「はぁ……」
大きな疲れ交じりのため息を吐くと、グライダ・バンビールは持っていた受話器を力なく置いた。
具体的に数えてはいないが、だいたい二十分から三十分おきくらいに知人から電話がかかってくるのだ。
その電話の内容がいずれも、
『あのおじいさん、誰?』
グライダの両親は彼女が幼い時に亡くなっており、祖父母の方は会った事はもちろん、今でも生きているのかどうかすら知らないのだ。
「誰かなんて……こっちが聞きたいわよ」
と、極めて不機嫌そうな仏頂面でブツブツ呟く様子は、周囲から「美少女剣士」と云われている彼女とは思えない。もう二十歳になったので、いい加減「美少女」は厳しいかと冷静に考える。
だが、そんな冷静な考えを邪魔するかのような電話のベル。グライダは「またなのか?」とため息を吐いて受話器を取ると、受話器の向こうから、
『グライダ? 何か知らないおじいさんと歩いてたって聞いたけど、誰?』
彼女のため息の回数がまた増えたのは、言うまでもない。
世界で最も不可思議な港町として名高いこのシャーケン。
ここにも、朝はきちんとやってくる。
同時に、面倒な騒動までやってくる。
平穏な日は、一日としてなかった。
この広い町のどこかで、必ず誰かがはた迷惑な騒動を引き起こし、巻き込まれるのだ。
だからこそ、ここへ来れば――どんな職種であれ――仕事にあぶれることはない、とまで云われている。
シャーケンの町を行く、一台の電動車椅子があった。
それに乗るのは闇のような黒いローブを纏った老人である。いかがわしい魔術師にも見えたが、彼の発する空気はそれとは縁遠い代物である。
その老人の乗る車椅子に付き従うのは、揃いの黒いローブに身を包んだ若い女性であった。まだ二十歳くらいであろう。
「ミンカ」
不意に老人が車椅子を止め、口を開いた。
同時に女性がそばに寄ってくる。どうやら彼女の名前らしい。
「飯はまだか」
「……一時間程前に食べたばかりですが」
「…………そうだったか」
ボケ老人と家人との会話そのものである。
しかしミンカと呼ばれた女性は気難しい顔のまま、再び動き出した車椅子にピタリと寄り添った。
その応対で周囲の人間は「何だ違うのか」と言いたそうに二人から注意をそらしていた。
「此の先へ行くのか」
周囲の人間達の中から、そんな二人に横から声をかける人物がいた。
人物というのは語弊があるかもしれない。その声は明らかに人間の物ではない。合成された音声だ。
全身をブラック・メタリックの金属で覆ったロボット。戦闘用特殊工作兵のシャドウである。
「はい。そうですけど」
見ず知らずのシャドウを前に笑顔こそ浮かべていないが、素直にそう答えるミンカ。それを聞いたシャドウは、
「此の先で工事が行われて居る。車椅子が通るのは些か大変だ。迂回した方が良い」
シャドウが指差す先には、歩道を大々的に封鎖して工事をしている光景が小さく見えた。確かにそんな道路を車椅子で通るのは大変そうである。
ミンカは気難しい顔のまま丁寧に頭を下げると、
「ご丁寧に、どうも有難うございます」
それに釣られたように、シャドウも無言で頭を下げた。
ミンカは車椅子の方向を器用に変えると、そのまま歩き去って行く。充分に歩き去ったのを確認すると、シャドウはグライダの家に電話をかけた。
「……グライダか。お前に似ている女が、老人を連れて歩いて居たぞ」
無論、受話器の向こうから聞こえてきたのは、疲労感たっぷりの盛大なため息であった。
そのグライダの家にて。
「其れは災難だったと言うしか有るまいな」
グライダ本人から直にため息の理由を聞いたシャドウは、正直に彼女に謝罪する。
「……まぁ、何か変な事やらかしてるとかよりはマシだけどさ」
まだどこか不機嫌そうにコーヒーをすするグライダ。
「けど、そんなに似てるかなぁ?」
目の前のテレビ画面には、シャドウのメモリー内にあった女性・ミンカの顔が写し出されている。
確かに背格好は似ていそうだ。髪の色も長さも似ている。顔の造型も、少し目尻が下がり気味なところを除けば、似ていると言えば似ているかもしれない。
グライダは画面に密着するようにして、その女とにらめっこでもしているかのようだ。
そんな彼女を小さく笑って見ているのは、彼女の親代わりを務めている、魔界の住人コーランだった。
「遠目なら、見間違えても無理はないわよ?」
そんなコーランの言葉に納得が行かないと言いたそうにムスッとしているグライダ。
確かに、世の中には自分にそっくりな人間が三人はいるものだとまことしやかに言われている。そのうちの一人だとでも言うのだろうか。
とりあえず、グライダには既に「自分にそっくりな」人間がいる。双子の妹であるセリファ・バンビールが。
双子とはいっても、諸事情がありセリファの方は心身共にまだ幼い。そのセリファですら、
「おねーサマににてます」
と、悪意のない笑顔を浮かべている。これにはさすがのグライダも呆れるしかない。
「まあ、それはともかくとして……」
グライダはムスッとした顔のまま、リモコンのボタンの上で指をふらふらとさせると、えいっと一つのボタンを押した。
切り替わった映像には、車椅子に座った黒いローブ姿の老人が写し出されていた。ややうつむき加減なので表情は見づらいが、コーランはふんふんとうなづくと、
「この魔術師、もしかしてカソゴ師じゃ?」
「コーラン、知ってるの?」
セリファが画面を覗き込んだまま彼女に尋ねる。コーランはそれを肯定すると、
「純粋な人間の魔術師としては、割と有名な人ね。けど十年くらい前に入院したって聞いたんだけど」
「車椅子に乗ってるのはそれが原因って事なのかな」
グライダも考え事をするような顔でカソゴ師の顔を見ている。するとシャドウが、
「正確には九年前だ。老人性痴呆症で入院した様だな。痴呆症は完治して居ないが、五年前から孫の元に身を寄せて居る。恐らく其の女が孫だろう」
インターネットででも調べたのだろう。澱みないシャドウの説明を聞く一行。
「そして其の孫が、現在唯一の弟子だそうだ。元々他人に物事を教えるのは不得手だったらしい。弟子は片手で数えられる程しか居なかったが」
「確かに。著名な割にどこかの教授になったとか私塾を開いたとか聞いた事ないわね」
コーランも自分の記憶を頼りにしてみるが、そんなようだったと記憶していた。
すると、皆の真ん中にぼうっとした黒い塊が出現する。
警戒してその場からバッと飛び退く一同。シャドウは腿に隠していたビーム銃を突きつけ、グライダは自身の右手に宿る炎の剣・レーヴァテインを出現させ、その切っ先を突きつけた。
‘……見事。儂の勘に狂いはなかったな’
いきなり現れた黒い塊が声を発する。その声は明らかに年老いた男の物だ。
‘儂の名はカソゴ。このシャーケンの町に滞在中のしがない魔法使いじゃ’
言いながら黒い塊は人型に変化していく。フードを被った黒いローブ姿だ。その顔は明らかに先程画面で見たばかりのカソゴに間違いなかった。
‘話だけは聞いておったが、その方等がかのバスカーヴィル・ファンテイルだな’
カソゴ――幻影だろう――の発した言葉に一同が身を固くする。
確かにグライダ達はバスカーヴィル・ファンテイルと呼ばれる、通常を越えた戦闘を行う極秘部隊に属している。
だが「極秘部隊」であるゆえに、部隊の存在はともかくその正体はしっかりと隠されている。いくらカソゴが高名な魔術師でも、それが知っている理由にはならないのだ。
‘大丈夫、口外はせんよ。もっともボケ老人の言う事なぞ誰も信用せんわい’
そこまで言われてコーランは思い出した。魂の分身とも呼べる存在を作り出し、それを幻影のように操る高等魔術の存在を。
という事は……。
‘枯れたボケ老人はフリじゃよ。そうせにゃならん理由があってな’
そこで唐突に部屋に呼び鈴が鳴り響いた。コーランは幻影に向かって「ちょっと待ってて下さい」と言うと、そのまま部屋を出て行く。
カソゴの幻影はその様子が見えているかのごとく(本当に見えているのだが)話を中断させた。
やがてコーランに連れられてやって来たのは、皆とも仲のいい神父のオニックス・クーパーブラックだ。彼は部屋の中の幻影を見るなり、
「ああ。カソゴ師の幻影ですか。じゃあこれは必要なかったでしょうかね」
彼がそう言って取り出したのは、一枚のDVDディスクだった。
起き抜けの武闘家バーナム・ガラモンドが見たのは、おろおろとした落ち着きのない表情で何かを探している、黒いローブ姿の人物だった。
半ば日課となっている、シャーケンの町郊外を流れる川のそばでの昼寝。それから目を覚ましてみると、そんな人物がいきなりいる。
もしこれが普通の人なら「何してるんですか?」くらいは聞くものだが、このバーナムは完全に「我関せず」とばかりに再び寝ようと横になる。
「すっ、すみませんっ!」
そのローブ姿の人物が、声だけで切羽詰まって慌てているのが丸判りな調子で尋ねてきたのは、こんな内容だった。
「このくらいの丸いカプセルっぽい物、見ませんでした!?」
そう言って、両手の細い指が「このくらい」と言いたそうに大きめの輪を作る。
そこで初めてバーナムはその人物が若い女性である事を知った。だが、別に若い女性だからといっていきなり態度を変える訳ではない。彼はそういう人間だ。
「知らねぇ」
そう一言だけ呟くと、彼女を無視して本当に寝転がった。
こうもあっさりと淡白に返答されてポカンと惚けていたが、事情も知らない無関係の人間とはいえその態度にはカチンと来たらしい。彼女は声を荒げると、
「落ち着いている場合じゃないんです! 早くしないとあの町が大変な事になるんです!」
そう言って彼女が指差したのは、もちろんシャーケンの町だ。
ガクガクと激しく揺さぶられながら訴えられるバーナム。最初のうちは無視していたが、余りにも揺さぶり続けるのでその手を叩いて弾く。
「うるせぇ! 眠れねぇだろ!」
脅しどころか完全に殺気立ったバーナムの顔。一瞬ひるんだ彼女だがそれでも屈せず、
「本当に大変なんです! あの町が大津波に飲まれるかどうかの瀬戸際なんですよ!?」
シャーケンの町は港町。確かに津波が来ないとは限らない立地にある。
だがバーナムは水の神である龍の力を発揮する武術を使う。そのため水や氷に関しては、通常の人間よりも敏感なのだ。
相手は津波が来ると切羽詰まっているが、そんな兆候はこれっぽっちも感じていない。
しかし。こうまでパニックに陥っている人間ほど、冷静な人間の言葉は通じない。理路整然とした説得は届かない。今がまさにその状況であった。
不意にバーナムの腕が動き、その手が何かを弾く。その弾かれた物は緩やかな放物線を描いて川の中に落ちた。
「ずいぶん物騒な事してくれんな、オイ」
弾いた物を「飛ばしてきた」人物を横目に見て、バーナムはようやく立ち上がった。
一方、何が起きたのか判らないローブ姿の女性は呆気に取られているだけだ。
「少しはやる気を出しなさいって」
ため息を吐きながらそう言ったのはコーランだった。その少し後ろからグライダ達が走ってくるのが見える。
先程バーナムが弾いたのは、コーランの唱えた火球の呪文である。威力は相当に抑えられていたので、まともに当たっても「痛い」だけで済むレベルだ。
そんなコーランはバーナムのそばで惚けたままの女性に向かって、
「あなたがミンカ・ルーさんですね? カソゴ師に言われ、お手伝いに来ました」
いきなり見ず知らずの人間からフルネームを言われた彼女――ミンカは「はあ」としか答えられなかった。
コーランはミンカの顔を真正面から見つめ、
「実物なら、グライダに似てると言えば似てるわね」
「似てるかぁ?」
それを聞いたバーナムは間髪入れずに言い返した。
そんなやりとりをしている間に、グライダ達が追いついてきた。
グライダとミンカの初顔合わせである。だが、お互い何も言わず互いの顔を見つめてから、
「実物だと、思ってたより似てるわね」とグライダ。
「自分に似た人、初めて見ました」とミンカ。
「お二人とも。気持ちは判りますが、お見合いは後にして下さい」
見つめあったまま動かない二人にクーパーが声をかける。そんな彼にバーナムは、
「一体どうなってんだ、オイ」
「仕事です。内容はカソゴ師が紛失したマジックアイテムの回収です」
クーパーはケースに入ったDVDディスクをバーナムに見せた。それだけでバーナムも事情をすぐに理解する。やる気を出したかは判らないが。
「……で、そのマジックアイテムってのは何なんだ?」
その言葉で我に返ったミンカは、また先程のパニック同然のテンションに逆戻りすると、
「そうなんですよ! このままだといつ町が大津波に飲まれるか!」
「それはいいんだよ! どんなアイテムなんだ、そいつはよ!? 俺はそれを聞いてんだよ!」
逆戻りした話にムッとした顔で、バーナムはミンカに詰め寄った。一応とはいえ聞いている筈なのに。
「パニック起こしている人にそれは逆効果」
グライダはバーナムの頭をごつんと叩くと、
「一見大きめのカプセルみたいな物なんだって。その中にどんな物でも封じ込めておけるらしいんだけど」
「は、はい、そうなんです!」
ミンカが先程のテンションのままそれを肯定する。
「以前師匠はとある町で、大津波をそのカプセルに封じ込めた事があるんです。大津波と言っても幅数キロの大河で起きたもの。海水ではないので飲めずとも生活用水くらいになら使えます。それを乾燥地帯に届けようとして……」
そこにシャドウが割り込んだ。
「成程。水資源の乏しい地区に其れを運ぶ途中で紛失したと云う訳か」
彼の推測をミンカは肯定する。
「確かに、こんな所でそんな津波が起きたら、シャレにならねぇよな」
ようやく事の重大さを理解したバーナムは、困ったように周囲を見回してみる。緊迫感は相変わらずないが。
生き物の気配ならまだしも、無生物であるカプセルの反応はバーナムには読み取れない。
マジックアイテムは大なり小なり魔力を放っている筈。ならばその魔力を感知して探せばいいだろう。
バーナムはそれを提案すると、
「難しいな。魔力を感知する術式は、余り広範囲には及ばぬ。探す物が具体的に判って居ない現状では尚更だ。結局は地道に探すしか無い」
「だいたい魔法で探せるんなら、とっくにミンカさんがやってるんじゃない?」
シャドウとグライダに自分の案をキッパリと否定され、少々やさぐれるバーナム。そしてミンカも、
「一昨日くらいにこの辺りで何かのロケがあったそうです。仕掛けの為の魔法薬などをたくさん使ったそうです」
それはクーパーも知っていた。番組の演出などでそうした薬を使う事は珍しくない。魔法がある世の中といえど、何から何まで魔法を使って行う訳ではないのだ。
「おかげで、今でもその残留物が残っているので、魔法での探索は難しいです」
言うなれば真っ白な雪原の中にある白兎を視力のみで探すようなものだ。その難しさは容易に想像できる。
余計な事をしてくれる。その場の一同は全員そう思っていた。
それに加わらず何か考えていたグライダが、
「でも、車椅子のおじいさんに、よく津波を封じ込めるような真似ができたわね?」
彼女の疑問にコーランが答える。
「……根っからの魔法使いだって事よ」
足腰立たなくなった年期の入った舞台俳優が、舞台の上でだけはすっくとした立ち居振る舞いをするというケースもある。それと同様だろう。
「自分の師匠にこういう言い方はどうかとも思うんですが、すっかりボケてしまいまして。車椅子に乗せているのも、一人でフラフラと出歩いたりしないようにするためなんです」
「では、今はどうしておられるのですか?」
「ホテルの方にお願いして来ました。さすがにこの場に師匠をお連れする訳にもいきませんでしたし」
クーパーのもっともな疑問にすぐさま答えるミンカ。
確かに彼女の言う通り、この辺りは凸凹も多いし下草も生えている。車椅子で来るのは大変だろう。
だが、クーパー達はそのボケがカソゴの演技である事はすでに知っている(バーナムは除くが)。おそらく何らかの思惑があってそれをミンカに話していないであろう事も。
「とにかく探しましょう。それしかできないのなら、それだけをやりましょう」
話は終わりと宣言するようなクーパーの言葉。それから彼は続けて、
「ボクが昔聞いた話が本当であれば、そのカプセルは強い衝撃には脆い筈です。知らずにうっかり踏んでしまうような事があったら、最後だと思って下さい」
「……何でそこでオレを見るんだよ」
ムスッとした顔のバーナムが、クーパーを睨みつけていた。
それから七人総出でのカプセル探しが始まった。
外見を知っているミンカはともかく、それ以外のメンバーはそれすらも判らないのだ。当然作業は難航した。
クーパー、コーランはとりあえず探査の魔法。シャドウは自身に搭載された全レーダーを駆使してはみたが、広い範囲を探せないためか未だ発見されていない。
「……本当にここでイイのか、オイ?」
作業を完全に投げ出したバーナムが毒づいたのは、一同に諦めムードが漂い始めた時だ。
「セリファつかれたよぉ」
セリファがその場にペタンと座って、眠そうに目を擦っている。
高かった日もすっかり傾き、あと数時間もすれば完全に日が沈むであろう時。
「確かに疲れたままでは効率も落ちますね」
クーパーはそばにいたミンカに声をかける。
「状況の切迫さは理解していますが、一旦休憩を取った方がいいですよ」
しかしミンカは作業を止めようとはしない。その背中には、何としてでも探し出したいという決意が強く表れている。
それはクーパーにもよく判っているだけに、強く止める事もできなかった。
仕方ないと小さく息を吐くと、彼は一旦皆と合流する。
「しっかし、これだけ探して無いって事は、ココじゃないんじゃないの?」
非常食にと持って来ていた乾パンをパクつくグライダ。もちろんその隣ではセリファも真似をするかのように同じようにして乾パンを頬張っている。
「其の可能性も捨て切れぬな」
シャドウが相変らず周囲を見回して短く答える。
だが、ミンカが皆を担いでいるとは思えない。あの真剣な表情は、演技では決して作れないからだ。
「……そのナントカいうじーさん、ボケてんだろ? それで落っことした場所間違えてんじゃねぇのか?」
「……何か、だんだんそんな気がしてきた」
バーナムの投げやりな言葉にグライダの気持ちがそちらに傾き出した。
そこへ、ヘトヘトになったミンカがやって来た。彼女はグライダが差し出した乾パンを無言で受け取って口に放り込むと、
「皆さん、ご協力有難うございます。でも、もう結構です。これ以上ご迷惑はかけられません」
「そんな事言わないでよ、ミンカさん」
傾き出した気持ちが反転。グライダが間髪入れず励まそうとする。
「そのカプセルが割れたら、とんでもない大津波が起こるんでしょ? だったらこっちにだって関係ある事だし。他人事じゃないよ」
頬一杯に乾パンを詰めたセリファも、グライダの言葉にかくかくとうなづいている。
「ミンカさんも少し休んで、力一杯やってみようよ。有名な人のお弟子さんなんでしょ?」
彼女を励ますグライダの言葉。だが、
「でも、私の力なんて、たかが知れたものです。大した事はないんです」
ミンカは強く思いつめたような、暗く沈んだ無表情を浮かべている。
「ボケる前の師匠――おじいさんは『お前は立派な魔術師になれる』と言っては下さいましたが……私には魔術師の才能がないみたいです」
偉大すぎる人物が身内にいるとそれだけ大変という事か。あいにくグライダ達にはそういう経験はないが、その気持ちを判らない訳ではない。
「魔術を学んで十年近くになりますけど、まだ基礎課程すら終了できない有様ですから。ですから『カソゴ師のお孫さんなのに』と蔑まれる事ばかりで」
ミンカは自虐的に小さく笑う。それを見たグライダはミンカに聞こえないように、こっそりとコーランに尋ねてみる。
「それってそんなにダメなもんなの?」
「確かに遅いけど、ダメっていう程のレベルまではいかないわね。純粋な人間ならむしろ早いくらいよ?」
元々魔力を持たない人間と、先天的に魔法を扱える種族との差はそれほど大きいのだ。コーランはミンカを上から下まで観察するよう眺めると、
「でも、純粋な人間にしては、彼女結構な魔力持ちだし、ひょっとして……」
そこへバーナムが割り込むように口を開く。
「実力があろうがなかろうが、やらなきゃならねぇんなら、やるしかねぇだろ。グダグダ泣き言言ってんじゃねぇ」
「そうですね。先程も言いましたが、探す事しかできないのなら、まずそれをやりましょう。力を落とさないで下さい」
クーパーも優しくミンカを励ます。
他のメンバーも、口にこそ出していないが同じ気持ちだった。
見ず知らずの人達が、ここまで協力をしてくれているのだ。自分が頑張らなくてどうするのだ。ミンカの胸中は暖かい思いで一杯になる。
彼女は足元に落ちていた小石を拾い上げ、
「判りました。もう少しお手伝いをお願いします」
そう言うと、景気づけとばかりに拾った小石を対岸めがけて力一杯投げつけた。
その石は十メートルほどの川幅を飛び切って、対岸の草むらの中に消えた。
コンッという小さな音と共に。
その対岸から勢いよく飛んで来た物があった。とっさにバーナムが手で弾く。だが、
「ぐああっ!」
逆に彼は手を押さえてうずくまってしまった。押さえた手の隙間から凄い勢いで血が垂れ落ちている。
その光景に皆が驚く中シャドウ一人が冷静に、
「飛んで来たのは水だ。不用意に受け止めればバーナムの二の舞だぞ」
「水!?」
シャドウの言葉に一同が「そんな馬鹿な」と言いたそうに驚く。
「今ミンカが石を投げたな。その石が当たったのが件のカプセルの様だ。其れらしい球体に至極小さな穴が開き、其処から水が飛び出して居る」
対岸を綿密に観察していたシャドウの言葉。
彼のカメラアイには、艶のない銀色のカプセルが写っていた。それがミンカの探すカプセルであろう事をすぐ理解した。だがすぐにクーパーは、
「高圧縮の水であれば話は変わってきますね。ウォーターカッターの原理と同じですから」
彼が言うように高圧縮の水は、強固な鉄板すらやすやすと穴を開けてしまうだけの威力がある。
それを安易に素手で受け止めたら、バーナムのようになるのは明らかだ。
「大洪水を封じ込めたカプセルに、ほんの小さな穴が開いて、その穴から洪水が漏れたって事?」
「そんなところでしょうね。水は小さな穴から出ようとすると圧力が高くなって遠くまで飛ぶようになるしね。水鉄砲みたいに」
グライダとコーランの会話で、さすがに驚いていたミンカも我に返った。
「それじゃあ、さっきの石のせいで……」
探し物が反対の岸辺だったというミスに加え、自分自身がさらに事態を窮地に追い込んでしまった。自分がしでかした事の重大さを理解してザッと血の気が引いている。
ミンカはそのままへなへなと座り込んでしまう。そこにグライダが、
「何してんの? 早く何とかしないとならないんでしょ!?」
右手に愛剣・レーヴァテインを出現させてミンカに訴えるが、彼女は血の気が引いた顔のまま震えているだけだ。
そんな彼女をチラリとも見ずに、バーナムが手を押さえながら立ち上がる。まだ血は止まっていないのに。
「ビビって腰の引けた奴なんざ、盾にもならねぇよ。すっこんでな」
いくら口の悪いバーナムでも、ここまでストレートに悪し様な事を言うのは珍しい。それに少し驚いたコーランは周囲を見回して、
「……今はまだ小さな穴で済んでるけど、穴が大きくならない保証はないわね。確かに早く何とかした方がいいけど……」
幸い巻き込みそうな物は大してない郊外だが、中の大津波をどうにかしなければ、誇張抜きで町が危険だ。だが、その方法が思いつかない。
たとえ同じカプセルがこの場にあったとしても、その大津波を封じ込めるような芸当が自分にできるかと言えば、正直微妙だ。得意分野の差もあるが、それだけ高度な術なのである。
「とりあえず、結界を何重にも張って凌ぎましょう。時間稼ぎにはなります」
クーパーの言葉に、コーランも「それしかないか」と言いたそうにうなづき、呪文を唱え出す。
やがてカプセルを中心とした青白いオーラでできたドームが完成する。結界ができたのだ。
「ねえ、バーナムの拳法って龍が力の源なんでしょ? それって確か水の神様なんだし、津波くらい何とかならないの?」
「この傷で無茶言うなよ。治したってしばらくは気を使った技は無理だぜ」
グライダの提案をバーナムは一蹴する。そればかりか、
「それなら、てめーの剣で水を蒸発させればイイじゃねぇか」
「それこそ無茶よ。大津波対剣一本じゃ、いくら『世界を焼き尽くす炎の剣』って言われてるレーヴァテインといえども限度があるわ」
今度はバーナムの提案をコーランが一蹴する。
そんな三人の不毛な会話が空しくミンカの耳を通過していく。
(何で自分には、こんなにも勇気がないんだろう)
やらなきゃならない。
判っているのに、手が震えて止まらない。足が震えて動けない。
「いかん。カプセルが砕けるぞ!」
シャドウが言った直後、ドーム状の結界内が一気に水で満たされた。その水は出口を求めて結界内で激しくうねっている。
「コーランさん、それからセリファちゃんも手伝って下さい」
クーパーの呼びかけでコーランは再び結界を作る呪文を唱え出した。
セリファもポケットから専用の占い用カードを取り出す。そこに描かれた魔術師が彼女の頭上で実体化して同じ呪文を唱え出し、結界がさらに強化される。
だが大津波の勢いは増すばかり。大量の水の圧力は人間の想像を遥かに上回る。いくら何重にも張った強力な結界とはいえ破られるのは時間の問題だ。
手に乗ってしまうほど小さなカプセルの中にそれほどの大津波を封じ込めたというのか。カソゴという魔法使いの力量は、さしものコーランも背筋が凍る思いだった。
「ミンカさん」
一人作戦に加われないグライダが、ミンカの隣にやって来た。彼女は震えて立てないミンカに向かって、
「怖くていいんですよ。あたしだって怖いですから」
グライダの口から出た意外な言葉に、ミンカはきょとんとなった。
「で、でも。あんな風に困難に立ち向かえるのは、勇気があるからでは?」
グライダはいきなりそんな事を言われ笑いそうになりながら、
「別に勇気なんてないですよ。町を守るっていう使命感とか、そんなのも全然ありませんし」
そして、急に照れくさくなったのかそこで言葉を切ると、
「あたしには『魔法が効かない』っていう変な体質があるんです。こればっかりは恨んでも悩んでもしょうがないですし。でも、これがもし何かの役に立つってんなら。あるんなら使わなきゃ損でしょ。それだけ」
「使わなきゃ損、ですか……?」
不思議そうな顔のミンカにグライダはこくりとうなづくと、
「それから、これはコーランが言ってた事なんだけど」
そう前置きしてからグライダは話を続ける。
「あなた、かなりの魔力持ちなんだって。でも、歯車が空回りしてるって言うのかな。魔法っていうのは気合いと精神力が物言うみたいだから、そういうののバランスが取れてないと、使える物も使えないって」
「気合いと精神力、バランス……」
そう言われて、自分の胸中を探るようにこれまでの事を思い返す。
確かに自分は、これまで「カソゴ師のお孫さん」「カソゴ師のお弟子さん」という見方ばかりされてきた。
会心の事ができても「できて当然だろ」と言われ、たまたま些細なミスをしても「あの弟子のクセに」と必要以上に責められる。
確かに自分は「カソゴ師の孫で弟子」だが、それ以前に「ミンカ・ルー」という一人の人間、魔法使いである。
「少しは気づいたみたいね」
ほんのわずかだが、今までとは違う表情を見せたミンカに、コーランが声をかける。
「確かに師匠の名を汚さぬようにっていう覚悟は大事だわ。でも、だからといってそれをプレッシャーに感じて、潰される事はないわ。もっと気持ちを大きく、自由に、楽に持ちなさい。魔法使いに必要なのはそうした常識や固定概念に縛られない精神力なんだから」
コーランはミンカの手を取って立ち上がらせると、
「魔力が多いから良い魔術師っていう事はないけれど、あなたくらいあれば大丈夫。ガツーンと行けば何とでもなるわ」
「それって……いわゆる『失敗を恐れるな』って事ですか?」
おそるおそる。自信がなさそうな、不安げなミンカの声。しかしコーランは間髪入れずに、
「それ逆」
ビシッと言い切ってから意地悪っぽく微笑むと、キッパリこう続けた。
「必ず失敗しなさい」
思ってもみなかったコーランの一言に、ミンカはたまらず吹き出してしまった。堪えようとするのだが、どうにもならずにクスクスと笑ってしまう。
「その笑顔よ。やってみなさい」
言われてミンカはハッとなる。そういえば、こんな風に笑ったのなどずいぶん久し振りのような……。
これまで感じていたのは劣等感ばかり。だが今感じているのは身体に少しずつ溢れてくる、そうではない「何か」。
自信ではないが、それに結びつきそうな何かかもしれない「何か」。自分でもうまく表現できない物が、確かにある。胸の内にしっかりと。
「判りました。やってみます!」
気がつくと、手の震えも足の震えもピタリと止まっていた。
ミンカは目を閉じ、口の中で小さく呪文を唱えながら、そっと上げた両手の掌を結界に向ける。すると、今まで青白かったドーム状の結界が、次第に赤みがかってきた。
それから彼女はその掌を向かい合わせにして、ゆっくりと重ね合わせていく。
何と。その動きに連動するかのように、大津波を封じた結界がゆっくりとその大きさを縮めていくではないか!
コーラン達が数人がかりでやっとだった大津波を、たった一人の人間がいとも簡単に抑え込んでいるのだ。驚かない訳がない。
そんな驚きの視線が集まるミンカの両手が、やがて音もなくパチンと合わさった時、あった筈の大津波の塊は――
結界ごとその場から消え失せていたのだった。
「カプセルの処理と、お弟子さんに自信をつけさせる。二つのご依頼、この通り完遂致しました」
車椅子に座るカソゴを前に、クーパーは丁寧に頭を下げる。だがバーナムは露骨に嫌な顔を隠しもせず、
「結局このじーさんの予定調和と尻拭いに付き合わされただけじゃねぇか」
カソゴはボケ老人の演技を解き、
「まぁ、そうむくれんでくれんか、若いの」
朗々とした声で、本心から謝罪する。
終わってから事情を聞いたミンカはさすがに怒っていたものの、結局は自分の為にした事だと思い直した。
自信があればあれだけの事ができると、教えてくれたのだから。
「けどよ。たかだかその程度の事で、よその町を巻き込むんじゃねぇよ」
バーナムの怒りももっともである。口にこそ出していないが、程度はともかく皆もそう思っている。それについてはカソゴだけでなくミンカも平謝りだ。
「偉大な師匠を持つと、弟子は苦労するって事でしょうね。いろんな意味で」
グライダの言葉にミンカも小さく笑っている。それを見たカソゴは、
「だから偉大な魔術師ではない、ボケ老人として振舞っていたというのに」
そんな無茶苦茶な。ミンカを含めた皆の思った事はその一つであった。
「……でも、そんな自分に良く尽くしてくれたな、ミンカ。有難う」
しんみりとカソゴの漏らした感謝の言葉に、ミンカも泣きそうになりながら、
「当たり前です。ボケているのが演技だって事は、とっくにお医者さんから聞いて知っていましたから」
この一言には、さすがのカソゴも大口を開けて笑っている。騙していたつもりが騙されていたという訳だから無理もない。
「じゃあさっき怒らなくても良かったんじゃ」
不意にぽつりと漏らしたコーランの言葉に、カソゴはさらに大笑い。
そんな笑いに包まれた中、グライダは握手を求めてミンカに手を差し出した。
「ま、せっかく自信がついたんだから、修行の方も頑張ってね」
ミンカも負けじと手を差し出し、力強い握手をかわす。
「この自信、無くさないように頑張ります」
グライダは、ミンカの顔を見つめると、こう返した。
「自信がなくなっても、今回みたいな真似はしないでな、お二人とも」
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「剣と魔法と科学と神秘」が混在する世界。そんな世界にいる通常の人間には対処しきれない様々な存在──猛獣・魔獣・妖魔などと闘う為に作られた秘密部隊「Baskerville FAN-TAIL」。そんな秘密部隊に所属する6人の闘いと日常とドタバタを描いたお気楽ノリの物語。