、自分を誉めてやりたい。学園の落ちこぼれとして蔑まれる自分が、序列二位の追撃をここまでかわしてきたのだから。そんな甘い言葉が心中に浮かぶが、エディはまだ諦めきれてはいなかった。

(ユーシーズ。何か策はない?)

 すがるように魔女に聞いた。しかし、返ってきたのは素っ気ないもの。

〔あるはずがなかろう。仮にあったとしても、魔法がろくに使えぬ主では、どうしようもないわ〕

 これは効いた。どんな魔法よりもガツンとくる。

 確かにそうだ。エディは魔法の使えない魔法使い。そんなエディが策を弄(ろう)したところでどうなるというのだろう。何も出来ないのは目に見えている。唯一有効だった『霊視』での回避も、ふらつく体では狙い撃ちにされて終わりだ。目がいいだけでは、どうにもならない。そうだ、ユーシーズに言われた通りだ。目に頼ってきたからこそ、エディにはもう打つ手がない。

 砂利を踏む音。ジェルがゆっくりと近づいてくる。どれだけ気を張ってもエディの足には力が入らない。人の存在の幽世を支える幽星体(アストラル)が弱っているのだ。

 明らかにまずい。防御魔法の出来ないエディは、その足で逃げなければならないのに。つまり、後一発、魔法を放たれれば終わり。もう打つ手がない。

 未だに荒々しい幽星気(エーテル)の余波が雑木林に澱んでいた。『黒羽』の魔法が放たれてから。もう随分経つのに、舞い上がった魔力が収まってくれない。重々しい幽生気(エーテル)がエディの周りにまとわりついてくる。

(何よ。この森おかしいんじゃないの? 幽星気(エーテル)の流れが滞ってるじゃない! 私の邪魔しないでよ。私はあの人を視ないといけないのに、こんなうざったいっ!)

 目の前の危機から目を逸らすように、心中悪態を吐く。しかし、本当に魔法により拡散した魔力に嫌悪感を覚えたのも事実。

 エディはいつの間にか口内に入った砂利を吐き捨てた。落ち葉溜まるはずの地面は、『黒羽』の衝撃で土が剥き出しとなっていた。

「ジェル・レイン……さん」

 目の前に女魔法使いが立っていた。腰に手をあて、斜に構えた立ち様が妙に似合っている。白い魔道衣に巻いた金髪を振りまいて、細く引き締まった口元が開かれる。


 
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